アメリカ英語とイギリス英語の違いを考える必要がない理由

アメリカで話されている英語とイギリスで話されている英語に違いがある、と言うのは皆さまもご存知の通り、有名な事実です。アメリカ人に言わせれば、世界的にスタンダードなのはアメリカ英語だと言うでしょうし、イギリス人に言わせれば、英語はイギリスの言語なのだからイギリス英語こそが正しいと言うことでしょう。実際にアメリカ人とイギリス人が会話をすると、お互いに「その英語は間違っている」と訂正し合う、などと言う笑い話まであります。

では、皆さまはどのようにお考えになるでしょうか。世界の中心はニューヨークだから、アメリカ英語が正しいと思いますか?発音がクリアな、発祥の地であるイギリスの英語を学ぶべきだと思いますか?

結論から言ってしまえば「どちらが正しいかを考える事にはもはや意味がない」と言うのが正解です。なぜなら、英語とは今やアメリカ語でもなければイギリス語でもなく、「世界の共通語」として学ぶべきものだからです。

「そうは言っても少しでも正しい方が良い」と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、そう言う方にまずお聞きしてみたいと思います。

「あなたは、英語を聞いた時にそれがアメリカ英語なのか、イギリス英語なのか、ハッキリ自信を持って区別出来ますか?」

もしアメリカ英語とイギリス英語を完全に聞き分けることが出来る方なら、おそらくTOEICなら900点以上のスコアが取れるでしょう。そのような方は、英語を習うよりもう教えた方が良いかも知れません(笑)逆に言えば、アメリカ英語とイギリス英語の違いとはTOEIC900点レベルになって初めて区別出来るものであって、アメリカやイギリスに移住する予定でもなければ、そのレベルに達するまでは考える必要のないことです。どちらの英語を学んでも、基本的な単語や文法は同じです。

そもそも21世紀の現在では、「どの英語が正しいか」を決めること自体にもはや意味がありません。英語はそれぞれの国や地域で異なるそれぞれの英語が使用されており、「スタンダードな英語」と言う概念は存在しないのです。アメリカではアメリカ英語が、イギリスではイギリス英語が、オーストラリアではオーストラリア英語、インドでは独自に発展した英語、シンガポールではシングリッシュが話されています。

<世界には国の数よりも多い英語がある>

もちろんインドの訛った英語やシングリッシュはかなりクセのあるものなので、それを基準に勉強したり文法や発音が明らかに間違っている可能性があるネイティブではない英語を学ぶことはお勧め出来ませんが、アメリカ、カナダ、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドといった国のネイティブスピーカーから英語を学ぶのであれば、TOEIC900点を取るまではその違いにこだわる必要は全くありません。

例えば、もしあなたが「ニューヨークで話されている英語こそが世界基準だ」と考えてニューヨーカーの英語を徹底的に勉強したとすると、その中の「ニューヨーカー特有の表現」はニューヨークでしか通用しません。さらに言えば、ニューヨークの中でも人種によって話されている英語が違います。白人英語、黒人英語、アジア系の訛り、ヒスパニック系の訛り。ニューヨークの中だけ見ても、実は「英語とは1つではない」のです。

<ニューヨークで全員が同じ英語を使うわけではない>

例えば”often”という単語の発音を例に挙げてみましょう。日本ではこの単語は「オフン」と発音し、「tは発音しないのが正しい発音だ」と教えられていますが、実はこれも大きな誤りです。「tを発音する人もいる」というのが正解で、どちらの発音が正しいかを2人のアメリカ人に聞いてみたところ、1人は「アメリカの北部ではtを発音するけど、南部では発音しない」と答え、もう1人は「フォーマルにはtを発音して、発音しないとカジュアルな響きになる」と答えました。「アメリカの北部はフォーマルで南部はカジュアル…」と考えれば何となく辻褄も合うような気もしますが、いずれにせよ唯一真実と言えることは「発音は1つではない」と言うことです。

