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旅行記・英語学習記事
英会話SSEAの代表講師、赤澤のブログです。
海外旅行や留学時代の体験、英会話の勉強法、日々食べたものや好きなもの・考えた事などについて書いています。
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「英語を勉強して良かった」1番大切な理由

「英語って、何のために勉強するの?」

皆さんが英語や英会話を学ばれる理由は様々だと思います。「旅行をもっと楽しみたい」「留学やホームステイに行きたい」「受験のシステムが変わる」「仕事で英語が必要だ」「就職や転職で有利になる」「外国人と話してみたい」「外国人の友達や恋人が欲しい」「もうすぐ東京オリンピック!」「シェアハウスに入居したら周りがみんな外国人」…その目的、動機は人によって千差万別でしょう。きっかけや目的が何であれ、英語を身に付ける事はその方々にとっては必ず何らかのプラスになるはずです。僕に至っては、大学時代に父に「学生のうちに留学くらいしておけ」と言われたのがきっかけです(笑)もちろんそれ以前からTOEICくらいは受けないと…と思って単語を覚える程度はしていましたが、本格的に背中を押してくれたのはその父の一言だったのは間違いありません。詳しくは留学時代の体験 「Santa Barbaraその1。」のブログからお読み頂ければ幸いですが、何しろ僕はそのようなきっかけでロクロク会話の経験もないまま留学へ出発し、現地で打ちのめされ自分の情けなさを痛感し、そこから必死に英語の勉強を始めることとなりました。

きっかけはこのような情けないものですが、とにもかくにもその後英語を身につけた事で、次の留学では海外に多数の友人ができ、その後9.11直後の超氷河期の就職活動を勝ち抜き、海外旅行へ行っても不自由なく行きたい所へ行き、やりたい事をやり、食べたい物を食べ、相手を怒らせるまで値切り(笑)、時には英語でケンカをする事も出来ます。今ではネイティブと英語で議論してもそう簡単には負けません。そして何より、いまこうして英語を教えると言う仕事を立ち上げる事も出来ました。まさにあの時の父のひと言が、僕にとってはかけがえのない一生ものの財産となりました。恥ずかしくて口では伝えられませんが、僕はその時の父のアドバイスに、本当に深く深く感謝をしています。日本語しか話せなければコミュニケーションが取れるのはせいぜい1億人と少しですが、英語と言う「世界の共通語」でコミュニケーションが取れる人の数は、少なく見積もっても世界の半分、約35億人に上るでしょう。つまり僕の世界は父のおかげで35倍の広さになったのです。世界を自由自在に旅をして、35億の人々と会話ができ、様々な知識や経験を得て無限の魅力と出会うことが出来る。こんなに素晴らしい事は無いと思います。

しかし、僕が「英語を身に付けて良かった」と思う1番大切な理由は、実は上記したような事ではありません。僕にとっては世界を知ることで、「日本のことを初めて正しく知ることができた」と言うことが、もっとも大切な事だったといま思えることです。

実は僕は若い頃は、いつか日本を出て行きたいと思っていました。こんな経済が低迷し、刺激的な事が少なく、政治家や官僚は悪事ばかりを働き、過労死するほど働かなければならない国に住むのは不幸だと勘違いをしていました。ただ僕がこのように思っていた事は実はそれほど稀なケースではなく、実際に日本の若者は他国の若者と比べて自分たちを幸せだと感じていない、と言う調査データが出ています。つまり日本人、特に若者は日本に生まれた事を「幸せでない」と思ってしまっているのが現状なのです。それは実は大きな勘違いなのですが、残念ながらそれが勘違いだと気付くチャンスや方法が日本の若者にはないのかも知れません。それは日本の教育政策の失敗と、マスメディアがネガティブな内容ばかりを批判的に報道する偏向的な姿勢、そして何より、若者が内向的にならざるを得ない英語教育のレベルの低さに大きく起因しています。

僕は英語が話せるようになってから、色々な国の友人と話をしたり、中々行く事が出来ないような場所にも行けるようになり、個人的に旅行が好きだった事もあり世界各地の様々な場所へ行き、様々な現状や問題を自らの目で見て感じる事が出来ました。そしてその中で、初めて気付くことが出来たのです。「自分は何て恵まれた国に生まれ育ったのだろう」と言うことに。

<これだけの大都市にも関わらず、東京の空は青い。韓国や中国からの観光客は、まず空の色が違う事に驚くそうです。アジアやヨーロッパの大都市の空が青い事は、近年ほとんど無くなりました>

