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留学時代の体験

「英語を勉強して良かった」1番大切な理由

「英語って、何のために勉強するの?」

皆さんが英語や英会話を学ばれる理由は様々だと思います。「旅行をもっと楽しみたい」「留学やホームステイに行きたい」「受験のシステムが変わる」「仕事で英語が必要だ」「就職や転職で有利になる」「外国人と話してみたい」「外国人の友達や恋人が欲しい」「もうすぐ東京オリンピック!」「シェアハウスに入居したら周りがみんな外国人」…その目的、動機は人によって千差万別でしょう。きっかけや目的が何であれ、英語を身に付ける事はその方々にとっては必ず何らかのプラスになるはずです。僕に至っては、大学時代に父に「学生のうちに留学くらいしておけ」と言われたのがきっかけです(笑)もちろんそれ以前からTOEICくらいは受けないと…と思って単語を覚える程度はしていましたが、本格的に背中を押してくれたのはその父の一言だったのは間違いありません。詳しくは留学時代の体験 「Santa Barbaraその1。」のブログからお読み頂ければ幸いですが、何しろ僕はそのようなきっかけでロクロク会話の経験もないまま留学へ出発し、現地で打ちのめされ自分の情けなさを痛感し、そこから必死に英語の勉強を始めることとなりました。

きっかけはこのような情けないものですが、とにもかくにもその後英語を身につけた事で、次の留学では海外に多数の友人ができ、その後9.11直後の超氷河期の就職活動を勝ち抜き、海外旅行へ行っても不自由なく行きたい所へ行き、やりたい事をやり、食べたい物を食べ、相手を怒らせるまで値切り(笑)、時には英語でケンカをする事も出来ます。今ではネイティブと英語で議論してもそう簡単には負けません。そして何より、いまこうして英語を教えると言う仕事を立ち上げる事も出来ました。まさにあの時の父のひと言が、僕にとってはかけがえのない一生ものの財産となりました。恥ずかしくて口では伝えられませんが、僕はその時の父のアドバイスに、本当に深く深く感謝をしています。日本語しか話せなければコミュニケーションが取れるのはせいぜい1億人と少しですが、英語と言う「世界の共通語」でコミュニケーションが取れる人の数は、少なく見積もっても世界の半分、約35億人に上るでしょう。つまり僕の世界は父のおかげで35倍の広さになったのです。世界を自由自在に旅をして、35億の人々と会話ができ、様々な知識や経験を得て無限の魅力と出会うことが出来る。こんなに素晴らしい事は無いと思います。

しかし、僕が「英語を身に付けて良かった」と思う1番大切な理由は、実は上記したような事ではありません。僕にとっては世界を知ることで、「日本のことを初めて正しく知ることができた」と言うことが、もっとも大切な事だったといま思えることです。

実は僕は若い頃は、いつか日本を出て行きたいと思っていました。こんな経済が低迷し、刺激的な事が少なく、政治家や官僚は悪事ばかりを働き、過労死するほど働かなければならない国に住むのは不幸だと勘違いをしていました。ただ僕がこのように思っていた事は実はそれほど稀なケースではなく、実際に日本の若者は他国の若者と比べて自分たちを幸せだと感じていない、と言う調査データが出ています。つまり日本人、特に若者は日本に生まれた事を「幸せでない」と思ってしまっているのが現状なのです。それは実は大きな勘違いなのですが、残念ながらそれが勘違いだと気付くチャンスや方法が日本の若者にはないのかも知れません。それは日本の教育政策の失敗と、マスメディアがネガティブな内容ばかりを批判的に報道する偏向的な姿勢、そして何より、若者が内向的にならざるを得ない英語教育のレベルの低さに大きく起因しています。

僕は英語が話せるようになってから、色々な国の友人と話をしたり、中々行く事が出来ないような場所にも行けるようになり、個人的に旅行が好きだった事もあり世界各地の様々な場所へ行き、様々な現状や問題を自らの目で見て感じる事が出来ました。そしてその中で、初めて気付くことが出来たのです。「自分は何て恵まれた国に生まれ育ったのだろう」と言うことに。

<これだけの大都市にも関わらず、東京の空は青い。韓国や中国からの観光客は、まず空の色が違う事に驚くそうです。アジアやヨーロッパの大都市の空が青い事は、近年ほとんど無くなりました>

世の中面白いもので、日本に生まれて日本しか見た事がなかった時は、実は日本のことは何も分かっていなかったのです。世界に飛び出して他国と日本を比べた時に初めて、日本は世界の中でもズバ抜けて幸せな国だと気付きました。治安が良く女性が夜に繁華街や住宅街を1人で歩いても何も問題がなく、町は清潔で人々は勤勉で礼儀正しく親切、カフェでバッグを席に残してトイレに行っても盗む人もおらず、電車にスマホを忘れてもかなりの確率で戻って来ます。サービスのクオリティは世界のトップと言えるほど優れており、仕事を探そうと思えば労働者の数より求人の数の方が多い、賃金の水準もバブル期のように世界トップでは無いにしろ、先進国に相応しい十分に裕福な生活を送ることができ、ほとんどの国民が海外旅行を楽しめ、日本のパスポートを見せればビザも免除され疑われることもほとんどありません。世界のトップを争う技術や医療環境も存在し、選挙権も表現の自由も当たり前のように与えられている。自然に恵まれ美しい景色と文化的な財産を持ち、水資源に困るどころか水道の水をそのまま飲むことまで出来る。首都である東京都市圏は人口ベースでも経済ベースでも世界最大の都市で、世界中の料理を楽しめ、世界中のエンターテイメントや芸術がやって来て、手に入らないものの方が珍しく、ありとあらゆる種類の娯楽を楽しむことができ、把握仕切れないほどの新スポットが次々と生まれ、ニューヨークと世界一を争う事が出来るくらい刺激と新しさに満ちあふれています。高品質で新鮮な食材があふれていて、美味しいものがいくらでもあり、和食は世界的にも最も価値のある料理の1つとして世界遺産にもなりました。高級な食べ物でなくてもクオリティが高く、安くて美味しいものが沢山あります(安くても美味しい、と言うのは他国では非常に稀なことです)。アニメや漫画と言ったサブカルチャーは世界中の若者を魅了して日本好きの外国人がどんどん増えていて、逆に海外へ行けば日本人だと言うだけで親切にされたり礼儀正しく扱われる。これだけ恵まれている国は世界のどこにもありません。日本より進んでいる国はおそらく、アメリカぐらいのものでしょう。そのアメリカですら、全ての面で日本より優れている訳ではありません。

<イタリア・ナポリのメインストリート。経済状況が悪化しゴミの回収がままならないそうです>

先進国が集まるヨーロッパでさえ失業率が10%を超える国が続出し、10人に1人は仕事がありません。多くの国は砂漠化と水資源の確保に苦しみ、水道水を安心して飲めるなどと言う国はほとんどなく、移民の受け入れに問題があった国では差別や貧困が蔓延し治安も悪化しています。パリやロンドンでテロが頻発しているのは皆さまもおそらくニュースでご覧になった事があるかと思います。近年、規模の上では日本より大きくなった中国では大気汚染と水質汚染に歯止めがかからず健康を維持することすら難しくなりつつあり、選挙や表現の自由もない独裁状態であるばかりか賄賂次第で無実も有罪に、有罪も無実になる有様で、国民は常に海外へ脱出するチャンスを探しています。他のどの先進国を見ても発展途上国を見ても、日本のように何一つ不自由がない国は1つもありません。

<北京の大気汚染。管制塔が霞むほど深刻な状況です>

日本人は自らが築いて来た文化、歴史、経済や自然環境にもっと誇りを持っても良いと、僕は思います。これだけ素晴らしい国は見つける事が不可能だ、と言っても決して過言ではないと思います。逆に日本を知る外国人の方が、日本の事をよく分かっていたりします(苦笑)ただ、それは残念ながら、日本にいたら分からないこと、世界へ出てみて初めて気付くことです。その意味で、僕は英語を身に付ける事ができて本当に良かったと思い、もっと日本の良さを世界に発信したい、そして日本の皆さまにも、私たちの住む国のことをより良く知って頂けたら、と思います。そして私たちは恵まれているからこそ、もっと世界に貢献する事も忘れてはならないと感じます。

そのためにも、僕は今後も日本の英語教育を変えると言う目標に挑戦し続けたいと思います。そして日本の未来を創って行く若者に、ぜひ世界に飛び出して見識と経験を広げ、今後の日本をより良くして行って欲しいと願うばかりです。皆さまが世界を知り日本を知る、そのお手伝いが少しでも出来たら幸いです。

Learning the world means learning your own country. Find and love the country where you have grown up. Contribute to and improve your home country and the world.

“Find the world. Find Japan again!”

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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八方美人は、誰にも優しくない

この記事は一見、英会話の学習には関係なく聞こえるかも知れません。しかしこの内容は国際社会でコミュニケーションを図る上では非常に大切なことで、英会話を学ぶ全ての方に知っておいて頂きたいと僕は考えています。

国際社会でのコミュニケーション、英語でのコミュニケーションでは、「自らの意思や意見を明確に伝えること」は非常に大切です。日本では「察する事は美徳である」ような風潮がありますが、文化や考え方の異なる外国人とコミュニケーションを取る上でこの考え方は全く通用しないばかりか、意思を伝えないことはコミュニケーション自体を放棄しているとみなされる事もあります。文化として日本の中でそれが美徳であること自体は否定しませんし、国内ではそれで良いと思います。しかし残念ながら、それはあくまで国内の同じ日本人同士でしか美徳にならないことです。外国人とコミュニケーションを取る上では、意思を伝えない事はただの失礼にしか当たりません。

また同様に、「空気を読んでただ合わせること」も国際社会では軽蔑の対象にしかなりません。それは自分の意思を明確にしない事で「自分だけを都合よく守っている」とみなされるからです。意見を言わないことは自らの身を守るための逃避であり卑怯な行動でしかないのが、考え方や価値観の異なる相手とのコミュニケーションにおける評価であり現実であると言えます。

このような行動を身近な例で上手く理解するのに役立つ好例が「八方美人」です。誰にも優しく、波風を立てるのを嫌い、全ての人に親切にして、自らの意思や意見を持たない、または言わずに隠している。このような行動は一見「優しい人、思いやりのある人」のように見えます。しかし歴史の中で「八方美人」と言う表現が生み出されたこと自体が象徴するように、実はこのような行動こそが「全ての相手に最も優しくない」のであり、「実は自分だけを大切にしている欲である」と言えます。

価値観の異なる国際社会を例に用いなくても、身近な範囲でAさんとBさんの意見や考え方が異なると言う事はいくらでもあります。そうした際に波風を立てるのを避けてAさんにもBさんにも一見優しいような言葉や態度を見せれば、結局のところその人間はどちらからの信用も失います。AさんとBさんに反対のことをその場しのぎで言えばただの嘘つきですし、どちらに対しても意見を示さなければ当然どちらからもその場だけ都合の良い人と評価され、信用されることはまず無いでしょう。これが典型的な「八方美人」の概念です。「全ての人に親切にしよう」とすれば、「全ての人からの信頼を失い」ます。そしてそれは「全ての人を裏切っていること」と同じです。

厳しいように聞こえるかも知れませんが、英語で外国人とコミュニケーションを取るならば「自らの意見と立場を述べられること」と言うのは最低限の礼儀でありマナーです。「自らを持っていない人」と言うのは国際社会では全く相手にもされません。自らの中身を包み隠さず明確にすることで初めて、その価値観や文化の異なる相手に認められ信用を受けることが出来ます。これは言語のスキルが高い事よりも、遥かに大切なことです。自らの意見や意思がなくただ誰にも親切に良い顔をしようとすれば、誰からも十分に信用をされることはないでしょう。自らはどのように考えていて、自らはどのような価値観を持っていて、自らはどのような立場で、その考え方に沿ってどのように行動をしているのか。これは英語でのコミュニケーションに限らず、今後の国際社会で異なる価値観と接して行くためには必ず持っていなければならない「強さ」であり「真の親切であり優しさ」であると僕は考えています。

もちろんその上で、ただ自らの立場に固執して相手を否定すれば良いと言うものでは決してありません。合わせるのではなく「お互いの違いを確認してその違いをまず認め合い」、そのことを認識した上で「どう歩みよって共生出来るのか」を考える必要があります。もちろん相互に必ず譲れないこともあるでしょうし、無理に片方が片方の価値観を強制することは衝突を生むだけです。一定の距離を保って「許容し合う」ことが大切です。

しかしながら全ての相手に良い顔をしようとする「八方美人」は、まずその相互の違いを認めると言う段階に辿り着くこと自体を放棄しているのです。それは他人との違いを生みたく無い、認めたくないと言う点において「最終的に自分だけが可愛い」のであり、一見優しいように見えて「全ての相手に対して最高に冷たい」行動となります。「察することが美徳」「空気を読んで合わせる」事を良しと考える日本社会は、それは国際社会では全く通用しない「最も失礼で親切でない行動」であることを理解する必要があるでしょう。

日本社会の「他人の気持ちを推し量る」こと自体は世界に誇るべき最高に価値あることだと僕は思いますし、人の気持ちや立場に立てないのであればそれはただの自己中心でしかないでしょう。しかしながら人の気持ちを推し量る事が出来るなら、その推し量って理解したことを基にして自分の考えを持って明確に意見を発する事が大切です。「推し量った結果何もしない」ことは結果として、自分だけを大切にして全ての他人を傷つける結果となります。あちらにもこちらに良い顔をしようとするような国が、他国からみて信頼をされる事はあり得ません。他国の状況や気持ちを推し量りながら、自らの明確な意思と立ち位置を持つことが大切です。

英話を話すことで「異なる存在を理解しようとする姿勢」と「自分がどう考えるかを常に発する能力」を養い、その意思を持って明確に行動を取ることが出来る今後の日本であって欲しいことを私たちは切に願っています。世界にはまだ、解決すべき様々な問題があります。大切な価値観や民主主義を守ることは世界の全員の義務であり、侵略を良しとする国家や独裁者の虐待を見過ごすことは逆に全ての人の共犯となります。時に制裁が必要なことは、親が子供を怒る必要があること、警察官が銃を持っている必要があること(使えと言っているのではありません)、社会に刑罰が必要なことと同じです。常に優しければ、波風を立てなければ良いと言うものでは決してありません。八方美人であること、罪を見過ごすことは、「誰かを不幸にすることを手助けしている」事だと言う事を、私たちは知る必要があります。

「自分の国さえ良ければそれで良い」と言う内向的な考えから脱却し、衝突することを恐れず世界を変えて世界に貢献出来る、そのような日本の更なる成長とその未来を担って行く一人一人の皆さまを、私たちのスクールが少しでもお手伝いが出来たら幸いです。より良い世界を実現することこそが、周り回ってより良く平和な日本を実現することです。見過ごすことや何もしないことはいつか、必ず自らの身にマイナスとなって戻って来ます。

皆さまは日本と世界の未来に何を望むでしょうか。もし望む未来があるならばぜひ、事なかれ主義や八方美人に逃げることなく「自らの意思を持って意見を発信」してみましょう。例え失敗や意見の衝突があっても、その1万回の失敗と挑戦こそが1つの大きな向上を必ず生み出します。失敗が無ければ成功とは絶対に産まれ得ない、僕はそのように考えています。私たちの世界と未来は、私たち一人一人が少しずつ変えることができます。それは全て私たち次第なのであり、同時に全ての私たち一人一人の責任でもあります。それならば目をつぶるよりも、より良い未来と世界を実現する方が良いに決まっています。

「さあ、日本から世界を変えに行きましょう。主役は、あなた自身です」

Sweet to everybody means not sweet to anybody.


※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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EUが失敗したこと-教科書が教えない歴史と民主主義の本質

非常に長い記事となってしまったため、ご興味のある方だけお読みください(苦笑)

世界の情勢は近年、大きく変わりつつあります。経済の影響力や国際関係の大きな話題がアジアにその軸を移す中で、欧州は相対的にその地位を低下させています。Brexitの不確実性も手伝って政治的な混乱と経済力の低迷が進み、失業率がトータルで10%に迫る中でEUの枠組みと足並みを揃えることなく、中国が進める経済イニシアチブ「一帯一路」に先進国から初めてイタリアが署名をする事態に陥りました。政治的混乱、経済力の低迷と共に人種差別やナショナリズムが深刻化し世界での中心的役割を失いつつあるEUは、どこでその進路を誤ってしまったのでしょうか。正確に表現するなら「進路を誤った」のではなく、「最初からその構想に矛盾を含んでいた」のだと僕は考えています。その原因を紐解くためには、現状だけではなく長く連なって来た様々な歴史的経緯を理解する必要があります。

第二次世界大戦が終結した時点で欧州は、米国と共に西側諸国を構成する世界の中心的プレイヤーであったことは間違いありません。第二次世界大戦で荒廃した世界は戦勝国を軸として、国際連盟より一層強い権限を持つ国際連合を発足させました。国際連合とは世界平和のための機関であり、世界は世界大戦の反省から国際連合を生み出した、と言う常識が一般的ですが、実はそれは正解でもあり不正解でもあります。

国連とは残念ながら「正義の機関」では決してありません。安保理で拒否権を持つ常任理事国5か国(アメリカ・イギリス・フランス・中国・ロシア)とはただの第二次世界大戦の戦勝国であり、国連とは最終的にはこの5か国が国益を追求する場から脱する事が全く出来ていません。これらの国の利害がぶつかる場となった結果、米ソ冷戦、米中冷戦、米欧対立が発生しても常任理事国に拒否権があるため、国連はただただ機能不全に陥って来ました。このように国連が常任理事国=戦勝国の国益を追求するための場となっているため、世界に公正な国際機関と言うものは未だ存在していません。現にシリア問題、パレスチナ問題、アフガン問題、ロシアのウクライナ侵攻、中国・香港・チベット・ウイグルでの人権侵害など、常任理事国の利害が絡む近年の世界の主要な問題や地域紛争に国連が影響力を行使出来たケースは、ほとんど皆無なのが現状です。拒否権を持つ常任理事国5か国の組み合わせを見るだけで、国連が重要な事を決議するのが不可能な組織であることは明らかです。

こうして国際連合が無力な存在となっている一方で、現在の世界の問題は実はその国連常任理事国である英仏由来のものが大半です。英仏の侵略の歴史は21世紀の現在でも世界中に現存しており、香港の混乱、シンガポールと言う切り取られた都市国家、イスラエルとパレスチナ問題、アフリカ内戦、ジブラルタル海峡に残るイギリス領、北アイルランドなど、世界の問題の中で英仏、特にイギリスが関わっていない問題を見つける方が難しく、未だ英仏領である島々は世界中に無数に点在しています。

日本の歴史も実は無関係では全くありません。戊辰戦争とは薩長側をイギリスが、幕府側をフランスが裏でサポートしていた「主導権争いの代理戦争」的な側面もありましたし、日露戦争に至ってはロシアの影響力を牽制したかったイギリスが日本を利用した事に誘発されたものです。

まず世界は、戦勝国(=国連)が絶対の正義で、戦敗国が絶対悪、と言う白と黒しかない認識から抜け出す必要があります。世界の歴史の教科書はユダヤ人を虐殺したナチスドイツが歴史上の「絶対悪」であると教えているのが一般的ですが、歴史的事実を詳細に確認すればユダヤ人を虐待していたのはドイツだけでは決してありません。ユダヤ人が虐げられていたのはイギリスでもフランスでもそしてロシアでも同様であり、ナチスがユダヤ人を迫害し始めた当初はこれらの国は手を叩いて応援していたとさえ言われます。ナチスドイツが英仏露と敵対したため、もちろんナチスによる迫害のレベルは常軌を逸していたものの、全体的に見ればユダヤ人迫害の罪は全てそこに押し付けられてしまったに過ぎません。ユダヤ人迫害に関してだけ言うならナチスドイツは「スケープゴート」にされてしまったのであり、そしてそのナチスを生み出した責任はヒトラー個人のみに起因するのでは決してなく、第一次世界大戦の多大なる賠償金によってドイツを圧迫した結果としてヒトラーと言う存在を生み出したのは「ヨーロッパ」そのものであり、その責任を個人一人に押し付けることは本来の歴史的本質から目を逸らすことでしかありません。ヨーロッパの大半の国ではナチスを賛美したり研究し直したりすること自体が法律により禁止されてしまっていますが、ナチスが悪であったにしろその他の責任の所在を国際社会は正しく認識をすべきであり、欧州人は全てを正義と悪に二分するのではなくその欧州全体の歴史と責任を受け止める必要があります。(誤解を招かないようにすれば、ここの趣旨はナチスとヒトラー個人を擁護しているのではなく、ナチスドイツと言う歴史的悲劇は欧州全体による創作物であったと言うことです。)

そしてなぜユダヤ人が欧州で迫害されたのかを理解するためには、中世以前より続くユダヤ人の歴史も理解する必要があります。

当初現在のイスラエル、パレスチナ近辺でユダヤ教を信仰していたユダヤ人は、その戦乱の歴史の中でその土地と民族的統一性を失い、ヨーロッパを中心に世界各地へと散って行きました。その非常に複雑な歴史の詳細はここでは割愛致しますが(こんな数行で記載できるような歴史ではありません)、ローマ帝国、十字軍、オスマン帝国などから宗教的迫害を受け続けたユダヤ人は離散しながらもその宗教的信仰と繋がりを失うことはありませんでした。ヨーロッパ各地で迫害を受けて、農業・商工業に就く事はおろか土地所有も認められずしばしば追放の憂き目にあっていたユダヤ人が生きて行く方法は、消費者金融や行商の手段しか無かったと言われています。キリスト教社会で「不浄で卑しい仕事」とされた金貸し業を生業としたユダヤ人は、その身分の低さと矛盾した裕福さに対する嫉妬からヨーロッパにおいてさらに一層激しい差別と迫害を受ける結果となり、ユダヤ人は11世紀の終わりにはすでに「高利貸し」という蔑称の代名詞となっていました。ユダヤ人に対する迫害はこうした歴史的・宗教的経緯により中世からすでにヨーロッパ全土にて行われていたことであり、ナチスドイツによってのみ突発的に行われたことでは決してありません。しかし皮肉なことに、このような迫害の歴史の代償としてユダヤ人は莫大なる富を築く結果となり、現在の世界経済の中心を成すアメリカ金融のほとんどがユダヤ資本であると言われています。

そして、21世紀の現在となっても米国が遠く離れた中東問題に必ず干渉するのは、こうしたユダヤ人とヨーロッパの歴史ともちろん無関係ではありません。イスラエル-パレスチナ問題の元凶は英国がその戦争のためにユダヤ資本を利用する目的でイスラエル建国を約束した「バルフォア宣言」、及びそれと矛盾して各国に都合の良い約束をした「三枚舌外交」によるものですが、第二次大戦が終了してこの問題とユダヤ資本に関わる必要の無くなった英国はとうとう、1948年にイスラエル委任統治から逃亡します。その後この地の問題は国連に委ねられることとなりますが、上記した通りまともに機能しない国際機関である国連はこの問題に終止符を打つ事は出来ずに、今でも常に戦火の日々が続いているのは皆さまもご存知の通りです。そしてヨーロッパが中東問題から逃亡した後も、その経済の中心にユダヤ資本を抱えているアメリカは常にイスラエルをサポートせざるを得ないのです。例えアメリカの大統領であったとしても、この莫大な力を持つユダヤ資本を無視することは出来ません。ユダヤ資本無くしては大統領選挙に勝つ事が非常に難しく、経済の実権を握っているユダヤ資本は米国の世論と景気に直結しているからです。米国が常に直接の脅威ではないイランと衝突するのは、このユダヤ資本=イスラエルを常に守る必要性から来ています。ユダヤ人の歴史とヨーロッパでの迫害の事実は、21世紀の今も現在進行中の国際問題に、密接に脈々と繋がっています。香港の問題やアフリカの内戦も含めて、現在の国際問題とは全て、ヨーロッパの歴史問題そのものなのです。

長くなってしまいましたが、欧州に話を戻したいと思います。ブレグジットの本質とはまさに、目先の利益のために嘘と矛盾を使いこなしながら手のひらを返し続けて来た英国の歴史そのものです。EUを発足させたことにより比較的裕福な地域である英国には、欧州各地から貧困層の移民が大量に雪崩れ込みました。しかしこうした移民に仕事を奪われ地域社会と文化の崩壊の危機に瀕した英国市民は、国民投票によりアッサリとEU離脱の方向へ舵を切ってしまいます。しかしEUと言う合従連衡に加わろうとした英国が真っ先にEUから逃亡しようとした際に障壁となってしまっているのが、その侵略の歴史の象徴とも言うべき「北アイルランド問題」です。(詳細は別記事:「アイルランドの歴史と言語事情」をお読み下さい)

英国政府とEUはすでにその離脱の内容について合意をしており、EUからして見れば「裏切り者は早く出て行け」と言う気分でしかありません。しかしここで問題になってしまっているのが、英国の侵略により分離したアイルランドと北アイルランド間に新たに発生することになる新しい国境の扱いです。アイルランドが北アイルランドの領有権を放棄する際に英国と合意したのが、「アイルランドと北アイルランド間には国境を設けず、人や物の移動は自由とする」と言う内容です。英国がEUに留まっている限りは同じEU国家であるアイルランドとの間ではこれで全く問題が無かったのですが、英国がEUから離脱するためには当然、そこに国境を復活させなければなりません。その国境を例外的に境界線無しとすることは英国にとってのEUへの「バックドア(裏口)」となるため、EU側は無条件にこれを受け入れることは出来ません。しかし英国は北アイルランドでのアイルランドとの移動の自由を認めているため、今度は国境が復活する事が北アイルランド人にとって受け入れられません。(英国とEUは物理的な国境を復活させない点では合意していますが、物理的国境がない状況でかつ北アイルランドが英国とEUの両方と現在と同じ整合性を維持出来るような解決策はそもそも存在しないのが現実です。)この北アイルランド問題を解決する手段がないために、与党が過半数を割り込み、さらに北アイルランドからの一定数の議員を抱える英国議会はBrexitを可決することが出来ずこの問題はEUの手を既に離れて英国の国内問題となってしまっており、EUとの離脱協定を議決出来ないまま期限切れとなる「合意なき離脱」の可能性は日に日に高まっています。この「合意なき離脱」に至った場合、英国とEUには一切の協定が無い状態となり双方の貿易や金融のハードルが非常に高くなることから、これが現実化した際には英国に深刻な経済危機が訪れるのはまず疑いはありません。英国はこの事態を避けるためにEU離脱をただ先送りし続けて延命を図っています。

ではそもそも、EUとは何のために発足したのでしょうか。その最初の狙いとはシンプルに、長い欧州の歴史と世界大戦の中で英仏と常に敵対した「ドイツを内部に取り込んで抑え込む」ことだったと言われています。つまり英仏はドイツと一体化を進めてその政治的・経済的独立性を弱めることで、ドイツをコントロール下に置き二度とドイツが英仏に敵対しない状況の実現を図ったと考えられます。

こうした目的から欧州の統合は第二次世界大戦後のドイツ重工業の解体から開始されており、戦争の目を摘むことを目的として石炭の産出地を分離し国際管理下に置くことから始まりました。1946年にウィンストン・チャーチルがヨーロッパ合衆国構想を提唱すると、1949年には初の機関である欧州評議会が設立され、翌年にはヨーロッパの石炭と鉄鋼という戦争に必要な2つの素材に関する産業を統合することを目的とした共同体を設立すると言う「シューマン宣言」がフランス外相より宣言されます。1951年にフランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクと西ドイツが欧州石炭鉄鋼共同体を設立するパリ条約に署名し、EUの原形である欧州石炭鉄鋼共同体が翌年に発足します。そしてその際に設置された最高機関と共同総会が、現在の欧州委員会、欧州議会へと発展して行きます。

その一方で「とにかくドイツに戦争をさせないこと」を目的とした欧州は、経済共同体で目的を達成した代償として欧州防衛共同体と欧州政治共同体の設立構想を失敗させてしまいました。英仏の当初の目標は一定の成果を収めて欧州からは戦争の可能性がかなり無くなりましたが、欧州はそのようにドイツを経済的に抑え込めたことで同時に、「欧州を1つの国にする」と言う政治的理念を皮肉にも失ってしまったとも言えます。その後の欧州では経済連携が中心に進められ、欧州連合の存在意義は政治的目的から「米国経済に規模で対抗する」と言う、実利のための経済的な目的へと変わって行きました。政治統合を行わないままに通貨統合や人の移動の自由化などを推し進めたことが政治的な部分に大きな混乱をもたらす結果となり、政治理念の薄い「実利のための共同体」は徐々にその混乱によって足並みを乱して行く結末を迎えます。Brexitによる英国の離脱やイタリアの一帯一路への署名は、もはや欧州の強大国同士ですらも政治的には同じ方向を向いてはいないことを意味しています。次にEUを離脱するのは経済的に疲弊し中国の影響力が強まっているイタリアかギリシャであると言われており、EUの崩壊は今まだ始まったばかりであると考えられます。

結局、政治的に統一するのではなく「集合することで」見せかけの規模を大きくしても、欧州はその政治と経済に質的変化を起こすことが出来ずに米国経済に対抗することも叶いませんでした。米国のようなイノベーションを生み出すことは無かったのみならず技術や人口規模でアジアとの競争にも敗北し、その経済と地位は今も相対的に下げ止まることがありません。また欧州経済を実質的に一国で支えているドイツはその経済の命運を中国市場に、天然ガスと言うエネルギー源の供給元をロシアに依存してしまった結果、その経済とエネルギーの生命線を社会主義国家に握られてしまっており、欧州が世界のリーダーとしての主導的な役割を果たすことはもはや構造的に不可能な状況と言えるでしょう。英仏が警戒心を見せる一帯一路にイタリアが署名しドイツ首相が中国詣でを繰り返している状況において、EUが足並みのそろった将来像を描くことはほぼ出来なくなっていると言えます。こうした結果を招いた原因の全ては「目指すべき理念の足並みを先に揃えなかった、経済原理優先の共同体であった」と言うことに帰結します。

こうしてEUと言う共同体が政治理念よりも経済原理を優先させてきた結果、移民の大移動、それに伴う地域経済・文化の破壊と、地域経済・文化の破壊に対する感情的な反応としての人種差別の激化とナショナリズムの台頭、貧困とデモの両方に起因する治安の悪化、そしてそれらの混乱により政治的な足並みがさらに乱れると言う悪循環に陥っており、EUと言う枠組みが例え無くならないにしても、それはもはやポジティブな方向に向かうことなく今まさに後退を始めた入り口にあると僕は考えています。EUの一番の失敗と言うのは経済だけを先に統合して文化や政治的理念を統合出来なかったことであり、政治的な統一性がないまま経済的に問題ある移民を移動させたことが人種差別とナショナリズムを誘発し、これがついにブレグジットと言う結果となった根本的な原因でもあります。残されたEU諸国も完全に足並みが乱れており、域内格差や資源の有無、福祉レベルの絶対的な差を考慮すれば、今後の強い再結束は望めず最善でも現状維持が精一杯であると考えられます。EUは国家間の戦争を防止した替わりに個人間・民族間の対立を生み出してしまったと言う点において、実は世界大戦前と何一つ変わっていません。自らの欲を抑えて寛容に他者を受け入れる事が出来なければ、衝突の歴史はまた繰り返すことでしょう。

そもそも英国は、ユーロの発足時にその通貨統合には加わりませんでした。EUとしての一体性よりも自らの金融センターのポジションとポンドの価値を守ろうとしたその真の姿は、EUに参加しながらも一定の距離を保つことでそのメリットの「良いとこ取り」を図ったものであり、英国には最初からEUと全ての命運を共にする覚悟など無かったのだと言えます。当初からそのようなスタンスであった英国がEUのデメリットを体感して間もなくBrexitへ傾いた結果はある意味では自然な結果なのであり、EUとは最後まで強く連帯することが叶わなかった「寄せ集め」に終わってしまったと言えるでしょう。元々に大きく異質であった国々を束ねると言う理想は最初から最後まで理想でしかなく、現実との溝や矛盾を埋めることに失敗をしたのです。

このような歴史から、私たちが学ばなければならないこと、世界がやってはいけないことがたくさん見えて来ます。人と人、国と国と言うのは本来それぞれに異なるのが当たり前の存在なのであり、協力をすることは欠かせませんが一方で「自らと同化させようとしてはならない」と言えます。もちろん他国の領土や文化を侵しては絶対にならないですし、自らの価値観を他人に強要してもいけません。互いに違いを認め尊重し、他国や他の文化に「干渉してはいけない」のです。他人、他国の異なったその姿を「認めて受け入れる」ことが大切です。

