ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。
サンタ・バーバラでの留学生活も半分が過ぎ、週末に各地へ旅行を楽しむ(様々なトラブルも経験しつつ…)など、英語力の低さから来る不自由さもありつつも、少しずつアメリカでの生活や習慣にも慣れて、自立した充実した日々を送ることができるようになって来ていました。
アメリカに滞在して3週目のある日、僕は21歳の誕生日を迎えました。日本でももちろん誕生日は家族に祝ってもらっていましたが、その年はサンタ・バーバラに滞在中であったため、なんとな〜く誕生日を迎えるだけだろうと思っていたのですが…
誕生日を迎えたその当日、夕飯を食べて部屋に戻った僕をホストマザーのカレンが呼びに来たので、「何だろう?」と思いながらダイニングルームへ行くとそこにはホストファミリーとハウスメイトが集まっていて、”Happy Birthday!”とサプライズで全員でお祝いをしてくれたのです。ケーキにはキャンドルが添えられており、みんなでバースデーソングを歌ってくれました。それまで僕はこのように誕生日をサプライズで祝ってもらった事が無かったので、感動の余り少しウルッとしてしまったのですが、アグネスにはなぜか”He misses his family.”(彼は日本の家族が恋しいんだよ)と勘違いされてしまい、それを聞いたカレンは「あなたがこの家にいる間は、私があなたの母親よ」と言ってくれました。ケーキを食べたメンバーたちは各々それぞれの部屋に戻って行きましたが、僕はこの時「アメリカではそれぞれが自立した生活をしていて家族の結びつきが強くないように見えるが、実はそれが全てではなく、家族の記念日を祝うことなどを大切にしているのだ」と言うことを初めて知りました。日本人から見たら家族の関係が薄いように見えるアメリカですが、それは決して家族を大切に考えていないと言うことではなく、単純に習慣ややり方が異なるだけで、家族を大切に思う気持ちは変わらないのだと知ることが出来たのは、アメリカを正しく理解することが出来たと言う意味で、とても貴重な経験となりました。
普段、夕飯のあと他のハウスメイトたちは食べ終わったあとのお皿を洗わずにシンクに放置していたので、僕は見かねてたまにそれを洗ったりしていたのですが、ある日たまたまそれを見たカレンが、” Oh, Shintaro! You shouldn’t have!” (直訳:そんなことしなくても良かったのに!=意味:本当にありがとう!)と言った事を僕は覚えています。国や習慣が異なったとしても他人を思いやったり協力する気持ちは共通に通じ合うものであり、カレンは僕が日本に帰国する際に「あなたは本当に素晴らしい青年だった。またいつでも遠慮なく泊まりに来てね!お金はいらないわよ!」と言ってくれました。僕はアメリカに到着した際は「とんでもない家に来てしまった」と勘違いをしましたが、それが真実ではなく「アメリカにはアメリカのやり方と習慣があり、家族や他人を思いやる気持ちは日本と変わらずちゃんとあるのだ」と言うことを正しく知ることが出来たので、ただ何でも世話をしてもらうよりも価値のあった、本当に最高のホームステイだったと今では思っています。
<カレンは当時はまだ30代だったと思います>
その週の週末は、ハウスメイトのユンが留学期間を終え韓国へ帰国する事になっていました。そのためカレンは、ユンの送別ホームパーティーをするから、僕に対して”You can invite a couple of your friends.”と言ったのですが、僕は”a couple of”(2~3人)と言うニュアンスがピンと来なかったため、”How many people can I invite?”と聞き返したところ、カレンは再び”A couple of.”と、ハッキリ何人とは言いませんでした。僕は困ってユンに「ユンは何人の友達を連れて来るの?」と聞いたところ、ユンは「私は友達を選ぶことは出来ないから、全員の友達を招待するわよ!」と言ったため、僕はますます困り果ててしまいました…
「いったい何人まで連れて来て良いんだ?」と思ったのですが、ユンは「全員連れて来る」と言ったので、そこまで友達が多くもなかった僕もとりあえず全員に声を掛けてみたところ、日本人4人が参加したいと言ったので、4人を連れて行ったのですが…