世の中面白いもので、日本に生まれて日本しか見た事がなかった時は、実は日本のことは何も分かっていなかったのです。世界に飛び出して他国と日本を比べた時に初めて、日本は世界の中でもズバ抜けて幸せな国だと気付きました。治安が良く女性が夜に繁華街や住宅街を1人で歩いても何も問題がなく、町は清潔で人々は勤勉で礼儀正しく親切、カフェでバッグを席に残してトイレに行っても盗む人もおらず、電車にスマホを忘れてもかなりの確率で戻って来ます。サービスのクオリティは世界のトップと言えるほど優れており、仕事を探そうと思えば労働者の数より求人の数の方が多い、賃金の水準もバブル期のように世界トップでは無いにしろ、先進国に相応しい十分に裕福な生活を送ることができ、ほとんどの国民が海外旅行を楽しめ、日本のパスポートを見せればビザも免除され疑われることもほとんどありません。世界のトップを争う技術や医療環境も存在し、選挙権も表現の自由も当たり前のように与えられている。自然に恵まれ美しい景色と文化的な財産を持ち、水資源に困るどころか水道の水をそのまま飲むことまで出来る。首都である東京都市圏は人口ベースでも経済ベースでも世界最大の都市で、世界中の料理を楽しめ、世界中のエンターテイメントや芸術がやって来て、手に入らないものの方が珍しく、ありとあらゆる種類の娯楽を楽しむことができ、把握仕切れないほどの新スポットが次々と生まれ、ニューヨークと世界一を争う事が出来るくらい刺激と新しさに満ちあふれています。高品質で新鮮な食材があふれていて、美味しいものがいくらでもあり、和食は世界的にも最も価値のある料理の1つとして世界遺産にもなりました。高級な食べ物でなくてもクオリティが高く、安くて美味しいものが沢山あります(安くても美味しい、と言うのは他国では非常に稀なことです)。アニメや漫画と言ったサブカルチャーは世界中の若者を魅了して日本好きの外国人がどんどん増えていて、逆に海外へ行けば日本人だと言うだけで親切にされたり礼儀正しく扱われる。これだけ恵まれている国は世界のどこにもありません。日本より進んでいる国はおそらく、アメリカぐらいのものでしょう。そのアメリカですら、全ての面で日本より優れている訳ではありません。

<イタリア・ナポリのメインストリート。経済状況が悪化しゴミの回収がままならないそうです>

先進国が集まるヨーロッパでさえ失業率が10%を超える国が続出し、10人に1人は仕事がありません。多くの国は砂漠化と水資源の確保に苦しみ、水道水を安心して飲めるなどと言う国はほとんどなく、移民の受け入れに問題があった国では差別や貧困が蔓延し治安も悪化しています。パリやロンドンでテロが頻発しているのは皆さまもおそらくニュースでご覧になった事があるかと思います。近年、規模の上では日本より大きくなった中国では大気汚染と水質汚染に歯止めがかからず健康を維持することすら難しくなりつつあり、選挙や表現の自由もない独裁状態であるばかりか賄賂次第で無実も有罪に、有罪も無実になる有様で、国民は常に海外へ脱出するチャンスを探しています。他のどの先進国を見ても発展途上国を見ても、日本のように何一つ不自由がない国は1つもありません。

<北京の大気汚染。管制塔が霞むほど深刻な状況です>

日本人は自らが築いて来た文化、歴史、経済や自然環境にもっと誇りを持っても良いと、僕は思います。これだけ素晴らしい国は見つける事が不可能だ、と言っても決して過言ではないと思います。逆に日本を知る外国人の方が、日本の事をよく分かっていたりします(苦笑)ただ、それは残念ながら、日本にいたら分からないこと、世界へ出てみて初めて気付くことです。その意味で、僕は英語を身に付ける事ができて本当に良かったと思い、もっと日本の良さを世界に発信したい、そして日本の皆さまにも、私たちの住む国のことをより良く知って頂けたら、と思います。そして私たちは恵まれているからこそ、もっと世界に貢献する事も忘れてはならないと感じます。

そのためにも、僕は今後も日本の英語教育を変えると言う目標に挑戦し続けたいと思います。そして日本の未来を創って行く若者に、ぜひ世界に飛び出して見識と経験を広げ、今後の日本をより良くして行って欲しいと願うばかりです。皆さまが世界を知り日本を知る、そのお手伝いが少しでも出来たら幸いです。

Learning the world means learning your own country. Find and love the country where you have grown up. Contribute to and improve your home country and the world.

“Find the world. Find Japan again!”

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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Bostonその1。

このブログ記事は、2001年に大学3年生となった僕が、夏休みを利用して2度目にチャレンジした米国ボストンでの短期留学での経験について書いています。2度目の留学を決意するに至ったのは最初の留学である「留学時代の体験:Santa Barbara編」での経験から続くものです。その経緯につきましてはぜひ、Santa Barbaraその1。のブログ記事からお読み頂ければ幸いです。

Santa Barbaraから帰国した僕はそこでの悔しさから、国内で英語学校に通うことと次の夏休みに再び海外での勉強に挑戦することを決意しました。当時高田馬場にあったTOEICスクールにてスコアの向上を図りながら、僕は次の留学先を探し始めました。

Santa Barbaraで4週間通学したEF International Language Schoolは、クラスの質はおそらくそこまで高かったのではないと思いますが(と言うより、おそらく語学学校のクラスはどこも大差ないでしょう)、その留学生のバランス・多様性は非常に素晴らしく世界中から学生が集まる環境が魅力的だったので、次の留学も別の都市で同じスクールを選ぶことにしました。実際に語学学校を選ぶ際のポイントは、そのクラスの質よりも学生の出身国の多様性の方が遥かに大切です(語学留学は、クラスで学ぶ時間よりプライベートで会話する時間の方がずっと長いためです。アジア人ばかりが在籍するような学校で学ぶことは、効果や経験の価値が薄いかと思います)。