<アメリカでも北部と南部、東部と西部の英語は異なる>

また、”fish”と言う単語の複数形についても考えてみましょう。この単語は単複同形で、数が増えても”a fish, two fish, three fish…”となりますが、辞書には”fishes”と言う複数形も記されています。これはどういう理由かと言うと、同じ種類の魚は何匹いても”fish”ですが、複数の種類の魚に関しては一部の地域では”fishes”という複数形を使用することがあるためです。ニューヨークでは魚は何匹いようが何種類いようが単複同形の”fish”ですが、辞書にも記されている通り複数形を使用する地域があるのもまた事実です。これはネイティブスピーカー同士でも意見が分かれてしまう内容でどちらが正しいと決めることはできず、「2つの使い方がある」と結論づけるしかありません。

さて、そろそろ皆さまもお気づきかと思います。「英語には絶対の正解がない」と言う事実に。国によって、地域によって、人種によって、場合によっては個人によっても英語とはそれぞれ違うものなのです。特定の地域特有の英語を頑張って勉強しても、それは他の地域では通じない可能性すらあるのです。それだったら特定の地域の英語だけが分かるよりも、様々な英語を幅広く理解出来る方が良いと思いませんか?実際にネイティブスピーカーでさえも「実はネイティブスピーカーも実際には正しい文法で英語を話してはいない」と言っています。私たちがニュースで読まれているような綺麗な日本語を話していないのと、きっと同じなのでしょう(笑)

つまり英語を世界の共通語として学ぶ限りは、アメリカ英語とイギリス英語の違いにこだわる事はもはや何の意味もないことです。綺麗な英語にこだわるよりも、普遍的に誰もが分かるようなシンプルな言い方をする方がコミュニケーションはスムーズに運びます。発音も必要以上にこだわりを持つことは時間の無駄です。よく日本人は”R”と”L”の発音を使い分けられないと言って矯正しようとする講師がいますが、例えばレストランで”rice”(お米)を”lice”(シラミ)と発音したとして、勘違いするウエイターが果たしているでしょうか(笑)そもそも、アメリカやイギリスではウエイターが英語のネイティブスピーカーであるとも限りません。細かい発音の違いや正しい文法に時間を掛けてこだわるより、基本的な文法と必要な単語を覚えてシンプルかつ流暢に使える方が、コミュニケーション力は遥かに高まります。こういう細かい違いにこだわるのは、TOEIC900点が取れてからで十分です。

「世界の共通語」である英語において「正しい英語とは何か」を決めることにはもう意味がありません。アメリカ英語やイギリス英語、細やかな発音や難しい文法にこだわって勉強する前に、身近な外国人とシンプルにコミュニケーションを取ることに挑戦してみてはいかがでしょうか。

なぜなら英語とは、

「世界中で使われる、共通語としてのコミュニケーションの手段」

なのですから。

English is neither American nor British language. It’s “the common language” to understand and respect the difference of us all around the world.

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アイルランドの歴史と言語事情

本日、SSEAでは新たにアイルランド出身のネイティブ講師がチームの一員となりました。

「あれ、アイルランドには、アイルランド語はないんだっけ?」

と気づいた方は鋭いです!実は「アイルランド語」と言う言語は確かに存在します。では、アイルランド語があるはずなのに、なぜアイルランド出身の講師は英語のネイティブ講師なのでしょうか。本日はその理由を、アイルランドの歴史と言語事情を交えてご紹介したいと思います。

<アイルランド共和国の国旗>

現在のアイルランドにおいてはアイルランド語を第一言語として話す人々はわずか数%と言われており、わずかな狭い地域のみで会話に使用されているのみで、アイルランド国民のほとんどが英語を母語として育った英語のネイティブスピーカーとなっています。アイルランドではアイルランド語が国語として定められているものの、ほとんどの国民は学校で勉強するのみで、会話に使用するのもままならないほどにその存在は危機に瀕しています。