突き詰めていけば、貧困の格差を埋めると言って先進国の視点で援助するのが正しいとは限りません。本当の支援とはその国が望むことをサポートすることでありその国の自立を促すことですから、他国が自らの価値観で過剰に干渉するべきものでは決してありません。幸せの価値観とは国によって、地域によってそもそも異なるものであり、全てを等しく同じ状況にすると言う共産主義や全体主義が失敗することはすでに、世界の歴史が完全に事実として証明しています。国の将来を決めるべきはそれぞれの国の国民、個人の将来を決めるのはそれぞれの個人であり、世界は「絶対的な平等や均質化」を追い求めずに、「個の自由」と勤勉や努力と言った「機会の平等」を尊重しなければなりません。その中で尊重しなければならない概念とは民主主義による共通のルールのみであり、自分のことは自分が決める、他人に必要以上には干渉しない、そしてその個々が衝突しないためのルールは投票で決めるという「真の自由と公平」が実現されなければ、人々が争いや対立を減らしていくことは出来ないでしょう。人間はどこまで行っても人間と言う動物であり、神さまではありません。「絶対に正しい個人や国」など存在し得ないのです。自らが正しいと言う保証が全く存在しない以上、理由があって存在する国境をルールなく統一することは衝突を生むだけの結果となります。本当に統一する気ならそれだけの強い理念とルールが必要ですが、機能不全の国連に代表されるように、世界には国家を越える政治的に有効な機能は残念ながらまだ存在していません。

世界は各地域の文化、自立性、価値観とアイデンティティを尊重しなければならないと僕は考えています。経済協力と政治的な干渉は、一定の線引きをする必要があるでしょう。それを表現するなら「個々は協力はするけど相互には強制をしない」と言うイメージです。もちろんこうした方向性において、独裁や人権侵害、覇権主義や借金外交が拡大することは決して容認されるべきではありません。他国にこのような影響力を行使しようとする国や個人に協力をしてはならないし、その拡大を容認してもなりません。国際社会の一員となるために個々の地域が果たすべき責務は、個人や地域の自由と民主主義を同時に尊重することです。個々が一方的な強制を求めるのではなく全体で共通の理念を決める必要があります。

地域の自由と民主主義を守り、相互の過剰な干渉を避け互いに尊重すること、相互の違いを認めて受け入れること。それが最終的には世界全体での民主主義と地域主権を実現することに通じるのだと思います。米国内で実現されているような全体での民主主義と地方自治の両立、それを世界レベルで実現することこそがより平和な世界を実現する道ではないかと僕は考えています。共通に大切にする理念を持ちながらもそれ以外の違いを許容し尊重できるかどうか、これからの世界にはそうした新しい価値観が求められています。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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Bostonその1。

このブログ記事は、2001年に大学3年生となった僕が、夏休みを利用して2度目にチャレンジした米国ボストンでの短期留学での経験について書いています。2度目の留学を決意するに至ったのは最初の留学である「留学時代の体験:Santa Barbara編」での経験から続くものです。その経緯につきましてはぜひ、Santa Barbaraその1。のブログ記事からお読み頂ければ幸いです。

Santa Barbaraから帰国した僕はそこでの悔しさから、国内で英語学校に通うことと次の夏休みに再び海外での勉強に挑戦することを決意しました。当時高田馬場にあったTOEICスクールにてスコアの向上を図りながら、僕は次の留学先を探し始めました。

Santa Barbaraで4週間通学したEF International Language Schoolは、クラスの質はおそらくそこまで高かったのではないと思いますが(と言うより、おそらく語学学校のクラスはどこも大差ないでしょう)、その留学生のバランス・多様性は非常に素晴らしく世界中から学生が集まる環境が魅力的だったので、次の留学も別の都市で同じスクールを選ぶことにしました。実際に語学学校を選ぶ際のポイントは、そのクラスの質よりも学生の出身国の多様性の方が遥かに大切です(語学留学は、クラスで学ぶ時間よりプライベートで会話する時間の方がずっと長いためです。アジア人ばかりが在籍するような学校で学ぶことは、効果や経験の価値が薄いかと思います)。

当時恵比寿にあったEFの東京オフィスを訪れて担当者と話したところ、ボストン校が校舎の雰囲気も良くおススメだと推薦されました。最初の留学先が米国だったため英国などの選択肢も頭の片隅にはありましたが、やはり世界の先頭を走る米国で学ぶことの価値、そしてハーバードやMITが立地し世界に冠たる学問の都であるボストンでの経験を選ぶことにしましたが、この選択は今でも人生の大きな財産になったと言えるものです。最初の留学ではホームステイを選択したため、ボストンでは校舎と一体となっている学生寮での滞在を選びました。通常のコースではなくクラスのコマ数が少ないサマーコースのプログラムを選択したのは、クラス内で学ぶよりもクラス外の時間が大切であることを前回に学んでいたからだったかも知れません(笑)

父が航空会社のマイレージを大量に持っていたのもあり、留学期間は「無料の特典航空券が取れるタイミング」と言う条件となりました。既に6月に差し掛かっており夏休み中の米国行き特典航空券を予約することが難しい時期に差し掛かっていましたが、何とか8月出発、9月帰国のボストン往復航空券を見つけることができ留学期間はそれに合わせた1ヶ月となりました。しかし困ったことに語学学校の入校可能日(プログラム開始の前土曜日)に到着する航空券は予約出来ず、その前の水曜日に到着するフライトしか取れないと言う状況でした。父は「土曜日までホテルにでも泊まっておけば良いだろう」と言ってとにかく無料航空券で行けと言うノリでしたし僕も前回の留学で米国で自由に動き回るための経験は積んでいたため、ホテルはボストンに着いてから探せば良いだろうと水曜日から土曜日までの滞在先も確保せずに、僕はボストン行きのフライトに乗り込むことになります。

成田空港からサンフランシスコへ飛び、空港から見る5ヶ月振りのSFの風景に懐かしさを感じながら、たまたま仕事でSF空港にいた父と軽く食事をして、僕はボストン行きの国内線フライトに乗り込みました。国内線とは言えそこは広大なアメリカ合衆国を西から東へ横断するフライト、サンフランシスコからボストンへの飛行時間は5時間を超える距離です。成田〜サンフランシスコ乗り継ぎ〜ボストンのルートはトータルで20時間くらいはかかったでしょうか、現地時間で既に日も落ちた夕刻に僕はボストン空港に到着しました。

<ボストン空港のヒルトンホテルより>

まだ滞在先も予約していなかったのでどうしようかと思いましたが、時間もすでに遅かったため最初の1泊はやむを得ず空港近くにあるヒルトンホテルへ行く事にして、翌日にダウンタウンにあるリーズナブルなホテルへと移ることにしました。何しろ知り合いもまだいないボストンで3泊ものヒマな時間があります(苦笑)空港から電話で最初の1泊の予約を確保してホテルのシャトルバスにてヒルトンへ向かい、ホテルで木曜日と金曜日の夜に滞在するダウンタウンのホテルを探して電話にて予約を入れました。当時はまだオンラインでの予約はまだそこまで普及しておらず、まだまだガイドブックと電話が頼りになる時代でした。最初の留学の時ですら語学学校の出迎えサービスの利用を禁じられた僕でしたので、3日も早く到着した僕を語学学校まで案内してくれるスタッフなどいるはずもなく(苦笑)それでも夏休みのボストン留学前に僕のTOEICスコアは800点に達していたため、移動や予約、ある程度の日常会話に困ることはすでにありませんでした。この事は、英語だけを勉強するなら日本国内でも十分に可能だと言う事を意味します。逆になんの基礎もないまま海外に1年や2年滞在、または海外の大学を卒業しても、驚くほどに英語が話せるようにならない人が沢山います。学習に大切なのは場所や環境よりむしろ、本人の意思です。

<ダウンタウンのミルナーホテル>

空港近くで1泊した翌日、僕はバスと地下鉄を乗り継いでダウンタウンにあるリーズナブルなホテルへ移動しました。バスルームにドアもないようなホテルでしたが、大学生が1人で滞在するには贅沢なくらいだったかも知れません。しかしダウンタウンに移動してもまだ友達もおらずやる事も無かった僕は、とりあえず1人でボストン市内観光へ繰り出しました。市内一高い高層ビル、ジョン・ハンコック・タワーの展望台(当時は一般人が入れた)や落ち着いた雰囲気のショッピングスポットがあるニューベリー・ストリート(Newbury St.)、瀟洒な住宅が立ち並ぶビーコン・ヒル(Beacon Hill)や中心部の広場ボストン・コモン(Boston Common)を散策し、夕飯はホテル近くのチャイニーズのファストフードで済ませました。

<ジョン・ハンコック・タワー>

<展望台よりケンブリッジ方向を望む>

<ニューベリー・ストリート>

<アメリカではポピュラーな中華のファストフード>

翌日は父の会社の取引先で日本人が経営する現地旅行会社へ挨拶に行きましたが、スタッフが全員日本人女性であったことが印象に残っています。海外へ出て行くのはやはり女性の方が積極的なのは、今も変わっていないのかも知れません。その会社のオフィスはHarvardを1駅越えたPorter Squareと言う場所にあったのですが、そのビルは日本人経営の旅行会社の他にも日本の食材を売るスーパーや日本食のレストランが集まっていて、本当に小さな小さな日本人コミュニティが存在していました。米国ではチャイナタウンやコリアタウンは数多くあれど、日本人が町レベルでコミュニティを形成している場所は多くはありません(LAにはリトルトーキョー、SFにはジャパンタウンがありますが、町の半分くらいがコリアタウンと化しています)。あまり大きな日本人コミュニティを作らずどちらかと言えば現地に溶け込んで生活するのが日本人移住者の特徴ですが、それでも国籍や出身国とその繋がりと言うものは完全には消えないのだと言う事を理解させる場所でもありました。

<ボストンの地下鉄・ストリートカーの愛称は”T”>

1人で3泊を消化した土曜日、ようやく学校の学生寮に入ることができるようになった僕は地図を頼りにスーツケースを引きずりながらT(ボストンの地下鉄・ストリートカー)にて語学学校へ向かいます。続きは次回のブログにてご紹介致します。

To be continued.

Bostonその②。へ続く

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英語はメディアリテラシーを養うツールである

最初に書いておかなければならないこととして、この記事で僕がお伝えすることはあくまでも「個人の意見」です。最初にこのように述べることが、このブログ記事の趣旨でもあります。

まず「メディアリテラシー」とは何を意味するのかと言うと、”literacy” とは本来「識字能力」を指す言葉ですが、メディアリテラシーと言う造語は「メディアの情報の正誤を正しく把握する能力」と考えて頂ければ分かりやすいかと思います。さらにシンプルに表現するならば、

「マスコミにダマされない能力」

です(笑)

なぜこのような能力が必要かと言うと、僕の個人的な結論として世界には「公正な報道」とは存在しないからです。報道とはあくまでそのメディア媒体の個人的な意見に過ぎないと僕は考えています。なぜなら社会には「事実のみを公平に伝える組織は存在出来ない」からです。

例えば、近年アメリカでは政治家の発言をメディアが事実かどうかを判定する「ファクトチェック」が一般化して来ています。政治家の発言をメディアがリアルタイムで調べ上げ、それが事実かウソなのかをメディアがすぐに判定すると言うもので、政治家が虚偽の演説を行ったかどうかを報道するのは良いことかと思いますが、僕が疑問を感じるのは「ファクトチェックをするメディアを一体誰がファクトチェックするのか」と言う点です。政治家をメディアが虚偽判定する一方で、メディアを虚偽判定する機関や組織と言うものが無いのです。そもそもメディアには「何が事実で、何が事実でないのか」を彼らが断定しても良いと言う法的根拠が無いはずです。基準や法的根拠が無い限りはメディアの報道と言うのはあくまで「彼らの意見」でしかありません。

<メディアによる「ファクトチェック」>

現代社会・近代国家においては権力が集中し暴走することを避けるために、行政、立法、司法の三権が分立される仕組みが確立されましたが、一方でこれらを監視する「報道と言う第四の権力」を管理する機能が、実は社会には存在していません。報道倫理を話し合う倫理委員会のようなものはありますがあくまで専門家による身内組織であり、一般市民がそこに意見したり影響力を及ぼしたりすることは事実上出来ません。現代社会において権力がもっとも暴走してしまうのは実は「報道と言う第四の権力」であると言えます。

報道が「第四の権力」として存在しているにも関わらず、現代社会の報道やジャーナリズムはあくまで「イデオロギー(思想)」の一つである状況から脱出することが出来ていません。つまり特定の権力が報道と言う武器を使って「特定の思想を強要している状況」と言えます。これは方向を誤れば市民をマインドコントロールすら出来てしまう可能性を持つ、非常に危険な状況です。

世界的にも、新聞、TV、その他のマスメディアから日本のNHKや英国のBBCも含めて、全てが「それぞれの意見を流している」に過ぎない状況です。それはインターネットで意見を述べる個人と実は何ら変わらないものですが、これがマスメディアと言う媒体によって「社会の意見」と認識されてしまうところに最大の問題があります。なぜなら報道を行っている人間もただの同じ人間であり、それらの人間が公正・公平であると言う保証は存在し得ないからです。知識のある記者の意見は正しい、と言う考えは、学のある官僚は常に正しい、とみなすことと何ら変わりません。そして政治や官僚を監視する機能がある一方で、記者やメディアを監視する機能が「誤った表現の自由」のお題目の元に破棄されてしまっているのが現実です。

特に日本のマスメディアは非常に左翼的な偏向報道を行う傾向があります。その前提は全て、「政権は悪である」「権力が悪である」「米国が悪である」「弱者が虐げられている」「メディアこそが正義である」と言う思想に基づいており、事実から結論を導いているのではなく「結論のために都合の良い事実のみを集める」ことが常態化しています。つまりそこには公平性や客観性が全く無く、それを正す力も存在しないのです。

世界では保守派とリベラルの左右が意見をぶつけ合うのが一般的ですが、日本では第二次大戦の反動により大部分のメディアが政権を「一方的に批判すること」を目的とした左翼側に偏ってしまっています。左翼側を批判する立場を全て右翼側とみなす傾向がありますが、一方で政権を擁護するメディアはほとんどないと言う事実は「実は保守派自体がほぼ存在していない」と言う意味です。つまり政策が正しかろうが間違っていようが日本のメディアは「ただ批判するだけ」であり、正しい政策を擁護して報道するメディアは存在していません。それはメディアのイデオロギーと目的が公正な意見を述べることではなく、「権力を批判すること」になってしまっているからです。

この現状は海外へ行き外国人と価値観を交換することで初めて、その異常性を認識することが出来ます。この異常性のシンプルな例として、国旗を振ることや戦没者を慰霊することにネガティブな印象を持つ国は世界的に見ても日本だけです。自国に対する愛情を持つことと戦争を美化することは本来同義ではないはずですが、日本のメディアではこれをほぼ同列に扱ってしまっています。戦没者を慰霊することは本来なら「平和を願うための誓い」とみなされるべきことのはずなのですが、何故か日本の報道ではこれが「戦争を美化すること」に変換されてしまいます。

こうした偏ったメディアにおいて、事実ではないニュースや偏向的な報道が氾濫してしまっています。マスメディアが事実ではないことを報道したのは1度や2度ではないですし、その大部分は訂正されることすらもほとんどありません。先日とある新聞がとうとう過去の記事が事実ではなかったことを認めた事件がありましたが、その内容も国民のほとんどには伝わらないようヒッソリと処理されてしまいました。また報道される内容が例え事実であっても、その事実はメディアが「伝えたいこと」に都合の良いものが「切り貼りされて」しまっています。

先日、某番組がベトナムでプラスチック廃棄物が積み上がっている村を特集しました。番組の報道では世界のプラスチック廃棄物が村にさも押し付けられているかのような印象を与える趣旨で、村人のインタビューとして「川が汚れて水遊びが出来なくなった」と言うもののみを報道しましたが、僕はこの報道に強い違和感を覚えました。何故ならこの村にプラスチック廃棄物が集まる理由は押し付けられているからではなく、「村人がリサイクル業にビジネスとして取り組んでいるから」であり、報道の中でもこの村の平均収入は平均的なベトナム人の数倍になっていることには触れられていました。つまり10人にインタビューすればおそらく80%以上が「このプラスチックのおかげで自分たちの生活が豊かになっている」と答えたはずです。それにも関わらずそうでない否定的なインタビューのみを「切り取って」報道したのは、メディアが言いたいことのみに都合よく編集された「偏向報道」であるのは明白です。日本ではキー局や全国紙のほぼ全てがこのような「事実の切り取りによる印象操作」をするのが普通になってしまっています。マスメディアが偏向的かつ一方的に大量の情報・意見を市民に流し込むことはもはや、「情報による暴力」であると僕は考えています。

<プラスチック廃棄物は「リサイクルビジネス」>

報道の自由、表現の自由は民主主義の大前提ですが、事実ではないニュースをマスメディアが報道することは「虚偽の流布」であり、これを批判することや処罰する権利も守られることこそが本当の「表現の自由」ではないのでしょうか。マスメディアは何を言っても良い、言いたくないことは報道しなくても良いと言う現状は「監視機能が及ばない権力」を容認しているようなものです。報道が個人の意見を述べる場でありそれを監視できる機能が存在し得ない以上、特定の報道機関に法的な特権やお墨付きを与えることは全く望ましくないはずです。

「事実のみを公平に報道する機関」が存在出来るのであれば良いのでしょうが、報道も人間の行いでありマスメディアが全ての情報を並列に並べることが物理的に不可能である以上(報道の内容に「順番」がつくだけでも、それはすでに公平ではありません)、世界に「真に公正な報道」を作り出すこと自体が実は不可能です。それは私たち人間にとっては実現出来ない作業なのだと言えます。人は何をどのように工夫しても「絶対的に公正な神さま」を生み出すことは出来ません。

それならば、むしろ特定の報道を信じすぎず、あくまで「情報の一つ」と捉えられることが大切ではないかと僕は考えています。個人1人ひとりがメディアリテラシーを養い、それぞれがメディアにコントロールされずに個人の考えを持てる方がよほど「公正」です。民主主義の多様性を実現するためには、特定の報道機関が思想やイデオロギーを先導してはならないのではないでしょうか。事実だけを報道する機関を設置することが不可能である以上は「全ての人が多様な意見を発信できる社会」を実現しなければならないのだと思います。その意味ではインターネットの普及により、より多くの人が自分の意見や考え方を発信出来るようになり、相対的にTVや新聞の影響力が弱まったのは非常にポジティブだったと言えるでしょう。虚偽の情報も氾濫していますがそれはメディアリテラシーを養う絶好のチャンスでもありますし、少なくともインターネット上では、国境すらも越えて偏らない意見に触れることが可能です。

最後に、繰り返しになりますが僕がここで述べたことも「個人の意見でしかない」ことは再度ハッキリさせておきたいと思います。それをどう捉えるかは皆さまの個人の自由であり、賛成するも反対するも僕が強制をすべきことではありません。賛成と反対の声があることこそが「意見の多様性」であり「表現の自由」であると僕は思います。社会とは全ての人が様々な意見を持つことが出来るべきだからです。私たちが人間と言う動物の一種である以上、「絶対的に正しい意見」など存在し得ませんし、それが僕がマスメディアのあり方に疑問を持つ最大の理由でもあります。

メディアリテラシーを養うためにも、日本の外へ出ることで多様な世界と価値観に直接触れて、世界の事実を自分の目で確認してみましょう。日本で常識と考えられていることは、世界では常識ではないことがいくらでもあります。そうした比較により客観的な視点を持てて初めて、私たちは偏った情報のコントロールから逃れることが可能になります。

そして多様な価値観に触れることは、今後の世界を平和に保つために無くてはならないことでもあります。全ての人が「人と自分は異なっているのは当然」と言うことを受け入れて初めて、世界から争いや衝突を減らすことが可能になります。異なる意見や価値観の理解無くして、豊かで平和な暮らしを守ることは出来ません。その意味で、私たちは何があっても意見の多様性と民主主義を放棄することを受け入れるべきではありません。これを失った瞬間に、社会は自らを改善する力そのものを失ってしまうからです。

英語とは、そのための最強の武器です。世界の多様な価値観や考え方に直接触れることで、自分と日本の社会をもう一歩進歩させてみませんか。少なくとも私たちのスクールは多様な人材と国籍が共存することで、どのような多様な意見にも触れられて、どのような意見も発信できる場でありたいと思います。英語を学び多様な考えに触れることで、個人と社会が異なる意見や価値観を受け入れられる環境を皆さまの手で実現してみませんか。

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グローバリゼーションとは失敗であった

「グローバル化」が盛んに謳われるようになってもう相当の年月が経ちますが、今でも一般に信じられている「グローバル化を達成する事が大切だ」と言う概念は、本当に正しいと言えるのでしょうか。本日はこの「常識」に一石を投じてみたいと思います。

僕は個人的な考えとして、「グローバリゼーションとは失敗であった」と思っています。英会話ビジネスを展開する人間がこんな事を言うことに驚かれる方がほとんどかと思いますが、そこはしっかりとその理由をご説明したいと思います。

まず始めに述べたい事は「全てのグローバリゼーションの要素が失敗であったのではない」と言う事です。いくつかの要素においてはグローバル化が進んだことはポジティブであったと思います。それは主に経済的な分野とITテクノロジーによる距離感の短縮、そして英語が共通語として定着した事により世界の人々が相互に理解出来る機会が増えたと言う点においてです。

経済がグローバル化した事に関してはもちろん、ローカルなビジネスが生き残れなくなったと言う一見ネガティブに見える側面もありますが、僕はその点も含めてポジティブであったと考えています。なぜならビジネスとは、「より良いサービスや商品が勝ち残る姿こそが正しい」からです。例えば農作物ならば、関税によって守られていた旧態依然としたスタイルや既得権益が貿易の自由化によって消滅することは、消費者の観点からは完全にポジティブと言えます。また自由化によって競争を迫られることで、そのビジネスが大きく改善することもよく見られるケースです。分かりやすい例では日本の果物や和牛が相当します。コスト競争力や安さでは外国産には勝てないと言う状況は、逆に高品質な果物や世界的なブームにもなっている”Wagyu” を生み出す結果となりました。アジア各国では日本のイチゴが1パック5,000円と言うような値段で売られていることもあります。1粒あたり400〜500円と言う事は現地ではイチゴ1粒が一回の食事かそれ以上の値段と言う計算になりますが、それでも売れていると言うのだから驚きです。また、もはや英単語ともなった”Wagyu” はステーキの本場であるアメリカでも最高の牛肉と言う評価を受けており、アメリカ産和牛やオーストラリア産和牛まで生産される有様です(種が和牛であれば現地でそれをWagyuと呼んでも良いようです。苦笑)

<和牛はもはや “Wagyu” と言う英単語になった>

また国内では、AmazonなどのITジャイアントの上陸により小売店のビジネスが存続の危機にありますが、これも長期的な考え方をすれば正しい流れであると言えます。社会とは常に進化するものであり、旧来のビジネスがいつまでも生き残れることはあり得ません。逆にいつまでも生き残っていればそれは何らかの既得権益が裏で守られていると言う意味であり、それは消費者にとってはマイナスでしかありません。誰だって良いものを、より多くの選択肢から、出来るだけ早く、可能な限り安く購入したいのは当然のことであり、こうした環境が生まれることは社会にとっては間違いのない「進歩」であると言えます。ビジネスを営む以上は、時代が求めるものに合致しなくなった商売が淘汰されることは社会全体で考えれば「ポジティブなこと」です。ビジネスとは常に新しい工夫が求められるのが当然であり、常に生まれ変わり続ける、そうあるべきものです。残酷に聞こえるかも知れませんが、それが資本主義の大原則です。資本主義とは100%完璧な社会システムではありませんが、「それでも資本主義は、人類がこれまで生み出した中では最も優れた社会システム」です。資本主義に対するアンチテーゼとして現れた社会主義や共産主義が歴史上失敗に終わった事は、皆さまもおそらく教科書で学んだことでしょう。その100%完璧ではないがベストではある資本主義の欠点を補うために生み出されたのが社会保障などのセーフティネットですが、これを可能な限り小さく出来る社会=個人が自立している社会が、動物の一種である人間が現時点でたどり着くことができる限界かつ最適な社会と考えられます。難しい理論に聞こえるのであれば、「努力や勤勉、挑戦は報われるべきだ」と考えればシンプルです。これらが報われなくなった瞬間に、人には怠惰と欲望のみが残る事になります。

内容が一部被ってしまいますが、ITによる世界の距離感の短縮も、総合的に考えればポジティブと考えられます。今ではインターネットにより世界中の情報を瞬時に知ることができるようになり、インターネットの通話機能を使用すれば世界中に無料で電話をかけることも出来ます(通信量は掛かりますが国際通話料と比較すれば微々たるものでしょう)。オンラインで世界中の人間とチャットや議論をすることが出来ますし、それは文化の相互理解や新しい価値観に気付く事を可能にするものです。またそれを国内に居ながらにして疑似体験することを可能にするVR技術の開発も進んでいます。世界中の「異なる価値観やアイディア」に触れることで、私たちは自分の国をより良く、より迅速に改善出来るようになったと言えるでしょう。さらにはAIやロボットが人の仕事を奪うと言う批判もありますが、人が単純労働から解放される事で社会には新しい価値やアイデアが生まれやすくなる可能性もあります。こうした技術はグローバルな技術交流、部品供給や分業体制によってその発展が効率的に加速されています。例えばiPhoneであれば、設計やOSとCPUの開発は米国Appleですが、CPUの製造を可能にしているのは台湾TSMCの微細化技術、通信モデムチップは米国Qualcomm、ディスプレイのOLEDは韓国Samsung電子、カメラのイメージセンサーはSONY、コンデンサーなどの電子部品は村田製作所などの日本メーカー、メモリーは東芝メモリや韓国Samsung, SKなどが供給し、台湾の会社が組み立てを請け負って、その工場は中国にある、と言った具合です。スマートフォンとは非常に多国籍な製品であると言えます。近年ではビジネスが国内で完結することの方が珍しくなりました。

<iPhoneとは複数の国の技術による「合作」>

もちろん上記のようなポジティブな影響は全て、世界の人々が英語を「世界の共通語」として利用するようになったからに他なりません。共通語が無ければ国家間の関係とは常に1対1でしか成り立たないことになりますので、世界に言語が100あると仮定すればそれぞれの言語の専門家全てが必要となってしまいます。それに対して1つの共通語があることは全てのコミュニケーションをより円滑に、より便利に、より効率的にすることを可能にしますので世界全体としての大きなメリットがあり、不必要な無理や無駄が解消されることにも通じます。もちろん複数の国の人間が同時に話し合い意見を調整することも可能になります。これは「共通語」があって初めて出来るようになった事です。「世界が英語に支配される」と警鐘する人がちらほらいますが、それが100%真実ではありません。ほとんどの国ではオリジナルの母語が使用される状況に変わりはありませんし(例外はありますがあくまで「例外」です)、英語を話すことと各国・各文化のアイデンティティを守ることは決して矛盾しません。むしろ他文化を知ることで初めて、自国のアイデンティティを確認する事が出来るようになるとも言えます。英語を話すようになったらその場所のアイデンティティが消滅したと言う例は、一部の例外を除いてほとんど確認されていません。同じ英語を話す西欧諸国同士ですら、アメリカとイギリスとオーストラリアの文化やアイデンティティは全くに異なるものです。

では、これだけグローバル化による良い側面があったにも関わらず、なぜ「グローバリゼーションとは失敗であった」と僕が断定するかと言うと、それは「グローバリゼーションによる行き過ぎが明確になりつつある」からです。

分かりやすい例としては移民の問題があります。グローバリゼーションにより世界の国境の壁が低くなったことは良い側面もあったのですが、残念ながら「移民」と言う貧しい地域から裕福な地域への一方的な人の流れを生み出してしまいました。(そうではない優秀な移民も多数いますので、あくまで「一般論」です。)僕は個人的に、各国の人間はその生まれ育った地域を改善するための努力をすべきものと考えています。もちろん戦争や紛争による「難民」は批判出来ませんが、ただ裕福な地域へ移りたいと言う身勝手な理由の移民については賛成出来ません。それは混乱を極めるヨーロッパを見れば明らかなことであり、「人の移動を自由にした」結果貧しい地域から一部の都市への一方的な人の移動が発生しており、パリやロンドンに貧困層がなだれ込んだ結果それらの都市の治安は悪化し、地域の文化の良さが損なわれ、元からにそこにいた人々の不満を招き、それが失業者の増加、差別意識の拡大、テロリズムの発生、ナショナリズムの激化、そして更なる移民との衝突と、悪循環を繰り返すばかりの結果となっています。富が配分されるどころか一部の地域が一層豊かになり、貧しい地域はさらに貧しくなると言う逆効果も生み出してしまいました。もともと「理由があって存在していた国境」を消滅させた事は、理想のみを夢みて副作用を考慮しなかった結果の失敗であったと言わざるを得ないでしょう。

<移民排斥デモは過激化の一途を辿る>

また国家に限らず、全ての地域を画一化しようとする試みも悪影響しか生まないと考えられます。例えば日本国内では全国に新幹線と高速道路が整備された結果、地方にあったエネルギーやビジネス、人材が全て東京に吸われる結果となり、地方経済はもう虫の息と言える状況です。これは本来、地方は地方の特色を生かして発展させるべきであったところを、全ての地域が東京と同じインフラ、東京と同じ箱物、東京と同じ生活を求めた結果の失敗であり、新幹線や高速道路自体が悪かった訳ではありませんが、全国が東京化すればその地域の特色や魅力が失われ、その状況においては東京に勝てる要素は一切なくなるのが当然であり、それなら若者が東京へ行きたいと考えるのは至極当然の結果です。地方は「東京と同じになること」を求めるのではなく、「東京にはない魅力を磨く」事に気付くべきと言えます。近年では一部その点に気づいた地域も見られるようになり、農村の原風景や古民家を活用したビジネスが成功する事例も多くなって来ました。地方の発展とは本来、そうあるべきものです。地域の特色と伝統を守りそれを生かすことが、長い目で見たときにその地域の利益となるはずです。

同じことがグローバリゼーションにも言えます。世界中のレストランがマクドナルドになり世界中のカフェがスターバックスになれば、こんなにつまらない世界はないでしょう。マクドナルドやスターバックスはそれはそれで価値のあるものではありますが、地域性・文化性をその国が失ってしまえば、全ての活力と人材はアメリカに吸われるだけの結果となることでしょう。当然ですが、マクドナルドとスターバックスしかない国や地域へ旅行をしようと考える人などほぼ存在しません。地域性を失うことは結果として、その地域から人がいなくなり、訪れる人もいなくなり、経済が立ち行かなくなりお金が落ちることも無くなります。地域性を消滅させることはニューヨークや東京のような場所以外にとっては自殺行為以外の何者でもありません。地域性や伝統を重んじることとは、全ての国と地域にとって非常に大切な事であると言えるはずです。

またグローバリゼーションとは「特定の思想を他文化に押し付ける」ことでもあります。いくら欧米諸国が現時点で最も発展しているとは言え、私たちが人間である限りは特定の思想が100%正しいと言う保証は逆に「100%あり得ません」。欧米諸国がその思想を持って世界を標準化しようとした結果生み出されたのがテロリズムであり、テロリズムが悪である事は疑いのない事実ではありますが、本来その原因は特定の考え方を他文化や他宗教に強要しようとした事が原点と言えます。「1つの思想こそが理想である」と考えるのではなく、「自分と他人は異なっているのが当たり前である」ことを全ての世界市民が理解をしない限りは、世界から戦争や紛争、テロリズムが無くなることは決してないでしょう。

<テロリズムとは特定の思想を強要した結果の宗教戦争>

身近な例に話を移すなら、日本の調査捕鯨に対する某民間団体のテロ行為は最たる例です。そもそも鯨の生態系が破壊されたのは欧米諸国の乱獲が元々の原因であり、その状況を生み出した人間が他国に急に捕鯨禁止を要求するのは非常におかしな話です。生態系を守ること自体は正しいと言えますが日本の調査捕鯨はあくまで生態系に影響を与えない範囲内で行われているものであり、「鯨は賢い生き物だから食べるべきではない」と言う主張は偽善でしかありません。逆に言えば「賢くない生き物なら殺しても構わない」と言う主張であり、「賢いかそうでないか」によって生殺与奪を決定することは人間と言う生き物のエゴでしかありません。オーストラリアでは「人に害があるから」と言う理由でカンガルーが虐殺されていますが、一方で「鯨は捕獲するな」と言うのであればそれは人間の身勝手な欲望でしかないことは明確です。環境や生態系の保護と言う明確な理由がない限りは「他国の文化に他国が口を出すべきではない」とするのがあるべき姿と言えます。

結論としてグローバリゼーションの最大の失敗と言うのは、「地域や文化の多様性を殺して1つの理想による画一化を図ろうとした」ことです。元々に異なる場所を無理矢理一体化すればその中で衝突が起こるのは当然の結果であり、特定の思想を押し付けることもやはり衝突と反発を招くだけのことです。経済や技術がグローバル化しても、地域性や文化とは画一化してはならないものですし、その点に関してはグローバル化を追い求めてはならないものです。地域性、文化そして伝統を維持することで初めて「その地域にしかない魅力」が生まれ、その事が最終的にはその地域の持続的な発展にも繋がります。全てを世界基準にすれば良いと言うものでは決してありません。

全ての人が異なるお互いを理解し尊重することで初めて、戦争や紛争、テロリズムが減少するものであると僕は考えています。そしてそのような「真の多様性を実現すること」と「共通語を話して他文化を理解すること」は決して矛盾することではなく、むしろ相互の違いを理解し尊重するために必要な事であると思います。

