ネパールのストライキ

このブログは2011年の12月にインドからネパールを旅した際の体験です。ぜひ「インドの食あたりその2(2011年編)」から続けてお読みください。

前日にインドでホテルの弁当に食あたりし、なんとか国境近くのホテルにたどり着いた僕は友人に薬を飲ませて、なんとか翌日には移動出来る程度に回復しました。この日はスノウリから約20km離れた、仏陀生誕の地であるルンビニを訪れ、翌日の飛行機でカトマンズへ行く予定でした。

朝、まだ青白い顔をしていた友人はバナナ1本しか食べることが出来ず体調が心配だったのですが、この日にルンビニへ行かないともう訪れる機会はないだろうと思い、「まあ、20kmならタクシーで1時間もあれば着くだろう」などと楽観視していました。ホテルをチェックアウトしてフロントでタクシーを呼んでくれと言うと、「今日はタクシーはないよ」と言います。「え?じゃあバスか何か?」と尋ねると、「バスもない」と。「え、何か交通手段は?」と聞いたら、「今日はストライキだから、国中何もないよ」という驚愕の返答が…

翌日の飛行機でカトマンズへ行ってしまうからどうしてもこの日にルンビニへ行きたかったので、ホテルのスタッフに何か方法がないか尋ねると、「リキシャーなら捕まるかも」と言います。「リキシャーか…快適じゃないけどしょうがない…」と思いましたが、とにかく捕まえてくれと頼むと、何とやって来たのはバイクのオートリキシャーではなく、自転車のサイクルリキシャーだったのです、しかも細くて歳をとった運転手の…

<サイクルリキシャーの運転手>

これで20km移動するの…?マジか…?」と思いましたが、他に手段はないとホテルのスタッフが言うので、どのくらいかかるか聞いた所、「まあ、1時間半くらいじゃない?」などと適当な事を言います…(20kmと言えば、東京からだと横浜の手前まで行ってしまう距離です、それを自転車とは…)しかし他に手段はなく、かくして大人2人と荷物3つを載せたサイクルリキシャーの旅が始まった訳です…

<荷物を載せるとこの状態>

何しろ重いので、リキシャーは中々進みません。運転手も「どうしてよりによってこの人を捕まえたんだ…」と思うほど頼りなく、上り坂になると最早こぐことも出来ません。本当に1時間半で着くのかと思っていたら、1時間半後に何やら10kmという標識が…そうです、ようやく半分です…。結局ルンビニまで3時間冬の風が吹きつけるサイクルリキシャーの上で過ごすことに…唯一の救いだったのは、体調不良の友人はずっと眠っていたことでしょうか…

<道端には貴重な光景も>

何とかルンビニのホテルにたどり着くとすぐに記念公園を見に行こうとしたのですが、リキシャーの運転手が「もう疲れたから行くのはイヤだ」と言い始めました。実は最初に料金を交渉した際は、ルンビニまで行って、記念公園の中を周って30ドル(値段は定かではない)と決めたのです。記念公園を周るリキシャーの値段は一律いくらと決まっているので、「じゃあもういいから、記念公園の分10ドルは払わないよ」と言うと、運転手はそれじゃ少なすぎるとゴネ始めます…ホテルのスタッフに通訳してもらい散々揉めましたが、結局25ドルほど払ってあげる事になりました。まあ3時間大人2人荷物3つを運んで、また3時間かけて帰る訳ですから…ホテルのスタッフも「リキシャーでスノウリから来たの!?」と驚く始末。でもおそらく、彼は1日で1週間分の稼ぎを得たのではないかと思います…

<ルンビニ記念公園>

途上国でのトラブルは何が起こるか想像もつきませんが、そんな時に重要なのは交渉力です。英語が上手ければ良いと言うよりは、臆せず何でもハッキリ主張することが重要かも知れません。途上国の個人旅行はトラブル続きですが、ぜひチャレンジしてみて下さい。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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インドの食あたりその2(2011年編)