この状況に危機感を持ったアイルランド政府によってアイルランド語復活政策が推進され、アイルランド国内の標識などには英語とアイルランド語の両方が表記されたり、義務教育や公務員試験においてもアイルランド語が必修とされているものの、就職後には多くの人が忘れてしまい、英語が第一言語である状況を覆せる可能性はほとんどないと言われています。

本来、ゲルマン語にルーツを持つ英語とケルト語の一派であるアイルランド語は完全に違う言語であり、当然ながら相互に意思疎通を図ることはできません。きっと、日本人と韓国人が自らの言語で会話をしようとするようなものでしょう。本来アイルランド語を話していた地域であったアイルランドが、なぜ英語が母語の国になってしまったのでしょうか。それには当然、隣接するイギリスとの歴史が大きく関係しています。

<アイルランドと周辺国の位置関係>

本来ケルト人が住み着いた地域であったアイルランドにゲルマン系のノルマン人の侵攻が始まったのは、はるか12世紀にまで遡ります。12世紀中には多くの豪族たちがイングランドの支配下におかれ、とうとう16世紀にはイングランド王ヘンリー8世が「アイルランド王」を自称することとなり、これ以降、多くのイングランド人がアイルランドに入植するようになります。1652年のオリバー・クロムウェルによるアイルランド侵略によりアイルランドは事実上イングランドの植民地となり、1801年にはイギリスによるアイルランド併合が行われ、イギリスによる統治は1922年のアイルランド自由国(イギリス自治領)の成立まで長きに渡り続きました。この間に起こったジャガイモ飢饉や、イングランドによる迫害を逃れた多くのアイルランド人がアメリカへ脱出したため、最盛期に880万人であったアイルランドの人口は現在でも約480万人ほどです。また、この自由国成立の際に北部6州は北アイルランドとしてイギリスに留まることになり、その後のアイルランド内戦へと発展したものの、様々な歴史を経て1998年に国民投票により北部6州の領有権は公式に放棄されました。北アイルランドが今もイギリスの一部となっているのは、イギリスによる植民化と分断の歴史によるものです。このような歴史から、アイルランドにおける対英感情は今でもお世辞にも良いとは言えないものとなっています。

<アイルランド共和国と北アイルランド(イギリス領)>

しかしこうした歴史や反英感情とは逆行するかのように、アイルランド固有の言語であったアイルランド語は第一言語の役割を英語に奪われたままとなったのです。隣接するヨーロッパの金融センターであるイギリスとの経済的結びつきは非常に重要なものであり、その実用性から多くの人々は独立後も英語を使い続ける道を選びました。1990年代の「アイルランドの奇跡」と言われる経済成長はアメリカやEUによる投資や援助が大きな役割を果たし、英語を母語としない者は社会的にも不利な立場になってしまうとの現実から、例えアイルランド語が話せる母親でもその子供は英語で育てるのが現状で、アイルランド人にアイルランド語で話しかけても相手が戸惑ってしまうくらいにその存在は小さなものとなってしまったのです。現代のアイルランドの街中でアイルランド語を耳にする機会はほとんどなく、多くの若者にとってアイルランド語は古典を学ぶような位置づけとなっています。

このような複雑な歴史から、独自のアイルランド語を持ちながら英語のネイティブ国家となったアイルランドですが、イギリス内でもイングランド人とスコットランド人には全く異なるアイデンティティがあるように、アイルランドとしてのアイデンティティはしっかりと残されています。アイルランドは第二次世界大戦中においても、当時は英連邦であったにも関わらず唯一対日参戦を行わなかった国であり、現在ではイギリスにただ傾斜するのではなくアメリカとの経済的結びつきも強めています。