日本にも多くの外国人が移り住んで来る時代となりました。それは人口が減少する国では避けられない事なのかも知れませんが、日本人は日本人としてのアイデンティティを失う事なく、それと同時に異なる文化も受け入れる事が出来る平和な国となる事を願うばかりです。そして私たちが日本人として生まれた以上はその母国と文化を大切にし、少しでもより良い日本の実現を目標に努力して行くことが私たち1人ひとりに課せられた使命であるはずです。(国のために働けと言う意味ではありません。より良い社会を実現するために、マナーを守ったり差別をしないなど、自分に出来る範囲のことをしましょうと言う趣旨です。)そして世界のモデルとなれるような日本を実現することで、世界の多くの国々へと貢献することも忘れてはなりません。

<平成天皇が最後の誕生日に「我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています」と述べた事は、平和を願う気持ちからであったと思われる>

SSEAは英語と世界の多様な文化や価値観をお伝えすることで、そうした多様な社会と平和を実現できる日本と世界を創造することを目指しています。そして英会話を学ばれる方お1人おひとりに、そのストーリーの主役を務めて欲しいと願っています。

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Santa Barbaraその18。SBでの経験がくれたこと

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

サンタバーバラでの最後の1週間、僕らは英語の勉強よりも「カリフォルニアを最後まで満喫すること」に気持ちが傾いて行きました。良いことも悪いこともある日々でしたが、それらが全て「かけがえのない思い出であり経験」だと言うことを、共通に感じていたからだと思います。放課後はそれまであまり散策しなかったサンタバーバラのミッションや市役所、ビーチなどを毎日訪れました。今思えば僕らは真面目過ぎる留学生だったかも知れません(笑)

<サンタバーバラの市役所は街のシンボル>

<町外れにある”Santa Barbara old mission”>

サンタバーバラでの最後の水曜日の放課後、僕とマユミとナギサはサンタバーバラの近くにソルバングと言う綺麗な町がある事を聞き、翌日の午前中のクラスはサボって(笑)その町へ一泊二日の小旅行をすることに決めました。スピード違反が片付いたばかりにも関わらず懲りもせずに僕は再び国際免許証なしでレンタカーを借り、サンタバーバラから片道一時間ほどの場所にあるソルバングへと今度は速度に気をつけながら(苦笑)向かいました。

<ソルバングは北欧を模した小さな町>

当日の思いつきでレンタカーを借りて飛び出したためホテルも予約しませんでしたが、町外れの小さいながらも素敵なモーテルに飛び込んだところ、部屋は一泊たったの40ドルでした。夕飯を町の小洒落たレストランで取り夕飯後は部屋でお酒を飲みながら、最後の語らいの時間を楽しみ、翌朝は北欧を模して作られたソルバングの町やオールドミッションを散策して、昼頃にサンタバーバラへと帰着しました。クラスへ戻るとクラスメイトに” You skipped your class!”(あなた、クラスをサボったわね!)とからかわれましたが、このショートトリップも最後にまた一つ仲間たちと時間を過ごすことが出来た、とても大切な思い出です。

<飛び込みで宿泊した町外れの素敵なモーテル>

そして最後のクラスの前日、僕はボルツに「最後に一緒に遊びに行こう」と誘われていたのですが、当時ボルツとアグネスが大ゲンカをしている最中で(その理由も、アグネスが僕の夕飯は作ったのにボルツの分は作らなかったと言う、何とも下らないものでしたが…苦笑)、アグネスが横から現れて「そいつと一緒に行く必要はない」とクギを刺し、間に挟まれた僕は何も言えずに”I can’t choose…”と困り果てた事を覚えています。最初から最後まで、僕はアグネスの舎弟であったのは間違いありません(笑)

<語学学校のクラスメイトたちと最後の記念撮影>

そして語学学校での最後のクラスを終えた金曜日、クラスで記念撮影をして学校とお別れをした僕らにアンドレアを加えた仲間たちは、町のイタリアンレストランで最後のランチを一緒に食べたあと、サンタバーバラの町を散策して、バスディーポでそれぞれのバスに乗ったのが1カ月を共に過ごした仲間たちとのお別れとなりました。それぞれが日本の各地に散っていたためその後当時の仲間との再会はまだ叶っていませんが、第2の故郷で思い出を共有した仲間たちの名前や顔はもちろん、その声まで20年近く経った今でもハッキリと思い出すことができます。

<最後の授業後にアンドレアと>

<サンタバーバラのバスディーポが最後の別れの場>

そして1か月滞在したステイ先を離れサンフランシスコへ向かう際に、腰の手術をしたためベッドから動けなかったカレンは最後に僕を呼んで、「あなたのお別れパーティーを開けなくてごめんなさい。あなたは本当に素晴らしい青年だったわ。次に来る時にはこの家にいつでも泊まってね、お金はいらないわよ」と言ってくれました。もう少し英語が話せたらちゃんとしたお礼が言えたはずでしたが、僕は”Thank you, I enjoyed.”と言うのが精一杯でした。この時も懐の深いホストマザーとアメリカ合衆国と言うオープンな国に対する感動を覚えたと同時に、英語が話せない自分の情けなさを再認識した事を深く覚えています。カレンの母親がボルツと共に(笑)サンタバーバラの空港まで送ってくれましたが、ボルツが最後に”Next year!”(また来年!)と言った事も、最後まで彼らしいなと笑った良き思い出です。

<小さな空港でタクシーに乗る事から始まった留学生活>

<サンフランシスコを1人で巡りながら色々な事を考えた>

その後2日間サンフランシスコで思い出の場所を1人で巡る間、そして帰りの飛行機の中で僕が考えた事はと言うと、

「このまま終わる訳にはいかない。英語を話せるようにならなければいけない。世界で通用する人間になりたい」

と言う悔しさと新しい目標でした。帰国した僕は次の夏休みでのリベンジに向けて、英語学校に通いながら狂ったように英語力の向上に取り組んで行くことになります。それはまさに日本にいながら英語漬けの日々を送る毎日で、週3回の英語クラスの出席に加えて通学の電車内では単語の暗記とリスニング、毎日カフェでTOEICテキストに取り組み、大学の講義中も英語のテキストを開き(笑)、娯楽も海外ドラマのDVDを英語字幕で見ると言う徹底振りでした。サンタバーバラからの帰国直後に英語学校で受けた診断テストでのレベルはTOEIC560程度でしたが、二か月後に初めて受けた本試験では650、その翌月のテストではスコア800に達することが出来たのは、サンタバーバラでの悔しさがあったからこそです。1か月と言う短い期間でしたがそこでの経験はその後の人生を完全に変えるほどにショックでありながらも刺激的なものであり、それまで理由もなく義務としてしか勉強をしたことが無かった僕に、人生の目標と前向きな姿勢を生まれて初めて与えてくれたものです。今でも僕は、サンタバーバラは自分が生まれ変わることが出来た第2の故郷であると思っています。

よく「英語力の向上に最も効果が薄いのが短期留学だ」と単純に主張する人がいます。「その期間の英語力の向上」だけ見れば、それは嘘ではないかも知れません。たかだか1〜2か月の短期留学で英語力が劇的に向上することはあり得ないでしょう。ですが、その短期留学を無駄と思うのか、その後の糧とするのかはその留学した本人次第であり、2年留学しても海外の大学を卒業しても、驚くほどに英語が話せない人も沢山います。大切なことは海外に滞在した期間の長さではなく、その経験を生かしてどれだけ自分で頑張れるか、全てその後の本人次第です。そして海外へ出ると言う機会がない限り、英語力の必要性を実感する機会はなかなか得るのが難しいものです。その意味でも僕は、例え短期であっても海外で生活をして、異文化の違いと英語の必要性を実感すると言う経験は必要不可欠なものだと思います。僕が米国に滞在した期間はトータルでも4か月にも満たないものですが、それでもその経験をきっかけとして、今ではネイティブスピーカーと英語で議論したり海外で英語でケンカをすることも出来るようになりました。「短期留学は無駄である」と言う主張は本質的なポイントが抜け落ちている、余りに単純な間違いであることを僕は指摘しておきたいと思います。経験に「無駄なこと」など一つもありません。初めから「無駄だ」と思ってしまえば、その時点で成長はゼロです。何事も「実際にやってみる」ことで初めて、そこに何らかのきっかけや価値が生まれます。

サンタバーバラから帰国して4か月の間に僕のTOEICスコアは200点以上向上し、日常会話はある程度こなせるようになった大学3年の夏、僕はボストンにて再び海外での生活にリベンジしました。それはサンタバーバラでの悔しさに対するリベンジであり、英語を少しは身につけた僕の最初の挑戦でもありました。サンタバーバラでの経験が人生の転機とすれば、ボストンでの経験は僕にとって飛躍をもたらすものとなります。今でも関係の続く貴重な出会いとその財産については、次回より「留学時代の体験:Boston編」にてご紹介したいと思います。

To be continued.

Bostonその1。に続く

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Santa Barbaraその17。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

ロサンゼルスからサンタバーバラへの帰り道で国際免許証不所持のままパトカーにスピード違反で捕まった僕は、気力を振り絞ってやっとの思いでサンタバーバラへと帰着しました。(追記:カリフォルニア州でも州法上、日本人は日本の免許証だけで運転することが許可されているようですが、このような事態に備えて、あるいは州をまたいで運転することに備えてやはり翻訳文の所持は推奨されます)雨が降りしきるなかメンバー全員をそれぞれのステイ先に送り届けたものの、もう声も出ない…と言うような気分でした。今なら全く気にならないと思いますが当時はまだ英会話もロクにままならない青二才で、どうやってベンチュラの裁判所に出頭して何をすれば良いのか…頭には不安しかありませんでしたが、何しろ疲れ切っていたので眠れなかったと言う記憶はありません(苦笑)

<スピード違反で捕まったスポーツタイプの車>

翌朝、レンタカーを返却するために登校は車でしたが、毎朝アグネスと登校することが日課になっていたため2人でその車にて学校へ向かいました。アグネスに「昨日パトカーに捕まってさ…」などと話した記憶はあるのですが、今思えば(スピード狂だった)アグネスが捕まったと言う話は聞かなかったので、僕はよほど運が悪かったのでしょう(笑)確かにアメリカでは日本のように早く走っている車が捕まるのではなく、パトカーがフリーウェイに入って前にいる車が例え5マイルでも制限速度を超えていれば、その車が捕まります。地下鉄の無賃乗車もそうですが(例えばロサンゼルスの地下鉄は改札がない「信用乗車方式」ですが、出口に警官がいることがあり切符を持っていないと高額な罰金となります)、取り締まりに高額の罰金と見せしめ的な心理を利用するあたりは、欧米のやり方は全てをキッチリやろうとする日本とは少々異なるかも知れません。こうした社会システムの違いを知ることも、海外における貴重な経験となるものです。

アグネスと学校にたどり着いた僕は、学校の受付スタッフに泣き付きました。”Can you help me?” “I was caught by a patrol car yesterday…”などと英語で説明する必要が生じたのはある意味良い勉強であったのかも知れませんが、スピード違反のチケットをスタッフに見せると、”Oh,you were driving too fast.”と笑われたことを覚えています。わずか1か月の滞在でこれだけのコミュニケーションが取れるようになったのはある意味留学が大成功だったと言えるのかも知れませんが、その時はそんな事を思う余裕はなくただ必死でした(泣)「ベンチュラの裁判所に来いって言われたんだけど、今週末には日本に帰国しないといけない」と相談したところ、”Meet principal.”(校長に相談して)と言われたので、僕は以前に噛み付いた校長に対して今度は泣き付く事となり…(笑)

<スピード違反の舞台となったVenturaの位置>

校長室を訪れ事情を説明すると、校長はベンチュラの裁判所へ電話で確認したあと、「裁判所に行かずにチケットを処理する方法は2つ、check(小切手)を郵送するか、クレジットカードで支払うかね、ただしカードで払う場合は値段が上がるわね」と僕に伝えました。「チェック…トラベラーズチェックで払えるの?」と聞くと、「違うわよ、銀行のチェックよ」と言われてしまい…(当たり前ですが。笑)「どちらで払うか、明日教えてね」と言われてその日は保留となりましたが、何しろ早く安全にこの問題を処理したい僕の選択はクレジットカード一択でした。2001年当時でもアメリカでは既にスピード違反の罰金までカードで払う事が出来る社会でしたので、旧態依然とトラベラーズチェックを持ち歩いていた当時の日本と比べると、少なくとも15年は進んでいたと言えるでしょう。兎にも角にも翌日に校長室を訪れた僕は校長にカード番号を託して、何とか裁判所への出頭を逃れることが出来たのです。

<良いことも悪いこともてんこ盛りであったEF Santa Barbara>

駐車違反にスピード違反、しかも国際免許証不携帯と、初めての、しかもわずか1か月の短期留学でこれだけやらかす留学生も珍しいかとは思いますが、良い思い出も悪い経験も含めて今の成長した自分があります。その意味ではかなり無鉄砲ではありましたが、1ヶ月間のサバイバルは日本では体験することが難しい良き修行であり、その後の更なる挑戦を可能にしてくれたかけがえのない日々であったと思います。今後の日本と世界を担う若者にはぜひ学生のうちに海外へ飛び出して、幅広い見識と逞しさを身につけて欲しい、そして日本と言う私たちの母国を深く理解し考える機会を持って欲しいと願うばかりです。短期であれ長期であれ、そうした日常では経験出来ない特別な機会を与えてくれるのが留学なのだと、皆さまにお伝え出来れば幸いです。

永らく書き連ねて来たサンタバーバラでの経験も、間もなく最終章を迎えます。結びは次回のブログにて書いて行きたいと思います。

To be continued.

Santa Barbaraその18。へ続く

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“common sense”!? 常識はまず疑ってみよう

“common sense” は日本語で言う「常識」を表す表現で、それぞれの単語が表すように”common”(共通の) “sense”(感覚)と言う、私たちが普通は「正しいこと」と信じている事柄です。ですが、常識は必ず正しい、本当にそうでしょうか。僕は個人的には、常識と言われていることはまず先に疑ってみる事にしています。

この「常識を疑ってみる」と言うことは実はとても大切です。何故なら疑うことを忘れてしまえば、人は特定の考え方に縛られコントロールすらされてしまうからです。そしてその常識を信じている限りは、それ以上の改善が全く望めません。「常識だから」と考えることは実は、考える事を放棄すると言う点においてマイナスでしか無いのです。

例えば、「新聞の情報だから正しいはずだ」、「テレビが放送しているのだからみんながそう思っているんだ」、本当にそうでしょうか。新聞の記事を書いているのもテレビの番組を製作しているのも、実はただの同じ人間です。つまりこれらの情報は実は「正しいこと」ではなく、あくまで「彼らの意見」でしか無い訳です。こうした意見を「正しい」と盲目的に信じてしまうことは、実は大変危険なことです。

分かりやすい例を、日本は実はちゃんと経験しています。第二次世界大戦に邁進する日本政府や軍部に対して、その正当性を疑う人は圧倒的に少数でした。それは新聞やラジオなどのメディアも含めて「戦争をするのが正しいのだ」と信じてしまった、あるいは信じさせられてしまったからです。まさに日本中がマインドコントロールされてしまったが故に起きてしまった悲劇でした。

ところが一方で、「戦争で日本は悪いことだけをしたのだ」と言う常識を反対に信じることも実は大きな間違いです。もちろん戦争自体が悪である事は疑いもない事実ですが、悪いことだけを行なっていたならなぜ、中国・韓国を除いたアジアのほとんどの国が親日的なのでしょうか。特に日本の植民地支配が長期化した台湾が世界一の親日国である事は全く説明がつきません。

このカラクリはと言うと、台湾は確かに長らく日本の植民地として統治下にありましたが、その中には悪いことと良いことの両方があった事を、台湾人が客観的にちゃんと理解をしているからです。日本の統治により自由が奪われたり過酷な労働を強いられたマイナスの側面があった一方で、教育制度やインフラが整備され人々の生活が向上し、台湾が近代化するキッカケとなったのもまた事実です。その両面をしっかり理解しているからこそ、今の台湾の親日的な人々があります。

他の例では、東南アジア諸国は日本の植民地となる以前は長らく欧米諸国の統治下にありました。欧米諸国の植民地支配と言うものは日本のそれよりも遥かに悪質なものであり、現地の生活を向上させることなくただただ搾取を続けるだけのものでした。そこを日本がやって来た結果それらの欧米諸国が追い出された訳ですから、実は東南アジアではそれは結果的にプラスに働いた面もあったのです。日本の敗戦後にはインドネシアには旧宗主国であったオランダが戻って来ましたが、現地に残った日本兵はその再侵略に対して現地の人々と共に戦ったそうです。現地では今でもこの方々のお墓がしっかりと守られています。

このような事を書いているとまるで戦争や植民化を正当化しているかのように聞こえるかも知れませんが、そう言うことでは決してありません。僕は戦争には絶対に反対です。植民化も今後は絶対に許されてはいけません。ここで述べたいのはあくまで、物事には必ず表と裏、あるいはそれ以上の多面性が必ずあり、一つの側面のみが「正しい」訳では決してないと言うことです。一つの内容を盲目的に信じてしまうと、それは逆に宗教対立に代表されるような衝突や紛争に必ず通じます。一つの内容を正しいと信じるのではなく、様々な観点から物事を柔軟に見てみて、良い点と悪い点の両方をしっかり把握することが大切です。そのような視点を持ててこそ、私たちは異なる文化や宗教を初めて受け入れることができます。これは今後の日本と世界には必ずなくてはならない姿勢です。

このように、一般に「正しい」と信じられているものほど、実は逆に疑ってみる必要があります。新聞、テレビ、学校教育、教科書…本当にそれは、正しいと言えますか? これらを作っているのも人間であり、必ず何らかの意図がそこには入っていますよ? 例えそれが事実のみで構成されていたとしても、その事実を取捨選択すれば、印象と言うのは操作出来てしまいます。こうした情報を「絶対に正しい」と盲目的に信じてしまうことが、実は最も危険なのです。意見や発想とは常に多様である必要があります。一つの絶対的な正解など存在しません。

同様に、多数の人が「正しい」と言っているからそれが正しいとも限りません。人間はあくまで人間、神さまではありません。人間が動物である限りは、何かが「絶対に正しい」と言うことはあり得ません。例え世界の70億の人が「正しい」と言っても、あなたが「間違っている」と思うのであれば、それは変えてみる価値が十分にあります。

実際に、人間の歴史は1人の天才が全てをひっくり返した事が何度もあります。重力の概念を発見したニュートン、アメリカ大陸に初めて辿り着いたコロンブス(天才とは少し違う気もしますが…)、近年で言えば、誰もが最初は「何だこれは」としか思えなかったスマートフォンの概念を創造したスティーブ・ジョブズなど、これらの1人の天才はそれまでの世界の常識をたった1人の行動で完全にひっくり返しました。70億が正しく1人が間違っていると言う保証は、実は全く存在しないのです。1人の方が圧倒的に正しかった例は、歴史上にもいくらでも存在します。逆に言えばあなたが常識に固執している限り、新しい発想や発見に辿り着く可能性はゼロだと言うことです。これでは人間には何の進歩もありません。

この「常識を疑う感覚」を養うためには、海外へ行ってみることが非常に有効です。何故なら自分が常識だと思っていた事が、海外では常識では無い事が多々あるからです。それは良い意味での自分の考え方を崩すことでもあります。更に言えば、英語を使って外国人と話すことが出来ればその幅ははるかに広がります。必ず自分が当たり前だと考えていた事が「良い意味で」裏切られることを身をもって体感できるからです。これ以上の自分を改善できるチャンスはどこにもありません。また、今後はどんどん情報が氾濫することで、どの情報が正しいかすらも把握することが難化して行きます。そうした中から正しい情報を見分けるためにも、「常識を疑う」「言われていること、書かれていることをすぐに信じない」力を養う必要があります。もう、特定の思想が世界を引っ張って行く時代とは、終わったのです。これからは世界の一人ひとりが、何が正しいかを「自分で」考え判断して行かなければなりません。これまでのやり方や常識が実は間違っていたなら、それはすぐに変えてしまわなければいけません。

どうも僕の経験した限りでは、世の中には「出来る方法を考える」方より、「出来ない理由を探す」方が多すぎるような気がします。これまでのやり方とは、これまでの常識とは、果たしてそんなに大切なのでしょうか。「変えるべきことは何としてでも変える」のが正しい姿のはずです。

「常識では…」、「普通は…」、「我が社のやり方は…」、「この国では…」という言い訳を使う進歩のない人には、こう言ってあげましょう。

「何ですか、それ?どこで食べられるんですか?」(笑)

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Santa Barbaraその16。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

前日にコリアタウンで夕食を楽しみ、2つのベッドルームを持つゴージャスな部屋を満喫した僕らは、翌朝にナギサとホテルのロビーで待ち合わせをしました。(2ベッドルームと聞くともの凄く豪華に聞こえますが、4人でシェアしたので1人当たりはそこまで目が飛び出るほどではありません。海外のホテルは「一部屋一泊」当たりのレートなので、人数が多いと割安に泊まれます)。メインのロビーで待っていたのですが約束の時間になっても現れず、当時は海外対応の携帯も持っていなかったためどうしたものかと思い始めた際に旗と気がつきました。「これだけのホテルだと、もしかして他にもロビーがあるんじゃないか」と。案の定、ホテルの別のサイドに行ってみるとやはり別のロビーらしき空間があり、そこでナギサを見つけることが出来ました。

<ハリウッドにて。>

その日はちょうど、ミチコの誕生日だったため、ナギサはホールのケーキを買って来てくれました。どこで食べようかと思ったら当然、「ロサンゼルスなんだから、ビバリーヒルズのど真ん中の公園で食べよう!」と言う、これまたセレブのモノマネみたいなことを思いつきました(もっとも、本物のセレブは公園でケーキなど食べないでしょうけど…苦笑)。ビバリーヒルズの公園でミチコの誕生日を祝い、ロサンゼルスのシンボルであるハリウッドのチャイニーズ・シアターを訪れ、ハリウッドサインを遠くから記念に写真に収めた僕らは、ロサンゼルスの最終目的地であるサンタ・モニカへと向かいました。

<ビバリーヒルズの公園にて誕生日を祝う>

ロサンゼルスと言えばビバリーヒルズとサンタ・モニカのイメージが強いですが、実はこの3つはそれぞれに独立した市であり、行政区分上は別の都市です。もっともそれもまとめて「ロサンゼルス」を形成しているのは間違いないことでもありますが(ディズニーランドや成田空港が千葉県にあるのと同じようなものでしょう)。陽光きらめき人々が日光浴やローラースケートを楽しむはずのサンタ・モニカに到着した時にはあいにくの雨…でしたが、サンタ・モニカにはロデオドライブとは異なる庶民でも手の届く(笑)アメリカのブランドショップやモールが集まっていたため、ようやくショッピングを楽しむことが出来ました(苦笑)その後レストランで夕食を食べた僕らは、日が落ちたハイウェイをサンタ・バーバラへ戻って行ったのですが…

<雨のサンタ・モニカ。この雨が更なる悲劇を誘発する>

雨は強くなり、あまり周囲の見通しが良くない中で僕は一番左側の追越し車線を(アメリカは右側通行のため、1番流れの早いのは左側の車線)周りのスピードに合わせて制限速度を超えた速度で走っていた時です。バックミラーに、急に赤と青の光が写りました。そう、パトカーに後ろにつかれてしまっていたのに気づかなかったのです(汗)「やばい!」と思って速度を落として右側の車線に移りましたが、もちろん手遅れです。しばらくソロソロと走っていましたがとうとうサイレンを鳴らされてしまった僕は、車を路側帯へと止めざるを得ませんでした。

さて、ここで1つ、相当にヤバい状況があったのです。スピード違反で捕まったのはしょうがないとしても、それより焦ったのは「国際免許証を持っていない」と言う絶望的な事実でした…。止めた車に警官が近づいて来たとき、もちろんメンバーの全員が言葉すら発する事が出来ませんでした。運転が出来るのは僕1人だけ、その人間が免許を持っていなければどうなるのか…まさに「血の気が引いた」「顔面蒼白」と言う絶望的状態です…

警官がやって来て、当然ですが免許を見せるように言われましたが、ある訳がありません。追い詰められた僕はとりあえずトランクから日本の免許証を取り出し、破れかぶれでそれを見せてみたのですが…当然ながら警官は読めるはずもなく…

「何だこれは?」

「日本のライセンスです」

「カリフォルニアのライセンスは?」

「持っていません」

となり、警官は僕にパトカーへ来るようにと促しました…

「終わった…このまま警察署に連れて行かれるだろう…」と覚悟を決めましたが、残されたメンバーと車はどうなるんだろう…と言う心配もあり、自分にはどんな処分が下るのか、と言う恐怖もあり…

警官は僕をパトカーへ入れると、隣に座り僕の情報を記録し始めました。「身長は?」「体重は?」「目の色は?」「国籍は?」「滞在先は?」などを聞かれ、日本の単位(アメリカは長さや重さの単位が特殊)で回答したので少し混乱した部分もありましたが、ひと通り記入すると(免許証番号の欄には”NONE”(なし)と記入された事を今でも覚えています…)スピード違反の切符を渡されて、「裁判所に出頭するように」と言われました。「サンタ・バーバラの裁判所ですか?」と尋ねると、「違う、ベンチュラの裁判所に来い」と…(捕まった町がベンチュラと言う場所だったので、当然そこへ出頭となる)。「このまま裁判所へ連れて行かれるんだな」と覚悟をした瞬間に、意外なことが起きました。

警官が、「今日は雨で視界が悪く危ないから、安全に運転して帰るように」と言うのです。「え?運転して帰って良いの?(免許無いんだけど)」と尋ねると、「もう行って良い」と言うのです。「何が何だか分からないけど、今日のところは解放されるのだ」と言うことを理解し、またもや(今度は安堵で)血の気が下がるのを感じました。

実はかなり後になって知ったのですが、国際免許証と言うものはあくまで日本の免許証原本のただの翻訳文であり、法的に有効であるのはあくまで「日本の免許証」なのです。ですのでハワイ州やグアムでは日本の免許証だけで運転することが許可されていますし、サンタバーバラのレンタカー会社も車を貸してくれたと言うことです。逆に言えば、国際免許証だけで車を貸してくれるレンタカー会社は世界のどこにもありませんし、国際免許証のみを所持して運転することは違法になります。知らずにやっていながら運が良かったと言えますが、ギリギリ「違法」ではなかったと言うことなのでしょう。ただそうは言っても現地の警察官が原本を読めなければ、もちろん警察署へ連れて行かれる可能性はあります。法的義務がないにも関わらずハワイ州やグアムでも国際免許証の所持が「推奨」されているのはそのためです。皆さまは「絶対に」真似をしないでください(苦笑)特に、英語でのコミュニケーションがままならないと連行される可能性は倍増します。

<免許センターに申請すればすぐに発行される国際免許証はあくまで免許証の「翻訳証」>

このようにして、初めての留学の最後の週末に、最大のトラブルかつ最大のピンチが待ち受けていました。今思えばこれもとても良い経験で様々な教訓と知識となったものだと思えるのですが、「裁判所へ来い」と言われていたのでこの問題を処理し終えるまでは生きた心地がしませんでした(苦笑)裁判所と聞くと日本では相当に深刻なイメージになりますが、アメリカでは裁判所は意外にも身近な存在であり、スピード違反の罰金なども裁判所で支払います。こうしたアメリカにおける裁判所の位置付けを知ることが出来たことだけでも、この経験は決してマイナスばかりではなかったと「今では(笑)」思います。

その後のスピード違反の処理とサンタバーバラで過ごした最後の日々につきましては、また次回のブログにてご紹介したいと思います。

皆さまも、ぜひ世界に飛び出して様々な経験を実際にされてみて下さい。良いことも悪いことも、その全てが自らの世界を必ず広げてくれます。

To be continued.

Santa Barbaraその17。に続く

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「知識」と「経験」の違い(英会話を学ぶ方々へ)

今日はこの、「知識」や「情報」と「経験」の間に存在する絶対的な違いについて考えてみたいと思います。先に結論を述べてしまえば、「経験」の伴わない知識や情報にはほとんど意味がありません。それは英語学習においてもとても重要なことですし、実は世の中の何事においても同じです。

「経験」には含まれていて「情報や知識」には含まれていないものは沢山あります。「経験」を得るためには費用と時間が必ず掛かりますし、それを得るための、またはそこにたどり着くまでの努力や挑戦、その努力を行うための意識と姿勢、そし何より、全ての人が持っているはずの「感情」が、「経験」を構成しています。これらは「知識や情報」には完全に欠落しているものであり、「知識や情報」が何の力も持たないのは、そこにたどり着くまでの努力や実際に自分で体験したと言う現実が全く無いからです。理屈で考えただけの理論や、学校のテキストや講義、あるいは何らかのメディアから簡単に入手した「知識・情報」は、実際には何の役にも立ちません。

実は、世の中にはこの事をシンプルに表す良い格言がちゃんとあります。

「机上の空論」

です。机の上で考えただけのことは、現実には何の役にも立たないことを、人は実はその歴史の中でちゃんと学んで来たのです。この「知識と情報だけに基づいた机上の空論」と、「実際に起きた、自らの目で見た、あるいはやってみた経験」は、時には同じ問題に対して違う結論を導くことすらあります。

例えばパリで発生している過激なデモに関して、「それが起きていることを知っている人」と、「それを直接見たことがある人」が感じることやそれを元に何かを行うことには、必ず違いが生じるはずです。何故なら、直接見た人はその恐ろしさや悲惨さから、現地の人の怒りの感情を実際に感じたはずだからです。ここに「知識・情報」と「経験」の間の決定的な差があります。日本の政府や公務員が決定する内容が時に市民にとっては明後日の方向であるのは、彼らは机の上でしか問題を考えていないからです。市民と同じ立場から、市民の目線で、市民と同じ気持ちを持って行われなければ、政策は明後日の方向に進んで行くだけです。まさに「机上の空論」でしか無いわけです。

この一番分かりやすい失敗例が、日本の「英語教育」です。日本では英語を「話せるようになるように勉強した経験」のないお役人様が政策を決めて、「英語を話せない教員」が英語を教えています。もう笑えるくらいに馬鹿馬鹿しいのが、日本の学校の英語教育です。日本の学校の英語教員のTOEICの平均点は、 中学校が560点、高校が620点です。TOEIC600点と言うスコアは、大学を卒業する前に就職活動をする学生が履歴書に書くことができる「最低スコア」です。もう一度書きます。「最低限のスコア」です。当然ですが、このスコアは英語が「話せる」と言うレベルより遥かに下です。その最低限のスコアに対してすら、中学の教員の半分以上が、高校ですら半分近くが届いていないのが現実です。シンプルに言ってしまえば、

「一部を除いて、学校の英語教員は英語が全く話せない」

と言う状況です。これで学生に英語を話せるようになれ、と言うことには恐ろしく無理があります。とある海外の方が日本で講演をした際にこんな事をズバッと言ったそうです。「日本の英語教育の最大の問題は、英語が話せない人間が英語を教えていることである」と。全く持って反論の余地もなく、ただ恥ずかしく思うことしか出来ません。

どうも政府も日本の英語教育の問題には「理屈では」気づいたようで(おそらく世界各国のTOEIC平均点を単純に比較したのでしょう)、何を思ったのか今後は「中学・高校の英語の授業は全て英語のみで行う」こととしましたが、一体何をどのように見て考えたらそのような結論になるのか、全く持って理解に苦しみます。英語が全く話せない教員に、英語だけで授業をしろと言っているのです。そのような教員に文法を英語で説明されれば、生徒だって全く理解出来ません。もちろん生徒は質問も出来なければ、例え出来たとしても今度は教員が返答出来ません。英語が話せない人間同士が英語だけでやりとりすれば、当たり前の結果です。まさに知識のみで現場の状況を実際に見てもいない「机上の空論」から導かれた方針です。おそらく教員も生徒も混乱するだけの結果となるでしょう。「知識と情報」だけが存在して「経験」のない空論で答えを導くと、このように誰が考えてもおかしな答えになってしまいます。政策を決める前に、文部科学省の職員全員が留学に行った方が良かったのではないでしょうか。TOEIC900点の取得も全職員に義務付けた方が良いかと思います。日本の教育方針を決める方々ですので、当然です。出来ないのであれば政策を決める能力も当然ないと言うことです。英語教員のTOEICの平均点を公開する前に、まず文部科学省職員の平均点を公開した方が良いのではないでしょうか。

このように、「英語を話せるようなった経験」のない人間や組織の作った学習法、カリキュラム、スクール、テキストからゲームやヒアリング教材に至るまで、そこに「経験」が入っていない限りは何の役にも立ちません。また、元々英語を話せる人や生活の中で自然に英語が身に付いた人がこのような仕組みを作ることもやはり無意味でしかありません。なぜならその方たちには「英語を話せなかった経験」や「英語を身に付けようと努力した経験」が無いからです。

同様に、「海外で成功したとされる学習法」をそのまま持って来るのも、100%無駄とは断定しませんがそのまま日本で成功するとも言えません。まずその方法を持って来る人間にその方法で「話せない状態から話せるようになった経験」が無いケースがほとんどですし、そもそも日本人の母語が日本語である以上、他の言語で成功しただけの方法が当てはまる可能性はかなり低いです。何故なら日本語の言語体系と言うのは世界の中でも非常に珍しいものであり、文字や発音から文法に至るまで、他のほとんど全ての言語と全く異なっています。例えば文法なら、欧米の大半の言語(フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語)は、基本的な仕組みは英語と共通です。更には、中国語ですら「主語・動詞・目的語」の順に単語を並べる点においては日本語ではなく英語と共通です。それだけ日本語と言う言語は特殊なものであり、日本人が英語を学ぶと言うことのハードルは他の言語を母語とする人々よりも遥かに高いものです。「海外で成功したから」日本でも上手く行くと言う確率は、実は非常に低いのです。あくまでも「日本で成功した学習法」でなければなりません。

さて、最後に皆さまにお伝えしなければならない事があります。ここで僕が皆さまにお伝えしていることは、残念ながら皆さまにとってはまだ「ただの情報」です。ぜひまず自ら「英会話を学んでみて」、それを「外国人に対して使ってみて」、海外の文化や現状を「自らの目で直接見てみて」頂ければ幸いです。そうして初めて、皆さまの中で英語やその他の知識が「経験」になります。シンプルに表現するなら、

「習うより慣れろ」

「とにかくやってみよう」

と言うことです(笑)あれこれ理屈で考えるのではなく、シンプルにまずやってみるのが一番です(笑)

SSEAはそんな「まずやってみようかな」と言う皆さまをお手伝い出来る場所であり続けたいと思っています。また、SSEAの講師は全員が「話せなかった経験」を必ず持っています。ネイティブ講師も「日本語が話せないと言う経験」を持っているからこそ、英語の話せない生徒さまのお気持ちやお悩みを理解出来ます。外国語をいきなり話すことができる人間はいません。誰もが最初は必ず初心者です。SSEAは、そんな方々のお気持ちに寄り添える場所であり続けます。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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“Better than Nothing”

“Better than Nothing”

(何もないよりずっと良い)

これは僕がスクールのネイティブ講師と会話する中で、僕自身のジェットコースターのような人生をジョークにする時によく使うフレーズです。辛いことや悲しいことがあっても、それは自分にとって何らかの糧になっているはずだと言うことを笑って話せるように思いついたフレーズです。(希望的観測とも呼びます。笑)

個人的な話で恐縮なのですが、僕の人生は本当に山あり谷あり、いやエベレストとマリアナ海溝を常に上っては下っているような毎日です(笑)当然上っている時は良いことが、下っている時は「マジか(汗)」と思うくらい悲惨な事が起こります。悪い方だけを列挙すれば、高校生の時は不登校の一歩手前まで行きましたし、就職活動の直前には9.11の同時多発テロがただでさえ最悪だった就職氷河期に拍車をかけました。それでも何とか勝ち取った就職は僕にとってはただの悪夢でしたし、その後の職場にもお世辞にも恵まれたとは言えません。プライベートでは近しい人にこっぴどく裏切られた事や親友が自殺を図ったこと、そして詐欺に遭ったことまであります。本当に話題には事欠きません(苦笑)

ですが、こうした悲惨な経験も含めてこそ今の自分とその成長があったのだと今では思えます。辛い経験からも非常に多くの事を学ぶことが出来ましたし、その経験こそがより大きな世界を僕に見せてくれる事となりました。ですので僕はこうした悲惨な経験をした事を今では全く後悔していません。むしろ有り難かった、そのおかげで最高の人生を見つけられたとすら思っています。不思議なことですが、物事は成功よりも失敗から学ぶことの方が多いものです。だからこそ日々何か悪いことがあったとしても、”Better than Nothing” とジョークで笑い飛ばすことが出来ます。

人生には、世界には、必ず良いことと悪いことが両方存在します。程度の差こそあれ、そのプラスマイナスは必ずゼロなのだと僕は考えています。ですので、下り坂のあとには必ず上り坂があり、努力を諦めなければそれは何らかの形で必ず報われるのだと信じることが出来ます。良いことと悪いことの両方を経験した事こそが僕の原動力であり、今後の大きな目標を追うための知恵であり経験でもあります。

実は、僕には英語が話せたからこそ起こった(起こってしまった)事も沢山ありました。英語が話せれば良いことは数え切れないくらい沢山ありますが、同時にそれが災難をもたらした事もあります(苦笑)ですがそれも含めて、僕はより広い世界、より多くの事を経験し学ぶことが出来て、本当に幸せだと思います。英語は自分自身を何倍も大きくしてくれたのだと、今では感謝の気持ちしかありません。まさに僕にとっては全てのことが “Better than Nothing” です。こんなにワクワクするような人生を歩めて、幸せだと思えます。

僕が人生に迷った時に、よく確認する文章があります。何かネガティブな事に遭遇した時に、自分を奮い立たせるためのものです。

I’m not afraid of being hurt.