<ホームパーティーにて撮影した”Big Family”(笑)>
送別ホームパーティーの当日、僕が4名の日本人を連れて帰宅すると、家の中には、人…人…人…(汗)どうやらユンは10人程度の韓国人を連れて来たようで(このあたりが、理性よりも情が優先である韓国人らしいなと思います笑)、アグネスも5~6人のブラジル人を連れて来ており、”a couple of”と全員に言ったであろうカレンが想定していたホームパーティーの規模を、どう考えても越えていました…(汗)カレンとボーイフレンドのスティーブ、息子とその従兄弟、娘のミシェル、ミシェルの本当の父親(元の旦那と現在のボーイフレンドが一同に集まるのも凄まじいな…と思いましたが…)、日本人5人、韓国人約10人、ブラジル人約7人、そこにハウスメイトのクリストフと居候のボルツを加えた約30名が平屋建ての家に集結し、家の中はもはやカオスを極めましたが、カレンとスティーブは特に気にする様子もなくバーベキューで様々な料理をどんどん出してくれました。家に入りきれなかったのか、韓国人たちの一部は家の前の道路で話し込んでいましたが、家の中でも音楽に合わせて踊ったり、初対面の留学生同士が会話を楽しむなど、華やかなパーティーとなりました。僕が滞在した家はおそらくアメリカの中でも相当にオープンな家庭だったのかと思いますが、日本ではあり得ないようなカオスなパーティーを喜んで開催してくれたカレンを見て、自分が非常に良い経験をしていること、アメリカ人は個人主義であるだけではなく懐がとても深く寛大であることを知り、様々な「異なるもの」を許容できるアメリカと言う国に留学したことは僕にとっては本当に貴重な経験で、人生の宝物となった思い出です。
<韓国人は多すぎて家の前の道路で話し込んでいた>
パーティーは深夜11時過ぎまで続き、各々が帰宅する頃には交通手段もすでに無くなっていたため、僕は友人の帰宅手段の確保に追われました(苦笑)マユミはたまたま同じ家に滞在していた韓国人が車で来ていたので乗せてもらえたのですが、あと3人…。ここでミシェルの父親がタクシーの運転手であることに気付き、ナツコの送迎を彼に頼んでみたところ、送ってもらえる事になりました。(なぜ初対面だったその日に、彼の仕事が運転手と知っていたのだろうと今考えると不思議に思うのですが、初めて会話した時の”I’m Michelle’s father.”と、タクシーを出してもらえるか聞いた時の”Yeah, I’m ready.”というやり取りは覚えていますので、きっと仕事の話も自己紹介の流れで聞いていたのでしょう。簡単な英語とは言え、逆境に鍛えられて(笑)少しは話せるようになっていたのかも知れません。)
まだあと2人分必要…と思っていたら、どこからか突然カレンの母親と名乗る人物が現れ(どうやら近くに住んでいたようです)、「私が車で送って行くわよ」と言ってくれました。ですが2人とも帰り道が分からなかったので僕も同乗し(なぜかボルツもついて来ました…笑)、2人の家まで(しかもボルツが助手席に座ったので後部座席から)道案内をして送り届け、事なきを得ました。余談ですが、僕はこのときすでにサンタ・バーバラでタクシー運転手ができるんじゃないかと思うくらいに、土地勘が(必要に迫られて)鍛えられていました(笑)
この留学で僕は上手く英語を話すことは出来ませんでしたが、様々な貴重な出会いがあり、様々な経験を重ね、個人主義だと思っていたアメリカ人の優しさや親切にも触れ、アメリカの習慣や生活スタイルから考え方に至るまで正しく知る事もでき、「英語を勉強しなければいけない。英語をちゃんと話せるようになりたい。」と言うその後の目標を持つことも出来ました。ありとあらゆる事が僕にとっては最高の経験であり、最高の思い出です。
その週末のロサンゼルスへの旅行の帰り道にこの留学での最大のピンチが訪れることになりますが、それもその時に経験出来て良かったのだと、今では思います。みなさまもぜひ日本を飛び出して、読んだり聞いたりでは分からない他国の「本当の姿」に触れていただければと思いますし、僕はこの仕事を通じてそのお手伝いが出来れば本当に幸いです。また、他の国の姿を知ることで、これまで見えなかった「日本の本当の姿」も、初めて知ることが出来るものだと思います。
初めての留学だったサンタ・バーバラでの体験も終盤へと入って行きます。続きはまた次のブログにてご紹介出来ればと思います。
To be continued!