<英語が母語の同じ西洋人でも性格や特徴は全く異なる>

日本人から見ればみな仲間かのように見える英語を母国語とする6か国(アメリカ・カナダ・イギリス・アイルランド・オーストラリア・ニュージーランド)ですが、それぞれにそれぞれの歴史とアイデンティティがあります。英語は現代の地球では「世界語」となった存在であり、もはや特定の国の言語ではない英語を学び話すことと自国のアイデンティティを保つことは、決して矛盾するものではないのかも知れません。今後は英語を積極的に学ぶことで、相互の交流によって逆に文化の違いを理解し尊重し合う事の重要性に気づくことが大切なのでしょう。日本にも近年では、多くの外国人が移り住むようになりました。20年前に、東京がこれだけ国際的な都市になる事を想像していた人がいたでしょうか。日本の良さを保ちながら、「異なる文化を受け入れ尊重する」ためにも、1人でも多くの皆さまに英語を学んで頂ければ幸いです。

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世界を旅して思うこと

今日は1人の日本人として、世界を旅して感じた事や日本に対して思う事を書いてみたいと思います。この記事は、新しく思う事が増えたり、考え方が変わった時は随時更新をして行きたいと思っています。今の時点で世界の全てのことを理解したつもりはなく、まだまだ見たり聞いたり、学ばなければいけない事がたくさんあると思います。

1番始めに述べたいことは、「日本人に生まれた事は幸せだった」と言うことです。他のブログ記事でも触れましたが、日本と言う国の生活環境、そして戦後日本人が築いて来た日本人の価値と評価は、概ね世界のほとんどの国で高く評価されています。どこの国へ行っても「日本から来た」と言って嫌な想いをした事や失礼な扱いを受けた事は、今まで記憶にありません。

それはこの国の人々が積み上げて来た技術や経済力、文化的あるいは自然環境の遺産に加えて、謙虚、勤勉、礼儀正しいと言った日本人の本質が世界の人々に伝わって来た結果であると、しみじみと思います。海外旅行でも、初期の頃は現地の文化や慣習に対する理解が及ばなかった時期もあったかとは思いますが、日本人としてのマナーを守り、現地の文化や慣習を尊重し、礼儀正しく振舞い続けて来た積み重ねがあったからこそ、今の日本人の高い評判へと繋がったのかと思います。他国で入国審査を受ける際も、日本のパスポートを出せばまず疑われる事はありませんし、列に並んでいたら「お前は日本人か?」と聞かれ、そうだと答えたら現地国籍のレーンに案内されそのまま優先的に通された事も1度ではありません。フランスに住む友人に聞く限りでは、同じアジア人でも「日本人」は全く異なるイメージを持たれているそうです。現地に住む台湾の友人と過ごしていた時に、こんな事がありました。メトロの階段を上がるのに2人でベビーカーを担いでいた際に、後ろにいたフランス人から「見ろ、中国人がバカやってるぜ」と侮辱されていたらしいのです。僕はフランス語が分からないので気づきませんでしたが、ここでアジア人の見分けもつかないはずなのに、軽蔑の言葉が「日本人がバカやってる」とならなかった事は、ある意味一つの証拠だったのかと思います。

<子供を大切にする先進国フランスでもバリアフリーは日本よりはるかに遅れている>

先のブラジルワールドカップでも、観戦後にゴミを拾って帰る日本人サポーターの姿が非常に高く評価され、その後の国際大会で真似をする国が続出しました。また、先日のテニスのU.S.オープンで優勝した日本人の血を引く大阪なおみ選手が、表彰式で現地の人々からブーイングを受ける中で行った「気遣いの込められたスピーチ」は、止むことのなかったブーイングを一瞬で拍手へと変えてしまいました。大阪なおみ選手がどの程度日本の文化や習慣に触れて育ったのかは僕には分かりませんが、少なくとも彼女の振る舞いは日本人の評価をまた一つ高めた事は間違いありません。