Whatever happens in my life,

I will never give up and keep challenging.

Even if I fail once, it’s the path to the next challenge.

To make my dream come true.

I’m not afraid of being hurt.

As we get hurt more, we can learn much more.

As we shed tears more, we can be sweet much more.

So I’m not afraid of anything.

To make me grow up.

悪いことがあっても辛いことがあっても、それは必ず自らを成長させてくれるものです。退屈な平穏にしがみつくより、失敗することの方がずっと価値があると思っています。だからこそ失敗することを恐れず、とにかく挑戦してみよう、失敗したとしてもそれはむしろ良い勉強なのだと、全て笑い飛ばしながら人生を楽しめたら最高だと思います。

SSEAはそんな価値観に出会うことが出来るような、失敗することを恐れない人材を育成することが出来るような、そんな場所であり続けたいと思っています。

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ハリネズミのジレンマ

今日は、一見英会話とは関係ないようで、実はコミュニケーションにとても大切だと僕が思うことを書いてみたいと思います。それは、「ハリネズミのジレンマ(hedgehog’s dilemma)」と呼ばれる人間関係における現象です。

「ハリネズミのジレンマ」は「ヤマアラシのジレンマ(porcupine’s dilemma)」と呼ばれることもありますが、哲学者ショーペンハウエルの寓話を元に心理学者フロイトが作った、人間関係に関するたとえ話のことです。

ハリネズミは皆さまもご存知の通り、身体全体に鋭いトゲを持っています。これは自らの身を守るためのものですが、同時に仲間を遠ざけてしまうものでもあります。ハリネズミが寒さに凍えたとき、ハリネズミは身を寄せ合ってお互いを暖めようと試みます。しかし悲しいことに、ハリネズミ同士が身を寄せ合うと、その鋭いトゲでお互いを傷つけてしまいます。お互いを傷つけてしまうことに気付いたハリネズミはお互いを傷つけないようにいったん距離を取りますが、やはりお互いを暖め合おうとして再び近づこうとします。こうしてお互いに近づこうとしてはお互いを傷つけることを繰り返してしまうのが、「ハリネズミのジレンマ」と呼ばれる人間関係です。

<ハリネズミはそのトゲゆえにお互いを傷つける>

これは人間同士にも非常に良く見られる現象で、恋人、夫婦、友人、そして家族と、お互いに近づこうとすると時にお互いを傷つけてしまうことがあります。こうして近づいたり離れたりを繰り返すことで、私たちはそれぞれに適切な距離と関係を少しずつ見つけて行きます。人間関係はお互いに近づきすぎると、傷つき傷つけてしまい関係が悪化することがある一方で、距離をとってしまえば疎遠になり、親密な関係を築くことは出来ません。人にはそれぞれ最適な距離感があるのですがそれを見つけるのはとても難しいことで、その過程で必ず傷つけ傷ついてしまうことがあります。

それでも、例え傷つくことがあったとしても、人はお互いを理解しようとすることを諦めてはいけないのだと僕は思います。お互いを理解し距離を近づけることが出来なければ人々は永遠に他人同士であり、その利害が干渉することがあればそれは必ず衝突と争いへと発展してしまうからです。

実は、英語を話すことや異なる価値観と出会うことは、この「ハリネズミのジレンマ」と全く同じことです。同じ国で育った人間同士でもそうなのですから、異なる文化や宗教を持つ人々が近づこうとすれば、そこには必ず誤解や衝突が生じることがあります。しかしそれでも、粘り強くお互いを理解し、お互いの適切な距離と関係を築くことがとても大切です。それを諦めてしまえば、世界には恐らく戦争や紛争しか残らないでしょう。

僕が初めてカリフォルニアに留学した時に、同じ家に滞在していた日系ブラジル人のアグネスに言われた言葉があります。(詳しくは留学時代のブログ:Santa Barbaraその1。から順にお読み下さい)

“Try to understand.”
(理解しようとしなさい)

とてもシンプルなフレーズですが、僕は20年近く経過した今でもこの言葉を忘れることが出来ず、とても大切にしています。

<英語を話すことは相手を理解しようとすること>

お互いを理解することを諦めてしまえば、人々が近づき、協力し、平和な社会と世界を築くことは決して出来ません。その過程ではもちろん傷つくことも必ずあります。しかしそれでも私たちは、お互いを理解することを決して諦めてはいけない、そのことをアグネスは僕がカリフォルニアに到着したその日に教えてくれました。(そこまで深い意図があったかは分かりませんが。笑)日本人にとって英語を話すと言うことは非常に難しいことです。姉妹語を母語とするフランス人やスペイン人が英語を学ぶことと、全く異なる文法と文字を使用する日本人が英語を学ぶことは全く別次元の話であり、それは同列に比較することは出来ません。

ですが、私たちは世界の共通語である英語を自ら話すことで初めて、他の文化や価値観を理解しようとする姿勢を持つことが出来ます。翻訳ツールを使った方が早い、とお考えになる方もいらっしゃるかも知れませんが、そこには明確に違いがあります。機械で即座に翻訳してしまえば、私たちはそれを情報としてしか理解することが出来ません。コミュニケーションとはそうではなく、人がみな必ず持っている感情と共に「お互いを理解しようと努力すること」です。自ら英語を話したり聞こうとして初めて、私たちは異なる価値観を「理解しよう」と言う姿勢を学ぶことが出来ると僕は思います。そして世界の人々がお互いを「理解しよう」と努力して初めて、私たちは地球と言う限られたエリアの中で共生することが出来るのではないでしょうか。

もちろんその中では、お互い傷ついたり傷つけてしまうことが必ずあります。それは個人同士でも、日本人と外国人でも、国と国の関係でも同じです。必ずいつか「ハリネズミのジレンマ」を経験します。しかしそれで諦めるのではなく、近づいたり離れたりを繰り返しながらお互いを理解して、お互いが共生出来る距離と関係を見つけることを私たちは決して忘れてはいけません。

実は僕はまだ高校生の頃に、とあるアニメのストーリーでこの「ハリネズミのジレンマ」を知りました(笑)アニメと言うと軽く見る人もいらっしゃるかも知れませんが、様々な道徳的なメッセージが含まれているドラえもんに代表されるように、これは日本が世界に誇るれっきとした立派な文化だと僕は思います。世界中の人々がドラえもんを見て育てば、世界はもっと平和になるかも知れません(笑)実際に日本のアニメを見て育った外国の人々は、大部分の人々が日本を非常に好意的に捉えています。それはきっと、外国の人々にとって「日本」と言う文化を理解することなのでしょう。

<ドラえもん名言集(笑)>

<人を理解しようとすることは難しい。でも諦めてはいけない>

世界には必ず、幸せなことと辛いこと、嬉しいことと悲しいこと、簡単なことと難しいことがあります。人生には、世界には、多かれ少なかれ良いことと悪いことがあるものです。しかし、辛いことや悲しいことを経験したら、そのぶん人には優しくなれる事もあります。人と人はそうして、常にお互いを思いやり協力する努力を諦めてはいけないと僕は思います。それがお互いを「理解しようとする」事なのだと思います。

“Try to understand!”

皆さまもぜひ英語を自らの口で話すことに挑戦して、人々を理解しようとすることの大切さを学んで頂ければ幸いです。

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Santa Barbaraその15。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

ユンが僕らのステイ先から韓国へ帰国したその週末、僕は近しい仲間たちとロサンゼルスで最後の週末を過ごす予定になっていました。1番近いロサンゼルスがなぜ最後の週末まで持ち越されたかと言うと、近しいメンバーの1人だったナギサがこの週末にロサンゼルスで友人と会う約束をしていたため、他の目的地(サンフランシスコ・サンディエゴ)を先に回したためです。ナギサとは2泊目のホテルで合流し、帰りは一緒にサンタバーバラへ戻る約束をして、旅の当初のメンバーは僕とナツコ、マユミ、ミチコの4人となりました。いま思えば、同一行動するならこのくらいの人数が最適なのかも知れませんが、留学中は何かと色々な人間が集まってしまうものなのかも知れません(苦笑)

金曜日の最後のクラスを終え、クラスメイトでもあったユンとは最後に記念撮影をしてお別れとなりました。もう少し僕が英語が話せたら、連絡先を聞いたりその後もやり取りを出来たと思うのですが、残念ながらその時はまだそこまで出来るようにはなっていませんでした。ですがこの時のサンタバーバラでの悔しさ・情けなさが、その後の僕が頑張れるようになった原動力であり今の全ての原点であるのは間違いありません。英語は上手くは話せませんでしたが、短くとも人生の転機だったと言える貴重な日々であったのだと思います。

<ユンと最後に撮影した写真。英語力の低さを痛感したことは大切な経験だった>

3度目の週末ともなれば小旅行の手配も慣れたもので、レンタカーはスクールから予約を入れてもらい、ホテルは自分で電話をかけて予約をしました。(←語学学校のコーディネーターは頼りにならないことはサンディエゴで学んだので…)1泊目はユニバーサルスタジオ・ハリウッドに近いモーテル、2泊目は最後の週末の記念に、歴代のアメリカ大統領も宿泊したと言う “Biltmore Los Angeles” に宿泊することにしました。日本の免許証を見せればサンタバーバラではレンタカーを借りられると言う悪知恵もしっかり付いていて(苦笑)、5人乗りのスポーツタイプのセダンをレンタカーしてロサンゼルスへと向かいました。この悪知恵が後に自分を窮地に追い込むことになります。(お読みの皆さまは「くれぐれも」真似をしないでください。汗)

<スポーツタイプのセダンは目線が低く運転し辛かった>



<1泊目はユニバーサルスタジオに近いモーテル>

金曜日の午前中のクラスを終えた僕ら4人は、まずモーテルにチェックインをしたあとにハリウッドの「ロデオ・ドライブ」へとショッピングへと向かいました。いま思えばハリウッドのセレブがスーパーカーで乗り付けて買い物をするロデオ・ドライブで、モーテルに宿泊するような一般庶民の留学生が買えるようなものはほとんどないのですが、観光的なノリも半分くらいでバックパックを背負ったようなカジュアルな格好で出かけてしまいました。本当にお上りさん丸出しだったかと、今は恥ずかしくもあります(苦笑)ミチコは記念にとカバンを一つ購入していましたが他のメンバーは結局何も買うこともなく、映画「プリティ・ウーマン」の舞台となった “Beverly Wilshire Hotel – Beverly Hills” を外から見学し、ビバリーヒルズの超高級住宅街の中をブラブラとドライブしたあと、ロデオ・ドライブ近くのイタリアンレストラン「プレゴ」にてディナーを取りました。本当に、知らないと言うのは恐ろしいことで…「プレゴ」の2階では何やら貸切りでのセレブなパーティーが開かれていましたが、そんなレストランにカジュアルな服装で入った挙句にメインディシュのみを頼んでシェアをすると言う、全く持って若気の至り的な、知らないから出来たような身分不相応な半日を過ごして、その日はモーテルへと帰ることになります。

<ロデオ・ドライブにて。>

翌日はユニバーサルスタジオ・ハリウッドを夕方まで満喫しました。ロサンゼルスと言えばディズニーランドも有名ですが、当時はまだ日本にはUSJも存在しなかった時代、ディズニーランドは東京とあまり変わらないと言うウワサも手伝って僕らの選択はユニバーサルスタジオ一択となりました。ウォーターワールドとジュラシックパーク・ライドでずぶ濡れになりつつも、カリフォルニアの乾いた空気と暖かな日差しの下でユニバーサルスタジオを満喫した僕らは、ロサンゼルスでも名門ホテルである “Biltmore Los Angeles” へと向かったのですが…

<ユニバーサルスタジオは当時はまだ日本には無かった>

ここでメンバーの誰もが経験したことのない壁が待ち受けていました、”Valet Parking” です。「バレー・パーキング」とは、ホテルの車寄せに自家用車で乗り付けると、係員がカギを預かって駐車場へと持って行ってくれるサービスのことです。映画のワンシーンでセレブがよくやっている、スマートにカギだけ渡してホテルへと入って行くこのサービスを、免許を取ってまだ数年の日本の大学生が経験したことなどあるはずもなく…(汗) あたふたと荷台から荷物を出し、何も分からないままカギを渡すと車を出す時の連絡の仕方を説明されたのですが、完全に舞い上がっていた僕らはチップすら渡すことが出来ませんでした。カジュアルな服装の子供みたいなアジア人がビニールバッグを背負ってロサンゼルスの名門ホテルのバレーパーキングへやって来た姿は、恐らく大層滑稽な光景だったことでしょう(苦笑)僕らにとっては良い勉強だったかも知れませんが、身の程知らずとはまさにこのことだったかと思います。

<Valet Parkingは日本人にはハードルの高いサービス(写真はフロリダにて)>

<ビルトモア・ホテルにて富裕層の“フリ”(笑)>

その後ゴージャスな部屋に大層はしゃいだ僕らは夕飯はどうしようかと言う話になったのですが、ガイドブックでコリアタウンがある事を知った僕は夕飯はコリアンBBQ(焼肉)にしよう、と安易に思いつきました。いま思えばアメリカでチャイナタウンやコリアタウンがどんな場所かも知らなかった僕らは、何とかバレーパーキングから車を取り出し(チップはまた渡し忘れた記憶が…)、車でコリアタウンのある住宅街へと向かいました。コリアタウンに差し掛かるとハングル表記の看板が現れ始め、「もうすぐだー」とはしゃいだのは一瞬で…中心部付近に着いているはずにも関わらずまばらに商店があるだけで薄暗い町を目の当たりにした僕らは(既に陽は落ちていた)、車から降りて歩き回ることは非常に危険だと言うことを明らかに察しつつありました(汗)「歩き回るのは危ないから、駐車場のある店に入るしかない」と考えた僕らは焼肉へのこだわりを捨て、とあるレストランの駐車場へと入ってそそくさと店内へと駆け込みました。

<コリアタウンは住宅街なので基本的に暗い>

思えばまだ日本人は韓国のことはほとんど知らなかった当時、「韓国料理」と言うものを食べるのは初めての経験でした。幸いなことにレストランには料理の写真が大きく貼り出されていたので、カルビ(と思われるもの)、トッポギなどいくつかの料理を頼んでシェアしたのですが、まだ辛い食べ物に慣れていなかった僕らはその辛さに驚きました。唇が痛くなるのを感じつつも初めての韓国料理を美味しく楽しんだ僕らは、ロサンゼルスに息づくコリアタウンの文化と状況も知ることができたのは今思えば良い経験だったのだと思います。

レストランで食事を終えたあと外に出ると、メンバーの一人が道路の反対側に小さな商店があるのを見つけ、飲み物などを買いたいと言い出しました。僕は正直、「信号を越えるだけでも歩くのは危ないんじゃないか」とは思ったのですが、素早く動けば大丈夫だろうと思い小さなリスクを伴うわずかなアドベンチャーに挑戦しました。(道の反対側へ渡っただけです。笑)幸いなことに暴漢に襲われることもなく車に無事に帰り着いた僕らは車で夜のハリウッドの方向へ向かったのですが、とある繁華街を通過した時にロサンゼルスを夜に出歩くのは危険だと言う雰囲気を感じ、車から降りることなくホテルへと帰ることにしました。

アメリカはどこの街も同じですが、夜に徒歩で歩き回るのは非常に危険です。特に人気のないダウンタウンや住宅街を、夜に一人で歩くのは自殺行為とも言える行動です。幸いなことに車で移動していた僕らは、コリアタウンや繁華街を車で通過することでそう言った雰囲気を肌で感じることも出来ました。アメリカはやはり車社会、車で移動できると言うことにはアメリカでは様々なメリットがありますが、翌日の夜にサンタバーバラへ帰る途中に無免許運転(正確には無免許ではなく国際免許証不所持)の代償も味わう事になります。続きは次回のブログにてご紹介致します。

To be continued.

Santa Barbaraその16。へ続く

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アメリカ英語とイギリス英語の違いを考える必要がない理由

アメリカで話されている英語とイギリスで話されている英語に違いがある、と言うのは皆さまもご存知の通り、有名な事実です。アメリカ人に言わせれば、世界的にスタンダードなのはアメリカ英語だと言うでしょうし、イギリス人に言わせれば、英語はイギリスの言語なのだからイギリス英語こそが正しいと言うことでしょう。実際にアメリカ人とイギリス人が会話をすると、お互いに「その英語は間違っている」と訂正し合う、などと言う笑い話まであります。

では、皆さまはどのようにお考えになるでしょうか。世界の中心はニューヨークだから、アメリカ英語が正しいと思いますか?発音がクリアな、発祥の地であるイギリスの英語を学ぶべきだと思いますか?

結論から言ってしまえば「どちらが正しいかを考える事にはもはや意味がない」と言うのが正解です。なぜなら、英語とは今やアメリカ語でもなければイギリス語でもなく、「世界の共通語」として学ぶべきものだからです。

「そうは言っても少しでも正しい方が良い」と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、そう言う方にまずお聞きしてみたいと思います。

「あなたは、英語を聞いた時にそれがアメリカ英語なのか、イギリス英語なのか、ハッキリ自信を持って区別出来ますか?」

もしアメリカ英語とイギリス英語を完全に聞き分けることが出来る方なら、おそらくTOEICなら900点以上のスコアが取れるでしょう。そのような方は、英語を習うよりもう教えた方が良いかも知れません(笑)逆に言えば、アメリカ英語とイギリス英語の違いとはTOEIC900点レベルになって初めて区別出来るものであって、アメリカやイギリスに移住する予定でもなければ、そのレベルに達するまでは考える必要のないことです。どちらの英語を学んでも、基本的な単語や文法は同じです。

そもそも21世紀の現在では、「どの英語が正しいか」を決めること自体にもはや意味がありません。英語はそれぞれの国や地域で異なるそれぞれの英語が使用されており、「スタンダードな英語」と言う概念は存在しないのです。アメリカではアメリカ英語が、イギリスではイギリス英語が、オーストラリアではオーストラリア英語、インドでは独自に発展した英語、シンガポールではシングリッシュが話されています。

<世界には国の数よりも多い英語がある>

もちろんインドの訛った英語やシングリッシュはかなりクセのあるものなので、それを基準に勉強したり文法や発音が明らかに間違っている可能性があるネイティブではない英語を学ぶことはお勧め出来ませんが、アメリカ、カナダ、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドといった国のネイティブスピーカーから英語を学ぶのであれば、TOEIC900点を取るまではその違いにこだわる必要は全くありません。

例えば、もしあなたが「ニューヨークで話されている英語こそが世界基準だ」と考えてニューヨーカーの英語を徹底的に勉強したとすると、その中の「ニューヨーカー特有の表現」はニューヨークでしか通用しません。さらに言えば、ニューヨークの中でも人種によって話されている英語が違います。白人英語、黒人英語、アジア系の訛り、ヒスパニック系の訛り。ニューヨークの中だけ見ても、実は「英語とは1つではない」のです。

<ニューヨークで全員が同じ英語を使うわけではない>

例えば”often”という単語の発音を例に挙げてみましょう。日本ではこの単語は「オフン」と発音し、「tは発音しないのが正しい発音だ」と教えられていますが、実はこれも大きな誤りです。「tを発音する人もいる」というのが正解で、どちらの発音が正しいかを2人のアメリカ人に聞いてみたところ、1人は「アメリカの北部ではtを発音するけど、南部では発音しない」と答え、もう1人は「フォーマルにはtを発音して、発音しないとカジュアルな響きになる」と答えました。「アメリカの北部はフォーマルで南部はカジュアル…」と考えれば何となく辻褄も合うような気もしますが、いずれにせよ唯一真実と言えることは「発音は1つではない」と言うことです。

<アメリカでも北部と南部、東部と西部の英語は異なる>

また、”fish”と言う単語の複数形についても考えてみましょう。この単語は単複同形で、数が増えても”a fish, two fish, three fish…”となりますが、辞書には”fishes”と言う複数形も記されています。これはどういう理由かと言うと、同じ種類の魚は何匹いても”fish”ですが、複数の種類の魚に関しては一部の地域では”fishes”という複数形を使用することがあるためです。ニューヨークでは魚は何匹いようが何種類いようが単複同形の”fish”ですが、辞書にも記されている通り複数形を使用する地域があるのもまた事実です。これはネイティブスピーカー同士でも意見が分かれてしまう内容でどちらが正しいと決めることはできず、「2つの使い方がある」と結論づけるしかありません。

さて、そろそろ皆さまもお気づきかと思います。「英語には絶対の正解がない」と言う事実に。国によって、地域によって、人種によって、場合によっては個人によっても英語とはそれぞれ違うものなのです。特定の地域特有の英語を頑張って勉強しても、それは他の地域では通じない可能性すらあるのです。それだったら特定の地域の英語だけが分かるよりも、様々な英語を幅広く理解出来る方が良いと思いませんか?実際にネイティブスピーカーでさえも「実はネイティブスピーカーも実際には正しい文法で英語を話してはいない」と言っています。私たちがニュースで読まれているような綺麗な日本語を話していないのと、きっと同じなのでしょう(笑)

つまり英語を世界の共通語として学ぶ限りは、アメリカ英語とイギリス英語の違いにこだわる事はもはや何の意味もないことです。綺麗な英語にこだわるよりも、普遍的に誰もが分かるようなシンプルな言い方をする方がコミュニケーションはスムーズに運びます。発音も必要以上にこだわりを持つことは時間の無駄です。よく日本人は”R”と”L”の発音を使い分けられないと言って矯正しようとする講師がいますが、例えばレストランで”rice”(お米)を”lice”(シラミ)と発音したとして、勘違いするウエイターが果たしているでしょうか(笑)そもそも、アメリカやイギリスではウエイターが英語のネイティブスピーカーであるとも限りません。細かい発音の違いや正しい文法に時間を掛けてこだわるより、基本的な文法と必要な単語を覚えてシンプルかつ流暢に使える方が、コミュニケーション力は遥かに高まります。こういう細かい違いにこだわるのは、TOEIC900点が取れてからで十分です。

「世界の共通語」である英語において「正しい英語とは何か」を決めることにはもう意味がありません。アメリカ英語やイギリス英語、細やかな発音や難しい文法にこだわって勉強する前に、身近な外国人とシンプルにコミュニケーションを取ることに挑戦してみてはいかがでしょうか。

なぜなら英語とは、

「世界中で使われる、共通語としてのコミュニケーションの手段」

なのですから。

English is neither American nor British language. It’s “the common language” to understand and respect the difference of us all around the world.

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Santa Barbaraその14。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

サンタ・バーバラでの留学生活も半分が過ぎ、週末に各地へ旅行を楽しむ(様々なトラブルも経験しつつ…)など、英語力の低さから来る不自由さもありつつも、少しずつアメリカでの生活や習慣にも慣れて、自立した充実した日々を送ることができるようになって来ていました。

アメリカに滞在して3週目のある日、僕は21歳の誕生日を迎えました。日本でももちろん誕生日は家族に祝ってもらっていましたが、その年はサンタ・バーバラに滞在中であったため、なんとな~く誕生日を迎えるだけだろうと思っていたのですが…

誕生日を迎えたその当日、夕飯を食べて部屋に戻った僕をホストマザーのカレンが呼びに来たので、「何だろう?」と思いながらダイニングルームへ行くとそこにはホストファミリーとハウスメイトが集まっていて、”Happy Birthday!”とサプライズで全員でお祝いをしてくれたのです。ケーキにはキャンドルが添えられており、みんなでバースデーソングを歌ってくれました。それまで僕はこのように誕生日をサプライズで祝ってもらった事が無かったので、感動の余り少しウルッとしてしまったのですが、アグネスにはなぜか”He misses his family.”(彼は日本の家族が恋しいんだよ)と勘違いされてしまい、それを聞いたカレンは「あなたがこの家にいる間は、私があなたの母親よ」と言ってくれました。ケーキを食べたメンバーたちは各々それぞれの部屋に戻って行きましたが、僕はこの時「アメリカではそれぞれが自立した生活をしていて家族の結びつきが強くないように見えるが、実はそれが全てではなく、家族の記念日を祝うことなどを大切にしているのだ」と言うことを初めて知りました。日本人から見たら家族の関係が薄いように見えるアメリカですが、それは決して家族を大切に考えていないと言うことではなく、単純に習慣ややり方が異なるだけで家族を大切に思う気持ちは変わらないのだと知ることが出来たのは、アメリカを正しく理解することが出来たと言う意味で、とても貴重な経験となりました。

普段、夕飯のあと他のハウスメイトたちは食べ終わったあとのお皿を洗わずにシンクに放置していたので、僕は見かねてたまにそれを洗ったりしていたのですが、ある日たまたまそれを見たカレンが、” Oh, Shintaro! You shouldn’t have!” (直訳:そんなことしなくても良かったのに!=意味:本当にありがとう!)と言った事を僕は覚えています。国や習慣が異なったとしても他人を思いやったり協力する気持ちは共通に通じ合うものであり、カレンは僕が日本に帰国する際に「あなたは本当に素晴らしい青年だった。またいつでも遠慮なく泊まりに来てね!お金はいらないわよ!」と言ってくれました。僕はアメリカに到着した際は「とんでもない家に来てしまった」と勘違いをしましたが、それが真実ではなく「アメリカにはアメリカのやり方と習慣があり、家族や他人を思いやる気持ちは日本と変わらずちゃんとあるのだ」と言うことを正しく知ることが出来たので、ただ何でも世話をしてもらうよりも価値のあった、本当に最高のホームステイだったと今では思っています。

<カレンは当時はまだ30代だったと思います>

その週の週末は、ハウスメイトのユンが留学期間を終え韓国へ帰国する事になっていました。そのためカレンは、ユンの送別ホームパーティーをするから、僕に対して”You can invite a couple of your friends.”と言ったのですが、僕は”a couple of”(2~3人)と言うニュアンスがピンと来なかったため、”How many people can I invite?”と聞き返したところ、カレンは再び”A couple of.”と、ハッキリ何人とは言いませんでした。僕は困ってユンに「ユンは何人の友達を連れて来るの?」と聞いたところ、ユンは「私は友達を選ぶことは出来ないから、全員の友達を招待するわよ!」と言ったため、僕はますます困り果ててしまいました…「いったい何人まで連れて来て良いんだ?」と思ったのですが、ユンは「全員連れて来る」と言ったので、そこまで友達が多くもなかった僕もとりあえず全員に声を掛けてみたところ、4人が参加したいと言ったので、4人を連れて行ったのですが…

<ホームパーティーにて撮影した”Big Family”(笑)>

送別ホームパーティーの当日、僕が4名の日本人を連れて帰宅すると、家の中には、人…人…人…どうやらユンは10人近い友人を連れて来たようで、アグネスも5~6人のブラジル人を連れて来ており、明らかにカレンの想定していた規模のホームパーティーを越えていました…(汗)カレンとボーイフレンドのスティーブ、息子とその従兄弟、娘のミシェル、ミシェルの本当の父親(元の旦那と現在のボーイフレンドが一同に集まるのも凄まじいな…と思いましたが…)、日本人5人、韓国人約10人、ブラジル人約7人、そこにハウスメイトのクリストフと居候のボルツを加えた約30名が集結し、家の中はもはやカオスを極めましたが、カレンとスティーブは特に気にする様子もなくバーベキューで様々な料理をどんどん出してくれました。家に入りきれなかったのか、韓国人たちの一部は家の前の道路でも話し込んでいましたが、家の中でも音楽に合わせて踊ったり、初対面の留学生同士が会話を楽しむなど、華やかなホームパーティーとなりました。僕が滞在した家はおそらく、アメリカの中でも相当にオープンな家庭だったのかと思いますが、日本ではあり得ないような多国籍でカオスなパーティーを喜んで開催してくれたカレンを見て、自分が非常に良い経験をしていること、アメリカ人は個人主義なばかりではなく実は懐がとても深く寛大であることを知り、様々な「異なるもの」を許容できるアメリカと言う国に留学したことは僕にとっては本当に貴重な経験で、人生の宝物となった思い出です。

<カオスを極めたホームパーティーにて>

<韓国人たちは多すぎて家の前の道路で話し込んでいた>

パーティーは深夜11時過ぎまで続き、各々が帰宅する頃には交通手段もすでに無くなっていたため、僕は友人の帰宅手段の確保に追われました(苦笑)マユミはたまたま同じ家に滞在していた韓国人が車で来ていたので乗せてもらえたのですが、あと3人…ここでミシェルの父親がタクシーの運転手であることに気付き、ナツコは彼に頼んでみたところ、送ってもらえる事になりました。あと2人…と思っていたところ、どこからかカレンの母親が現れ(どうやら近くに住んでいたようです)、「私が車で送って行くわよ」と言ってくれました。ですが2人とも帰り道が分からなかったため僕も同乗し(なぜかボルツもついて来ました…笑)、2人の家まで道案内をして送り届け、事なきを得ました。

この留学で僕は上手く英語を話すことは出来ませんでしたが、様々な貴重な出会いがあり、様々な経験を重ね、個人主義だと思っていたアメリカ人の優しさや親切にも触れ、アメリカの習慣や生活スタイルから考え方に至るまで正しく知る事もでき、「英語を勉強しなければいけない。英語をちゃんと話せるようになりたい。」と言うその後の目標を持つことも出来ました。ありとあらゆる事が僕にとっては最高の経験であり最高の思い出です。

その週末のロサンゼルスへの旅行の帰り道にこの留学での最大のピンチが訪れることになりますが、それさえもその時に経験出来て良かったのだと、今では思います。皆さまもぜひ日本を飛び出して、他の国の「本当の姿」に触れて頂ければと思い、僕はこの仕事を通じてそのお手伝いが出来れば本当に幸いです。また、他の国の姿を知ることで、これまで見えなかった「日本の本当の姿」も、初めて知ることが出来るものだと思います。

初めての留学だったサンタ・バーバラでの体験も終盤へと入って行きます。続きはまた次のブログにてご紹介出来ればと思います。

To be continued!