2011年の12月、僕らはインドとネパールを周ることにしました。僕は3年前のインド旅行でひどい食あたりに遭い命からがら帰国した経験からインドを訪れるのは正直イヤだったのですが、友人がどうしても行きたいと言うので渋々承諾しました。

詳細は「インドの食あたり(2008年編)」をご覧頂きたいのですが、インドで食べ物にあたるとその悲惨具合は日本とはレベルが違います。下痢と嘔吐を繰り返し身体中の水分が抜けて、高熱でもあるかのようにフラフラして歩くのもままならない程です。もちろん日本で市販している下痢止めや整腸剤は全く効きません。かと言って現地の薬を飲むのも怖いなと思った僕は、ネットでアフリカなどに渡航する方などが予防注射を射ったりする「トラベルクリニック」というものを見つけました。そこで強い下痢止めと抗生物質が手に入るということで、あらかじめ薬を用意することにしました。

トラベルクリニックを訪れ下痢止めセットを10日分ほど購入してお会計に進むと、なんと1万円だと言います。「そんなに高いの!?」と思ったところ、薬の事前処方は症状がないため健康保険の適用外とのこと。お財布は空になってしまいましたが、後々この薬に救われることになります。

こうしてインドに再び足を踏み入れた僕らは、コルカタ〜バラナシ〜サールナート〜クシナガラとヒンドゥー教と仏教の聖地をめぐり、ゴラクプルからスノウリを経由して陸路でネパールに入国する計画を立てました。気をつけたことは、ホテルのミネラルウオーター以外は飲まない、ガイドブックに記載のないレストランで食事しない、町中や駅で売っているものは食べないなど、衛生面を徹底した上で移動もトイレのある飛行機と鉄道のみとしました。

旅はトラブル続き(他のインド関連ブログ参照)でしたが、なんとか予定通りに仏陀が亡くなった地であるクシナガラに到着しました。クシナガラは小さな村で、外国人が快適に宿泊出来るホテルは一軒しかありません。翌日ゴラクプル経由で鉄道でナウタンワまで行きネパールへ抜ける予定だった僕らは、このホテルでランチボックスを作ってくれないか頼みました。メニューはチキン、マフィン、オレンジ、そして何故かおにぎりでしたが、「これで無事にインドを抜けられる」とホッとしました。この弁当が再びの悲劇を導くとは疑いもせず…

<ホテルで注文した弁当>

鉄道の中でお弁当を食べ、ナウタンワからリキシャーでスノウリに入り無事にネパールに陸路で入国した僕は正直作戦勝ちを確信していたのですが、ネパールのイミグレーションで入国手続きをしていると友人が気持ち悪いと言い出しました。僕は何とも無かったのでとにかく急いでホテルへ向かおうとタクシーを探していたら、後ろにいたはずの友人が見当たりません。遥か後方に彼を発見した僕は戻ってどうしたのか尋ねると、なんと路上で吐いてしまったと言います。ホテルの部屋にたどり着くと、今まで一度もお腹を壊したことのなかった彼がトイレから出て来ません。嘔吐と下痢の症状はまさに3年前に僕が経験した「インドの食あたり」でした…しかしまさかホテルの弁当で当たろうとは…やはりインドはインドということでしょうか…

<インドのイミグレーション>

しかしこんな時のために用意した高価な薬です。飲ませておとなしく休んでいたら、友人は丸一日ベッドから立ち上がることが出来なかったものの翌日にはなんとか移動出来る程度に回復しました。まさに薬に救われた訳ですが、一体弁当の何が悪かったのかは謎のままです。彼が食べて僕が食べなかったのはマフィンだと言うのですが、果たしてマフィンでも当たるのがインドなのか、はたまた僕には3年前に抗体が出来ていたのか…いずれにせよインドの食あたりの洗礼からは逃がれられないのだと痛感しました…

<国境近くのホテル>

余談ですが、トラベルクリニックの薬は高いので、薬を用意する時はかかりつけの医院で出してもらう方が安く済むかもしれません。ただインドの食あたりは菌によるものなので、抗生物質がないと効きません。お医者さんには、「インドでも通用する」1番強い薬をリクエストしましょう(苦笑)