そして今、日本に憧れ日本を訪れる外国人がものすごい勢いで増加しています。特に若い世代の人たちは、小さな頃から日本製の電化製品や車、アニメ・ゲームや漫画などのサブカルチャーに触れて育って来ているため、欧米人でも有色人種として偏見の目を持つ人はかなり減っているように思います。日本人だけが特別扱いなのかも知れませんが、欧米の国々へ行っても自分が日本人だと言えばみんな嬉しそうな顔をして、親切にしてくれます。確かに日本は欧米以外からG7に参加するアジア唯一の先進国ですが、こうした経済の成熟度以上に力を発揮しているのは、日本人1人ひとりがこれまで積み重ねて築き上げた、日本の世界に対する貢献と日本人に対する評価であるのは間違いないと思います。また、フランスやカナダ、アメリカに行けば多くのアジア・アフリカからの移民を見かけますが、日本人の移民を見かけることはあまり多くありません。アジアではチャンスさえあれば海外で就職をして国を脱出しようとする国民が増えていますが、逆に日本では留学へ行く若者が減っていると言う、全く逆の現象が起きています。留学に行く若者が少ないこと自体は憂うべきことですが、逆に言えば日本の経済と社会がそれだけ安定しており、居心地がよく海外へ脱出する必要がないことの裏返しでもあります。日本から人が出て行かないばかりか近年では外国人の移民や労働者がどんどん流入し始めており、日本は人気の移民先国家として既に世界の第4位となっています。英語圏やフランス語圏でない国にこれだけの移民が来ると言う事は、それだけ日本が魅力的な国なのだと言う確たる証拠でもあります。

このように世界を旅すればするほど、逆に日本の凄さを実感する僕が唯一「まだ及ばない」と感じた国があります。それは他のブログ記事でも度々話題に取り上げている、アメリカ合衆国です。

もちろん、アメリカが政治・経済・技術開発・軍事など多くの点で最先端にあり、世界の頂点に立つ国であることを疑う人はおそらくほとんどいないでしょう。しかし、僕が「日本はまだ及ばない」と感じた出来事は、実は本当にちょっとした事でした。2013年にアメリカ南部、テキサス・ルイジアナ・フロリダ州を訪れた時のことです。僕らはニューオーリンズからフロリダへ、世界初のLCCであるサウスウエスト航空のフライトを利用しました。フロリダの空港に到着し、飛行機から降りようとした時です。前の列にいた乗客がまだ準備に時間がかかりそうだったため、先に降りようした僕を1人の男性が制止しました。”Excuse me.”と…

その時初めて、僕は自分がマナー違反をしかけた事に気がつきました。アメリカでは例えLCCでも、乗客は前の列の人たちが降りるまで、決して前に進みません。正直なところ、これは僕には忘れられない衝撃的な出来事でした。「日本より進んでいる国がある」と言うことを、小さな事から嫌と言うほど痛感しました。そして、自分たちはまだまだ学ばなければならない事がたくさんあると思い知りました。「日本よりも遥かに前を走っている国が1つある。アメリカ合衆国と言う名の国だ」、少なくともこれは確かなことです。

<アメリカではLCCでも障害者や子供連れ家族の優先搭乗は徹底されている>

他の国へ行けば、「やはり日本の治安やサービス、人々のマナーと勤勉さは凄い」と思う一方で、アメリカへ行ったりそのニュースやイノベーションを聞くたびに「やはりアメリカは凄い、まだまだ及ばない」とも思います。日本は、非常に恵まれている国でしょう。おそらく世界で2番目に進んでいる国と言えるかも知れません。しかし一方で、「まだ2番」です。日本人にはまだまだしなければならない事がたくさんあります。まず今後国内でも進むであろう国際化・多様化する社会に適応することが緊急に必要で、そのためには海外の文化や「異なる考え方」を受け入れる下地を作らなければなりません。世界の共通語である英語を会話として使えるようになる事も大切でしょう。そして海外の現状や問題、あるいは見習うべきことを1人でも多くの若者が経験し、日本と言う国をさらに発展させて行く必要があります。