Santa Barbaraその15。に続く

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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ハンバーガーを単品で頼むときは (ボストン編)

海外でファストフードのレストランなどで注文をする際には大体のお決まりフレーズがあり、例え英単語や文法がしっかり分かっていたとしても、こう言った「型通りのフレーズ」を使わないとなかなか通じないことがたまにあります。特に移民国家であるアメリカでは、アルバイトスタッフは貧困層で英語のネイティブスピーカーでないことも多いため、慣れない表現を使うと相手も理解出来ないことがよくあります。

例えば日本では「持ち帰りたい」は「テイクアウト」ですが、これはかなりの和製英語で、使用しても通じない可能性が高い表現です。だいたいアメリカのファストフードのお店では店員に”For here or to go?”=「ここで食べるのか、持ち帰りですか?」と聞かれるのが一般的です。またお会計では”Cash or charge?”=「現金ですか、カード払いですか?」も頻出の決まり文句です。”to go”が持ち帰り、”charge”はカード払いと知っておかないと、ファストフードとは言え四苦八苦する可能性もあります。また「フライドポテト」は”french fries”、「バリューセット」は”value meal”と、日本で使われている表現とはだいぶ違うものもあります。本日は僕が若かりし頃に大失敗した「ハンバーガーを単品で」頼むためのフレーズを、エピソードと共にご紹介したいと思います。

僕がボストンに短期留学をしていた2001年の8月(9.11のテロの直前でした)のある日、夜に語学学校に帰る前に小腹がすいた僕は、マクドナルドでハンバーガーを単品で買って、路面電車の中で食べながら帰ることにしました。僕はお肉が大好きなので、大きなお肉の入った「クォーターパウンダー」と言う大きなハンバーガーを注文したのですが、「単品で頼む」と言うことをそれまでした事がありませんでした。当時の僕はTOEICのスコアも800点を越えており、日常会話はほぼ問題ないレベルで、セットのことを”meal”と呼ぶことも知っていたのですが、「単品で」と言うのは何と言うか、考えたこともありませんでした。中途半端に英語力があったため、「セットじゃなくて」と言えば通じるだろうと考えたのが最大の失敗でした。

<バリューミールがセットの意味と知ってはいたものの>

店員に向かって、”One Quarter Pounder please, not meal.”=「クォーターパウンダー1つ、セットじゃなくて」と言ったのですが、それを聞いた店員がけげんな表情をして、”Not meal?”と聞き返して来るのです。僕は単品で欲しかったのでもう一度、”Not meal.”と繰り返したところ、後ろのスタッフと相談を始めてしまいました…。ですが相談を受けた調理担当スタッフが手でOKサインを出したので、「やれやれ、理解したようだな」と思ったのですが…。

クォーターパウンダーの代金を支払いハンバーガーをテイクアウトした僕は路面電車に乗り込み、楽しみにハンバーガーの箱を開けたのですが、そこには衝撃的なものが入っていたのです…クォーターパウンダーの「お肉の入っていない」ハンバーガーが…(汗)

<Quarter Pounderは肉好きのためのメニューのはず…>

ハンバーガーのバンズの間には、何と野菜だけが挟まっていたのです…(汗)そう、”Not meal.”が彼には”Not meat.”に聞こえてしまったようで…。「クォーターパウンダーを注文して”Not meat.”なわけねーだろ!(汗)」と思いましたが、僕の発音がイマイチだったのと、慣れない言い方をされたため店員側もピンと来なかったのでしょう…。もしかしたら英語のネイティブではなかったのかもしれませんが、それにしてもクォーターパウンダーを「肉なしで」と注文するやつがどこにいるんだ?とおかしいやら呆れるやら…(苦笑)ただ、ここは相手の聞き慣れない言い方をした僕も未熟だったのは認めざるを得ません。その「肉なしクォーターパウンダー」はまあとりあえず食べましたが、しっかりクォーターパウンダーの代金を払って肉なしハンバーガーを注文するわけないだろう…と今でも思います…一生忘れられない「肉なしハンバーガー事件」の笑い話になってしまいました(笑)

<単品メニューには”SANDWICHES”と記載されている>

ハンバーガーを単品で注文する際は”Just Sandwich.” = 「サンドイッチだけ」と言うのが一般的です。「ハンバーガーなのになぜサンドイッチ?」と思われるかも知れませんが、アメリカではハンバーガーはサンドイッチの一種、という扱いです。実際、マクドナルドのメニューの看板には”Hamburgers”ではなく”Sandwiches”と記載しています。この「ハンバーガー」=「サンドイッチ」であることを知らないと、またまた店員と会話が噛み合わなくなります。例えば、”One hamburger, please.”と注文すると店員は必ず”Just sandwich?”=「サンドイッチだけ?」と聞き返して来ます。この時にサンドイッチがハンバーガーを指している事が分からないと、おそらく “No, hamburger!” と返してしまい、店員も会話がつかめなくなってしまうでしょう。たかがファストフード、されどファストフード…お決まりの現地で一般的なフレーズを知っておくのも、意外に大事だったりします。そうしないと、僕のように「肉なしハンバーガー」が出てきてしまうかも知れません(苦笑)

覚えておきましょう。「ハンバーガーを単品で」は、

“Just sandwich.”

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お台場に「自由の女神」がある理由

皆さん、「自由の女神」って、世界に一体いくつあるか、ご存知でしょうか?

「あれ、そういえばお台場にもあったような」と気付かれる方もいらっしゃるかも知れません。実のところ、偽物やレプリカは世界中に無数にあり、数えることは困難を極めます。実は日本にも、青森県のおいらせ町や北海道の函館などにもレプリカが存在します。ここでご紹介させて頂きたいのは、「公式な」自由の女神像は、世界にいくつあるかと言う点です。

<ラスベガスのホテルにあるレプリカは低クオリティ…>

世界で最も有名な自由の女神像は、世界遺産にも登録されており、ニューヨークのシンボルとなっている有名なものであるのは間違いないでしょう。もしかしたら、アメリカ人でも本物の自由の女神はニューヨークにしかないと信じている人がいるかも知れません。自由の女神は英語では”Statue of Liberty”と呼ばれています。”statue”は「像」を意味する単語で、”liberty”は「解放からの自由」を表す単語です。つまり直訳すると「自由の像」なんですね、女性の像なので日本語では「自由の女神」と呼ばれていますが、英語ではあくまでも”Statue of Liberty”です。

<ニューヨークの自由の女神像は合衆国のシンボル>

このニューヨークの自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立100年を記念して、独立運動を支援したフランス人たちの募金によってパリにて建造され、完成の後に1886年にアメリカ合衆国へプレゼントされたものです。アメリカ合衆国の象徴のイメージが強い自由の女神像ですが、その生まれ故郷は実はフランスなんですね。

実は、世界にはもう一つ、「公式な」自由の女神像と考えられているものがあります。それは女神像の生まれ故郷である、フランス・パリのセーヌ川のグルネル橋のたもとに設置されているものです。大きさは高さ11.5メートルとニューヨークのものより小さいこの「パリの自由の女神像」は、フランス革命100周年を記念して、パリに住むアメリカ人たちによってニューヨークの女神像に対するお返しとして、1889年にパリへと寄贈されたものです。つまりアメリカ人とフランス人は、お互いに自由の女神像をプレゼントし合ったんですね。ですので、「公式な」自由の女神像と考えられるものは世界に2つ、と言うのが正解と言えるでしょう。その他のものは全てレプリカという事になります。

<パリの自由の女神像はセーヌ川の中州にある>

「あれ、じゃあお台場にある自由の女神は、やっぱりただの偽物なのかあ」と思った方、ちょっとお待ち下さい。確かに完全な「公式な」ものとは言えませんが、逆に完全な「偽物」とも言えない代物なのがお台場の女神像です。

まず、なぜお台場に自由の女神像が設置されたのか、その経緯をたどってみることにしましょう。お台場に初めて自由の女神像が設置されたのは遡ること1998年、日本におけるフランス年事業の一環として、本物の「パリの自由の女神像」が約1年ほど設置されたのが始まりです。本物の自由の女神像をパリから輸送して設置し、除幕式には当時の首相であった橋本龍太郎とフランスのシラク大統領も出席して、盛大に点火が行われました。日本は地震国であるため本物の自由の女神像に何かあってはならないと、設置する台座は耐震構造で入念に設計され慎重に設置されたそうです。つまりお台場には「本物の自由の女神像」が1年間、ちゃんと存在していたのです。

ところが…残念なことにこの女神像はパリの大切なものですので、やはり1年後には帰国し、元の場所に戻されてしまいました。しかしこの事業が好評を博したため、「お台場にも自由の女神像が欲しい!」と言う機運が高まり、その後フランス政府からレプリカの制作が認められたため、フランスのクーベルタン鋳造所にて複製されたブロンズ製のレプリカが、2000年に改めてお台場に設置されました。このフランス政府公認のレプリカは実際にパリの本物の自由の女神像から型を取って鋳造されたため、パリにあるものと全く同じ形の、パリ生まれでフランス政府公認の「東京の自由の女神像」なのです!もちろんアメリカとフランスがそうしたように「寄贈されたもの」ではないため公式な像にはカウントされませんが、フランス政府が公認した「準公式の」自由の女神像と言えるものです。これは日本人にも、フランス人にもほとんど知られていない事実で、お台場の自由の女神は決して「偽物」ではないのです。「世界で3番目の自由の女神像」と言っても過言ではないでしょう。

<東京の自由の女神像はフランス政府公認>

僕が10年ほど前に米国西海岸へ留学した際に、ホームステイした家のルームメイトがたまたまフランス人の青年でした。彼の名はセバスチャンと言い、週末に一緒に旅をしたりと割と親しく付き合ったのですが、ある日、自由の女神の話になり「そういえば、東京にも自由の女神があるんだよ」と彼に伝えたところ、彼は笑いながら「バカなことを言わないでくれ、自由の女神は世界に2つだけだ(笑)」と言ったのです。その時、僕はお台場になぜ自由の女神像があるのか、その経緯を知らなかったため、「いや、本当にあるんだって!」としか言えなかったのですが、一方で「ただのレプリカなのかな」とも思い、セバスチャンも全く信用していない様子だったのですが…。帰国してある日、お台場を訪れた際にこの自由の女神像がフランス政府公認のものであることを知り、「ちくしょう、あの野郎!フランス政府公認じゃないか!(笑)」と、今では非常に悔しく思います(苦笑)何しろこのように、日本人にもフランス人にもその経緯と正統性がほとんど知られていないのが、お台場にある「世界で3番目の自由の女神像」です。日本政府はもっと積極的に働きかけて、フランス政府と共に「自由の女神は世界に3つ、ニューヨーク・パリ・東京にある」と宣言したら良いのでは、と思います(笑)

<パリ出身のセバスチャンも東京の女神像の事は知らず>

このように、お台場にある自由の女神像は意外にもれっきとしたものです。皆さんもフランス人やアメリカ人と出会った際は、しっかりとその正統性を教えてあげてください(笑)「フランス政府公認の自由の女神」ですから!

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Santa Barbaraその13。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

前日にメキシコのTijuana(ティファナ)からSan Diegoへと戻った僕らは夕飯にアメリカンなBBQを楽しみ、夜の遊園地やショッピングを楽しんでホテルに戻ると、ホテルの駐車場が満車になっていました。フロントのスタッフに「どこに車を駐車したら良いか」と尋ねると、「朝まではホテル前の路上に駐めておいても大丈夫だ」と言ったのでそうしたのですが…。朝6時頃、早めに起きて車の様子を見に行くと、周りにたくさん駐まっていた車が一台もいなくなっていました。「あれ、やっぱりマズかったかな」と思いましたが、特に駐車違反の切符や貼り紙などもなかったため、空いていたホテルの駐車場に車を移し、一安心したのですが…

<アメリカの駐車ルールの標識。厳守しないと必ず違反を取られる>

(この標識は「午前8時から午後6時は、1時間に限り駐車して良い(日曜日を除く)」との意味。アメリカでは警察が非常に頻繁に駐車状況をチェックしている。)

日本に帰国してからの話ですが、サンタ・バーバラから3月に帰国した僕のクレジットカードに、レンタカー会社から6月の日付で謎の請求が来たのです。「6月なんてアメリカにいるはずがないのに、いったい何の請求なのか、間違いではないのか?」とクレジットカード会社に調べてもらったところ、クレジットカード会社から、「レンタカーを借りていた間に駐車違反をしていたようで、その請求がレンタカー会社を経由して来たようです」との回答が…(汗)その添付資料にはしっかりと”Parking-Violation”(駐車違反)と書かれていました…。アメリカで長時間、路上に車を駐めたのはこのサン・ディエゴの1回だけでしたので、この際に駐車違反を取られたのはほぼ間違いないでしょう(泣)もちろん自分でしっかり確認しなかったのが悪いのですが、「くそー、ホテルのスタッフにダマされた!」と、泣く泣く罰金を払うことになりました。まあ、そのおかげで、駐車違反は英語では”Parking-Violation”と言うのだと学びましたが…。2度と忘れることのない英語表現の1つで、その時のクレジットカード明細は今でも記念にとってあります(苦笑)アメリカは駐車違反はもの凄く厳しくチェックしていますので、皆さんも路上駐車には気をつけてください。必ずその道ごとに駐めて良い時間や規則が書いてあります。

何しろその時は駐車違反をしたことに気づかなかったため、朝にホテルを出発した僕らはサン・ディエゴのSea Worldやオールドタウンを観光し、その夜にサンタ・バーバラへと帰着しました。

<朝食はカフェにて大きなホットドッグ。まだトラブルに気づいていない>

<サン・ディエゴのSea Worldはあいにくの雨天で寒かった>

「やれやれ、今回は先週と違ってトラブルの少ない平和な旅だった」と思ったのですが、翌日に語学学校に行った際にまたまた事件が発覚します。マユミが、同じ家に滞在していて同じ週末にサン・ディエゴとティファナを訪れたハウスメイトから「病院に一緒に来てくれ」と言われているが、理由が分からないと言うので彼と話してみたところ、彼も英語が堪能ではなかったのですが、何やらお腹をさすりながら、”liver, liver…”と言っているのです。「リバー…何か、肝臓がどうとか言ってるよ」、とマユミに伝えたところ、「ええっ!?」と驚きつつ、何がなんだか分からないまま、彼に病院へと連れて行かれたのです…。

そう、彼はティファナで非衛生なものを食べて、あろうことか肝炎(A型かB型か詳細は不明)に感染してしまい、「同じくティファナで食事をしたマユミも検査を受けた方が良い」と言いたかったのです(汗)幸いなことにマユミは肝炎には感染していませんでしたが、病院で注射などを受け、その夜は「自分もメキシコで物を食べてしまった」という不安と恐怖でずっと泣いていたそうです…。肝炎に感染したハウスメイトも彼女の部屋に謝りに来たそうですが、彼は肝炎に感染してしまった訳で、「もしティファナでしっかり食事をしていたらもしかしたら自分たちも…」と考えると、ゾッとしました…(汗)「絶対何も口にしない」と言ってくれたアンドレアに感謝しなければいけません(苦笑)

<レボルシオン通りの入口にて。ガイドブックに掲載のない場所で食事してはいけない(2001年基準)>

このように、一見無事に終わったかに見えたサン・ディエゴ&ティファナ旅行は、帰った後に色々とトラブルが判明することとなりましたが、こうしたトラブルも今思うと貴重な経験だったのかと思います。アメリカとメキシコの国境で今でも続いている問題を肌で感じ、今は違うかも知れませんが発展途上国でむやみに食べ物を選んではいけないと言う教訓も得ることが出来ました。それと、アメリカでの路上駐車のルールも(苦笑)

<ティファナは今でもアメリカとメキシコが交わる、不法入国や麻薬密輸の最前線>

とにもかくにも、健康だけは何とか守ってサンタバーバラへ帰ることが出来た僕らは、最後の週末はロサンゼルスへと車で向かうこととなりますが、そこでこの留学中、最大のピンチが僕を襲うことになります。続きはまた次のブログにてご紹介致します。

To be continued.

Santa Barbaraその14。へ続く

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Santa Barbaraその12。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

Santa BarbaraからSan Diegoに日が暮れてから到着し、歩き回るのも不安を覚えケーキで夕飯を済ませた僕らは、翌日は国境を越えてアメリカに隣接するメキシコの町・Tijuana(ティファナ)を目指しました。メキシコへは国境を車で越えてそのまま入ることも出来るのですが、ほとんどのレンタカー会社はメキシコへのレンタカーでの入国を許可していない(カナダはレンタカーでも入れるそうです。この辺りが治安や安全性の差なのでしょうか…)ため、僕らは国境の近くまで車で向かい、駐車場に車を停めて、徒歩でメキシコへと入国する事にしました。サンディエゴから南下するフリーウェイに入ったのは良かったのですが…どこがアメリカ国内の最後の出口か分からず走っていたため、うっかり最後の出口を通り過ぎてしまい…あろう事か、国境の検問所が目の前に見えて来てしまいました(汗) 「ヤバい!車で国境まで来ちゃったぞ、どうする!?」と車内は一時、軽くパニックに陥りました。何しろレンタカーでのメキシコ入国は禁止な上(おそらく入る事は出来るでしょうが、保険などは一切効かず何かあれば大変な事になるでしょう)、僕は国際免許証も持っていない状態です…(だって、カリフォルニアのレンタカー会社は日本の免許証だけで車を貸してくれたから…笑)

<フリーウェイの検問所。車で通過できる>

どうしようかとソロソロと国境の検問所に近づいていた時…左端に”Return to U.S.A.”の文字が!幸運なことに、Uターンレーンが設けられていました!今考えると、そりゃそうですよね…間違えて国境まで来て戻れないんじゃ、検問所だって困るでしょう(苦笑)かくしてUターンして最寄りの出口でフリーウェイを降りた僕らは国境近くの駐車場に車を停め、徒歩で国境を目指しました。

<鉄格子の回転扉をくぐればそこはもうメキシコ>

アメリカからのティファナ(メキシコ)入国は非常に簡単で、ただ鉄格子の回転扉をくぐればそこはもうメキシコです。特にパスポートを見られることも、荷物検査も税関も何もありません。ティファナに長期滞在する場合や、ティファナ以遠のメキシコへと進む場合はイミグレーションオフィスを訪れて入国手続きが必要なようですが、ティファナに短期滞在するのみであれば、何の申請も必要ありませんでした。アメリカ側からメキシコに不法入国する人はきっといないのでしょう…海で囲まれた日本に育った僕にとっては、歩いて国境を渡るというのはこれが初めての経験でした。アメリカに来る前からずっとティファナに行ってみたいと思っていた僕は1人ワクワクしていたのですが…国境を越えて町の雰囲気がメキシコになるにつれ、他の5人の女の子の顔が徐々に引きつって行くのが分かりました…カリフォルニアから徒歩数分でも、そこはまさにメキシコ。そしてティファナは、アメリカから気軽に訪れることができる観光地である一方で、メキシコからアメリカへ不法入国する不法移民が集まり、麻薬を運ぶブローカーが暗躍する最前線の基地でもあります。ガイドブックにも「メインストリートであるレボルシオン通りから決して外れないように」とありました…

<ティファナは観光地と犯罪の前線基地という2つの顔を持つ町>

レボルシオン通りは賑やかで、僕らは地元のスーパーを覗いてみたり、メキシコの名産物である銀細工のショッピングなどを楽しみ、他の5人の緊張も少しずつ和らいで来たようでした。そこでちょうどランチタイムとなったのですが、そこで僕らは初めて気づいたのです。「果たして、ここで何かを食べる事は安全なのかどうか」という問題に…

<賑やかなレボルシオン通りにはお土産屋さんやレストランが並ぶ>

特にドイツ人のアンドレアは慎重で、「私はメキシコでは絶対何も口にしない」と言いました。他のメンバーも抵抗があったようなので、僕らはアメリカにもあるファストフードのチェーン店で、コーラなど安全そうな飲み物だけを飲むことにしました。今でこそメキシコ観光はポピュラーになり衛生状態も改善されて来ましたが、当時のメキシコはまだ食べ物を口にするのも危険だ、というイメージでした。しかし後ほど「その選択は正しかった」という事がサンタバーバラに帰着後に判明する事になります…

<メンバーがタコスを食べたお店>

その後も散策や買い物を楽しんだ僕らは、遅くなる前にアメリカへ戻ることにしたのですが、帰り道の途中でタコス屋を見つけた何人かのメンバーが、「やっぱりタコスくらい食べておきたい」と言ったので、彼女たちはお店でタコスを食べたのですが、強い意志を持つアンドレアと、唯一のドライバーで万が一にも体調を崩せないと考えた僕は、2人で外で待つことにしました。その後再び合流しアメリカへ再入国しようと検問所にたどり着くと…出る時は何のチェックもなかったのに、アメリカ入国には厳しい審査を待つ人の長蛇の列が出来ているのです…現在でもトランプ大統領はメキシコとの国境に壁を作る、と主張していますが、正にアメリカとメキシコの間に存在する経済格差や不法移民、麻薬の密輸などの問題をまざまざと実感させる現実でした。メキシコとアメリカの間には小さな川があるのですが、その橋を渡る際にマユミが「みんなあの川を命がけで越えるんだろうね」と言ったことを覚えています。国が陸路で繋がっている、というのは世界では一般的ですが、日本人の僕らにとってはある意味、初めて「国境」という現実を見た瞬間だったのではないかと思います。

<国境を不法移民は命がけで越えて行きます。アメリカ入国は厳しい入国審査>

何とかアメリカへ再入国した僕らは、駐車場の脇にあったアウトレットモールでのショッピングを楽しみましたが、僕は体調をキープしなければならなかったため、ベンチで休憩する事にしました。その後車にてサンディエゴの町へと戻った僕らは、夕飯にバーベキューを楽しみ、夜の遊園地やショッピングを楽しみ、サンディエゴ旅行の2日目を終えたのですが、ホテルへ帰ると駐車場が満車となっていたので、フロントのスタッフにどうしたら良いかと尋ねたところ、夜の間はホテル前の路上に駐車しても大丈夫だと言うので、車を路上に停めて就寝したのですが、これが日本に帰国後にちょっとした騒動に発展することになります。続きは次のブログにてご紹介したいと思います。

<夕飯はアメリカンなバーベキュー>

To be continued.

Santa Barbaraその13。へ続く

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本気の留学ならアメリカに行くべき10個の理由

一言で「留学」と言っても、中高生のホームステイ体験から超一流大学でのMBA取得まで、その内容は様々です。英語を学ぶのが目的なのであれば、英語圏の国ならどこへ行っても良いだろうと思うかも知れません。また、近年ではフィリピンやフィジーといった格安で語学留学できる国も人気です。(ただし、フィリピンやフィジーでは英語は「公用語」であり、「母国語」ではありません。)

ですが、本気で様々な実力を養いたいのであれば、僕は留学先はアメリカを選ぶべきと考えます。それはホームステイであっても、語学留学であっても、大学院への進学であっても同じです。今日は僕がそのように考える10個の理由について、ご紹介したいと思います。

①研究のレベル

まず、大学・大学院へ留学するのであれば、世界の研究の最先端を走っているのは間違いなくアメリカです。ここで幾つかのデータをご紹介したいと思います。

【世界大学ランキング2018(THE)】

1位   オクスフォード大学(イギリス)

2位   ケンブリッジ大学(イギリス)

3位   スタンフォード大学(アメリカ)

3位   カリフォルニア工科大学(アメリカ)

5位   マサチューセッツ工科大学(アメリカ)

6位   ハーバード大学(アメリカ)

7位   プリンストン大学(アメリカ)

8位   インペリアル・カレッジ・ロンドン(イギリス)

9位   シカゴ大学(アメリカ)

10位 ペンシルバニア大学(アメリカ)

1位と2位がイギリス…なら、イギリスが良いんじゃない?と思われるかも知れませんが、もう少ししっかりと全体像を見ると違うことが見えて来ます。上位20校の大学の数を国別に見てみると、

アメリカ 15校

イギリス   4校

スイス    1校

と、アメリカの大学が圧倒的に多いことが分かります。更に、海外の大学で学ぶ価値のある分野の1つである経営学修士(MBA)に限って見てみると、

【Financial Times MBA Ranking 2018】

1位    Stanford Graduate School of Business(アメリカ)

2位    Insead(フランス・シンガポール)

3位    University of Pennsylvania: Wharton(アメリカ)

4位    London Business School(イギリス)

5位    Harvard Business School(アメリカ)

6位    University of Chicago: Booth(アメリカ)

7位    Columbia Business School(アメリカ)

8位    Ceibs(中国)

9位    MIT: Sloan(アメリカ)

10位  University of California at Berkeley: Haas(アメリカ)

2・4・8位以外は全てアメリカの大学で、総合ランキングで1位と2位のオクスフォードやケンブリッジは10位以下です。更に、The Economistのランキングでは上位10校は全てアメリカの大学が占めています。

また、もう1つ、海外で学ぶ価値があると考えられる理工系、特にコンピューターサイエンスや宇宙科学の分野は、分野毎に見ることが難しいので、次のような指標を見てみてください。

【世界の国際特許出願件数 国別ランキング2016】

1位 アメリカ   56,440件

2位 日本       45,220件

3位 中国       43,128件

4位 ドイツ    18,302件

5位 韓国       15,540件

6位 フランス     8,187件

7位 イギリス     5,491件

8位 オランダ     4,676件

9位 スイス      4,363件

10位スウェーデ ン 3,730件

1位はアメリカで、2位は何と大学ランキングでは全く名前の出てこなかった日本です。つまり日本では、研究開発は大学よりも民間企業を中心に行われていることが分かります。英語圏で2番目に名前の出てくるイギリスの出願数は、アメリカの10分の1以下に留まります。

また、あくまで大学の研究開発のみを指標として見るのであれば、この様な数字もあります。

【ノーベル賞(自然科学分野)の2000年以降の受賞者数】

1位 アメリカ     59人

2位 日本         16人

3位 イギリス   10人

4位 フランス     7人

5位 ドイツ        6人

6位 イスラエル  5人

※ 以下、人数が少ないため省略

以上のように、物理・科学・工学・医学でもアメリカでの研究は群を抜いていて、技術分野で次に続いているのは実は日本である事が分かります。つまり、日本より研究が進んでいる、あるいは日本では勉強が難しい自然科学分野を勉強するなら、やはりアメリカのみが選択肢と言うことになります。

②学生のレベル

①で見てきた研究開発のレベル以上に大きな要素と考えられるのが、集まって来る学生のレベルと多様性です。移民国家で様々な人種が混在しながらも、人口が3億2千万を超え、そこに世界中から各国のトップの学生が殺到するアメリカの学生のレベルと多様性は、他の国とは比較にならないと言っても過言ではありません。英語圏の国々の人口を見てみても、

アメリカ    3億2,300万人

日本(※参考) 1億2,700万人

イギリス         6,400万人

カナダ          3,600万人

オーストラリア      2,400万人

ニュージーランド      476万人

アメリカの人口は他の英語圏の国々よりも圧倒的に多いことが分かります。その数は日本の3倍、イギリス比では5倍にも上ります。当然、競争は熾烈を極めており、トップ大学のレベルはそれに比例して高くなります。

また、外国人留学生の数を見ても、

アメリカ      975,000人

イギリス      312,000人

オーストラリア   348,000人

カナダ       19,5000人

とアメリカが群を抜いており、MBAランキングなどを考慮すればその質も他国とは比較出来ないと考えられます。つまり数を見ても質を見ても、アメリカに集まる学生のレベルと多様性は圧倒的と言えるのです。例え英語学習のみが目的の語学留学だったとしても、米国の大学への進学を目指す質の高い学生との交流は、大きな刺激や経験となることでしょう。

③イノベーションは常にアメリカから始まる

上記した数字以上にアメリカの凄さを象徴しているのは、「イノベーション」が常にアメリカから始まるという点です。これは金融のメソッドから新しいコンピューターソフトウェアの開発、宇宙工学の研究や開発に留まらず、電気自動車に代表されるテスラ・モーターズや民間宇宙開発の先頭を走るスペースXのようなベンチャー企業、世界で初めて「LCC」と言うカテゴリーを具現化し、世界の空の旅を身近なものにしたサウスウエスト航空、自動運転車やハイパーループのような社会的実験、州ごとに法律や規制が異なり、州政府に一定の裁量権が与えられている地方自治のあり方のような社会制度の仕組みに至るまで、新しい技術や発想のほとんどがアメリカで誕生しています。

身近な例で言えば、AppleのiPhoneや検索サイトのGoogle、SNSのFacebookはその象徴的な例と言えるでしょう。初めてスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表した時、正直僕は「こんなボタンも無くて入力がしずらい携帯電話が売れるのか」と思いました。しかしいつの間にか、iPhoneが創造した「スマートフォン」と言うデバイスはもはや生活の全ての基準となり、近年の若者はスマホのせいでPCを使わなくなったとまで言われています。実は、iPhoneを分解してみると、大半の部品は日本製、あるいは日本製の製造装置を使って作られています。日本の技術がなくては製造すら出来ないかも知れないのが実はiPhoneなのですが、重要なのはそこではなく、「スマートフォン」と言う発想を生み出し世界の基準の全てを変えたのが、たった1人の天才によって成し遂げられたと言う点です。日本には技術はあったが発想がなかった、そこが決定的な差になったのが現実で、こうした新しい、他人が考えなかった発想=イノベーションがほとんどアメリカで生まれていると言う事実を、私たちは認識する必要があるでしょう。また同時に、なぜイノベーションはアメリカでばかり生まれるのか、についても知らなければなりませんが、そのためにはやはり、まずアメリカと言う社会を肌で感じ、何が他の国と違うのかを考える必要があります。人種の多様性による産物なのか、教育レベルの高さ故なのか…ただ、人種が多様で教育水準が高いだけの国なら他にもたくさんありますので、それとは異なる、自由な発想を生む何らかの下地があると考えるべきでしょう。そうした環境の中へ留学に行く事こそ、特別な経験と言えます。その意味で、アメリカで勉強する事の意味は、他の国でのそれとは全く違うことなのです。

④留学の目的は学位だけでなく人脈と経験

留学と言えば勉強すること、とは限りません。実際、MBAを取るためにアメリカの大学を選ぶ理由は、その学位の名声よりむしろ、世界中から集まる超一流の人材と触れ合う経験と、そこでのみ築くことが可能な高レベルでの人脈作りだと言われています。

学校で勉強する、というのはあくまで机上の空論です。もちろんMBAのプログラムでは実際のビジネス環境や成功例を取り上げて勉強しますが、そのクラスにおいても実は大切な要素はそのクラスに集まっている学生の質です。世界中の一流企業からのトップ人材が集まるプログラムの中で議論したり他国の状況を学んだりするからこそ価値があるのであって、逆に言えば一定の地域からの留学生しか集まらない環境は、あまり参加する価値があるとは言えません。アメリカは世界のトップだからこそ世界中から一流のトップ人材が集まるのであり、逆に言えば一流の人材であればあるほど、アメリカ以外の大学を選択しません。つまり本当の一流の人材と触れ合い刺激と経験を獲得すること、その環境によってのみ作り出される高いプログラムや教育環境の質、そしてそこで築かれる最高の人脈は、アメリカにのみ存在すると言っても決して過言ではないのです。
これは何もMBAに限った事ではなく、例え英語の学習のみが目的の語学留学であっても、基本的な環境は類似しています。向上心が高い人材なら当然、質の高い学生が集まる国での勉強を選択しますし、語学学校にはアメリカの大学への進学を目指す1流の学生も多数在籍しています。そうした学生と出会い、触れ合う事で受けることの出来る刺激と経験は、きっと他のどの場所よりも貴重なものとなり、あなたの向上心や目標を高めてくれることでしょう。

⑤世界の縮図アメリカ

アメリカと言う国は、おそらく世界で最も多様性のある国です。世界中から人が集まる場所ですので、人種・国籍・宗教・バックグラウンドから信念や哲学・考え方に至るまで、ありとあらゆる「異なるもの」が1つの国の中に混在しています。良い人もいれば悪い人もいて、大富豪もいれば貧しい人もいる、世界のすべての宗教が存在し、もしかしたら世界の全ての国の出身者がいるかも知れません。当然、差別や争い事もあり、人種差別、宗教対立、保守とリベラルの意見の対立、貧富の差の拡大など、世界のあらゆる問題がアメリカ国内に同じように存在しています。そしてそれに人々がどのように取り組んでいるか、と言う点も知る事が出来るでしょう。

