Santa Barbaraその18。SBでの経験がくれたこと

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

 サンタバーバラでの最後の1週間、僕らは英語の勉強よりも「カリフォルニアを最後まで満喫すること」に気持ちが傾いて行きました。良いことも悪いこともある日々でしたが、それらが全て「かけがえのない思い出であり経験」だと言うことを、共通に感じていたからだと思います。放課後はそれまであまり散策しなかったサンタバーバラのミッションや市役所、ビーチなどを毎日訪れました。今思えば、僕らは真面目過ぎる留学生だったかも知れません(笑)

<サンタバーバラの市役所は街のシンボル>

<町外れにある”Santa Barbara old mission”>

 サンタバーバラでの最後の水曜日の放課後、僕とマユミとナギサはサンタバーバラの近くにソルバングという綺麗な町がある事を聞き、翌日の午前中のクラスはサボって(笑)その町へ一泊二日の小旅行をすることに決めました。スピード違反が片付いたばかりにも関わらず懲りもせずに僕は再び国際免許証なしでレンタカーを借り、サンタバーバラから片道一時間ほどの場所にあるソルバングへと、今度は速度に気をつけながら(苦笑)向かいました。

<ソルバングは北欧を模した小さな町>

 当日の思いつきでレンタカーを借りて飛び出したためホテルも予約しませんでしたが、町外れの小さいながらも素敵なモーテルに飛び込んだところ、部屋は一泊たったの40ドルでした。夕飯を町の小洒落たレストランで取り夕飯後は部屋でお酒を飲みながら、最後の語らいの時間を楽しみ、翌朝は北欧を模して作られたソルバングの町やオールドミッションを散策して、昼頃にサンタバーバラへと帰着しました。クラスへ戻るとクラスメイトに”You skipped your class!”(あなた、クラスをサボったわね!)とからかわれましたが、このショートトリップも最後にまた一つ仲間たちと時間を過ごすことが出来た、とても大切な思い出です。

<飛び込みで宿泊した町外れの素敵なモーテル>

 そして最後のクラスの前日、僕はボルツに「最後に一緒に遊びに行こう」と誘われていたのですが、当時ボルツとアグネスが大ゲンカをしている最中で(その理由も、アグネスが僕の夕飯は作ったのにボルツの分は作らなかったと言う、何とも下らないものでしたが…苦笑)、アグネスが横から現れて「そいつと一緒に行く必要はない」とクギを刺し、間に挟まれた僕は何も言えずに”I can’t choose…”と困り果てた事を覚えています。最初から最後まで、僕はアグネスの舎弟であったのは間違いありません(笑)

<語学学校のクラスメイトたちと最後の記念撮影>

 そして語学学校での最後のクラスを終えた金曜日、クラスで記念撮影をして学校とお別れをした僕らにアンドレアを加えた仲間たちは、町のイタリアンレストランで最後のランチを一緒に食べたあと、サンタバーバラの町を散策して、バスディーポでそれぞれのバスに乗ったのが1カ月を共に過ごした仲間たちとのお別れとなりました。それぞれが日本の各地に散っていたためその後当時の仲間との再会は叶っていませんが、第2の故郷で思い出を共有した仲間たちの名前や顔はもちろん、その声まで20年経った今でも、ハッキリと思い出すことができます。

<最後の授業後にアンドレアと>

<サンタバーバラのバスディーポが最後の別れの場>

 そして1か月滞在したステイ先を離れサンフランシスコへ向かう際に、腰の手術をしたためベッドから動けなかったカレンは最後に僕を呼んで、「あなたのお別れパーティーを開けなくてごめんなさい。あなたは本当に素晴らしい青年だったわ。次に来る時にはこの家にいつでも泊まってね、お金はいらないわよ」と言ってくれました。もう少し英語が話せたらちゃんとしたお礼が言えたはずでしたが、僕は”Thank you, I enjoyed.”と言うのが精一杯でした。この時も懐の深いホストマザーとアメリカ合衆国と言うオープンな国に対する感動を覚えたと同時に、英語が話せない自分の情けなさを再認識した事を深く覚えています。カレンの母親がボルツと共に(笑)サンタバーバラの空港まで送ってくれましたが、ボルツが最後に”Next year!”(また来年!)と言った事も、最後まで彼らしいなと笑った良き思い出です。