また同時に、「日本は世界への貢献がまだ足りない」とも思います。確かに技術面や経済面、文化的な影響を通じてこれまで多くの貢献をして来たとは思います。しかし、世界にはまだまだ多くの問題があります。「日本が幸せな国ならそれで良い」と考えてはいけないのだと思います。もっと積極的に、世界の平和や貧困の解消を目指して中心的な役割を果たして行かなければなりません。それは決して軍事力を拡大して戦争に加わるべきだと言う意味ではなく、環境・エネルギー技術の開発や発展途上国の産業の育成、あるいは国際社会でのリーダーシップや新しい枠組みの創設など、日本らしいやり方や新しい発想で世界をリードして行けるようにならなければならないと感じます。総合面で日本よりも進んでいる国は、アメリカしかありません。(全ての面ではないことは強調しておきます。)日本が国際社会で行うべき責務はもっと重いはずです。もっと日本の知恵と良さを世界に発信し、アメリカからは学ぶべきことを学び、世界に貢献出来る国となって欲しい、そう願うばかりです。

そのためにも、今後も多くの国々を訪れ見識を広げ、その経験を多くの日本の皆さまに英語と共にお伝えできたら幸いです。そして、世界に貢献するための最大の武器は、やはり英語なのだと思います。1人でも多くの方に、ぜひ英語と共に世界へ飛び出して多くのことを学び日本へ持ち帰って、その知識と経験をこの国と世界へ貢献する事に役立て欲しいと願い、僕自身もそのお手伝いが出来るよう、また自分自身も世界に貢献出来る人間になれるよう、今後も出来る限りのことに取り組んで行きたいと考えています。今後の若者には日本人としての誇りを忘れず、世界を学び日本を知り、そしてその知識と経験で日本と世界へ貢献して行って欲しいと思います。

We can change the world with English.

Find the world, find Japan again.

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ハリネズミのジレンマ

今日は、一見英会話とは関係ないようで、実はコミュニケーションにとても大切だと僕が思うことを書いてみたいと思います。それは、「ハリネズミのジレンマ(hedgehog’s dilemma)」と呼ばれる人間関係における現象です。

「ハリネズミのジレンマ」は「ヤマアラシのジレンマ(porcupine’s dilemma)」と呼ばれることもありますが、哲学者ショーペンハウエルの寓話を元に心理学者フロイトが作った、人間関係に関するたとえ話のことです。

ハリネズミは皆さまもご存知の通り、身体全体に鋭いトゲを持っています。これは自らの身を守るためのものですが、同時に仲間を遠ざけてしまうものでもあります。ハリネズミが寒さに凍えたとき、ハリネズミは身を寄せ合ってお互いを暖めようと試みます。しかし悲しいことに、ハリネズミ同士が身を寄せ合うと、その鋭いトゲでお互いを傷つけてしまいます。お互いを傷つけてしまうことに気付いたハリネズミはお互いを傷つけないようにいったん距離を取りますが、やはりお互いを暖め合おうとして再び近づこうとします。こうしてお互いに近づこうとしてはお互いを傷つけることを繰り返してしまうのが、「ハリネズミのジレンマ」と呼ばれる人間関係です。

<ハリネズミはそのトゲゆえにお互いを傷つける>

これは人間同士にも非常に良く見られる現象で、恋人、夫婦、友人、そして家族と、お互いに近づこうとすると時にお互いを傷つけてしまうことがあります。こうして近づいたり離れたりを繰り返すことで、私たちはそれぞれに適切な距離と関係を少しずつ見つけて行きます。人間関係はお互いに近づきすぎると、傷つき傷つけてしまい関係が悪化することがある一方で、距離をとってしまえば疎遠になり、親密な関係を築くことは出来ません。人にはそれぞれ最適な距離感があるのですがそれを見つけるのはとても難しいことで、その過程で必ず傷つけ傷ついてしまうことがあります。

それでも、例え傷つくことがあったとしても、人はお互いを理解しようとすることを諦めてはいけないのだと僕は思います。お互いを理解し距離を近づけることが出来なければ人々は永遠に他人同士であり、その利害が干渉することがあればそれは必ず衝突と争いへと発展してしまうからです。