つまり、それは良くも悪くも「世界の縮図」なのであり、世界を感じて理解を深めるのにはこれ以上の場所はおそらくないでしょう。日本ではあまり感じることが出来ない「他人と自分は異なっている」という事が当たり前のように存在する、それは今後の国際社会、そして外国人観光客や労働者の増加が見込まれる日本が、いま一番学ばなければいけないことです。「異なる人間とどう共存するか」は、アメリカの良い所も現状の問題点も両側面を自分の目で見て感じることで、初めて現実の問題としてしっかりと考え直すことが出来るのではないでしょうか。

⑥フロンティア精神とチャレンジスピリット

イノベーションのほとんどがアメリカで起こっている背景にある要素の1つは、アメリカ建国の歴史にあるのかも知れません。それはよく「フロンティア精神」と「チャレンジスピリット」と言う言葉で表現されます。

アメリカへ最初に移民をした西洋人は、当初は各国のカトリック達が入植しましたが、それに続いたのはイギリスで宗教的に迫害を受けていたピューリタン達でした。彼らは自分たちが生活できる新天地を求めて、まだ良く知られていなかった未開の地である北米大陸へと、船で大西洋を横断して渡りました。おそらくそれは、当時は命がけの挑戦であったことでしょう。その後もアメリカの人々は、合衆国の建国、イギリスからの独立、西部フロンティアの開拓、南北戦争による奴隷の開放と、挑戦の歴史を歩んで来ました。もちろんその過程でネイティブアメリカンの土地を奪ったり虐殺したという負の歴史もありますが、負の歴史を全く持たない国など、世界には存在しないでしょう。

こうした挑戦の歴史の中で培われてきたのが、おそらくリスクを恐れず挑戦すると言う「フロンティア精神」なのかも知れません。もともと国家のない場所に、自由と平等と言う理念と星条旗の元に、様々な人種や国籍の人々が1つになる事を目指して築き上げたのが、アメリカ合衆国と言う国家です。(本当に自由と平等が達成されているか、についてはもちろん議論の余地はあります。)つまり、様々な人種も環境も異なる人々が共通の理念の下で国家を形成しているのがアメリカであり、「昔からそこに住んでいたから自然と成立した国家」とはその誕生の過程が全く異なっています。一つの理念=目標を達成するために既存の考え方や特定の文化から抜け出し、新しい発想で理念を達成しようとして来た「挑戦の歴史」が、今もiPhoneやGoogleと言ったイノベーションを起こす下地の要素の1つとなっているのは十分な可能性と言えるのではないでしょうか。こういった「既存の文化や発想に捉われない」、「目標・理念のためにリスクを恐れず挑戦する」と言った姿勢が、政治や経済においてアメリカを世界のトップへと押し上げてきたという経緯を私たちは知る必要があり、そうした自由な発想と創造力を今後は自分たちも養って行かなければなりません。そのためにも、日本の多くの若者に、アメリカで英語や学問・技術、そして「アメリカ合衆国」と言う国について学んで欲しいと願うばかりです。

⑦日本で学べる事は日本で

「英語や学問は海外で勉強するほうが良い」と思いますか?実はそれは正解でもあり不正解でもあります。

例えば、海外で1年間ワーキングホリデーをした人間と、日本でコツコツと2年間英会話を自力で勉強した学生を比較すると、国内で学んだ学生の方が英語が上手だ、という事が良くあります。ワーキングホリデーとはその名が示す通り「休暇」です。現地でアルバイトをしたとしても、仕事で使うフレーズは毎日お決まりの、英会話のごくごく一部に過ぎません。カフェや農場でアルバイトをしても、自分で英語を勉強する努力が無ければ、おそらくちゃんとした「会話」をすることなく遊んで帰って来るだけの結果になるでしょう。英語の勉強だけなら日本でも十分にできます。要は本人の意識と努力次第です。

また、技術系に関して言えば、日本が研究のトップを走っている分野もたくさん存在します。そうした技術を身につけたいのであれば、海外の名もなき大学に入って母国語でない言語で技術を学ぶより、その分野で研究成果を上げている日本の大学や企業へ入る方が遥かに良いでしょう。

留学は何でもとにかく海外に行けば良い、と言うものではありません。留学の目的をはっきりとさせ、日本では学べない知識や経験を学びに行くものです。ただ「海外に行ってみたい」というのが動機の留学の多くは失敗に終わります。日本で学ぶべきことは日本で、日本で取得すべき学歴は日本で取得した上で、プラスアルファで日本で学べないことを学びに行く必要があります。もしカナダ人になりたいのであればカナダの大学に入って現地で就職し、カナダ国籍の取得を目指せばそれで良いと思います。もしフランス人になりたいのであればフランスで同じようにすれば良いでしょう。ですが、「日本人として」国際感覚や技術を身につけたいのであれば、まず日本でやるべきことをやり、その上で高い志をもって留学へ出発しましょう。そして、高い志があるのであれば、ぜひ世界のトップを肌で感じてみてはいかがでしょうか。

⑧社会の「未来」を学ぶ場所

アメリカは良くも悪くも、世界で最も進んでいる国です。イノベーションや先端技術、金融の新しいメソッドが次々と生まれる一方で、様々な社会問題や人格障害、悲惨な犯罪が最初に発生するのもアメリカです。つまりアメリカを知るという事は、良い点も悪い点も、「自分とその国の将来を考える」ことでもあるのです。アメリカでこう言う問題が起こっている。いつか日本でも起こるだろう。じゃあその時、自分たちはどのように取り組んだらよいか、そう言ったお手本として、あるいは反面教師として、良くも悪くも自分たちの未来を考え学ぶことができる国と言えます。

日本にはアメリカより優れている側面もたくさんあります。いくつかの技術や製造業の質、社会の安定性や治安などは単純に比べれば日本の方が優れているでしょう。しかし、アメリカは全体的に日本の10年先を走っていると考えて下さい。もしかするともっと前を走っているかも知れません。アメリカで発生する問題は、次は日本でも発生します。例えば、電子産業はまずアメリカで発達しましたが、その主導権は1980年代以降日本に移り、そして2000年代になると韓国へ、現在は中国へと移行しつつあります。中国の後は東南アジアに移るかもしれません。その間にアメリカは産業構造を変革し、金融やサービス業、最先端のITビジネスやベンチャー企業を発達させて来ました。アメリカではすでに、宇宙開発さえも民間企業に移行しつつあります。日本はまだ、それを追いかけている状況です。追いつくことが出来るかどうかは誰にも分かりません。しかし、後ろからも追われている以上、日本も未来について学び、社会や産業を進化させて行かなければなりません。「日本より前を走っている国がある」、その国を研究して追いかけない理由は、どこにもないのです。

⑨「平等」とは何かを考える

アメリカは「平等」とは程遠い国だ、そう思いますか? 確かに、貧富の差は激しく、大富豪がプライベートジェットで移動する一方で、貧しい暮らしに困る人も多いのは事実でしょう。

では、貧富の差が少なく、国民がみな同じような水準で暮らしていれば、それは本当に平等と言えるのでしょうか。僕はそれはおかしいと思います。頑張ったら報われて、努力しなければ結果は付いて来ない、社会はそうあるべきだと思います。もちろん、生まれつきの貧富の差で有利不利はあるでしょう。しかし少なくとも、「機会」は全員に開かれている、それがアメリカという国です。頑張って勉強すれば奨学金がもらえますし、創意工夫でビジネスを起こせばゼロからだって成功できる。そのような「機会の平等」があるからこそ、努力の差によって貧富の差が生まれるのがアメリカと言えます。実は、アメリカは貧富の差が大きいと言いますが、アフリカ諸国のように仕事も食べ物もない、という訳では決してありません。貧困層向けの職業訓練やボランティアのサポートなど、社会のセーフティネットはちゃんと存在します。「恵まれない環境に生まれたから貧乏だ」、と愚痴を言うのは簡単ですが、チャンスは実は誰にでもある。愚痴を言う時間があるならその時間を努力に使えば良いだけの事です。平等とは誰もが同じように暮らすことではないのだ、むしろ全員が同じであることの方が異常なのかも知れないと気付かされます。

「頑張ったら、報われる。頑張らなければ、当然報われない。自分の人生は、実は全て自分次第である。」こんな簡単なことですが、意外と気づかないものです。特に貧富の差が比較的小さい日本では。頑張っても頑張らなくても結果があまり変わらない国というのは、実は非常に危険な状態なのかも知れません。頑張ってもあまり報われない国であれば、頑張る人が減って行き、優秀な人材は海外へ流出して国の成長エネルギーは徐々に失われてしまうでしょう。アメリカでは初の黒人大統領も誕生し、大企業の女性CEOも数え切れないほどです。果たして日本とアメリカで、平等を達成している国はどちらでしょうか。「平等」とは何か、アメリカではそれを考え直す機会も得ることができると思います。

⑩帰国後のキャリア形成

留学はいつか終わるもの、留学に行くのであれば当然、留学後の進路やキャリアを考える必要もあります。留学に行って現地で就職し、日本に戻らないつもりであればそれはそれで良いでしょう。

しかし残念ながら、現実はそんなに甘くはありません。現地の国籍を持っていなければ、当然「外国人」として現地で働くことになります。当然、現地のネイティブより出世したり同等の待遇を手に入れることは、相当に難しいことです。同じ能力なら、現地の人間の方が高く評価される。残念ですが当然と言えば当然です。現地で就職したけど、次の契約をもらうことが出来なかった。当然、労働ビザは切れてしまいます。そうなると、現地のネイティブと結婚する以外には日本に帰国するしかありませんが、帰国してからの就職も困難を極めます。例えば、日本の大学に入学せず海外の名もなき大学に入って卒業した場合、日本の企業ではそれは大卒の資格としてみなされません。つまり「高卒扱い」となり、大卒総合職としての就職はほとんど不可能になります。海外の大学を卒業したけどロクな就職ができなかったというのは、残念ながら非常によくあるケースです。

また、近年よく耳にする「世界大学ランキング」を鵜呑みにするのも実は現実とはかけ離れています。世界大学ランキングはあくまで欧米基準の物差しで、英語で書かれた論文のみを評価対象とし、さらに自然科学分野を圧倒的に重視したアカデミックなランキングであり、それは社会や企業での評価とは必ずしも一致しないものです。ここでこの「世界大学ランキング」と矛盾する、もう一つのランキングをご紹介したいと思います。

【世界の大学就職力ランキング2018(QS)】

スタンフォード大学(アメリカ)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(アメリカ)
ハーバード大学(アメリカ)
④ シドニー大学(オーストラリア)
マサチューセッツ工科大学(アメリカ)
⑥ ケンブリッジ大学(イギリス)
⑦ メルボルン大学(オーストラリア)
⑧ オクスフォード大学(イギリス)
カリフォルニア大学バークレー校(アメリカ)
⑩ 清華大学(中国)
ニューヨーク大学(アメリカ)
コロンビア大学(アメリカ)
プリンストン大学(アメリカ)
東京大学(日本)
⑮ 北京大学(中国)
⑮ トロント大学(カナダ)
⑯ スイス連邦工科大学(スイス)
⑰ ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(イギリス)
⑱ コーネル大学(アメリカ)
⑲ エール大学(アメリカ)
⑳ 香港大学(香港)
㉑ シカゴ大学(アメリカ)
㉒ ペンシルバニア大学(アメリカ)
㉔ ウォータールー大学(カナダ)
㉕ ミシガン大学(アメリカ)
早稲田大学(日本)
㉗ 復旦大学(中国)
㉘ エコール・ポリテクニーク(フランス)
㉙ インペリアル・カレッジ・ロンドン(イギリス)
㉚ カールスルーエ工科大学(ドイツ)
㉚ シンガポール国立大学(シンガポール)
(中略、以下日米の大学のみ記載)
㉜ ノースウェスタン大学
㉞ デューク大学
㊸ ブラウン大学
㊼ パデュー大学
㊸ ジョージア工科大学
慶應義塾大学(日本)
(以下、主要大学のみ記載)
ボストン大学(51位)
京都大学(53位)
東京工業大学(57位)
南カリフォルニア大学(59位)
ジョンズ・ホプキンズ大学(64位)
ワシントン大学(64位)
カリフォルニア工科大学(73位)
大阪大学(76位)
アリゾナ州立大学(81位)
ペンシルバニア州立大学(87位)
名古屋大学(90位)

このランキングは各大学の卒業生を、政治やビジネスのリーダーから、ジャーナリスト、科学者、文学やアートの分野に至るまで、①「雇用者の評判」、②「卒業生の成功指標」、③「雇用者とのパートナーシップ」、④「雇用者と学生の関係」、⑤「卒業生の就職率」の5つの要素を基に、世界の大学がどれだけ社会の中で評価されているかを指標化したもので、皆さまがお持ちのイメージと近い「現実的なランキング」と言えるでしょう。世界大学ランキングでは全く低評価を受けている日本からも、上位50位以内に東京大学・早稲田大学・慶應義塾大学がしっかりとランクインしています。ボストン大学やカリフォルニア工科大学もアメリカでは「一流大学」と呼ばれる優秀な大学ですが、世界基準で見ても日本の一流大学の後塵を拝し、それが日本基準になればその評価はさらに低いものになることは容易に想像できます。州立大学レベルの学位は就職活動では「その他の大学」のカテゴリーに分類されてしまうでしょう。日本で正当に「一流の学歴」と評価されるには、少なくとも東京大学より上位にランキングされているアメリカの8大学(スタンフォード、UCLA、ハーバード、MIT、UCバークレー、ニューヨーク、コロンビア、プリンストン)での「実用的な学位」(経済学、経営学、法律、自然科学分野など)が必要となって来ます。それが「日本における現実の評価」と言えます。

また、MBAを取りに行く際も注意が必要です。MBAとは「経営学修士」との名前が示す通り、企業の経営について学ぶ学位です。つまり経営マネジメントに携わるレベルの人間だけが必要な学位であり、そうした優秀な人材が学びに行くべき大学は上記したMBAランキングの上位20校程度ということになります。「MBAさえ持っていれば評価される」と言う訳ではありません。「どこの大学のMBAを持っているか」まで、キッチリ人事担当者に評価されます。名もなき大学のMBAを取って帰って来ても、「なんでそこの大学のMBAを取ったの?」、「そもそもあなたにMBAの資格が必要だったの?」と言う反応しか返って来ないでしょう。つまり、下手をすると「自分が分析できていない」と言うマイナス評価にしかならないのです。ですので、MBAを取るなら最低条件はアメリカの大学(とその他数校)かつ、日本人が知っている上位校のみが評価対象なのが現実でしょう。

「留学に行って知識や経験を深めたい」と言う志は非常に素晴らしいものであり、当スクールでは可能な限りそのお手伝いをさせて頂ければ幸いと考えております。しかし、目的意識のない長期の海外渡航や日本の慣習を考慮していない留学については、ご本人のためにもあまりお勧めできません。留学をしたからにはその結果を求められてしまうのも留学です。行ったから無条件に評価されると言うものでは決してありません。「どこの国に、何のために行って、その後どうするか」と言う点について、しっかりと目標を定めて努力する必要があります。そして、留学して一番多くの事を学べ、最も評価される国はアメリカであるのは間違いありません。「本気で留学するなら」僕はやはりアメリカをお勧めしたいと思います。英語や留学、将来のキャリア形成にご興味のある方は、ぜひ一度、当スクールへご相談ください。その生徒様に最も合った留学のスタイルと事前準備をご提案し、お手伝いをさせて頂けましたら幸いです。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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Santa Barbaraその11。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

サンタバーバラでの留学生活も2週間が過ぎ、現地での生活や簡単な英語にも慣れて来ていました。学校の授業も発言は出来ないものの先生が言っている事は何となく(半分は推測でしたが)分かるようになり、授業ではスピーチをしたりもするようになりました。(レベル6のクラスなので周りの学生は何も見ずにペラペラとスピーチする中、僕は事前に書いた原稿を見ながら読んでいただけでしたが…)

ハウスメイトでクラスメイトでもあった韓国の大学生のユンは、クラスで自分の通う梨花女子大学(Ewha/イファ女子大学:韓国の女子大の最高峰。最近では朴槿恵前大統領の娘が不正入学した大学としても話題に上りました…)についてスピーチをしていたのを聞いて、韓国は日本よりも更に学歴が重要な受験競争社会なのだと、その時に初めて知った事を思い出します。

ある日、学校で文法のテストがあり、前日の夜ユンが僕に「勉強してる~?」と聞いて来たので、全く勉強していなかった僕は「いや、全く(笑)」と答えたのですが、翌日のテスト(前置詞の後ろに動詞が来る場合は動名詞にする、と言う、日本の大学生には非常に簡単な内容)で僕がユンよりも高い点数を取ったため、ユンはクラス内で(もちろん冗談ですが)「彼にはダマされた!ウソつきよ!彼は私のハウスメイトで、昨日の夜に全然勉強してないって言ってたのに!」と笑いながらクラスメイトに言い触らして回り、スピーキングの下手な僕は反論出来ずにただ苦笑するしかありませんでした(苦笑) 日本の英語教育が文法と読解に偏っているため、聴き取れないし話せないけど問題は解ける、という典型的な例だったかと思います。

<クラスルームにて。日本人は少なく、ドイツ、スイス、ブラジル、韓国、台湾などの留学生がいました>

その週の週末、僕らは車を借りてサンディエゴへと向かいました。学校までレンタカー会社のスタッフが迎えに来てくれ、空港の近くにあるオフィスにミチコと向かったのですが、予約されていた車は確かに6人乗りだったのですが、前に3人、後ろに3人座るという、日本でいう普通の5人乗りセダンの定員が前に増えただけの車でした。「これで片道4時間以上かかるサンディエゴまで6人で行くのはちょっと…(汗)」と思っていたところ、ちょうど先週にサンフランシスコへ行った際に借りたような7人乗りのミニバンが返って来たので、値段を聞いてみると6人で割れば1人10ドル程度しか変わらなかったため、ミチコと相談の上ミニバンに変更し、学校で残りの4人を拾ってサンディエゴへと向かいました。

日本人5人にドイツ人1人、という偏ったメンバー構成だったものの、その頃には他のメンバーも簡単な英語は話すようになり、アンドレアともコミュニケーションが取れていたのは前週との大きな違いでした。車がロサンゼルス近郊に差しかかると道が渋滞し始めたため、僕らはフリーウェイをいったん降りて、トイレ休憩を取る事にしました。

とあるハンバーガー店を見つけ車から降りると、メンバーは全員、真っ直ぐにトイレに向かってしまいました。実はアメリカでは、例えファストフード店であっても、トイレだけを利用するのはルール違反に近い行動です。”For Customers Only”(当店のお客さま専用)が徹底されており、近年は何か買わなければトイレの鍵も開けてくれないお店が大半です。さすがにマズいと僕は思い、やむを得ずハンバーガーを一個購入し食べていると、戻って来たメンバーの1人が(悪気は無かったのだとは思いますが)「あれ~、なんで1人でごはん食べてるの~?」と言って来ます…
「いや、お前らがみんなトイレに直行したから…」と喉まで出かかりましたがこらえたところ、他のもう1人が「私たちが、トイレを使ってたからじゃない?」と気づいてくれ、ああ、今回は普通に旅行出来そうだ…と少しホッとしたことを覚えています。

その後車は順調に走り、サンディエゴの町へと差し掛かったのですが、ここで男のメンバーが1人だけ、という場合だから起こった、ある種特有の問題が発生しました。他のメンバーは、地図を見てくれてはいたのですが、どこを走っているか分からない…これは女の子には仕方のないことかも知れませんが、ナビゲーションシステムもなかった当時、ナビが出来るメンバーがいないと言う状況に、サンディエゴに到着して初めて気づいたのです…

やむを得ず適当にフリーウェイを降りて、ストリート名から現在地を特定したところ、目的地をかなり通り過ぎていたことが判明しました。そこからは、自分で地図を暗記してしばらく走り、赤信号の際にまた地図を見る…ことを繰り返しましたが、ホテルの場所も住所しか情報がなかったため場所の特定に手こずり、何とかホテルに到着した時には、辺りはすっかり暗くなっていました。夕飯を食べたかったのですがホテルの周りには適当なレストランがなく、あまり歩き回ると治安の心配もあったため、夕飯はホテルのカフェでケーキのみ、になってしまいました。

<ホテルのカフェで夕飯にケーキを食べる>

もう今日は早く寝よう…と決めたのですが、チェックインをしてみると、6人に対して2部屋しか予約されていないことが判明し、追加料金を払ってもう1部屋利用は出来ましたがツインルームはもうないと言われてしまい、、語学学校のアクティビティのコーディネーターって、何ていい加減なんだ…とこの時痛感しました…。そもそも語学学校アクティビティのコーディネーターって、生徒のアクティビティのない平日は何の仕事をしているのでしょうか…

<サンディエゴにて宿泊したホテル。リトルイタリーという町の外れにありました>

マユミがある日ボソッと、「あの仕事でお給料もらえるんだから、いいよね…」、とつぶやいていたのを、僕はいまだに覚えています(苦笑) そう言えば毎日17時になると、「僕の仕事はもう終わりなんだ!」と言って、それ以上話も聞いてくれなかった事を思い出します…。みなさんも留学される際は、学校が用意しているアクティビティは当てにせず、自力で行動される事をお勧めします。アクティビティがあると書かれていても、人数が足らないから中止、などという事も日常茶飯事です。全く違う場所の話ですが、僕がボストンに留学した時にアクティビティのコーディネーターはどこにいるかと尋ねたところ、「今は夏休みでいないよ」、と当たり前のように言われ、受付のスタッフと散々口論したこともあります…。同じコース料金を払っているのに、いるべきスタッフが今はいない、代わりもいないとは、一体どう言うことかと…
欧米は契約社会、契約が全てだと言いますが、それならパンフレットにいると書かれたスタッフがいなければ、それは契約違反のはずですが…訴訟社会のアメリカですので、1度試しに訴訟をして確かめてみたいものです。まあ、おかげで自力で行動して問題解決を迫られる事が大半になり、結果的に様々な経験を積めたことは、逆に幸いだったのかも知れませんが(笑)

海外へ行くと、日本人のサービス精神や職業倫理がいかに素晴らしいかを、逆に確認してしまうことがあります。皆さんもぜひ海外に出て、逆に日本の良さも再確認して頂ければ、と僕は思います。

話がだいぶそれましたが、翌日僕らはメキシコのティファナを目指します。そしてサンタバーバラに帰着したあと、そこがいかに危険な場所だったかを知ることになります。続きはまた次回のブログにてご紹介致します。

To be continued.

Santa Barbaraその12。へ続く

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留学でやってはいけない13のこと

ここでは僕が留学で経験したことやその後に学んだ情報から、留学する際に知っておいた方が良いこと、やってはいけないことをご紹介したいと思います。中には厳しい内容もあり、このブログをお読みになって留学にネガティブな印象を持たれる方がもしかしたらいらっしゃるかも知れませんが、それはこのブログの意図する所ではありません。留学には個人のスタイルがあるでしょうし、これら全てを最初からきっちり出来る人はおそらくいないと思います。ただ留学という一生の財産に成り得る機会を、1人でも多くの方に成功させて欲しいと思い、そのために知っておいた方が良いことがあるとの趣旨で書かせて頂きます。これから海外へ留学に行かれる方に、少しでもご参考にして頂ければ幸いです。

⓪英語が母国語でない国へ留学する

この内容は正直書くべきかどうか迷いもありましたが、日本の英語教育が間違った方向へと向かってしまう事は日本にとっても英語を学ばれる方にとっても良くない事と思いますので、ハッキリお伝えする事にしました。

正しく英語を学ぶためには、英語が母国語でない国で英語を学ぶことは全くお勧め出来ません。特に初心者、初級者の方が英語が母語でない、日本語も話せない非ネイティブ講師から英会話を学んだ場合、「間違った感覚が定着してしまい矯正出来なくなる」ケースが非常に多く見られます。一定以上の大きさで正しい英語が母国語となっている国は世界に、アメリカ合衆国、カナダ、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドの6か国しかありません。その他の国の講師は英語のネイティブスピーカーではなく、正しくない英語を使用している事が非常に多いです。

これまで僕が様々な方を見て来た結論として、初心者・初級者の方が正しい英語を母国語とする国以外の場所で最初に英語を学んでしまった場合、めちゃくちゃな英語が身についてしまい、感覚として定着してしまったため後から矯正する事も非常に困難です。このような「適当な英語」は、会話の相手がネイティブスピーカーや英語の上級者であればあるほど、文法的に意味を成していないため全く通じません。東南アジアなど英語が母語でない国へ留学することがブームとなっていますが、個人的な意見として、これらの場所で勉強するくらいなら日本国内で勉強する事をお勧め致します。安いものには、必ずデメリットが潜んでいるとお考えください。

① 英語を話さない

「あたりまえじゃん」と思われるかも知れませんが、実際はこれ、中々難しいことなんです。僕も最初はそうだったのですが、留学に行って誰かと話した時になって初めて「相手の言うことが分からない」ことを怖いと感じます。「旅の恥はかき捨て」の旅行とは違い、生活するのに何とかコミュニケーションを成立させることを迫られるからです。英語が通じないと段々外国人に話しかける勇気が無くなって行き、実際には言葉の通じやすい人と過ごす時間の方が多くなります。これは日本人に限った事ではなく、韓国人も台湾人も、スペイン語圏の人もフランス語圏の人もみんな同じです。大体みんな同じ言葉を話す人同士で固まっています(笑)
ですが、そんな時に思い出して下さい。「何のために海外へ留学に来たのか」。それは英語を上達させるためであり、海外でしか学べないことを学ぶためだったはずです。最初は上手く話せないのは仕方のないことです。ですから、英語の話せる日本人と過ごして少しずつ外国人の友達を増やしたり、まずは文化や発音が近いアジアの人と話してみたり、ホストファミリーやルームメイトと話さなければならないことに目をつむったりせず、下手でも良いので外国人と話すことに挑戦しましょう。こちらが心を開いて相手とフレンドリーに接しないかぎり、相手の方から一方的に距離を縮めてくれることはありません。英語が下手でも、「話しかける」「仲良くなろうとする」勇気を持つことが重要です。

② 日本人を避ける

ごくまれにですが、「せっかく海外で生活するのだから、日本語は話さない」と言って日本人と話すことを避ける日本の留学生を見かけることがあります。その心意気は立派だと思いますが、かと言って日本人を意図的に避けることは決して良いことではなく、むしろデメリットの方が大きいと思います。留学生は、当然ですが何でも英語でこなせる訳ではありません。特に最初のうちは、先に留学に来ていた日本人から、知らなかった英語の表現、現地での生活に有意義な情報、国によって様々である外国人の性格や文化・考え方など、多くの情報をもらう事ができます。また留学に来ている人は、多くの人が高額の費用を払ってでも英語や海外でしか学べない知識を勉強に来た向上心の高い方が多く、聞いておいたら為になる知識や経験を沢山持っています。英語の勉強も大事ですが、同時にこうした人達との出会いは本当にかけがえのない財産になります。また、何か困った時に一番頼りになるのは、やはり日本語の通じる日本人です。小さなことにこだわらず、ぜひ日本人を含めた色々な人との出会いを大切にした方が良いと僕は思います。

③ 外国人について回る

日本人に多い残念なパターンがこれです。日本人としては全然悪気はなく純粋に仲良くなりたいだけなのですが、外国人と付き合う際に「自分がない」と思われるとあまり尊敬されません。毎日のように「今日は何するの?」、「一緒に行っても良い?」を繰り返すと、ついて来るだけの奴と思われて煙たがられます。そうではなくて、「~へ行くんだけど、一緒にどう?」とか、「~を食べに行ってみない?」といった具合に、相手が自分と一緒に過ごしたら楽しいと思わせる必要があります。外国人と接する際は相手にただ合わせるのではなく、自分が引っ張っていく方が尊敬され易いと思います。もちろん、一緒について行ったのに英語を全く話さないのが印象として最悪なのは言うまでもありません。

④ 友達が少ない

あまり表面的な友達ばかり増やすのは意味がありませんが、日本人・外国人に限らず、留学ではある程度多くの人と交流する方が良いと思います。苦手な人と無理に付き合う必要はありませんが、多くの人と触れれば触れるほど、英語も上達し様々な知識や経験を手にすることが出来ます。たとえば、英語は母国語の影響を強く受けるため、国によって発音が微妙に違ったり、使う表現が違ったりしますので、多くの人と話すことで多彩な単語や表現を知る事が出来ます。また、留学で学ぶことが出来るのは英語だけではありません。英語は日本でも勉強できますが、外国人の友達を作って話すことや、色々な国の知識や文化を肌で感じ直接学ぶことは、国内や旅行では難しいことです。また、どの友達とその後の長い付き合いを続けて行けるのかすぐには分かりませんので、友達が極端に少ないのはやはりNGです。変な話、留学という限られた期間で学べる英語の量は限られています。しかも授業で学ぶ内容より、外国人の友達を作って英語で話す方がずっと良い練習になり、帰国後も関係が続けば長い目で見ても英語の上達に役に立ちます。留学で最も価値あることは「出会い」があることだと僕は思います。友達を沢山作って、沢山のことを話しましょう。

⑤ 異性とばかり仲が良い

これについては「異性と仲良くしない方が良い」ということでは決してありません。実際に英語を上達させる最も早い方法は「外国人の恋人を作ること」というのは有名な話で、僕もこれには同意します。ですが、異性と「だけ」付き合うと、残念なことに様々なデメリットが発生します。
僕がボストンに留学した際に、こんなことがありました。僕が入学した日に同じように入学したフランス人の男の子と女の子がいました。女の子はすごくフランス人らしい可愛らしい子で、男の子も中々の好青年でした。やがて2人は恋に落ちて付き合い始めたようで、誰に聞いても常に一緒にいる姿があちこちで目撃され、外国人はおろか他のフランス人も2人の間には割って入れないようでした。ある日、その女の子が突然1人になりました。聞く所によると、男の子は留学期間が終わりフランスに帰国してしまったとのこと。それ以降、その女の子は誰とも仲良くなる様子もなく、常に1人で淋しそうにしていました。おそらく誰も話しかけないほど2人の世界を作ってしまったので、他のフランス人からもはじかれてしまったのでしょう。また、外国人の友達を作るには同じ日に入学した人が一番親しくなりやすいのですが、その努力をしなかったために友達が出来なかったのでしょう。留学生には友達を作る「タイミング」の様なものがあって、これを逃すと中々親しい友達を作るのが難しかったりします。
これは極端な話ですが、これに限らず異性とばかり付き合う人には「あいつは女たらしだ」、「あいつは尻軽だ」という悪いウワサが必ず立ちます。やっぱりこうした振る舞いって、どこの国の人にもイメージが悪かったり、嫉妬されたりするんですね。これってどこの国でも同じなんです(苦笑)。こうしたウワサが立つと、次第に周りの人も避けるようになって行きます。ですから、友達は同性異性とバランス良く付き合って、沢山の友達を作るのが結構大事だったりします。

⑥ アジアを見下す

日本人にはあまりピンと来ないかも知れませんが、アジアの国からの留学生は日本や欧米からの留学生に「見下される」ことに非常に敏感です。特に韓国や台湾は「自分たちは経済的に成功した国だ」という自負心がありますので、見下されたと感じるととても不快だそうです。僕の台湾の友達は「フランス人が大嫌い」だと言いましたが、その理由が「見下す」からだと言っていました。フランス人がみんなそうかどうかはさておき、人の上下は経済的な豊かさや出身国で決まるものではありません。留学先ではむしろ「自分を持っているか」「英語が話せるかどうか」で尊敬されるかそうでないかが決まります。ボストンにはアラブの王子だか大金持ちだかが何人かいましたが、人を見下すことに慣れているせいか誰も相手にしていませんでした。少なくても海外では自分が比較的恵まれた国から来たことは忘れて、1人の人間として尊敬される振る舞いをしましょう。特にアジア人同士は、距離や文化が近いこともありお互い強い関心を持っていますし、一番友達になり易く、一番理解しあえる関係です。留学から帰国してもずっと良い友達でいられるのは、やはり韓国と台湾の友人です。韓国人はだいたい日本に悪い先入観を持っていますが、実際に接すると価値観が変わるそうです。台湾人が親日的なのは言うまでもないでしょう。もちろん欧米人の友達を作るのも良いことですが、まずはアジアに友達を作ってみて下さい。

⑦ 日本のことを知らない

これも留学してから初めて気が付くことです。他の国からの留学生は、自分の国の歴史や、社会制度の仕組みと特徴、国際社会での立ち位置などをしっかりと分かっています。たとえば、日本の所得税や法人税・消費税がどのくらいで、その水準が他の国と比べてどうなのか、知っていますか?僕はこれで大恥をかきました…。日本人なのに、日本のことを説明できない、これは非常に情けないことなのですが、海外に出てみるまで意外に気付かないものです。まして自分の知らない日本のことを外国人に教えられてしまった時は、もう穴を掘りたい気分になります。留学に来る外国人は、総じてその国でも優秀な人が多いと思います。そのような人たちと接するときに恥をかかないように、自分の国にまず興味を持って、しっかり日本について話が出来るようにしましょう。