当時恵比寿にあったEFの東京オフィスを訪れて担当者と話したところ、ボストン校が校舎の雰囲気も良くおススメだと推薦されました。最初の留学先が米国だったため英国などの選択肢も頭の片隅にはありましたが、やはり世界の先頭を走る米国で学ぶことの価値、そしてハーバードやMITが立地し世界に冠たる学問の都であるボストンでの経験を選ぶことにしましたが、この選択は今でも人生の大きな財産になったと言えるものです。最初の留学ではホームステイを選択したため、ボストンでは校舎と一体となっている学生寮での滞在を選びました。プログラムは通常のコースではなく、クラスのコマ数が少ないサマーコースを選択したのは、クラス内で学ぶよりもクラス外の時間が大切であることを前回で学んでいたからだったかも知れません(笑)

父が航空会社のマイレージを大量に持っていたのもあり、留学期間は「無料の特典航空券が取れるタイミング」と言う条件となりました。既に6月に差し掛かっており夏休み中の米国行き特典航空券を予約することが難しい時期に差し掛かっていましたが何とか8月出発、9月帰国のボストン往復航空券を見つけることができ、留学期間はそれに合わせた1ヶ月となりました。しかし困ったことに、語学学校の入校可能日(プログラム開始の前土曜日)に到着する航空券は予約出来ずその前の水曜日に到着するフライトしか取れない、と言う状況でした。父は「土曜日までホテルにでも泊まっておけば良いだろう」と言ってとにかく無料航空券で行けと言うノリでしたし僕も前回の留学で米国で自由に動き回るための経験を積んでいたため、ホテルはボストンに着いてから探せば良いだろうと水曜日から土曜日までの滞在先も確保せずに、僕はボストン行きのフライトに乗り込むことになります。

成田空港からサンフランシスコへ飛び、空港から見る5ヶ月振りのSFの風景に懐かしさを感じながら、たまたま仕事でSF空港にいた父と軽く食事をして、僕はボストン行きの国内線フライトに乗り込みました。国内線とは言えそこは広大なアメリカ合衆国を西から東へ横断するフライト、サンフランシスコからボストンへの飛行時間は5時間を超える距離です。成田〜サンフランシスコ乗り継ぎ〜ボストンのルートはトータルで20時間くらいはかかったでしょうか、現地時間で既に日も落ちた夕刻に僕はボストン空港に到着しました。

<ボストン空港のヒルトンホテルより>

まだ滞在先も予約していなかったのでどうしようかと思いましたが、時間もすでに遅かったため最初の1泊はやむを得ず空港近くにあるヒルトンホテルへ行く事にして、翌日にダウンタウンにあるリーズナブルなホテルへと移ることにしました。何しろ知り合いもまだいないボストンで3泊ものヒマな時間があります(苦笑)空港から電話で最初の1泊の予約を確保してホテルのシャトルバスにてヒルトンへ向かい、ホテルで木曜日と金曜日の夜に滞在するダウンタウンのホテルを探して電話にて予約を入れました。当時はまだオンラインでの予約はまだそこまで普及しておらず、まだまだガイドブックと電話が頼りになる時代でした。最初の留学の時ですら語学学校の出迎えサービスの利用を禁じられた僕でしたので、3日も早く到着した僕を語学学校まで案内してくれるスタッフなどいるはずもなく(苦笑)それでも夏休みのボストン留学前に僕のTOEICスコアは800点に達していたため、移動や予約、ある程度の日常会話に困ることはすでにありませんでした。この事は、英語だけを勉強するなら日本国内でも十分に可能だと言う事を意味します。逆になんの基礎もないまま海外に1年や2年滞在、または海外の大学を卒業しても、驚くほどに英語が話せるようにならない人が沢山います。学習に大切なのは場所や環境よりむしろ、本人の意思です。

<ダウンタウンのミルナーホテル>

空港近くで1泊した翌日、僕はバスと地下鉄を乗り継いでダウンタウンにあるリーズナブルなホテルへ移動しました。バスルームにドアもないようなホテルでしたが、大学生が1人で滞在するには贅沢なくらいだったかも知れません。しかしダウンタウンに移動してもまだ友達もおらずやる事も無かった僕は、とりあえず1人でボストン市内観光へ繰り出しました。市内一高い高層ビル、ジョン・ハンコック・タワーの展望台(当時は一般人が入れた)や落ち着いた雰囲気のショッピングスポットがあるニューベリー・ストリート(Newbury St.)、瀟洒な住宅が立ち並ぶビーコン・ヒル(Beacon Hill)や中心部の広場ボストン・コモン(Boston Common)を散々し、夕飯はホテル近くのチャイニーズのファストフードで済ませました。