実は、英語を話すことや異なる価値観と出会うことは、この「ハリネズミのジレンマ」と全く同じことです。同じ国で育った人間同士でもそうなのですから、異なる文化や宗教を持つ人々が近づこうとすれば、そこには必ず誤解や衝突が生じることがあります。しかしそれでも、粘り強くお互いを理解し、お互いの適切な距離と関係を築くことがとても大切です。それを諦めてしまえば、世界には恐らく戦争や紛争しか残らないでしょう。

僕が初めてカリフォルニアに留学した時に、同じ家に滞在していた日系ブラジル人のアグネスに言われた言葉があります。(詳しくは留学時代のブログ:Santa Barbaraその1。から順にお読み下さい)

“Try to understand.”
(理解しようとしなさい)

とてもシンプルなフレーズですが、僕は20年近く経過した今でもこの言葉を忘れることが出来ず、とても大切にしています。

<英語を話すことは相手を理解しようとすること>

お互いを理解することを諦めてしまえば、人々が近づき、協力し、平和な社会と世界を築くことは決して出来ません。その過程ではもちろん傷つくことも必ずあります。しかしそれでも私たちは、お互いを理解することを決して諦めてはいけない、そのことをアグネスは僕がカリフォルニアに到着したその日に教えてくれました。(そこまで深い意図があったかは分かりませんが。笑)日本人にとって英語を話すと言うことは非常に難しいことです。姉妹語を母語とするフランス人やスペイン人が英語を学ぶことと、全く異なる文法と文字を使用する日本人が英語を学ぶことは全く別次元の話であり、それは同列に比較することは出来ません。

ですが、私たちは世界の共通語である英語を自ら話すことで初めて、他の文化や価値観を理解しようとする姿勢を持つことが出来ます。翻訳ツールを使った方が早い、とお考えになる方もいらっしゃるかも知れませんが、そこには明確に違いがあります。機械で即座に翻訳してしまえば、私たちはそれを情報としてしか理解することが出来ません。コミュニケーションとはそうではなく、人がみな必ず持っている感情と共に「お互いを理解しようと努力すること」です。自ら英語を話したり聞こうとして初めて、私たちは異なる価値観を「理解しよう」と言う姿勢を学ぶことが出来ると僕は思います。そして世界の人々がお互いを「理解しよう」と努力して初めて、私たちは地球と言う限られたエリアの中で共生することが出来るのではないでしょうか。

もちろんその中では、お互い傷ついたり傷つけてしまうことが必ずあります。それは個人同士でも、日本人と外国人でも、国と国の関係でも同じです。必ずいつか「ハリネズミのジレンマ」を経験します。しかしそれで諦めるのではなく、近づいたり離れたりを繰り返しながらお互いを理解して、お互いが共生出来る距離と関係を見つけることを私たちは決して忘れてはいけません。

実は僕はまだ高校生の頃に、とあるアニメのストーリーでこの「ハリネズミのジレンマ」を知りました(笑)アニメと言うと軽く見る人もいらっしゃるかも知れませんが、様々な道徳的なメッセージが含まれているドラえもんに代表されるように、これは日本が世界に誇るれっきとした立派な文化だと僕は思います。世界中の人々がドラえもんを見て育てば、世界はもっと平和になるかも知れません(笑)実際に日本のアニメを見て育った外国の人々は、大部分の人々が日本を非常に好意的に捉えています。それはきっと、外国の人々にとって「日本」と言う文化を理解することなのでしょう。

<ドラえもん名言集(笑)>

<人を理解しようとすることは難しい。でも諦めてはいけない>

世界には必ず、幸せなことと辛いこと、嬉しいことと悲しいこと、簡単なことと難しいことがあります。人生には、世界には、多かれ少なかれ良いことと悪いことがあるものです。しかし、辛いことや悲しいことを経験したら、そのぶん人には優しくなれる事もあります。人と人はそうして、常にお互いを思いやり協力する努力を諦めてはいけないと僕は思います。それがお互いを「理解しようとする」事なのだと思います。

