Santa Barbaraその8。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

初めての留学も1週間が経ち、金曜の午前中のクラスを終えた僕らは、レンタカーでサンフランシスコへ向かうことになりました。メンバーは、僕、ナツコ、ナギサ、ミチコ、ヒデコさん、チャンさんとRの、大所帯かつデコボコな7人でした。このデコボコ日本人6人と韓国の大学の先生と言う組み合わせがまた最悪で、ミチコが出発前に、「チャンさんが日本語では話さないで欲しいと言っている」とみんなに言うのです。確かに1人だけ韓国人で孤立してしまうのは分かりますし、留学に来ているのだから英語で話すべきなのは分かりましたが、何しろ僕らは英語初心者なうえに日本人同士なので、英語で全てのコミュニケーションを取ることにムリがあります…特にRは全く英語を使おうとせず(正確には能力もありませんでしたが)、お構いなしに日本語で恋バナに花を咲かせ始め、チャンさんが段々不機嫌になって行くのを感じた僕はどうしようもなくただ黙っているしかなかったのですが…

<チャンさんは韓国の大学の英語教師>

運転はまずチャンさんが担当し、疲れたら僕とRが変わることになりました。しかしサンタバーバラの町中から早くもアクシデントが始まります。チャンさんは韓国では同じ右側通行なのだから運転は大丈夫だろうと思っていたのですが、右折の赤信号に止まったまま動こうとしません…(アメリカは信号が赤でも安全なら右折して良いと言う)交通法規の違いを知らずに、後ろの車からクラクションを鳴らされてしまっているのですが、彼は赤なので何が悪いのかと混乱するばかり…さあ、この交通法規の違いを英語で説明するのが大変です。僕はつたない英語で何とかチャンさんに理解させたのですが、他の日本人は一切英語を話そうとせず、僕はこのグループの組み合わせに無理があったと猛烈に後悔しましたが今更どうしようもなく、1人でチャンさんと奮闘する羽目に…後ろで呑気に日本語で恋バナをしているRには特に頭に来ましたが、もちろんアクシデントは1回で済むはずはありません

サンタバーバラからサンフランシスコへはほとんど一本道なので最初は3人で交替するだけで良かったのですが、サンフランシスコに近づくにつれて、「誰が道を知っているんだ?」という疑問が湧いて来ました。僕は地図を持っていましたが、チャンさんは地図も見ずに走り続けたかと思いきや、サンフランシスコの手前で突然フリーウェイを下りてしまい…そして…そう、道に迷ってしまいました…あたりがちょうど暗くなる頃に…

とりあえずガソリンスタンドに車を止めて会議を始めたのですが、チャンさんと話すのは僕1人…Rは無責任に僕に向かって、「おい、頼むよ、あいつ(チャンさん)全然話を聞かないんだよ」などと言って来ます…
「それはお前が英語で話さないからだろ」と僕は心の中で思いましたが、僕はもうこいつらと話しても無駄だと思い、ガソリンスタンドのスタッフに「ここはサンフランシスコか?」と聞いたところ、「ここはサンノゼだよ」と…どうやらチャンさんは違う町でフリーウェイを下りてしまったようでした…

<サンノゼとサンフランシスコの位置関係>

全てを英語で話すのに疲れた僕は、チャンさんに地図を持たせ自分で運転することにしました。刻々とモーテルのチェックイン締め切りが迫る中、メンバー全員が異国の地での迷子に沈黙していたのは逆に救いだったのかも知れません…何とかフリーウェイに戻り、地図を見ながら1時間ほど走ったでしょうか、僕らは締め切りの直前にモーテルにたどり着きました。サンタバーバラから8時間はかかったかも知れません…

<宿泊した町はずれのモーテル>

Rは別のホテルを予約していたためモーテルで別れましたが、翌日ユニオンスクエアで待ち合わせになってしまいました。彼と別れたあと車で周りを走り、何とか見つけたお店で夕飯に食べたタイ料理が何とも美味しかったというかホッとしたというか…しかし翌日からも僕はチャンさんとRとヒデコさんとの間で振り回されることになります。続きはまた次回のブログにて…

To be continued.

Santa Barbaraその9。へ続く

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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