<ジョン・ハンコック・タワー>

<展望台よりケンブリッジ方向を望む>

<ニューベリー・ストリート>

<アメリカではポピュラーな中華のファストフード>

翌日は父の会社の取引先で日本人が経営する現地旅行会社へ挨拶に行きましたが、スタッフが全員日本人女性であったことが印象に残っています。海外へ出て行くのはやはり女性の方が積極的なのは、今も変わっていないのかも知れません。その会社のオフィスはHarvardを1駅越えたPorter Squareと言う場所にあったのですが、そのビルは日本人経営の旅行会社の他にも日本の食材を売るスーパーや日本食のレストランが集まっていて、本当に小さな小さな日本人コミュニティが存在していました。米国ではチャイナタウンやコリアタウンは数多くあれど、日本人が町レベルでコミュニティを形成している場所は多くはありません(LAにはリトルトーキョー、SFにはジャパンタウンがありますが、町の半分くらいがコリアタウンと化しています)。あまり大きな日本人コミュニティを作らずどちらかと言えば現地に溶け込んで生活するのが日本人移住者の特徴ですが、それでも国籍や出身国とその繋がりと言うものは完全には消えないのだと言う事を理解させる場所でもありました。

<ボストンの地下鉄・ストリートカーの愛称は”T”>

1人で3泊を消化した土曜日、ようやく学校の学生寮に入ることができるようになった僕は地図を頼りにスーツケースを引きずりながらT(ボストンの地下鉄・ストリートカー)にて語学学校へ向かいます。続きは次回のブログにてご紹介致します。

To be continued.

Bostonその②。へ続く

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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英語はメディアリテラシーを養うツールである

最初に書いておかなければならないこととして、この記事で僕がお伝えすることはあくまでも「個人の意見」です。最初にこのように述べることが、このブログ記事の趣旨でもあります。

まず「メディアリテラシー」とは何を意味するのかと言うと、”literacy” とは本来「識字能力」を指す言葉ですが、メディアリテラシーと言う造語は「メディアの情報の正誤を正しく把握する能力」と考えて頂ければ分かりやすいかと思います。さらにシンプルに表現するならば、

「マスコミにダマされない能力」

です(笑)

なぜこのような能力が必要かと言うと、僕の個人的な結論として世界には「公正な報道」とは存在しないからです。報道とはあくまでそのメディア媒体の個人的な意見に過ぎないと僕は考えています。なぜなら社会には「事実のみを公平に伝える組織は存在出来ない」からです。

例えば、近年アメリカでは政治家の発言をメディアが事実かどうかを判定する「ファクトチェック」が一般化して来ています。政治家の発言をメディアがリアルタイムで調べ上げ、それが事実かウソなのかをメディアがすぐに判定すると言うもので、政治家が虚偽の演説を行ったかどうかを報道するのは良いことかと思いますが、僕が疑問を感じるのは「ファクトチェックをするメディアを一体誰がファクトチェックするのか」と言う点です。政治家をメディアが虚偽判定する一方で、メディアを虚偽判定する機関や組織と言うものが無いのです。そもそもメディアには「何が事実で、何が事実でないのか」を彼らが断定しても良いと言う法的根拠が無いはずです。基準や法的根拠が無い限りはメディアの報道と言うのはあくまで「彼らの意見」でしかありません。

<メディアによる「ファクトチェック」>

現代社会・近代国家においては権力が集中し暴走することを避けるために、行政、立法、司法の三権が分立される仕組みが確立されましたが、一方でこれらを監視する「報道と言う第四の権力」を管理する機能が、実は社会には存在していません。報道倫理を話し合う倫理委員会のようなものはありますがあくまで専門家による身内組織であり、一般市民がそこに意見したり影響力を及ぼしたりすることは事実上出来ません。現代社会において権力がもっとも暴走してしまうのは実は「報道と言う第四の権力」であると言えます。

報道が「第四の権力」として存在しているにも関わらず、現代社会の報道やジャーナリズムはあくまで「イデオロギー(思想)」の一つである状況から脱出することが出来ていません。つまり特定の権力が報道と言う武器を使って「特定の思想を強要している状況」と言えます。これは方向を誤れば市民をマインドコントロールすら出来てしまう可能性を持つ、非常に危険な状況です。

世界的にも、新聞、TV、その他のマスメディアから日本のNHKや英国のBBCも含めて、全てが「それぞれの意見を流している」に過ぎない状況です。それはインターネットで意見を述べる個人と実は何ら変わらないものですが、これがマスメディアと言う媒体によって「社会の意見」と認識されてしまうところに最大の問題があります。なぜなら報道を行っている人間もただの同じ人間であり、それらの人間が公正・公平であると言う保証は存在し得ないからです。知識のある記者の意見は正しい、と言う考えは、学のある官僚は常に正しい、とみなすことと何ら変わりません。そして政治や官僚を監視する機能がある一方で、記者やメディアを監視する機能が「誤った表現の自由」のお題目の元に破棄されてしまっているのが現実です。

特に日本のマスメディアは非常に左翼的な偏向報道を行う傾向があります。その前提は全て、「政権は悪である」「権力が悪である」「米国が悪である」「弱者が虐げられている」「メディアこそが正義である」と言う思想に基づいており、事実から結論を導いているのではなく「結論のために都合の良い事実のみを集める」ことが常態化しています。つまりそこには公平性や客観性が全く無く、それを正す力も存在しないのです。