<小さな空港でタクシーに乗る事から始まった留学生活>

<サンフランシスコを1人で巡りながら色々な事を考えた>

 その後2日間サンフランシスコで思い出の場所を1人で巡る間、そして帰りの飛行機の中で僕が考えた事はと言うと、

「このまま終わる訳にはいかない。英語を話せるようにならなければいけない。世界で通用する人間になりたい」

と言う悔しさと、新しい人生の目標でした。帰国した僕は次の夏休みでのリベンジに向けて、英語学校に通いながら狂ったように英語力の向上に取り組んで行くことになります。それはまさに日本にいながら英語漬けの日々を送る毎日で、週3回の英語クラスの出席に加えて通学の電車内では単語の暗記とリスニング、毎日カフェでTOEICテキストに取り組み、大学の講義中も英語のテキストを開き(笑)、娯楽も海外ドラマのDVDを英語字幕で見ると言う徹底振りでした。サンタバーバラからの帰国直後に英語学校で受けた診断テストでのレベルはTOEIC560程度でしたが、二か月後に初めて受けた本試験では650、その翌月のテストではスコア800に達することが出来たのは、サンタバーバラでの悔しさがあったからこそです。1か月と言う短い期間でしたが、そこでの経験はその後の人生を完全に変えるほどにショックでありながらも刺激的なものであり、それまでは理由もなく義務としてしの勉強しかしたことが無かった僕に、人生の目標前向きな姿勢を生まれて初めて与えてくれたものです。今でも僕は、サンタバーバラは自分が生まれ変わることが出来た第2の故郷であると思っています。

 よく「英語力の向上に最も効果が薄いのが短期留学だ」と単純に主張する人がいます。「その期間の英語力の向上」だけ見れば、それは嘘ではないかも知れません。たかだか1〜2か月の短期留学で英語力が劇的に向上することはあり得ないでしょう。ですが、その短期留学を無駄と思うのか、その後の糧とするのかはその留学した本人次第であり、2年留学しても海外の大学を卒業しても、驚くほどに英語が話せない人も沢山います。大切なことは海外に滞在した期間の長さではなく、その経験を生かしてどれだけ自分で頑張れるか、すべてその後の本人次第です。そして海外へ出ると言う機会がない限り、英語力の必要性を実感する機会はなかなか得るのが難しいものです。その意味でも僕は、例え短期であっても海外で生活をして、異文化の違いと英語の必要性を実感すると言う経験は必要不可欠なものだと思います。僕が米国に滞在した期間はトータルでも4か月にも満たないものですが、それでもその経験をきっかけとして、今ではネイティブスピーカーと英語で議論したり海外で英語でケンカをすることも出来るようになりました。「短期留学は無駄である」と言う主張は本質的なポイントが抜け落ちている、余りに単純な間違いであることを僕は指摘しておきたいと思います。経験に「無駄なこと」など一つもありません。初めから「無駄だ」と思ってしまえば、その時点で成長はゼロです。何事も「実際にやってみる」ことで初めて、そこに何らかのきっかけや価値が生まれます。

 サンタバーバラから帰国して4か月の間に僕のTOEICスコアは200点以上向上し、日常会話はある程度こなせるようになった大学3年の夏、僕はボストンにて再び海外での生活にリベンジしました。それはサンタバーバラでの悔しさに対するリベンジであり、英語を少しは身につけた僕の最初の挑戦でもありました。サンタバーバラでの経験が人生の転機とすれば、ボストンでの経験は僕にとって飛躍をもたらすものとなります。今でも関係の続く貴重な出会いとその財産については、次回より「留学時代の体験:Boston編」にてご紹介したいと思います。

To be continued.

Bostonその1。に続く