英会話を学ぶことの大きな目的の一つに、「異なる文化や価値観を理解すること」があります。この相互の理解は今後の世界から宗教対立や民族紛争を無くすためには必ず必要なことと言えるでしょう。
それでは、「異なる文化を理解する」とは、一体どのような姿なのでしょうか。
僕がこれまで様々な国を訪れて色々な国の人間と話したり交流をして来た中でこれが人間にとって最善であると考えたのは、実はこれまで世界が考えて来たような「お互い仲良く交流を深めよう」と言うような姿ではありません。とても冷徹に聞こえるかも知れませんが、僕はこのように結論付けました。
「お互いを理解し尊重した上で、一致を求めずお互い必要以上の干渉を避けるべきである」
なぜこのような結論となったかと言うと、結局私たちはそれぞれが生物としての欲をベースとして生きている人間と言う名前の動物だからです。つまりお互いに近づこうとする行動は私たちの「欲」であり、等しくなろうとする試みは私たちが互いの価値観の一致を要求すると言う自分のためでしかない行動であるからです。私たちが欲を元に生きている人間である以上、最終的にたどり着ける姿とは可能な限りこの欲を抑えること、つまり「他者に自らの価値観を求めないこと」です。
この「価値観の一致を求める」と言う行動が残念ながら、これまでの対立や紛争に終止符を打つことが出来なかった根本的な原因です。西洋社会を中心とした今までの理想がたどり着いたのは結局、宗教対立とテロリズム、民族対立と差別であり、それは圧力と反発が終わらず繰り返される世界であったことは否定出来ません。圧力はかつてよりは争いの数を減らすことは出来たかも知れませんが、対立を無くすことは出来なかったと言う点においてここが限界であると考えられます。
この現状を私たち世界がもう一歩進めることが出来るとすれば、それは自らの価値観の押し付けを止めて他者を尊重すること、異なるものを異なるままに容認することではないでしょうか。そのためにはお互いの価値観を交換し理解したら、それ以上のことをお互い求めない事が必要です。それ以上は他者や他文化に「干渉しない」と言う、ある意味で大人としての振る舞いが大切です。
誤解を招かないようにすると、「必要以上の干渉をしない」と言うのは「理解を諦める」と言うことではありません。まずコミュニケーションを取った上でお互いの違いを理解し認め合い、可能な限り譲り合う努力をしながら自らの価値観を押し付けることをやめる、と言うことです。異なる文化や他者を尊重し共生するとはそうあるべきものです。「協力」をする一方で「一致」を求めてはいけません。「お互いのため」が「自分のため」に変わった瞬間に、人間には必ず衝突が生じます。自分と同じであることを求めてはいけません。
これまでの世界は国境を無くしたり共同体の設立による同化と一体化を押し進めて来ましたが、それはEUの崩壊や国連の無力化を見る限り限界であると言えるでしょう。それは元々に異なるものを無理矢理一つにしようと試みた事に原因があります。つまり人類は「理想を追い求め過ぎた」と表現することができます。私たちが生き物である限りは、欲を完全に放棄して理想的に生きることは出来ません。現在の世界は、無理な理想が副作用としての反発と対立を生み出している状況です。
身近な人間関係に戻って考えてみましょう。価値観の一致や過剰な干渉がもらたす代表的な失敗例として分かりやすいのは家族関係、特に親子関係です。子離れ出来ない親、親離れ出来ない子供の関係とは必ず、その後の関係とその他の人間関係の中に支障を来します。相互が過剰に依存していて過剰に期待をしているために相互を束縛し、その期待に応えない場合にはそれが衝突へと発展します。マザコンやファザコンを想像すれば分かりやすいかと思いますが、こうした関係において子供が自らの思い通りにならなければそれだけで親は不満を覚え、子供は親が助けてくれるのが当然、そうでなければ裏切りと判断してしまいます。このような過剰な依存や干渉は相互の自立を妨害するだけでなく、「期待に応えないのは悪いこと」と言う自らの欲望を増幅させる結果となります。こうした人間関係は親子に限ったものではなく、かつての日本に見られたような「家を継ぐのは当然」「子供が親の面倒を見るのは義務」と言うような束縛を生み、その束縛はそれが実現しなかった際の衝突へと通じます。しかしながらその原因とは実は「過剰に期待していること」、つまりそれぞれ個人の欲でしか無いものです。これらは「友達だから」「同郷だから」と言ったケースも同様で、自己の責任を他者へと転嫁する欲望の口実でしかありません。自立出来ない関係とは結局、他者に負担を押し付けるための準備を常に行っているようなものです。
これは国家間や異文化間でも同じことが言えるだろうと僕は考えています。過剰に価値観を押し付けることや異なる存在を尊重出来ないことはそれぞれの欲でしか無く、その欲が満たされない時に必ず衝突へと変わってしまうものです。世界の各個人はそれぞれ自立をして、協力はしても干渉はしないことがあるべき姿と言えます。理解をしてそのまま違いを受け入れ許容し合うことが必要です。
価値観の一致を強要することは結局、世界レベルで全体主義を求めているようなものです。そうではなくこれからは他者との違いを理解し受け入れるために、多様で異なっていることを尊重できるように、私たちはぜひ日本の皆さまに英会話をもっと学んで欲しいと願っています。それは私たちが自らの価値観を押し付けるためではなく、異なる存在を理解し受け入れるために持つべきスキルと姿勢であると考えています。「あなたと私は違うけど、それで良いのだ」と言う、新しい国際関係のあり方をぜひ皆さまにもお考え頂けたら幸いです。
“You and I are different.”
※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!
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