⑧ 授業をサボる

日本の大学と同じ感覚で授業をサボると大変なことになります。海外の大学や学校では出席率はとても大切な評価基準です。米国では学生ビザを発給された学生は8割以上の出席がビザ要件として義務付けられており、これを満たさなかった場合、最悪の場合は強制送還になります。たとえビザが発給されていない語学研修であっても、毎日学校へ行き外国人と英語で接して英語力を向上しようとする努力をすることはとても大切です。
僕が初めて留学をした時、同じ日に入学した英語の全く出来ない日本人の女の子がいました(僕もお世辞にも上手ではありませんでしたが)。その子はやがて学校に来なくなり、何週間か後に会った時は別人のようにやつれて退廃的な生活を送っていました。その子とルームメイトだったドイツ人の友人に話を聞いたところ、ルームメイトと全くコミュニケーションが取れずトラブルになり、それが次にはホストファミリーとの問題に発展して、とうとうホストの家を追い出されてモーテル暮らしになったとのこと。最初に英語が出来ないのは仕方がないことだと思います。ですが英語を向上させることを放棄してしまうと、待っている状況は悲惨なものです。少なくとも毎日授業には出席して、生活のリズムを守り英語力を少しでも向上させて行きましょう。

⑨ クラスで発言しない

日本の学校の授業とは逆で、海外では積極的に発言する事が求められます。語学学校などでは先生が振った話に誰かが答え、それにまた誰かが意見する、という感じで、先生から指名されて答えたり質問されたりすることの方がむしろ稀なぐらいです。どの国の学生も自分が自分がと先を争って発言しようとしますので、静かにすることに慣れている日本人はどうしても気後れしてしまうのですが、慣れたら負けずにどんどん発言しましょう。ずっと黙っているのでは費用が勿体ないですし、何より楽しくありません。海外での授業は日本のそれよりずっと気楽で自由なものです。だから楽しむが勝ちだと僕は思います。

⑩ 現地のルールを守らない

留学先には様々な国から生徒がやって来ます。文化も母国語も異なる人間同士が唯一守らなければならないのは、英語で話すことであり現地のルールに従うことです。公共の場所や学校・ステイ先での喫煙はもちろん、欧米では(日本もですが)歩きタバコも絶対NGです。飲酒に対する規制も厳しく、年齢を証明するものが無ければお酒は買えませんし、クラブやバー・レストランで注文することも出来ません。こっそり違反するとクラブやバーからつまみ出されることもあります。会ったら必ず挨拶をすることや、必要なことは必ず会話で意思を伝えることもルールです。(日本では「察する」ことは美徳ですが欧米では異なります)。ステイ先には門限がある場合もあります。またホストファミリーの誕生日を祝うことや、クリスマスやサンクスギビングの家族での食事も大切にして下さい。米国などは日本よりだいぶ自由で個人が優先の社会ですが、何でも自由にして良いと言うことでは決してありません。

⑪ 自立した生活ができない

日本人はホームステイに、ホストが色々と世話をしてくれるイメージがあるかも知れませんが、実際の留学の生活はそうではなく、自分のことは自分でするという「自立した生活」が求められます。自分の洗濯はもちろんのこと、食事も自分で作らなければならない場合もありますし、ホストファミリーの掃除や食事の後片付けを手伝う必要もあるでしょう。ホストは留学生を「家族の一員」として受け入れるのであって、「お客さま」では決してないことを知っておいて下さい。最初は戸惑うかも知れませんが、お互いを尊重しつつ自分の生活を自分の力でして行くことは、慣れると案外心地の良いものだったりもします。

⑫ 日本で学歴と認められない大学を卒業する

少し厳しい内容ですが、留学をご検討されている方々のご参考になればと考えて、実際の現実をご紹介させて頂ければと思います。日本の大学に入学せず、海外のよく知られていない大学やコミュニティカレッジを卒業した場合、その学歴は日本の企業では「大卒」として認められず、「高卒扱い」となります。また、米国でこうした大学を卒業して現地で就職しようとしても、契約社員レベルのポジションしか得ることが出来ず、その契約が更新されなかった場合は労働ビザが切れ帰国を余儀なくされ、日本では結局「高卒扱い」の仕事にしか就くことが出来ません。日本でも大卒の学歴として認められるのは、ハーバードやスタンフォード、MITやUCLA、UCバークレーなどのごく一部の一流大学のみで、これらの大学の卒業生は近年は高い評価を受け日本の一流企業も米国枠の採用を増やしていますが、それ以外の大学は残念ながら「日本の受験を避けた」と言う評価となるのが現実です。それであれば日本の大学に入学し、交換留学や語学留学で高いTOEICスコアを取得した方が遥かに高く評価されます。「日本は学歴社会だから、アメリカで!」と考えるのは非常に安易な発想で、実はアメリカも日本に勝るとも劣らない超学歴社会です。日本であろうがアメリカであろうが、その人間が努力した結果がそのまま評価されるのは同じです。受験を避け裏道を抜けて英語力さえつければ高く評価される、と言う事は残念ながら起こり得ません。高校を卒業していきなりこうした米国の一流大学へ入学するのは相当に高いハードルのため、まずコミュニティカレッジに入学し一流大学への編入を目指すルートもありますが、もちろんこのルートも死ぬ気で頑張れる強い意志と努力が必要です。努力無くして結果を得ることは出来ません。海外の大学へ進学するのであれば、それだけの覚悟と努力が必要です。

また、近年よく耳にする「世界大学ランキング」を鵜呑みにするのも実は現実とはかけ離れています。世界大学ランキングはあくまで欧米基準の物差しで、英語で書かれた論文のみを評価対象とし、さらに自然科学分野を圧倒的に重視したアカデミックなランキングであり、それは社会や企業での評価とは必ずしも一致しないものです。ここでこの「世界大学ランキング」と矛盾する、もう一つのランキングをご紹介したいと思います。

【世界の大学就職力ランキング2018(QS)】

スタンフォード大学(アメリカ)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(アメリカ)
ハーバード大学(アメリカ)
④ シドニー大学(オーストラリア)
マサチューセッツ工科大学(アメリカ)
⑥ ケンブリッジ大学(イギリス)
⑦ メルボルン大学(オーストラリア)
⑧ オクスフォード大学(イギリス)
カリフォルニア大学バークレー校(アメリカ)
⑩ 清華大学(中国)
ニューヨーク大学(アメリカ)
コロンビア大学(アメリカ)
プリンストン大学(アメリカ)
東京大学(日本)
⑮ 北京大学(中国)
⑮ トロント大学(カナダ)
⑯ スイス連邦工科大学(スイス)
⑰ ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(イギリス)
⑱ コーネル大学(アメリカ)
⑲ エール大学(アメリカ)
⑳ 香港大学(香港)
㉑ シカゴ大学(アメリカ)
㉒ ペンシルバニア大学(アメリカ)
㉔ ウォータールー大学(カナダ)
㉕ ミシガン大学(アメリカ)
早稲田大学(日本)
㉗ 復旦大学(中国)
㉘ エコール・ポリテクニーク(フランス)
㉙ インペリアル・カレッジ・ロンドン(イギリス)
㉚ カールスルーエ工科大学(ドイツ)
㉚ シンガポール国立大学(シンガポール)
(中略、以下日米の大学のみ記載)
㉜ ノースウェスタン大学
㉞ デューク大学
㊸ ブラウン大学
㊼ パデュー大学
㊸ ジョージア工科大学
慶應義塾大学(日本)
(以下、主要大学のみ記載)
ボストン大学(51位)
京都大学(53位)
東京工業大学(57位)
南カリフォルニア大学(59位)
ジョンズ・ホプキンズ大学(64位)
ワシントン大学(64位)
カリフォルニア工科大学(73位)
大阪大学(76位)
アリゾナ州立大学(81位)
ペンシルバニア州立大学(87位)
名古屋大学(90位)

このランキングは各大学の卒業生を、政治やビジネスのリーダーから、ジャーナリスト、科学者、文学やアートの分野に至るまで、①「雇用者の評判」、②「卒業生の成功指標」、③「雇用者とのパートナーシップ」、④「雇用者と学生の関係」、⑤「卒業生の就職率」の5つの要素を基に、世界の大学がどれだけ社会の中で評価されているかを指標化したもので、皆さまがお持ちのイメージと近い「現実的なランキング」と言えるでしょう。世界大学ランキングでは全く低評価を受けている日本からも、上位50位以内に東京大学・早稲田大学・慶應義塾大学がしっかりとランクインしています。ボストン大学やカリフォルニア工科大学もアメリカでは「一流大学」と呼ばれる優秀な大学ですが、世界基準で見ても日本の一流大学の後塵を拝し、それが日本基準になればその評価はさらに低いものになることは容易に想像できます。州立大学レベルの学位は就職活動では「その他の大学」のカテゴリーに分類されてしまうでしょう。日本で正当に「一流の学歴」と評価されるには、少なくとも東京大学より上位にランキングされているアメリカの8大学(スタンフォード、UCLA、ハーバード、MIT、UCバークレー、ニューヨーク、コロンビア、プリンストン)での「実用的な学位」(経済学、経営学、法律、自然科学分野など)が必要となって来ます。それが「日本における現実の評価」と言えます。

さらに、就職をした後の評価はさらにシビアです。日本社会には強固な「学閥」が明確に存在します。

【上場企業の全役員の出身大学2018(役員四季報)】

慶應義塾大学 2,134人
東京大学   1,844人
早稲田大学  1,837人
④ 京都大学    923人
⑤ 中央大学    888人
⑥ 一橋大学    590人
⑦ 明治大学    584人
⑧ 日本大学    554人
⑨ 大阪大学    461人
⑩ 同志社大学   405人
(中略)
ハーバード大学   73人
スタンフォード大学 31人
ペンシルベニア大学 26人
コロンビア大学   22人

将来的に状況が少しは変わるとは思いますが、それを見越したとしても、世界の頂点を極めるハーバードやスタンフォードでさえ日本社会での影響力とは極めて小さいものです。「そもそも出身者の母数が異なる」「米国の超一流大学を出たら日本の企業になんか興味がないだろう」と言う意見がありますが、学閥が存在する以上は「絶対数」=「影響力」であり、日本の上場企業が海外大卒をトップに据えたと言うケースは未だ聞いたこともありません。米国で現地の一流企業のポジションをゲットしたとしても、そこで現地の「一流のネイティブ」との競争を勝ち抜くことは完全に不可能ですし、役員はおろか管理職になることすら叶わないのが現実でしょう。そうなると残る道は国内の外資系企業と言うことになりますが、国内の外資系企業はあくまで「日本支店」です。支店長は当然ですが本国から来た人間、そしてその支店が日本を撤退することも日常茶飯事です。どれだけ高報酬でも「支店」におけるポジションを転々とすることになりますし、日本の企業のように長期間勤務したら待遇やポジションが上がるというものでもありません。私たちが日本人である以上は結局、日本人が成功できるのは日本の企業だと言うことです。多民族が暮らす米国でさえ、アジア人が大企業のCEOを勤めることはほとんどありません。それは日本の企業が外国人に重要なポジションを与えない事と、全く同じことです。差別だと感じるかもしれませんが、現実は現実、当然と言えば当然です。学歴主義・民族主義と言うのは日本独自の習慣では決してなく、どの国でも同じです。ハーバードやスタンフォードなどの米国の超一流大学で学びたいのであれば、日本の学歴を取得した上で大学院留学をする方が、長期的な視点で見た場合は良いかも知れません。

「留学したい」「海外で学びたい」という気持ちは非常に誇るべきものですが、やり方を間違えると、それはマイナス評価になってしまうケースがあります。留学に行くことは「勉強であり挑戦」であって、決して「遊びや余暇」であってはならないのです。海外に勉強に行かれる方に、上記のような日本の社会の環境や、国内での留学に対する社会的評価も知っておいて頂ければ幸いです。

SSEAでは以上のような要素も考慮しながら、生徒様のご希望や将来の進路、就職を希望する業界なども踏まえた上で、その生徒様お1人がどのような進路を歩んだら最も良い方法で留学を成功させることが出来るかをご提案させて頂きます。考えてみて下さい。あなたは今、人事部に配属され就職活動生の集団面接を行っています。

Aさん:「高校卒業後、アメリカの語学学校に通ってTOEFLのスコアを上げ、コミュニティカレッジに入学してアメリカ文学史を勉強しました!アメリカに3年以上いたんです!TOEIC700点です!」

Bさん:「日本の国立大学で法律を専攻しました。特に企業における特許申請や知的財産に関する分野が専門です。夏休みに1か月、アメリカで短期の語学研修をした事があります。TOEICのスコアは800点です。」

Cさん:「大学生の時にイマイチやりたい事がなくて、卒業してオーストラリアに1年ワーキングホリデーに行きました!TOEICは560点でも、現地のカフェで毎日バイトしてたので直感的にコミュニケーションが取れるんです!」

Dさん:「私は帰国子女で英語が話せたので、その英語力でアメリカの州立大学に入って英語の言語学を専攻したので、私の英語は完璧なんです!日本では知られていないですけど、私の大学は世界大学ランキングで日本のほとんどの大学より上なんですよ!」

あなたが面接官なら、どの学生を次の面接に呼びたいと思いますか?

長くなりましたが、以上の情報がお読みになった方に少しでもご参考になれば幸いです。僕が初めての留学で滞在したアメリカ西海岸のサンタ・バーバラは、今でも僕には特別な場所であり、第2の故郷だと思っています。それは身についた英語や、忘れられない様々な出会いと経験に留まらず、それまで何となく受験をして、何となく大学に通っていた僕に「世界でやって行ける人間になりたい」と思わせ、それまで受け身だった意識を、目標を持った前向きなものに変えてくれた経験だったからです。人生のすごし方が、この町での経験で明らかに変わった、それほど大きな影響を受けました。サンタ・バーバラから帰国した僕はその後、狂ったかのように英語の勉強に没頭し、それが就職活動の成功や、英語力と言う一生ものの財産へと繋がりました。1人でも多くの方に、そんな特別な経験ときっかけを与えてくれる機会が留学なのだと知って頂ければと思います。一生の財産になり得る留学の機会が素晴らしいものになるように、このブログが少しでもお役に立てれば幸いです。

サンタ・バーバラでの留学時代の体験もブログにしています。ぜひ Santa Barbaraその1。からお読みください。また、当スクールの生徒様には、代表講師の経験を元にした留学のアドバイスや語学学校のご紹介なども行なっております。詳細につきましては、「提携留学先とサポート制度」ページをご覧ください。

当スクールのカリキュラムは、代表講師が留学とその後の英語学習で経験した学習法に基づいて構成されております。学習カリキュラムにつきましてはぜひ、「SSEAの学習法」のページや、ブログ「間違いだらけの英語学習」をご覧ください。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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Santa Barbaraその10。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

サンタ・バーバラでの初めての週末に、サンフランシスコへのデコボコ団での旅行で散々な苦労をし、帰宅後丸一日を寝て過ごした僕は翌日から再び語学学校のクラスに出席しました。

語学学校の廊下でマユミと遭遇すると、彼女は開口一番、「サンフランシスコ、大変だったんだって? みんなが凄い(僕が)しっかりしてた、って言ってたよ」、と話しかけて来ました。僕がしっかりしていたと言うより、「とんでもないメンバーが何人か混じっていた」のが正しかったと思いますが、マユミはマユミで大変な週末を過ごしたらしく、(彼女は以前にサンフランシスコに滞在していた経験があったので、僕らに同行せずホストファミリーとラスベガスへ行った)、「私はストリップに行きたいって言ったのに、ホストファミリーは全然話を聞いてくれなくて、ダウンタウンから離れたカジノにこもってずっとギャンブルに熱中してキャーキャー言っててさ…」と不満そうに話していました。(※ ストリップ:誤解を招く響きですが、ラスベガスの有名なホテルが集まるメインストリートのことです。)

<ラスベガスのストリップ。Venetian、Mirage、Bellagio、Millageなど有名ホテルが並びます>

1週間ほど後の話ですが、マユミが滞在していたホストの家はヒスパニック系だったらしく、家の中ではスペイン語ばかり飛び交っていて英語で上手くコミュニケーションが取れず、とうとう我慢出来なくなり彼女は泣きそうになりながら僕と一緒に学校の校長室へ行き、「ホストファミリーを変えて欲しい」と訴えたのですが、校長は「なんで?」と言うので、「ホストファミリーがスペイン語しか話さない」と言うと、校長は不思議そうに、「それの何が問題なの?」と返して来ます…

とてもおかしな話に聞こえるかも知れませんが、移民国家であるアメリカやオーストラリアでは実はよくあるケースで、行ってみたらホストマザーが日本人だったとか、インド系のホストで食事が毎日カレーだった、などと言う話もあります。向こうではホームステイで生徒を受け入れるのは「空き部屋を貸すビジネス」的な側面もあり、ホストファミリーには当たり外れがあるのが現実です。ただし、そう言ったケースを「外れ」と思うのは日本人のホームステイに対する過剰な期待と先入観にも原因があり、そういったケースも現地の文化の1部であり現実なのだと捉え、多民族が暮らす国の現状や、ホームステイの生徒をホストが受け入れている理由や事情を知ることも、良い勉強だと捉えるべきなのかな、と今では思います。語学学校にとってホームステイはあくまで「滞在場所の提供」であり、必ずしも現地のネイティブの家に滞在出来るという保証はありません。

とにもかくにも僕も反論し、「僕らは高額な費用をかけてアメリカに英語の勉強に来たのだから、ホストファミリーは英語を話すべきだ!」と強く言ったのですが、校長は「そうね、考えておくわ」と言ったきり、結局最後までうやむやにされてしまっていました。マユミも最後の方には諦めて、自力で留学生活を充実させようとしていたのは、留学生として褒められるべき姿勢だったと言えるでしょう。

僕は語学学校の新入生歓迎のクラブパーティの際に、マユミとサンディエゴへ一緒に行く約束をしていたので、その週は身近な仲間と週末にサンディエゴと、隣町であるメキシコのティファナを訪れる計画を練りました。僕が唯一自力で仲良くなった外国人であるドイツ人のアンドレアも一緒に行きたいと言ってくれたので、メンバーは僕とマユミ、ナギサ、ナツコ、ミチコとアンドレアの6人となりました。厄介なメンバーが入らなかったのは大いに良かったのですが、アメリカで運転が出来るメンバーは僕1人であったため、「どうやって行く?」と一応聞いてはみましたが、みんなやはり車が良いとの意見になり、車でサンディエゴへと向かう事になります。

<サンディエゴ旅行のメンバーたち>

ホテルは学校のアクティビティのコーディネーターであるダンが予約を入れてくれ、車はミチコのホストマザーが予約をしてくれました。実はサンタバーバラに留学に行く前に父親に、「アメリカで運転をしないように」、と言われており、国際免許証も持たずに現地へ行ったのですが、何故か現地では日本の免許証を見せれば車をレンタル出来たので、僕もサンフランシスコの惨劇を切り抜けたと言う過信から抵抗もなく運転を引き受けてしまいました。(実は国際免許証と言うのは免許証の「翻訳文」と言う位置付けで、有効なのはあくまで「日本の免許証原本」であるため、留学生に慣れているサンタバーバラのレンタカー会社はだいたい、日本の免許証を見せると車を貸してくれました。ですので逆に、国際免許証だけで車を貸してくれる会社はありません。)

こうして滞在2週目の週末は、サンディエゴとティファナへの旅へと続いて行きます。そこにも幾つかのトラブルが待ち受けていましたが、続きは次のブログにてご紹介致します。

To be continued.
Santa Barbaraその11。へと続く。

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Santa Barbaraその9。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

道に迷うわチャンさんとコミュニケーションは取れないわで散々苦労してサンフランシスコにたどり着いた僕らでしたが、部屋割りは当然男性2人と女性4人ということになり…僕は部屋でチャンさんと2人きりの時間を過ごすことになりました。疲れていたので、二言三言会話しただけで寝てしまいましたが…。女性陣は女性陣で、誰がヒデコさんと同じベッドで寝るかで揉めたそうでした。

翌朝、ユニオンスクエアでRと待ち合わせた僕らはまずチャイナタウンに向かいました。Rは相変わらず日本語で女の子としか会話しません。一方のチャンさんはと言うと、ヒデコさんに話しかけるのですが、ヒデコさんは嫌がって話そうとしません…歳が近いのだから上手くコミュニケーションを取ってくれれば良かったのですが…結局僕がチャンさんの担当になって行きました。

チャイナタウンで飲茶ランチをして、ケーブルカーでフィッシャーマンズワーフへ向かう頃には雨が降りはじめ、デコボコ団には暗い空気が漂い始めました。それぞれが違う方へ歩こうとするので、僕はチャンさんの相手をしながら、そっちじゃない、あっちだ、などと徐々にガイド的な役割をしなければならず…フィッシャーマンズワーフではチャンさんが突然、高価なカメラを品定めし始め他のメンバーが文句を言い始めたので、僕はチャンさんにこんな所でカメラを買わないでくれと説得するハメに。お店の人を少し怒らせてしまったもののなんとかピア39まで辿り着いた所で、今度はRが無神経にも僕に向かって、「なんだ、サンフランシスコってこんなもん?つまんねー」と吐き捨てます…

<雨のサンフランシスコ>

「俺はお前のガイドじゃねーよ」と1人チャンさんの相手をしながら苦労していた僕は怒りが限界に達して、ビア39で一時解散することにしました。Rはナツコに「マイシスター!一緒に行こうぜ!」と去って行き、チャンさんとヒデコさんはそれぞれ1人でどこかへ行ってしまいました。僕は残った2人としばしの休息タイムを過ごし、数時間後に集合してダウンタウンに戻って夕食を食べたのですが、Rが前日に行ったというレストランのマズさと言ったらありませんでした…

Rは翌日は友達と会うから別行動となり、ユニオンスクエアで別れてモーテルへ戻り、サンフランシスコの初日が終わりかけた頃、ナギサが少しずつ僕を助けてくれるようになって来たのが唯一の救いでした。モーテルに戻るとチャンさんが部屋でみんなで一緒に飲もうと提案して来ました。しかしみんな疲れていたのか、誰も応じようとしません…しょうがない、また僕が付き合うか…と諦めかけた時、ナギサが私も付き合うよと言ってくれたため、3人でしばし韓国の話などをして過ごしました。

<グランドハイアットのラウンジからの眺望>

翌朝ナギサが「女の子たちはショッピングしたいって言ってるよ」と耳打ちしてくれたので、ダウンタウンで解散することにしたのですが、その頃にはチャンさんも味方は僕1人と悟ったのか一緒に行こうと言って来たため、彼と2人でショッピングしたあと、グランドハイアットホテルの展望ラウンジで(チャンさんのみ)お酒を飲みながら時間を過ごしました。

<ゴールデンゲートブリッジにてチャンさんと>

午後は車でゴールデンゲートブリッジを訪れましたが、その頃にはチャンさんも自分が運転するとは言わなくなっていました。その後対岸の小さな町サウサリートを散策して夕食を食べ、ツインピークスから夜景を楽しんだ僕らはRと合流して、夜中の運転でサンタバーバラへ戻ったのですが、途中Rが運転していた時にまたアクシデントが…

休憩しようとしたのかフリーウェイを降りたのですが、周囲には何も無く諦めた時…Rが、フリーウェイの入口が見つからないと騒ぎ始めました…
「何やってんだコイツ…」と思いましたが精魂尽き果てていた僕は放っておいたのですが…追い詰められたRはとんでもない行動に出たのです…
「出口から(逆走して)入るしかねーべ」と言うのです…みんな「うそー!?」という反応していましたし、僕も本気かコイツと思いましたがハンドルを握るRは「しょうがねーべ」と言って…本当に出口を逆走し始めたのです…

対向車が来たらもちろん正面衝突、警察に見つかれば捕まる暴挙でしたが、運良くフリーウェイに戻り、Uターンして本線に戻れはしましたが…コイツとは2度と行動は共にしないと僕は心に誓いました…

こうしてトラブルだらけのサンフランシスコ旅行は幕を閉じましたが、朝にサンタバーバラに到着して全員を家に送り届けた僕はもう1日ベッドから起き上がることが出来ませんでした。今でこそ良い思い出ですが、後にも先にもこれだけ悲惨な旅行は記憶にありません…ただ車を運転出来るとみんなに思われた僕は調子に乗って、翌週はサンディエゴ、翌々週はロサンゼルスへと車を走らせることになります、そこにまたトラブルがあるとは思わずに…

続きはまた次のブログにて

To be continued.

Santa Barbaraその10。へ続く

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Santa Barbaraその8。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

初めての留学も1週間が経ち、金曜の午前中のクラスを終えた僕らは、レンタカーでサンフランシスコへ向かうことになりました。メンバーは、僕、ナツコ、ナギサ、ミチコ、ヒデコさん、チャンさんとRの、大所帯かつデコボコな7人でした。このデコボコ日本人6人と韓国の大学の先生と言う組み合わせがまた最悪で、ミチコが出発前に、「チャンさんが日本語では話さないで欲しいと言っている」とみんなに言うのです。確かに1人だけ韓国人で孤立してしまうのは分かりますし、留学に来ているのだから英語で話すべきなのは分かりましたが、何しろ僕らは英語初心者なうえに日本人同士なので、英語で全てのコミュニケーションを取ることにムリがあります…特にRは全く英語を使おうとせず(正確には能力もありませんでしたが)、お構いなしに日本語で恋バナに花を咲かせ始め、チャンさんが段々不機嫌になって行くのを感じた僕はどうしようもなくただ黙っているしかなかったのですが…

<チャンさんは韓国の大学の英語教師>

運転はまずチャンさんが担当し、疲れたら僕とRが変わることになりました。しかしサンタバーバラの町中から早くもアクシデントが始まります。チャンさんは韓国では同じ右側通行なのだから運転は大丈夫だろうと思っていたのですが、右折の赤信号に止まったまま動こうとしません…(アメリカは信号が赤でも安全なら右折して良いと言う)交通法規の違いを知らずに、後ろの車からクラクションを鳴らされてしまっているのですが、彼は赤なので何が悪いのかと混乱するばかり…さあ、この交通法規の違いを英語で説明するのが大変です。僕はつたない英語で何とかチャンさんに理解させたのですが、他の日本人は一切英語を話そうとせず、僕はこのグループの組み合わせに無理があったと猛烈に後悔しましたが今更どうしようもなく、1人でチャンさんと奮闘する羽目に…後ろで呑気に日本語で恋バナをしているRには特に頭に来ましたが、もちろんアクシデントは1回で済むはずはありません。

サンタバーバラからサンフランシスコへはほとんど一本道なので最初は3人で交替するだけで良かったのですが、サンフランシスコに近づくにつれて、「誰が道を知っているんだ?」という疑問が湧いて来ました。僕は地図を持っていましたが、チャンさんは地図も見ずに走り続けたかと思いきや、サンフランシスコの手前で突然フリーウェイを下りてしまい…そして…そう、道に迷ってしまいました…あたりがちょうど暗くなる頃に…

とりあえずガソリンスタンドに車を止めて会議を始めたのですが、チャンさんと話すのは僕1人…Rは無責任に僕に向かって、「おい、頼むよ、あいつ(チャンさん)全然話を聞かないんだよ」などと言って来ます…
「それはお前が英語で話さないからだろ」と僕は心の中で思いましたが、僕はもうこいつらと話しても無駄だと思い、ガソリンスタンドのスタッフに「ここはサンフランシスコか?」と聞いたところ、「ここはサンノゼだよ」と…どうやらチャンさんは違う町でフリーウェイを下りてしまったようでした…

<サンノゼとサンフランシスコの位置関係>

全てを英語で話すのに疲れた僕は、チャンさんに地図を持たせ自分で運転することにしました。刻々とモーテルのチェックイン締め切りが迫る中、メンバー全員が異国の地での迷子に沈黙していたのは逆に救いだったのかも知れません…何とかフリーウェイに戻り、地図を見ながら1時間ほど走ったでしょうか、僕らは締め切りの直前にモーテルにたどり着きました。サンタバーバラから8時間はかかったかも知れません…

<宿泊した町はずれのモーテル>

Rは別のホテルを予約していたためモーテルで別れましたが、翌日ユニオンスクエアで待ち合わせになってしまいました。彼と別れたあと車で周りを走り、何とか見つけたお店で夕飯に食べたタイ料理が何とも美味しかったというかホッとしたというか…しかし翌日からも僕はチャンさんとRとヒデコさんとの間で振り回されることになります。続きはまた次回のブログにて…

To be continued.

Santa Barbaraその9。へ続く

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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Santa Barbaraその7。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

新入生歓迎のクラブパーティの翌日、僕は語学学校の初日のクラスに臨んだのですが…レベル6というのは7段階あるクラスの上から2番目で、他の生徒はみな間違いだらけの文法ながら流暢に英語が話せガンガン発言する中、僕は先生の発する単語が所々聴こえる…といった状態で、当然発言など出来ませんでした。”Please underline…”というフレーズが聴き取れるようになるまで丸々一時間を要し、この先のクラスが不安なまま初日のクラスを終えました。

<Vicky達とランチに行ったチャイニーズレストラン>

午前中のクラスが終わると、昨夜に知り合ったVickyや他の日本人たちが一緒に中華のランチを食べると言うので僕も参加したのですが、そこで週末はどうするという話になり、何人かの仲間でサンフランシスコへ行こうという話になったため、翌日学校のアクティビティのコーディネーターであるダンに相談してみることにしました。

<サンフランシスコ旅行のデコボコメンバー>

この時のメンバーは僕と、ナツコ、ナギサ、中華のランチで知り合った奈良の大学生のミチコ、ミチコと同じ家に滞在していた韓国の大学の先生チャンさん、僕と同じクラスに入った村田製作所に勤めるヒデコさんという中年の女性…と、なんともデコボコなメンバー構成だったのですが、この韓国のチャンさんとのコミュニケーションが何とも大変でした。彼はサンフランシスコへレンタカーで行くことを主張し譲りません。サンタバーバラからサンフランシスコへは車で片道6〜7時間もかかるうえに(約540km:東京~神戸間に匹敵する距離です…)、坂が多い町で駐車場が少なく、車で動くには不向きな町なので(訪れた経験のあった)僕は散々反対したのですが、結局押し切られてしまいました。韓国は年長者が絶対の文化なのに加えてアメリカと同じ右側通行なので、運転に根拠の無い自信があったのかも知れません…。ダンにその意向を伝えると彼はレンタカーと町はずれのモーテルを予約してくれたのですが、そのモーテルには20時までにチェックインしなければならず、昼まで授業を受けた後に本当にたどり着けるのか、英語力から来るコミュニケーション不足も手伝って僕はこのグループでの旅に猛烈な不安を覚えたところに、このデコボコ団に更なる混乱をもたらす奴が現れます…

<7人乗りのレンタカー>

ダンとの話を終え帰宅しようとした所に現れたのは…そうあの世田谷の留年大学生Rです…
「おう、週末はどこ行くんだ!?」
と聞かれ、僕は既に嫌な予感がしていました…誰かがサンフランシスコへ行くんだよと答えるとRは図々しく、
「俺もサンフランシスコ行くんだよ!一緒に行こうぜ!」
と持ちかけて来ました。僕らは英語でチャンさんと散々揉めてレンタカーとモーテルの手配をして来たのだし、お前は1人なんだからこの場合、「俺も混ぜてくれ」の間違いでは無いのかと僕は心の中で思いましたが、断る訳にもいかず誰かがOKしてしまい、この超自己中心的なRと話を聞かないチャンさんとその他デコボコ団をまとめるのに僕は嫌と言うほど苦労させられることになったのです…その続きは次の機会にご紹介致します。

To be continued.