世界では保守派とリベラルの左右が意見をぶつけ合うのが一般的ですが、日本では第二次大戦の反動により大部分のメディアが政権を「一方的に批判すること」を目的とした左翼側に偏ってしまっています。左翼側を批判する立場を全て右翼側とみなす傾向がありますが、一方で政権を擁護するメディアはほとんどないと言う事実は「実は保守派自体がほぼ存在していない」と言う意味です。つまり政策が正しかろうが間違っていようが日本のメディアは「ただ批判するだけ」であり、正しい政策を擁護して報道するメディアは存在していません。それはメディアのイデオロギーと目的が公正な意見を述べることではなく、「権力を批判すること」になってしまっているからです。

この現状は海外へ行き外国人と価値観を交換することで初めて、その異常性を認識することが出来ます。この異常性のシンプルな例として、国旗を振ることや戦没者を慰霊することにネガティブな印象を持つ国は世界的に見ても日本だけです。自国に対する愛情を持つことと戦争を美化することは本来同義ではないはずですが、日本のメディアではこれをほぼ同列に扱ってしまっています。戦没者を慰霊することは本来なら「平和を願うための誓い」とみなされるべきことのはずなのですが、何故か日本の報道ではこれが「戦争を美化すること」に変換されてしまいます。

こうした偏ったメディアにおいて、事実ではないニュースや偏向的な報道が氾濫してしまっています。マスメディアが事実ではないことを報道したのは1度や2度ではないですし、その大部分は訂正されることすらもほとんどありません。先日とある新聞がとうとう過去の記事が事実ではなかったことを認めた事件がありましたが、その内容も国民のほとんどには伝わらないようヒッソリと処理されてしまいました。また報道される内容が例え事実であっても、その事実はメディアが「伝えたいこと」に都合の良いものが「切り貼りされて」しまっています。

先日、某番組がベトナムでプラスチック廃棄物が積み上がっている村を特集しました。番組の報道では世界のプラスチック廃棄物が村にさも押し付けられているかのような印象を与える趣旨で、村人のインタビューとして「川が汚れて水遊びが出来なくなった」と言うもののみを報道しましたが、僕はこの報道に強い違和感を覚えました。何故ならこの村にプラスチック廃棄物が集まる理由は押し付けられているからではなく、「村人がリサイクル業にビジネスとして取り組んでいるから」であり、報道の中でもこの村の平均収入は平均的なベトナム人の数倍になっていることには触れられていました。つまり10人にインタビューすればおそらく80%以上が「このプラスチックのおかげで自分たちの生活が豊かになっている」と答えたはずです。それにも関わらずそうでない否定的なインタビューのみを「切り取って」報道したのは、メディアが言いたいことのみに都合よく編集された「偏向報道」であるのは明白です。日本ではキー局や全国紙のほぼ全てがこのような「事実の切り取りによる印象操作」をするのが普通になってしまっています。マスメディアが偏向的かつ一方的に大量の情報・意見を市民に流し込むことはもはや、「情報による暴力」であると僕は考えています。

<プラスチック廃棄物は「リサイクルビジネス」>

報道の自由、表現の自由は民主主義の大前提ですが、事実ではないニュースをマスメディアが報道することは「虚偽の流布」であり、これを批判することや処罰する権利も守られることこそが本当の「表現の自由」ではないのでしょうか。マスメディアは何を言っても良い、言いたくないことは報道しなくても良いと言う現状は「監視機能が及ばない権力」を容認しているようなものです。報道が個人の意見を述べる場でありそれを監視できる機能が存在し得ない以上、特定の報道機関に法的な特権やお墨付きを与えることは全く望ましくないはずです。

「事実のみを公平に報道する機関」が存在出来るのであれば良いのでしょうが、報道も人間の行いでありマスメディアが全ての情報を並列に並べることが物理的に不可能である以上(報道の内容に「順番」がつくだけでも、それはすでに公平ではありません)、世界に「真に公正な報道」を作り出すこと自体が実は不可能です。それは私たち人間にとっては実現出来ない作業なのだと言えます。人は何をどのように工夫しても「絶対的に公正な神さま」を生み出すことは出来ません。

それならば、むしろ特定の報道を信じすぎず、あくまで「情報の一つ」と捉えられることが大切ではないかと僕は考えています。個人1人ひとりがメディアリテラシーを養い、それぞれがメディアにコントロールされずに個人の考えを持てる方がよほど「公正」です。民主主義の多様性を実現するためには、特定の報道機関が思想やイデオロギーを先導してはならないのではないでしょうか。事実だけを報道する機関を設置することが不可能である以上は「全ての人が多様な意見を発信できる社会」を実現しなければならないのだと思います。その意味ではインターネットの普及により、より多くの人が自分の意見や考え方を発信出来るようになり、相対的にTVや新聞の影響力が弱まったのは非常にポジティブだったと言えるでしょう。虚偽の情報も氾濫していますがそれはメディアリテラシーを養う絶好のチャンスでもありますし、少なくともインターネット上では、国境すらも越えて偏らない意見に触れることが可能です。

