Santa Barbaraその16。

 ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

 前日にコリアタウンで夕食を楽しみ、2つのベッドルームを持つゴージャスな部屋を満喫した僕らは、翌朝にナギサとホテルのロビーで待ち合わせをしました。(2ベッドルームと聞くともの凄く豪華に聞こえますが、4人でシェアしたので1人当たりはそこまで目が飛び出るほどではありません。海外のホテルは「一部屋一泊」あたりのレートなので、人数が多いと割安に泊まれます)。メインのロビーで待っていたのですが約束の時間になっても現れず、当時は海外対応の携帯も持っていなかったためどうしたものかと思い始めた際にハタと気がつきました。「これだけのホテルだと、もしかして他にもロビーがあるんじゃないか」と。案の定、ホテルの別のサイドに行ってみるとやはり別のロビーらしき空間があり、そこでナギサを見つけることが出来ました。

<ハリウッドにて。>

 その日はちょうどミチコの誕生日だったため、ナギサはホールのケーキを買って来てくれました。どこで食べようかと思ったら当然、「ロサンゼルスなんだから、ビバリーヒルズのど真ん中の公園で食べよう!」と言う、これまたセレブのモノマネみたいなことを思いつきました(もっとも、本物のセレブは公園でケーキなど食べないでしょうけど…苦笑)。ビバリーヒルズの公園でミチコの誕生日を祝い、ロサンゼルスのシンボルであるハリウッドのチャイニーズ・シアターを訪れ、ハリウッドサインを遠くから記念に写真に収めた僕らは、ロサンゼルスの最終目的地であるサンタ・モニカへと向かいました。

<ビバリーヒルズの公園にて誕生日を祝う>

 ロサンゼルスと言えばビバリーヒルズサンタ・モニカのイメージが強いですが、実はこの3つはそれぞれに独立した市であり、行政区分上は別の都市です。もっともそれもまとめて「ロサンゼルス」を形成しているのは間違いないことでもありますが(ディズニーランドや成田空港が千葉県にあるのと同じようなものでしょう)。陽光きらめき人々が日光浴やローラースケートを楽しむはずのサンタ・モニカに到着した時にはあいにくの雨…でしたが、サンタ・モニカにはロデオドライブとは異なり、庶民でも手の届くアメリカのブランドショップやモールが集まっていたため、ようやくショッピングを楽しむことが出来ました(笑)その後レストランで夕食を食べた僕らは、日が落ちたハイウェイをサンタ・バーバラへ戻って行ったのですが…

<雨のサンタ・モニカ。この雨が更なる悲劇を誘発する>

 雨は強くなり、あまり周囲の見通しが良くない中で僕は一番左側の追越し車線を(アメリカは右側通行のため、1番流れの早いのは左側の車線)周りのスピードに合わせて制限速度を超えた速度で走っていた時です。バックミラーに、急に赤と青の光が写りました。そう、パトカーに後ろにつかれてしまっていたのに気づかなかったのです(汗)「やばい!」と思って速度を落として右側の車線に移りましたが、もちろん手遅れです。しばらくソロソロと走っていましたがとうとうサイレンを鳴らされてしまった僕は、車を路側帯へと止めざるを得ませんでした。

 さて、ここで1つ、普通に捕まるよりもさらにヤバい状況があったのです。スピード違反で捕まったのはしょうがないとしても、それよりも焦ったのは「国際免許証を持っていない」という絶望的な事実でした…。止めた車に警官が近づいて来たとき、メンバーの全員はもう言葉すら発する事が出来ませんでした。運転が出来るのは僕1人だけ、その人間が免許を持っていなければどうなるのか…。まさに「血の気が引いた」「顔面蒼白」という表現がピッタリの、絶望的な気分と絶体絶命の状況です…

 警官がやって来て、当然ですが免許を見せるように言われましたが、ある訳がありません。追い詰められた僕はとりあえず、トランクから日本の免許証を取り出し、破れかぶれでそれを見せてみたのですが…

当然ながら警官は読めるはずもなく、

Officer : What’s this?(何だこれは?)

Me : Japanese driving license(日本の免許です)

Officer : Don’t you have a California license?(カリフォルニアのライセンスは?)