Santa Barbaraその8。へ続く

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Santa Barbaraその6。

ここでは僕が2001年の春に初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、「Santa Barbaraその1。」からお読みください。

語学学校でクラス分けテストを終えると、その夜は地元のクラブ「zero」での新入生歓迎パーティーがあったのですが、夜はバスもないため、移動手段のない生徒は参加出来ません。僕は帰宅すると、アグネスが「パーティーに行こう」と誘って来ます。寝不足だった僕は夜遊びに抵抗があったのですが、アグネス様の誘いを断われる訳もなく、夜のクラブでのパーティーに参加することになりました。

アグネスはバッチリ濃いめのメイクに強い香水を身につけ、気合い十分と言う感じに僕はまず圧倒されました。「これが欧米のクラブパーティーなのか」と、日本ですらろくろくクラブには行かない僕は、貴重な体験に少しワクワクしていました。

しかし…インターナショナルなクラブパーティーは僕の予想の遥かに上を行っていました。生徒は南米出身者がラテンのノリで踊り狂っていて、ビール瓶を割る音がダンスフロアからガッシャンガッシャンと聞こえて来ます…とても日本人が入って行けるノリではなく、日本人の新入生は入り口で固まって中を覗くのが精一杯の状態…

その固まった新入生の中に、1人、台湾人の女の子がいました。彼女はVickyと言う子で、やはりダンスフロアに参加出来ずに様子を伺っていました。する事の無かった僕は彼女に話しかけてみることにしました。

<クラブパーティーは南米のノリ>

僕の出来る英語と言えば、”Where are you from?”とか、”What’s your name?”とか、頑張っても”Do you have a boyfriend?”ぐらいのものでしたが、彼女も新入生で英語が上手くは無かったのを覚えています。すると彼女は紙にペンを出して、福山雅治(誰だったかは忘れた)など日本の有名人の名前を漢字で書き始めました。前日にハウスメイトのユンと話した時も感じたことですが、こちらは何も知らないのに、向こうは日本の事を良く知っている、と驚きを感じました。

兎にも角にも筆談でコミュニケーションを取っているうちに、何人かの新しい日本人とも話すことが出来ました。特にマユミとナギサの2人とはこの留学中、週末などを旅行で一緒に過ごす事になります。
マユミが「誰か一緒に、サンディエゴに行かない?」と言ったので、サンディエゴの隣町、メキシコのティフアナに行きたかった僕は一緒に行く約束をしました。ダンスには参加出来なかったものの、新しい仲間とつたないコミュニケーションを楽しんだ僕は、アグネスが帰るまでクラブパーティーを楽しむことが出来ました。

<アグネス、ヴィッキーと新入生たち>

帰りの車の中でアグネスが、「お前は日本人と日本語しか話さない」と言って来たので、僕は台湾人と英語で話したんだと反論しました。思えばアグネスに反論出来るくらい、英語にも慣れて来ていました。それも全て、アグネスにパーティーに引きずり出されたおかげだったのかも知れません。

翌日、Vickyや他の日本人たちとランチをして、最初の旅行で大変な思いをしたサンフランシスコへの週末旅行へと進んで行きます…続きはまた次の機会に。

Santa Barbaraその7。へ続く

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レンタカーが、パンクした。

2006年の10月から11月にかけて、僕は会社を退職して少し休暇を取り、2001年に初めての留学で滞在したアメリカ西海岸の小さな町サンタバーバラに、6週間ほど滞在することにしました。今日はその滞在中に休日旅行でサンフランシスコを訪れた際のトラブルについて書きたいと思います。

滞在はホームステイで、僕のルームメイトはセバスチャンというフランス人だったのですが、そのセバスチャンにThanks Givingの翌日からの休日を利用してサンフランシスコへ仲間と行くから、一緒に行かないかと誘われました。僕はセバスチャンと非常に親しかったのでもちろんOKしたのですが、何と全員合わせると10人以上のグループになると言います。そんな大勢で一緒に行動出来るかな…とは思いましたが、なるようにしかならないだろう、と成り行きに任せることにしました(苦笑)

Thanks Givingの翌日、ダウンタウンのバスディーポに集まったのは、フランス人、ベルギー人、ドイツ人、トルコ人、韓国人、日本人、そして誰の知り合いなのか地元のアメリカ人を含む多国籍軍でした。アメリカ人の車1台に乗り切れる訳もなく残り2台をレンタカーする予定だったらしいのですが、何と予約をしておらずレンタカー会社には車が1台もありません…本当にたどり着けるかな(苦笑)と思いましたが、3時間ほど待ってようやく返却された車2台を借りることが出来ました。1台をトルコ人2人、もう1台を僕とセバスチャンが運転することになりました。僕らの車は韓国のKIAというブランドの小さな車だったのですが、3台で高速に入るとアメリカ人とトルコ人の運転の荒さが尋常ではなく、僕らの小さな車はエンジンの大きさからとても付いて行けず、いきなりはぐれてしまいました。かくして僕とフランス人2人、韓国人の女の子の4人での旅が始まったのです。

<レンタカーのKIAと多国籍軍>

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サンフランシスコでは他の車と合流したり、はぐれたりしながら観光しましたが、基本的には僕とセバスチャン、フランソワ(フランス)、ジェニファー(韓国)の4人(と時折ベルギー人のステファニー)での行動になりました。観光は充実していて色々な思い出が出来ましたが、最後サンタバーバラへ帰る日は残念ながら雨に降られてしまいました。そしてこの雨のハイウェイでの帰路にてかつて経験した事もないトラブルが起こります。

<左からジェニファー、ステファニー、セバスチャン、フランソワ。多国籍軍は最後までまとまりませんでした>

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サンフランシスコで他の車たちと別れ、サンタバーバラへ帰る高速道路を僕は運転していたのですが、ちょうど半分くらい来たあたり(SF-SB間は車だと約6~7時間)で、車が突然ガタガタと揺れ始めました。その揺れはかなり激しくハンドルも右に左に取られる感じがしたので、僕は経験が無いながらも薄々「タイヤがパンクした(got a flat tire)」のだと気付きました。高速を降りて車を止めると、見事に右前のタイヤがペチャンコに…付近は真っ暗で助けを求めようにもガソリンスタンドひとつ見当たりません。途方に暮れた僕らは相談した結果、スペアタイヤに交換しようと言う結論になったのです…

セバスチャンがタイヤの交換の経験があったので、スペアタイヤをトランクから出してジャッキアップまでは出来たのですが、タイヤのナットが固くどうしても外す事が出来ません。灯りもなくデジカメの液晶の明かりで照らしながら雨の中格闘しましたが、どうにもならず途方に暮れていると、ジェニファーが通りかかった1台の車に助けを求めました。親切なアメリカ人のおじさんは僕らがタイヤが交換できずにいることを知ると手伝ってくれ、僕に運転席でブレーキを踏む(Step on the brake!)ようにと言いました。そうして格闘すること15分、なんとかおじさんの助けでタイヤを交換することができ、親切なおじさんはお礼を言う間も無く行ってしまいました。かくして僕らは交換したタイヤでそろそろと走りながら、サンタバーバラへ帰り着くことが出来たのです。

翌日レンタカーを返却する際に、頭に血が上りやすい僕はカウンターで散々クレームを付けました。寒くて暗い雨の高速でタイヤを交換したんだと言うと、彼らは交換したタイヤを見て申し訳ないと言ったあと、レンタカー代は半額にすると言いましたが、次からパンクした際はロードサービスに電話したら良いと言うのです。しかしナビも付いていなかった当時、550キロはあろうかと言うSF-SB間(東京~神戸間に匹敵する距離です…)のどこにいるか分からないと言ったら、果たして彼らは何時間以内に来てくれたのでしょうか…親切に手伝ってくれたアメリカ人のおじさんにお礼を出来なかったのが悔やまれます…それ以前に、パンクするようなレンタカーを扱わないで欲しいと思います、Enterprise Rent-A-Car…(アメリカでは割と大手で1番安いのですが、もう使う気になれません…)

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皆さんもパンクした際にロードサービスに電話をする際に必要なこの単語、ぜひ覚えてください。

We got a flat tire! 「タイヤがパンクした!」

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Santa Barbaraその5。

ここでは僕が初めての留学で滞在したアメリカ西海岸の小さな町、サンタ・バーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方は、Santa Barbaraその1。からお読み下さい。

滞在3日目。前日に深夜までアグネスたちと夜遊びをした僕はアラームが鳴っても起きることができず、クリストフの”Could you stop the alarm!?”(アラームを止めてくれ!)の一言で目を覚ましました。もちろん寝不足ですが、この日は初めて学校へ登校する日でした。眠い目をこすりながらキッチンへ行くと、ホストマザーのカレンがコーヒーを入れてくれ、「今日は学校の初日だから、私が車で連れて行くから」と言いました。僕は前日にアグネスと一緒に登校する約束をしていたのでそう伝えると、彼女も一緒に乗って行けば良いと言ってくれました。アグネスと車に乗り込み学校へ向かって出発すると、ユンが1人バス停に向かって歩いていたので、彼女も乗せてあげたら…とは思ったのですが英語の下手な僕は言い出すことが出来ず、そのままアグネスと2人で学校へ向かいました。

学校に到着すると、新規の入学生はロビーで入学手続きを待っていたのですが、そこで一度目にしたことのある日本人を発見しました。彼の名はR(彼の名誉のため本ブログではこう呼びたいと思います)と言い、ロサンゼルスからサンタバーバラへのフライトで同じ飛行機に乗っていて、サンタバーバラの空港で話しかけてみようかと迷っているうちに出迎えのホストファミリーに連れて行かれた男でした。何しろアメリカに着いて日本語に全く触れていなかった僕は、藁をもつかむ思いで彼に話しかけたのです。「あの、飛行機で一緒でしたよね」と言うと彼はぶっきらぼうに、「ああ、そうですね」と答えました。「どこから来たんですか」と続けて尋ねると、彼は自慢げに「東京の世田谷でございます」と言いました。「世田谷ってわざわざ強調する必要、あるのか?」と、僕はちょっと嫌な感じの奴だなと思いましたが、何しろ日本語に飢えていた僕はしばらく彼と話すことにしました。週末は何をしていたのか尋ねると、「何もすることなくてさー、家の中でタバコ吸ったら外に追い出されちゃってさー」などと言い、「あたりまえだろ、許可も取らずに吸ったのか?」と僕は内心呆れました。さらに話を進めると彼は23歳であることが分かり、どこの大学へ行っているのか尋ねると「成城大学の3年でございます」と言ったので僕はうっかり、「23歳で3年生?」と突っ込んでしまうと彼は怒って、「うっせーな!2ダブだよ!(2年留年している)」と吐き捨てました。どうやら高いであろう彼の安っぽいプライドを傷つけてしまったようでした(笑)。

こんな日本人しか留学に来ないのかと若干ガッカリしながら教室に移動して、僕ら新入生はレベル分けのための入学テストを受けました。その後学校のスタッフがお昼ご飯を買いに近くのスーパーへ連れていってくれたのですが、その時ちょうど雨が少し降って来ました。傘を持っていなかった僕はそのまま歩いていると、小さな日本人の女の子が親切に傘に入れてくれました。彼女の名はナツコと言い大阪の大学でフランス語を専攻している子でした。「良かった、良い日本人もいるんだな。この子と友達になれば良いや」と思って僕は大分ホッとしたのですが、お昼を食べた後のクラス分け発表で小さな事件が起こります。クラスは7段階で、下の方のクラスはほぼ全員が日本人なんて所もあったのですが、僕のクラスの所にはなんと Level 6 と書いてあるのです…「ああ、下から2番目…じゃない!上から2番目!?全然話せないのに!?」と僕は愕然としてしまいました。いきなりレベル7に入る新入生はいなかったので、新入生としては1番レベルの高いクラスに入ってしまったのです…実はこれは日本人に良くあるケースで、ヒアリングとスピーキングは全くできないのに文法とリーディングが得意なので、実力とかけ離れた点数が取れてしまうと言う…かくして僕は実力に分不相応なレベルの高いクラスに入って授業を受けることになってしまいました…。

<一緒に入学した新入生。半分くらい日本人だった気がします>

クラス発表が終わりオリエンテーションを受けて、初日の学校は終わりでした。僕はもうRのことは忘れて(笑) ナツコと他の日本人や外国人たちと帰宅するためバスディーポに向かって歩き始めたのですが、その中に1人のドイツ人の女の子がいました。彼女の名はアンドレアと言い、この留学で僕が唯一、自分の力で仲良くなった外国人だったかも知れません。どういうきっかけで彼女と会話を始めたのか定かではないのですが、僕が下手くそな英語で、前日バスを降りられず”Help me~”だったんだよと言うと彼女は大笑いして、僕に親しみを感じてくれたようでした。このバスの失敗談で彼女と仲良くなれましたので、今思うと週末のドタバタも無駄ではなかったのかなと思います。アンドレアのルームメイトは日本人でその時一緒に歩いていたのですが、彼女は全く英語ができず、アンドレアにどうやって家に帰るつもりなのか聞いて欲しいと僕に行ってきました。「レベル6、頼むよ!」などと言われ若干ムッとしましたが、アンドレアは歩いて帰ると言ったのでそう伝えると、その子は右も左も分からずアンドレアにただついて帰って行きました。補足するとその子はその後も英語を全く話そうとせず、ルームメイトであるアンドレアとトラブルになり、それがホストファミリーとのトラブルに発展し、とうとうホスト先の家を追い出されて退廃的なモーテル暮らしをすることになります。2~3週間後にその子に再会した際は、この時のような失礼なテンションは影をひそめ、げっそりやつれて別人のようになっていました…。アンドレアから事の成り行きを聞いていたので同情はしませんでしたが、英語を話さなければ留学は必ずしも華々しいものではないという典型的な事例だったかと思います。

<唯一自力で仲良くなったアンドレアと学校のソファーにて>

ナツコとバスディーポで別れて帰宅した僕はクリストフとテストの話になり、クラスはどうだったと聞かれたのでレベル6に入ってしまったというと彼はもの凄く驚いて、”Level 6!? Are you level 6!?”と何度も聞き返していました(苦笑)。それもそのはずで、英語がペラペラなクリストフは実はレベル5で、僕より下のクラスだったのです。日本人はテストだけは得意だというパターンを思いっきり証明してしまいました。同じく英語がペラペラだったユンでさえ、僕と同じクラスだったのですから、その後僕がどれほどクラスで貝になったかご想像に難くないかと思います(苦笑)

その日の夕飯を食べた後、僕はアグネスに連れられて新入生歓迎のクラブパーティーへと、2日連続の夜遊びに出かけることになります。続きはまたの機会にご紹介したいと思います。

To be continued.

Santa Barabaraその6。へ続く

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Santa Barbaraその4。

ここでは僕が初めての留学で滞在したアメリカ西海岸の小さな町、サンタ・バーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方は、Santa Barbaraその1。からお読み下さい。

滞在2日目、ダウンタウンに2往復し疲れ果てて昼寝をした僕は夕飯の時間に目を覚ましました。「まさか今日もホットドッグじゃないだろうな…」と思いつつ廊下へ出ると、ちょうどアグネスと、初めて見るアジア系の女の子と遭遇しました。彼女の名前はユンと言い、韓国の女子大の最高峰である梨花女子大学(Ewha/イファ女子大学)の学生で、アグネスのルームメイトでした。歳はたしか23歳で、僕より2つ年上だったと思います。(脱線しますが、梨花女子大学は日本で言うと、お茶の水女子大の優秀さと、フェリス女学院や聖心女子大、白百合女子大のようなお嬢様大学のブランドイメージを併せ持つ、最強の女子大だそうです。ユンはその事を誇りに思っているようで、授業のスピーチでも話していました)

「この家にはいったい何人留学生がいるんだ…」(実際には彼女が最後で、居候のボルツと僕を含めて5人)と思っているとアグネスがユンに、「日本から来た新しいやつだよ」と紹介してくれました。ユンは僕に挨拶をすると、僕がどこの大学に行っているのか尋ねて来たので、僕が早稲田大学だと答えると、アグネスに向かって“Wow, he is one of the smartest students in Japan!”(彼は日本の最も優秀な学生の1人よ!)と言いました。アグネスは「だから何?」みたいな反応をしていましたが(笑)僕が下手くそな英語で、”You know well about Japan.”と言うと、彼女は「もちろんよ、トウダイ、ワセダ、ケイオウでしょ?」「私の日本人の友達はワセダを卒業して、東京三菱銀行で働いているわよ」と話してくれました。この時僕は初めて、「(当時はですが)日本人はアジアの国のことはほとんど知らないのに、向こうは日本のことを良く知っている」ということに気が付きました。ユンは優しい穏やかな性格の子で、そのあと僕とアグネスの夕食を作ってくれました。(おそらく初めての留学ではなかったのだと思いますが)ユンは英語も上手で、母親が働きに出ていて家で一人で過ごしていた小さな娘のミシェルと、“Michell, do you want to play with me!?”と言ってよく遊んであげていて、僕はただただ「すごいなあ…、それに比べて自分は…」と感心するばかりだったことを覚えています。

<右から、アグネス・クリストフ・ユン・ボルツ、2列目は、左がホストマザーのボーイフレンドのスティーブ・ホストマザーのカレン、最前列が小さな娘のミシェルと若かりし頃の僕です。他にもう1人小学生の息子もいました。アメリカってもう家の中がカオス状態ですよね(笑)>

Santa Barbara (90)

夕飯を終えて部屋に戻ると、ルームメイトのクリストフは携帯で何やら話しながら爆笑していました。クリストフは長期の留学生だったので現地の携帯電話を持っていて、「ずっとアメリカにいたら、あんな風に電話でペラペラ喋れるようになるのだろうか…」と僕はいつも思いました。彼が電話を終えたあと少し語学学校の話になり、僕が「どうやって学校に行くの?」と聞くと、彼は自分の車を持っているからそれで行くんだと言いました。彼は確か26歳くらいで、その歳になっても欧米では長期留学や勉強が続けられることを、僕は驚いて日本とはずいぶん事情が違って羨ましいと感じたのを覚えています。明日からやっと学校だな、なんかもう1週間は経ったみたいな気分だ…早めに寝ようかなと思っていると、アグネスが部屋を訪ねて来て僕のことを呼びます。なんと、今からボーリングに行くから一緒に来いと言います(笑)「今から!?明日は学校の初日だし、もう夜の9時すぎじゃん!」と思ったのですが情けない僕はやはり断ることが出来ず、かくしてボルツと3人でまたまた夜の町に繰り出すことになったのです(苦笑)ちなみに、ユンは週末の旅行で疲れたからと言ってちゃんと断ったとか。そりゃそうですよね(苦笑)

<ルームメイトのクリストフはベルギー人。いつも家のパソコンを占領し、当時流行ったアメリカのコメディドラマ「フレンズ」を見ては爆笑していました>

まあ、夜とは言えボーリングなら平和なもんだろうと思っていたのですが、アメリカのボーリング場は日本のそれとは似ていて非なるものでした。ボーリング場の中にお酒を飲めるバーがあって、みんなお酒を飲んでいます。最初はただ平和にボーリングをしていましたが(やはり、2人とももの凄く下手でしたが。笑)、突然ボーリング場が暗くなり、大音量でミュージックが流れ始め、みんなお酒を飲んで踊りながらボーリングをしています…実際は暗いのでもうボーリングどころではなく、ほぼ日本でいうところのクラブのような状態です。「アメリカに着いてまだ学校にも行っていないのに、早くもとんでもない夜遊びと不良生活に巻き込まれてしまった…(汗)」。アグネスの外見のインパクトも手伝って内心「なんだかヤバい…いいのか、これで?」と戸惑いの方が正直大きかったのですが、英語も出来ないしアグネスの車で来ているのでもちろん帰ることもできず、ただただ流されて行く自分がそこにいるだけでした(苦笑)。途中でボルツが「バーに行って一緒に飲もう」と言って僕をバーに連れて行きました。アグネスを放置してるけど、いいのか?と思いながらバーで30分以上過ごしたでしょうか…、当時僕は21歳の誕生日の前でカリフォルニアではまだ飲酒が出来ず、オレンジジュースでボルツの話をただただ聞いていた(喋れないし、聞き取れないし、さらにクラブ状態なので音も聞こえないので、正確に表現すると「ただうなずいていた」)のですが、ボルツは酔っているのでもう何が何だか分からない状態に(苦笑)タイミングをみてボルツに「そろそろ戻った方が良くない?」と言って何とか連れ戻し(これだけでも当時の僕には大仕事です…)、またしばらくボーリング?をして、家に帰り着いたのはもう深夜1時半を回った頃でした…「どうしてユンとクリストフが断ったのか」分かった気がしました…繰り返しますが、前日に米国に着いてまだ学校にも行っていません(笑)。部屋に戻る直前にアグネスは“Do you want to go to school with me?”と言ってくれました。もちろん僕が断れるわけもなく(苦笑)

<アグネスと2ショット。毎朝一緒に学校へ行き僕はずっと彼女の「舎弟」状態でした(笑)>

Santa Barbara (10)

すべては僕が英語を話すことも、自分の意思を伝えることも出来なかったのが原因ですが、不良生活に引き込まれたと思うと同時に、どこかそれまで感じていた絶望的な孤独感を忘れている自分がいました。とにもかくにも、日本とはいろんな意味で(笑)全く異なる生活と仲間に囲まれて、その夜に少し留学生活に期待と前向きな気持ちを持ち始めることが出来たのは、今思うとすべてアグネスに救われたからだと思います。続きは、またの機会にご紹介したいと思います。

To be continued.

Santa Barabaraその5。へ続く

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Santa Barbaraその3。

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滞在2日目、ダウンタウンでホームシックになり暗い気持ちでステイ先の家に戻って来た僕は、家の前で車の運転席に座るアグネスに遭遇しました。”What are you doing?”とアグネスに聞かれた僕は家に帰るところだと答えると、彼女は”Do you want to come with us?”と、どこへ行くのかも説明せずに言って来ます。(説明しても僕が英語を理解出来ないと思ったのかも知れませんが…)正直、ダウンタウンへの往復で精神的に打ちのめされた僕は人と関わるのが怖くなり1人になりたい気分だったのですが、断ることも出来ずに戸惑っていると、アグネスは一緒に来いと言いました。そして僕は半ば無理矢理に、さっきまでいたダウンタウンに再び連れ出される事になったのです…

<Santa Barbaraのダウンタウンは静かで落ち着いた雰囲気>

車に乗ると助手席には初めて見る白人の男性が座っていました。彼の名はボルツと言うラトビア人で、実は僕と同じ家に滞在していたのですが、僕が彼の聞き慣れない名前や国の名前を分からないといった表情をしていると、パスポートを見せて教えてくれました。ですが彼は学校には行っていないと言うのです。「いったい彼は何者なんだろう…そしてアグネスは留学生なのにどうして車を持っているのだろう…」と不思議に思いましたが、英語力のない僕はそれ以上突っ込んでは聞く事が出来ませんでした…。後から分かったのですが、彼は語学学校でのコースを終了したにも関わらず勝手にステイ先に滞在し続けていたのが問題になり、追い出された家からアグネスが連れて来て、僕らのステイ先の家のリビングに(当然部屋はないので)居候していたのです。僕がステイしていた家は相当にオープンなホストだったと思います…(笑)

<リビングのソファーで居候していたボルツ>

アグネスは車を走らせるとすぐにフリーウェイに入りましたが、外見に劣らず運転の荒さも尋常じゃありません。車は凄く小さかったのですが速度を140キロまで上げ、右から左から猛烈な勢いで他の車を追い越して行きます…僕は顔が引きつるのを感じました。「カリフォルニアの日本人留学生が交通事故で死亡」なんてニュースになってしまうかも…と日本の家族や友達の顔が目に浮かびましたが、何とか無事にダウンタウンに到着しました。バスでは約30分の距離ですが、フリーウェイを使ったとはいえ、わずか10分足らずのドライブでした…
ダウンタウンで車を止め(アグネスはこの時、カリフォルニアで路上に駐車して良い所、時間制限のある所、駐車禁止の場所や取締りが厳しい事などを教えてくれました。アメリカの生活について、僕は彼女から普通はすぐには分からない事を沢山教わったと思います)店に入るとそこはビリヤードの出来るお店でした。そして3人でビリヤードを始めたのですが、何しろ2人共もの凄く下手な上にルールも分かっていないようでした。僕は友達と日本でよくビリヤードに行っていたのでルールなど分かっていて腕も彼女たちよりは大分マシでしたが、英語が出来ないのでルールを説明する事ができず、結局黙ったまま無意味に球を打ち続けるという時間を過ごすことに…。言葉が通じないって、何て不便なんだ…、と身に染みて思いました。
ビリヤードを終えるとアグネスは「どこか行きたいところがあるか?」と聞いてきたので、僕はとりあえず「(日本から持ってこなかった)タオルを買いに行きたい」と答えました。車で少し町から離れたショッピングセンターに行き、彼女は「ここの店が一番安く買える」と教えてくれました。しかしタオルを買うのは数分で終わってしまい、アグネスは再び「何かしたいことがあるか?」と聞いてきます。今思えば彼女はアメリカに来たばかりで右も左も分からず言葉も出来ない僕を色々気遣ってくれていたのだと思うのですが、時差ボケやカルチャーショック、そして何より自由の全く効かない英語でのコミュニケーションに疲れ果てていた僕は”I want to sleep.”と答えてしまいました…(本当に情けない話ですが、留学生は初めて海外で生活すると、最初のうちは精神的にも体力的にも、もの凄く疲れます。)
<滞在した2人部屋、毎日寝てばかりいました>
アグネスは僕を家で降ろしてくれ、ボルツと2人でまたどこかへ出かけて行きました。僕は昼寝をして、明日からはようやく学校だ…と思ったのですが、夕飯の後にまたまたアグネスに連れ出される事になります(笑)続きはまた次の機会に…
To be continued.

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Santa Barbaraその2。

ここでは2001年に僕が初めての留学で滞在した、アメリカ西海岸の町、サンタ・バーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方は、Santa Barbaraその1。からお読み下さい。

アグネスと衝撃的な出会いを果たした僕は、彼女のあまりに強烈なインパクトに固まってしまいました。彼女はどう見ても日本人(当時で言う、コギャル)に見えたのですが、英語で僕に話しかけて来ました。ですが僕は英語がほとんど話せなかったので、「あー、えー」と言葉に詰まっていると、アグネスは「ニホンゴ、チョットダケ」と言いました。彼女は日系ブラジル人の3世で、「ワタシノオバアサン、ニホンジン」と日本語で説明してくれました。彼女は日本語が話せるというほどではなかったのですが、それでも僕の英語よりは幾分マシだと彼女も気づいたようで、日本語(と簡単な英単語)で彼女のことを話してくれました。

その時の会話で今でも僕が鮮明に覚えていて、大事にしている言葉があります。アグネスと話していてどうしても英語の部分は聞き取れない所があり、これは日本人の悪いクセでしょうか、僕がただ笑いながら分かったフリをしてうなずいていた時です。アグネスはそんな僕の態度を見透かしたように、彼女の頭を指で指し、”Try to understand. “と言いました。この言葉は忘れることが出来ません。理解する努力を放棄することは、コミュニケーションを放棄すること、それは習慣の異なる外国人と生活する上では最悪だと彼女は教えてくれました。同時に、海外で生活するためには英語を使うことは義務であり、英語が出来ないことは恥ずかしいことなのだと僕は思い知らされました。アグネスは外見はとんでもない不良少女に見えましたが(実際学校でも少々問題を起こしていたようですが…)、親切で面倒見が良く、その後も色々な事を教えてくれました。本来ならば、英語が出来なければ相手にされないのが留学生活の現実ですが、彼女と同じ家に滞在できたことは本当に幸運で、貴重な出会いだったと今は思います。

翌日、朝起きると、ホストファミリーは家にいたのですが、やはり何かをしてくれると言う訳ではなく(不親切に聞こえるかも知れませんが、向こうでは普通です)、やる事も無く英語も話せない僕は家にいる事になんとなく不安を覚え、とりあえずダウンタウンと翌日から通う語学学校を一人で見物しに行く事にしました。ホストマザーに何とかバス停の場所を教えてもらい、地図を片手にバスに乗り込んだのですが、ここでまたひとつ問題が。バスの降り方が分かりません。日本のバスには大抵付いている、ストップボタンが無いのです。周りを見てみましたが、ダウンタウンへ向かうバスなので、降りる人がほとんどいません。困った…と思っていると、途中のバス停で乗り込んで来て僕の後ろに座った男性が何やら話しかけて来ました。どうやらお札を小銭に両替してくれと言っているようです。小銭を渡すと彼は前の方に歩いて行き、運賃を払って戻って来ました。どうやらバスでは両替は行っていないようで、小銭の無い人は他のお客さんに頼むんだなあ…と習慣の違いと他人との距離の近さに少し驚いたのですが、僕はちょうどいいので彼にバスの降り方を尋ねてみました。”What should I do, when I get off the bus?”と言ったつもりなのですが、通じませんでした…逆に向こうから、「どこから来たんだ、どこへ行くんだ?」などと尋ねられ、僕がダウンタウンで明日から通う語学学校を探すのだと言うと、「みんなダウンタウンのバスディーポで降りるから大丈夫だ!」と教えてくれたのですが、結局学校の近くでバスを降りることが出来ず、そのまま終点のバスターミナルまで行くハメに…(後ほど、バスを降りるときは壁を這っている線を引っ張るのが停止のリクエストなのだと分かりましたが)、こんな些細なことでも、当時の僕には大きな冒険でした。

<Santa Barbaraのダウンタウンとバスディーポ>

学校からは数ブロック向こうへ行ってしまい、15分ほど歩いて何とか学校を見つけ場所を確認した僕は、お昼を食べにマクドナルドに入りました。日本とは違い、米国ではセットメニューのことを”value meal”などと表記しています。(マメ知識①:「フライドポテト」は実は和製英語、向こうでは”french fry”と呼びます。)セットに番号が付いていたので、”No.1, please”と注文したのですが、その後また知らない単語が返ってきます。”For here or to go?”(マメ知識②:「ここで食べるのか、持ち帰りですか?」の意味で、「テイクアウト」も実は和製英語で通じない事が多々)。とりあえずhereだけ理解できたので”here, here!”と答えると、空のどでかい紙コップをドスンと出されました。「なんだこりゃ?」と思ってキョロキョロすると、ジュースなどはドリンクバーになっていて、自分で好きなものを好きなだけ入れるのだと気付きました。一人でハンバーガーを食べていると、同じような年代の若者が英語でワイワイ話しているのが聞こえ、耳に入るのは知らない音ばかり、バスの乗り方もハンバーガーの注文も四苦八苦だった僕はどことなく寂しくなり、雨も降って来たのも孤独感に拍車をかけ、トボトボと家に帰ることにしました。

<通っていた語学学校 EF International Language School Santa Barbara>

滞在2日目、まだ学校のオリエンテーションも受けていないのに早くもホームシックになり帰宅した僕を救ってくれたのは、またも(学校では問題児で有名だった)アグネスでした。続きはまたの機会にご紹介致します。

To be continued.

Santa Barbaraその3。へ続く

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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Santa Barbaraその1。

このサイトのトップページに載っている左側の写真は、アメリカ西海岸にあるサンタ・バーバラという小さな町のメインストリートです。スペイン風のコロニアルな建物が並び、ヤシの並木がとても美しいこの町は、僕が初めての留学で滞在した、とても思い出深い大切な場所です。今日はその時の事を書きたいと思います。

<Santa Barbaraのメインストリート。ロサンゼルスから北へ150kmほどの場所にあります>

僕が初めて留学したのは2001年の2月、大学2年生の時でした。今では短期の語学留学なんて、中学生・高校生から経験する時代ですが、当時の僕にとっては本当に大冒険でした。1人で海外へ出たのも初めてでしたし、英語も全く話せませんでした。留学生はだいたい、留学先の空港に降り立つと留学先の学校のスタッフが迎えに来ていて滞在先まで連れて行ってくれる(有料で結構高い)のですが、旅行会社に勤める僕の父は、「住所が分かっているんだから、そんなサービスに頼らず自分の力で行け」、と僕に命令し、僕は滞在先の住所だけを頼りに一人でホームステイ先の家を目指しました。

サンタバーバラの小さな空港からタクシーに乗り、ステイ先の家に向かう車内で僕は、「はじめまして、僕の名前は赤澤信太郎です」、と英語で何と挨拶するか、頭の中で繰り返し練習しました。そしてたどり着いたのがこの家です。

<ホームステイで滞在した家>

車を降りると、ホストマザー(当時30何歳くらいだったでしょうか)が出てきたので、僕は緊張しながら「ハウドゥ・・・」(How do you do. と言いたかった。日本の学校で教えられていたこの一言は、堅苦しすぎて実はあまり使われない表現だと、後から知った…)と言いかけた瞬間、「Oh, △☆○&%×$!!」(分からなかった)と先制攻撃を受けてしまい、僕は完全に出鼻をくじかれました。相手の言っていることが分からないという恐怖を、初めて知った瞬間でした。ホストマザーは家の中を説明してくれましたが、何を言っているのか全く分かりません。ルームメイトも出てきて挨拶しましたが、彼の出身国の単語の発音がまた難易度が高く、「I’m from Belgium.」と…。僕はパニック状態で、「ベルジャン?ベルジャンてどこの国?アフリカにそんな国あったっけ?(汗)」、と混乱しているのを見たルームメイトは、「ああ、コイツ全く英語出来ないんだな」、と悟ったようでした。とにかくその時のことで僕が覚えているのは(理解できたことは)、ホストマザーが言った「ここはあなたの家よ、自由にしてね!私はボーイフレンドとデートがあるから忙しいの!」ということだけでした…

日本人はホームステイと聞くと、ホストファミリーが親切で、町を案内してくれて、食事をみんなで食べて…、という風に想像しがちですが、アメリカの現実は違いました。しばらくすると家からは誰もいなくなり、放置されて何をしていいのやら分からない僕は時差ボケもあり、とりあえず寝るしかありませんでした。起きると夕食の時間帯にも関わらず、家には誰もいません。そしてキッチンへ行くと何やらパンとソーセージが置いてあります。

「もしかして、これでホットドッグを作って夕飯を食べろってこと!?」

と僕は初日からいきなり強烈すぎるカルチャーショックを受け、早くも現実から逃避したくなったのですが、このホットドッグを食べた後に、更なる追い打ちが…。それが日系ブラジル人である、アグネスとの出会いです。

<同じ家に滞在したハウスメイトたち>

一番右側の子がアグネスです。たくましい体型に金髪にガングロにジャージ…写真では肉の骨を持っていますが、その時は牛乳に浸したシリアルを食べながら廊下を歩いていました…。その時の恐怖も忘れられません。当時の日本の渋谷でも、ここまで強烈な子はいなかったんじゃないでしょうか…。その後、僕は彼女に色々と助けられる事になるのですが、何しろ最初はただ「怖い」の一言で、本当にとんでもない家に来てしまったと思いました。その続きの話は、またの機会にご紹介したいと思います。

こんなカルチャーショックも、今では最高の思い出です。みなさんも英語を勉強して、色々な体験をしに海外へ出かけてみませんか?

to be continued.
Santa Barbaraその2。へ続く。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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