「ネパールのストライキ」に続く

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インドの食あたりその1(2008年編)

2008年の11月、僕は両親と共に初めてインドという国に足を踏み入れました。インドと言えば、暑くて、食べ物は全部カレーで、カーストと呼ばれる生まれながらの身分制度が今でもあり、人口が中国を追い越しそうなくらい多くて、空気や衛生状態が悪い…そんな前知識は持っていましたが、そんな秘境に行ってみたいとずっと思っていました。そこが想像以上に恐ろしい場所なのだとは思いもせずに…

インドと言えばバックパッカーの聖地。そして初めて訪れた人が必ず経験するのが「食あたりによる下痢」です。ガイドブックには「お腹は必ず壊すので諦めて下痢とうまく付き合いましょう」、などと無責任な事が書いてあります(苦笑)僕らはバックパッカーではありませんが、父は旅行会社で嫌と言うほどツアーの添乗をしていたので、家族旅行は当然のように個人旅行です。そのため「自分の身は自分で守る」しかありません。何しろインドでは、水道水を飲むのはもちろん、町中に売っているミネラルウォーターすら信用できません。入れ物だけ再利用して川の水を入れて売っているなんて話があるくらいで、スーパーでも水を買うときはフタが開かれた形跡が無いかどうか確認する必要があります。両親は「水は日本から持っていくものしか飲まない、歯磨きも日本の水で」と言ってトランクに水のボトルを詰め込んでいました。「さすがにそこまでしなくても…」なんて僕は思ったのですが、インド旅行はどれだけ対策を練ってもやりすぎることは無いのだと、後ほど嫌と言うほど思い知らされることになります…

<水は日本から持参か、ホテルのものをずっと持ち歩く>

旅行は香港乗り継ぎでムンバイへ入り、そこからフランシスコ・ザビエルの遺体が安置されたことがあるゴアへ、ムンバイ経由で飛行機を乗り継ぎデリーを観光して、デリーからタージ・マハルのあるアーグラーへ日帰りし、ムンバイ・香港経由で日本へ帰るというコースでした。香港・バンコクを経由したキャセイパシフィック航空でムンバイへ到着したのは夜。空港を出た瞬間、僕は今までに感じたことのない空気を感じました。「この国はヤバい」という空気を…

<冷房付き?のプリペイドタクシー。 トランクも閉まらないままひもで縛って発車…>

空港でプリペイドタクシーのチケットを購入した時、タクシーには冷房がついているとの事でしたが、実際の車を見て固まってしまいました。「この車、本当に走るのか?」、そういうレベルです。荷物も多い方では無かったのですが、なんとトランクに入りません。すると運転手はトランクのカバーが閉まらないので、ロープで縛り始めるじゃないですか…こんな状態で30キロはあろうかと言うムンバイの中心街まで行けるのか、本当に不安を感じました。走り出すと町は暗く、人が何もせずに道のわきでブラブラしていて、町並みはかつて見た事がないくらい古くて貧しく、本当にタイムスリップしたんじゃないか、そんな気分になりました。近代的なホテルに無事にチェックインした時は本当にホッとしたものです。

<ムンバイのタージホテルとスラム街で魚を売る人々。タージホテルでは帰国後テロで爆発がありました…>

<デリーの町中は牛だらけ。オートリキシャーには信じられない数の人が相乗りしていました…>

翌日からの旅は思いのほか順調でした。食べ物はカレーばかりながら安くて美味しく、ガイドブックに載っている店なら大丈夫だろうと、僕は好物のマンゴーラッシーなどを平気で飲んだりしていました。両親は「そんなの飲んで大丈夫か…」みたいな雰囲気でしたが、全くお腹を壊すこともなく、ムンバイ・ゴア・デリー・アーグラーと観光して、旅行も残り2泊を残すのみとなりました。その日本に帰国する前々日の夜、少しカレーに飽きた僕は、夕飯は中華を食べようと提案しました。ニューデリーのコンノート・プレイスと言う、ちょっとお洒落で高めのレストランが集まる場所で、僕らはインドではおそらく立派すぎるであろう中華料理レストランで夕飯をとりました。食べたものは、炒飯、麻婆豆腐、肉や野菜を炒めたものや餃子など、火の通っているものばかりでまさか食あたりするなどとは夢にも思わないものばかりだったのですが…