Me : I don’t have it…(持っていません…)

となり、警官は僕にパトカーへ来いと促しました…

 「終わった…このままジェイル(拘置所)に連れて行かれるだろう…」と覚悟を決めましたが、残されたメンバーと車はどうなるんだろう…と言う心配もあり、自分にはどんな処分が下るのか、と言う恐怖もあり…

 警官は僕をパトカーへ入れると、隣に座り僕の情報を記録し始めました。「身長は?」「体重は?」「目の色は?」「国籍は?」「滞在先は?」などと聞かれ、日本の単位で回答したので少しやり取りが混乱した部分もありましたが(アメリカは長さや重さの単位がインチやフィートなど特殊。ただ、身長をセンチメートルで答えたあとに、”Do you know how tall it is?”などと聞き返したのを覚えていて、おそらくマズいを越えてしまって観念していたのか、意外な冷静さはあったのかも知れません苦笑)、免許証番号の欄には”NONE”(なし)と記入されたことを今でも覚えています。ひと通り記入すると、スピード違反の切符を渡されて「Courthouse(裁判所)に出頭しろ」と言われました。

 「やっぱり大変なことになった」と勝手に決めつけながら恐る恐る「サンタ・バーバラの裁判所ですか?」と尋ねると、「違う、Ventura(ベンチュラ)の裁判所だ」と言われます…(捕まった地点がベンチュラと言う場所だったので、当然そこへ出頭となるのですが、色々と聞き返すだけの気の強さがあったのは今思うと不思議です。そして、Venturaという地名がもう忘れられません笑)。

 「このまま裁判所へ連れて行かれるんだな」と覚悟をした瞬間に、意外なことが起きました。警官が、「今日は雨で視界が悪く危ないから、安全に運転して帰るように」と言うのです。

 「え!?運転して帰っていいの??(免許無いんだけど)」と尋ねると、「もう行っていい、気を付けろよ!」と言うのです。「何が何だか分からないけど、今日のところは解放されるのだ」ということを理解し、今度は安堵でまた血の気が下がるのを感じました。

 実はかなり後になって知ったのですが、国際免許証と言うものはあくまで日本の免許証原本のただの翻訳文であり、法的に有効であるのはあくまで「日本の免許証」なのです。ですのでハワイ州やグアムでは日本の免許証だけで運転することが許可されていますし、サンタバーバラのレンタカー会社も車を貸してくれたと言うことです。逆に言えば、国際免許証だけで車を貸してくれるレンタカー会社は世界のどこにもありませんし、国際免許証のみを所持して運転することは違法になります。知らずにやっていながら運が良かったと言えますが、ギリギリ「違法」ではなかったと言うことなのでしょう。ただそうは言っても現地の警察官が原本を読めなければ、もちろん警察署へ連れて行かれる可能性はあります。法的義務がないにも関わらずハワイ州やグアムでも国際免許証の所持が「推奨」されているのはそのためです。みなさまは「絶対に」真似をしないでください(苦笑)特に、英語でのコミュニケーションがままならないと、連行される可能性は倍増します。

<免許センターに申請すればすぐに発行される国際免許証はあくまで免許証の「翻訳証」>

 このようにして、初めての留学の最後の週末に、最大のトラブルかつ最大のピンチが待ち受けていました。今思えばこれも、とても良い経験であり様々な教訓と知識となったものだと思えるのですが、「コートハウス(裁判所)へ来い」と言われていたので、この問題を処理し終えるまでは生きた心地がしませんでした(苦笑)「裁判所」と聞くと日本では相当に深刻なイメージになりますが、アメリカでは裁判所は意外にも身近な存在であり、スピード違反の罰金なども裁判所で支払います。こうしたアメリカにおける裁判所の位置付けを知ることが出来たことだけでも、この経験は決してマイナスばかりではなかったと「今では」(笑)思います。

 その後のスピード違反の処理とサンタバーバラで過ごした最後の日々につきましては、また次回のブログにてご紹介したいと思います。

 みなさまも、ぜひ世界に飛び出して様々な経験を実際にされてみて下さい。良いことも悪いことも、その全てが自らの世界を必ず広げてくれます。

To be continued.

Santa Barbaraその17。に続く