最後に、繰り返しになりますが僕がここで述べたことも「個人の意見でしかない」ことは再度ハッキリさせておきたいと思います。それをどう捉えるかは皆さまの個人の自由であり、賛成するも反対するも僕が強制をすべきことではありません。賛成と反対の声があることこそが「意見の多様性」であり「表現の自由」であると僕は思います。社会とは全ての人が様々な意見を持つことが出来るべきだからです。私たちが人間と言う動物の一種である以上、「絶対的に正しい意見」など存在し得ませんし、それが僕がマスメディアのあり方に疑問を持つ最大の理由でもあります。

メディアリテラシーを養うためにも、日本の外へ出ることで多様な世界と価値観に直接触れて、世界の事実を自分の目で確認してみましょう。日本で常識と考えられていることは、世界では常識ではないことがいくらでもあります。そうした比較により客観的な視点を持てて初めて、私たちは偏った情報のコントロールから逃れることが可能になります。

そして多様な価値観に触れることは、今後の世界を平和に保つために無くてはならないことでもあります。全ての人が「人と自分は異なっているのは当然」と言うことを受け入れて初めて、世界から争いや衝突を減らすことが可能になります。異なる意見や価値観の理解無くして、豊かで平和な暮らしを守ることは出来ません。その意味で、私たちは何があっても意見の多様性と民主主義を放棄することを受け入れるべきではありません。これを失った瞬間に、社会は自らを改善する力そのものを失ってしまうからです。

英語とは、そのための最強の武器です。世界の多様な価値観や考え方に直接触れることで、自分と日本の社会をもう一歩進歩させてみませんか。少なくとも私たちのスクールは多様な人材と国籍が共存することで、どのような多様な意見にも触れられて、どのような意見も発信できる場でありたいと思います。英語を学び多様な考えに触れることで、個人と社会が異なる意見や価値観を受け入れられる環境を皆さまの手で実現してみませんか。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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台北→羽田ピーチ860便(MM860)の遅延リスク

近年日本から最も人気の旅行先となった台湾には、今では多くのLCC(Low-Cost Carrier・格安航空会社)が就航しています。日系のジェットスター・ジャパン、バニラエア、Peachに加えて台湾のタイガーエアなどがこれに分類されます(バニラエアはピーチに統合予定)。片道3時間前後のフライトですから、往復3万円前後のLCCのフライトで十分だと考える方も増えているでしょうし、パッケージツアーの中でもよく利用されるようになりました。

このフライトの中でも非常に使い勝手が良いのが、台北桃園空港を夜20:40に出発し、羽田空港に深夜00:55に到着するピーチ860便(MM860)です。日曜夜のフライトを利用すると台湾を夕方まで満喫して、なおかつ羽田空港からの新宿・池袋行き最終バスにて帰宅することができるためです。僕は仕事が午後からのこともあり週末の台湾旅行でこのフライトを5回以上利用しましたが、このフライトはやはり人気があるため料金も片道で買うとフルサービスキャリア並みの値段が設定されていますが、それでも常に満席です。ですがこのフライトには非常に厄介なリスクが潜んでいます。今日は僕が経験したそのリスクについてご紹介したいと思います。

<ピーチ・アビエーションの機材>

2019年4月14日、台北を日曜日の夜に出発するMM860便を利用した時のことです。それまでも何度もこのフライトを利用していたのですがこのフライトは定刻通りに飛んだ試しがなく、常に30分程度遅延することが常態化していました。LCCは機材を非常に高密度で運用しているため夜のフライトは遅延する可能性は高まるのですが、それでも成田発のジェットスターやバニラエアで遅延に遭遇したことは無かったので、ピーチのこのフライトだけは明らかに機材繰りに無理があると言う印象でした。それでもその日までは羽田発の都心行きバスに乗り遅れることは無かったので目をつむっていたのですが…

<成田発のジェットスターやバニラエア便はあまり遅延しない>

台北市内で友人とランチとお茶をして、桃園空港に向かうMRTの車内にて「ご利用のフライトの遅延が見込まれる」と言う内容のメールを受信しました。台湾現地時刻で17:45分、遅延していた当該の機材が関西国際空港から台北へ離陸するかしないか、と言うタイミングであったはずであろうこの時点で、すでに遅延することが確定していました。

桃園空港にてチェックインをした際にどの程度の遅延をするのか確認したところ、羽田到着が深夜2時になる旨の説明を受けました。この時点で「都心へ行くバスには乗れないだろう」と言うことは想像がつきましたが、そのフライトが「なぜ遅れるのか」が非常に引っ掛かりました。何故ならMM860便は普段から遅延が常態化していたため、すぐに「不可抗力ではない」ことが想像出来たためです。フライトの遅延や欠航に関しては航空会社の運送約款には「免責となる」ケースが記載されているのが一般的ですが、通常免責と見なされるのは悪天候や天災などの「不可抗力の場合」です。そうでない場合は航空会社の責任であるため、フルサービスキャリアでは補償を行うのが一般的です。僕は一時航空会社に在籍していたことがあり遅延便に対する帰宅手段や宿泊先確保の対応を実際に見ていたため、このフライトの「遅延理由」がどこに責任があるのかが気になりました。