<この中華料理が原因なのかどうかは今も不明>

その日の夜中、僕はお腹が痛くなりトイレで目が覚めました。やはり下痢だったので、ああ、とうとう当たっちゃったか、最初はその程度の感覚でした。しかししばらくすると気分が悪くなり、吐いてしまいました。その後下痢と嘔吐を繰り返し眠ることが出来ず、朝には外に出るのも厳しい状態に…。両親は大丈夫な様子だったので、僕はチェックアウトまで1人でホテルで休むことにしました。胃腸薬、下痢止めなど飲みましたが全く効かず、体調は悪くなる一方です。両親が戻り昼食を食べに出たのですが、何しろ吐き気で食べることが出来ず、飲み物を飲んだらすぐにお腹を下してしまいます。昼食後お土産を買いに町へ出ましたが、頭は高熱でもあるかのように熱く足はフラフラして歩くのもままならず、貧血のように血の気が引いて気が遠くなり、お腹も痛くトイレも我慢できないので、僕は両親に頼んで残りの時間をホテルのカフェで休むことにしたのですが、水分を摂っても摂っても下してしまい、身体は脱水症状で全身から水分が抜け、力は入らず頭はクラクラしてもうろうとし、高熱でうなされているような、宙に浮いているような、まるで全身が自分の体ではないような感覚です。「これ、もしかして死ぬんじゃないか…、明日日本に無事に帰れるだろうか…」そんなことを本気で考えました。その夜LCCでムンバイに戻ったのですが、冷房の効きすぎた空港で飛行機が3時間も遅れ、ただでさえ瀕死だった僕はもう「生きるのか、死ぬのか」、そんな状態でした。新聞紙を体に巻いて寒さをしのぎ、やっとの思いで乗り込んだLCCには毛布もなく、父がジャケットを貸してくれましたが、「命からがら逃げ帰る」、まさにこの言葉がピッタリで、飛行機から降りる際は階段から落ちてしまい、周りから「Are you okay!!??」と叫ばれる始末…。翌日ムンバイの空港でキャセイパシフィックの飛行機を見た時、そして飛行機から香港の街が見えた時、文明の有難さをこんなに実感したことはありませんでした…インドから「救出された」のだと…

<この飛行機を見た時は涙が出そうになりました…香港の街が見えた時は「ああ、これで助かる」と…>

ちなみに、母親は帰国の前夜、父親は帰国の翌日にやはりお腹を壊しました。僕は症状が最も酷く、日本に帰国してからも下痢が約2週間続きました。トラウマでそれまで大好きだったインドカレーもかなりの期間食べることが出来ませんでした。「もう二度と、インドには行かない…」少なくとも2年くらいはそう決意していたと思います(苦笑)インドで食べ物に当たると「お腹を壊した」程度の症状では済みません。もしツアーに参加するのであっても、医者が処方するような強い下痢止めと抗生物質を持って行くことをお勧めします。(その後、2回目のインドの旅では薬に救われることになります。2度目の食あたりについては「インドの食あたりその2(2011年編)」もぜひお読みください。)

インドは、非常に魅力的な国です。美味しい食べ物、混沌としてエネルギッシュな雰囲気、タージ・マハルなどの美しい建築物や価値ある遺跡…そして何より、人が必死に生活していることを肌で感じることが出来る貴重な場所です。インドが普通の文明国になってしまう前に見ておくべきだと、僕は思います。ですが、くれぐれも念入りに準備をして渡航して下さい。万が一にも犬に噛まれたら「命に係わる」、そのような国ですので…

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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