<遅延が「常態化」しているピーチ860便(MM860)>

この日のMM860便は関西空港からの前便が台北に到着したのが台湾時刻の21:20分、折り返しの羽田便がゲートを離脱したのは定刻より1時間30分遅れの22:10分でした。機内でCAに対して遅延理由と補償の有無を尋ねたところ、「向かい風と空港混雑による遅延のため、Peachには責任がない」との説明でしたが、業界の事情をしっかり知っている僕には明らかにおかしな説明であるのはすぐに分かりました。まず片道3時間前後の距離である日本と台湾間のフライトで「向かい風の影響で1時間以上遅延する」ことはあり得ませんし、東京と大阪でも違うはずの天候が日台間でずっと同じはずもありません。また仮に(あり得ない話ですが)飛行機を遅延させるほどの強風が吹いていたとしても、往路が向かい風なら復路は追い風になるはずなので、機材の運用ルートや時間にもよりますが基本的にはプラスマイナスでほとんどゼロになるはずです。そうすると残りの事由は空港混雑ですが、当日の桃園空港で遅延している便はほとんどなく、定時運行に定評のある日本の空港が理由だった事も考え憎いことです。そもそも空港が理由で1時間半も遅延したのなら、それは滑走路が一時閉鎖されたくらいの内容のはずです。台湾へ機材が向かう前の運用が台湾ではない目的地としても、通常LCCが飛行する距離は片道3〜4時間の近距離でありそのフライトで風により1時間半の遅延が発生することはやはりあり得ない話です。また前の運用が例え空港混雑が酷い中国へのフライトだったとしても、1回の往復でその後のフライトが1時間半遅れることはやはり通常あり得ませんし、仮にもし到着遅れがそのような遅延を発生させたのであれば、それは「元々の機材繰りに無理がある」と言うことに他なりません。明らかに説明がおかしかったため、到着後に担当者が再度説明するよう伝えました。

<Peach860便の前のフライト関空→桃園便はいつも到着遅れを起こしている>

この遅延したフライトが羽田空港に到着したのは深夜02:17分、当然ながら02:20発の都心行き最終バスには乗ることが出来ず、乗客は全員がタクシーに乗るか空港で夜を明かすかを迫られていました。羽田空港に到着後に空港担当者に再度遅延理由を確認したところ機内と同様の説明を繰り返したため、そのような理由で遅延するはずがない旨を伝えてちゃんと事由を確認するように伝えると説明が2転3転します。

まず次に出てきた言い訳が「他社便の遅延によるものでピーチの責任はない」でしたが、そもそもLCCは他便とは接続を行わないはずであることを指摘すると、次は「桃園空港に到着の際にゲートに入れなかったから責任がない」と言います。しかし当日の桃園空港に混乱の様子は一切なく、着陸したあとに1時間以上もゲートに入れなかったのであれば乗客は怒り心頭だったはずです。具体的に何便がそのような事態になったのか説明を求めると、再度確認後、ついに最終的に当日の運用便が全て遅延したことに起因する「到着遅れドミノ」であったことを認めました。つまりそれまでの説明は全て事実無根のウソであった訳です。

事実を認めた後にようやく空港責任者が登場しましたが、事実は認めるが運送約款の取り決めにて補償は出来ないとの説明を繰り返すのみ、さらにはそれ以上の苦情はコールセンターに自身で電話するようにと言うものでした。確かにピーチの運送約款には遅延に対する補償は行わない旨が記載されているので、最終的に補償をしないことは法律上正当であると言えるでしょう。しかしそれ以前に、「乗客をウソの理由で騙そうとした」点は看過出来ないものです。しかもこの理由がフライト前のブリーフィング(パイロットとCAのミーティング)で共有されていたと言うのだから驚きです。CAはそうとしか知らされていなかったのでそれ以上の説明が出来なかったのは無理もありませんが、このウソの遅延理由を運行本部が現場に共有させたと言うところに、ピーチと言う会社の悪しき体質が見えたような気がしました。

LCCは低コストでの運用をしているため補償を行なわないのはやむを得ない部分はありますし、乗客もこのようなリスクは覚悟の上で利用する必要があるのでしょう。しかし少なくとも、「顧客を騙す」ことは許されないはずです。フルサービスキャリアでもエアチャイナ(中国国際航空)などはウソを平気で利用することは経験上知っていましたし(詳細は別記事:「北京乗継ぎパリ行きの悪夢(Air Chinaその②)」をお読みください)、この業界に関わった経験からかなりいい加減な部分がどの会社にもあることは知っていましたが、LCCとは言え日本の企業が同様のことを行ったことを目の当たりにし自身が被害者となったことには驚きを感じ得ません。

交通機関、特に航空会社とは人の命を預かっているビジネスです。こうした悪しき体質が安全面に影響を及ぼさないことを切に願うばかりですし、ピーチには明らかに無理のある機材繰りを改めて欲しいと願うばかりです。(MM860便はいつも食べ物も積んでいません。積み込み時間が無い、前のフライトで売り切れたとの説明です。)本音を言えば、貴重な羽田空港の発着枠をピーチには返上して欲しいと言うのが正直な感想です。もし同じ時間に他社便が飛べるなら、フルサービスで費用が高くてもそちらを選択したいと思います。

結局、遅延のシワ寄せを泣き寝入りさせられたまま僕は初電にて帰宅し、睡眠ゼロのまま月曜の仕事を行う羽目となりました。MM860便をご利用の方には、この便は遅延リスクが高く補償も一切無い事を知っておいて頂ければ幸いです。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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イノベーションとは何か

“innovation”は日本語では「革新」を表す言葉です。ざっくり一般的に言うと、それまでに無かったアイデアで何かを劇的に、あるいは根本的に変える行動や発明のことを指します。

では、”innovation” とは完全に新しい概念によるものなのか、と言うと、実はそうではありません。それらは実際は、ほんの些細な「気づき」によって生まれるものです。

身近なスマートフォンを例に挙げてみましょう。Appleのスティーブ・ジョブズが生み出したiPhoneは、それまでの生活やアイデアを完全にひっくり返したイノベーションであることは間違いありません。「スティーブ・ジョブズは天才だった」と言う人は世界中に数知れず存在します。しかし、ジョブズのアイデアとは実は、本当に小さな発想の転換でした。そしてそれは彼にとっては、実は非常に当たり前の結論だったはずです。

Appleがスマートフォンを発表する以前から、類似の製品は日本にも存在していました。当時のガラケー(フィーチャーフォン)は既に、インターネットへの接続機能とソフトウェア(アプリ)の追加機能を持っていました。ガラケーにゲームをダウンロードしてプレイしていた方も多かったのではないでしょうか。ネットへの接続機能とソフトウェアの追加機能とは、今日のスマートフォンとほぼ同じアイデアです。もちろんカメラも既に搭載していましたし、一部の機種は電子マネー機能すら有していました。ただしそのアプローチはあくまで、「携帯電話にコンピューターの機能を加える」と言うものでした。なぜならその当時の携帯電話は電子機器メーカーではなく、通信キャリア(携帯電話会社)が主導して開発をしていたからです。

ジョブズが考え出したのはシンプルに、これと逆のアプローチ「コンピューターに携帯電話(通信機能)を追加する」、と言うアイデアです。この逆の発想がそれまでの携帯電話をすべて駆逐する絶対的な差となったのですが、アイデア自体は「完全に新しいもの」ではありません。それまでに存在していた技術に「反対からアプローチした」と言う本当に小さな気づきです。それはAppleと言う「コンピューターの会社」をしていたジョブズにとっては、至って自然な気づきだったに違いありません。ただそれを「1番最初に気づいて実行」しただけのことです。しかしこの気づきを「実行した」ことこそが、”innovation”と呼ばれるべきことです。気づくだけなら、遅かれ早かれ何人もの人間が出来たことでしょう。その意味ではジョブズは「天才」ではなく「実行者」だったのです。

Amazonのネットビジネス、SNSのFacebook、Google検索もすべて同じ事です。彼らはそれまでの社会から気づいたアイデアを「誰よりも先に実行した」からこそ、イノベーションを起こす事が出来ました。「気づき」は絶対的な差を生むものですが、気づくこと自体はそれらの人間のみに可能だった事では決してありません。気づかなければもちろん何も生まれませんが、それを「先に実行した」ことにこそ真の価値があるものです。

歴史上の革新は全て、気づいた後の「行動」から生まれたものです。重力の概念はニュートンが「物が落ちるのは、地球が引っ張っているのではないか」と言う気づきを「研究した」からこそ成立した理論ですし、コロンブスによるアメリカ大陸の発見は「地球を反対に向かって進む」ことを実行した偶然の産物です。宇宙が回っているのではなく地球の方が回っているのだと言う地動説は、ガリレオが研究を進めるはるか以前の紀元前から、「地球が宇宙の中心ではない」と言う説が存在していました。ただそれを立証出来たかどうか、と言う「行動の差」です。気づくこと以上に、それを実行した事にこそ”innovation”がありました。

「気づく」ことは簡単なことではありません。常識を疑うことが出来る、ごく限られた一部の人間のみに可能なことです。しかし、それを気づくことが出来る人間とは実は1人ではないのです。ただしそれを「最初に実行するのは、歴史上に必ず1人しかいない」と言うことです。この実行を最初に成し遂げた人間にのみ、”innovation” のタイトルが与えられます。

気づくだけ、考えるだけでは何も生まれません。そのアイデアが正解であろうが不正解であろうが、実行してこそ初めてそれは価値あるものになります。1つの成功とは10,000の失敗からこそ生まれるのかも知れません。

失敗を恐れず、何ごとも挑戦してみましょう。世界には、「やるかやらないか」と言う2つの選択肢しかありません。例えば皆さまが英会話の勉強を「実行して」新しい自分の価値を作り出せたなら、それは皆さまの中の小さな、しかし確実な”innovation”です。しかしやらなければ、当然ですが世の中にも皆さまにも何の変化も生まれません。イノベーションとはそれまでに無かった事を実行に移すこと、それは前例がないので

「やってみなければ、分からない」(笑)

“Do it, or not?”

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