“Try to understand”

皆さまもぜひ英語を自らの口で話すことに挑戦して、人々を理解しようとすることの大切さを学んで頂ければ幸いです。

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海外で怪我をする(台湾編)

2007年の9月、僕は台湾の友人に誘われて約10日間の台湾周遊旅行に行くことにしました。昔ボストンに留学した際に台湾人の友達が出来たのですが、その友人が大学院を卒業したあと、2006年に来日して日本の語学学校で日本語を1年間勉強した際に、その子を通じて台湾人の友人が沢山出来ました。日本語を勉強していた友人ばかりなので日本語で会話出来ますし、何でも通訳してくれるので困ることは何もありません。みんな優しく親切な友人ばかりで、ぜひ自分の家にと言って泊めてくれますし、家族の方々にもとても暖かく迎えて頂きました。台湾の人たちは親日的な人が多く町の人もみんなフレンドリーですし、この国に友人が出来たことはすごく幸せなことで、本当に良い出会いに恵まれたと思います。

この旅行では台北を中心に、九份、基隆、烏来、淡水、三峡、鶯歌、そして台湾中部の人気の観光地である日月譚(リーユエタン)を巡りました。移動は友人たちが運転してくれたので、本当に快適な旅です(台湾は日本とは逆の右側通行なのに加えてオートバイが非常に多く、慣れない日本人が運転するのは困難です)。旅行も半分が過ぎた日月譚からの帰り道に、僕らは客家(ハッカ)の人たちが住む内湾(ネイワン)という小さな町に立ち寄りました。客家と言うのは漢民族の中でも中原発祥の中華文化を守ってきた正統な民族で、そのルーツを辿ると古代中国の中原や中国東北部の王族の末裔であることが多く、多くの家に古代からの族譜があり祖先信仰が強く風習を頑なに守ってきたため、移住先では住民から“よそ者”とされ「客家」と呼ばれることになった人々で、今でも独特の言語と文化を受け継いでいて、内湾はそうした人たちが集まっている町だそうです。町は日本のガイドブックに載っているような有名な観光地ではないものの台湾では人気の場所のようで、メインストリートは沢山の人で賑わっていて、お土産屋さんやレストランも沢山あり、台湾の友人が連れて行ってくれなければ訪れる事は出来なかったであろう貴重な所でした。しかしこの小さな町で、旅慣れた僕にとっても初めての経験となる事件が起こります…

内湾のメインストリート

町には名所の一つとして立派な吊り橋があり、メインストリートを散策したあとその橋を渡って夕飯にしようということになりました。「せっかくだから、橋の上で皆で記念写真を撮ろう」と思っていたのですが…橋をみんなで渡り始めたその時、何を思ったのか、1人が急に走り始めたのです。実は彼女は極度の高所恐怖症で、怖いので下を見ないで走り抜けてしまおうとしたらしいのですが…

「おいちょっと待て皆で写真を…」と思っていた僕は慌てて追いかけようとしたのですが、当時27歳だった僕は久しく走ると言う行動をしておらず、情けない事に足がもつれて転倒してしまったのです…もう若い時のように体が思い通りについて来る年齢ではなかったようで…(さすがに20代後半でこれは情けないですが、皆さんも気をつけて下さい。体はいつか言うことを聞かなくなる時が来ます…)転倒した時は痛いと言うよりまず恥ずかしいと言う感情が先に来ました。なんてカッコ悪いんだろうと思いましたが、立ち上がった時に恥ずかしいでは済まなかった事に気付きました。転倒の仕方が悪かったようで足を捻っていて、立ち上がった瞬間に激痛が走りました。僕が転倒したので驚いて戻って来たので写真は撮れたものの、歩くのもままならないほど酷く捻ってしまい、激痛を押し殺して夕飯に向かいましたが皆について行くことが出来ず1人どんどん遅れてしまいます。台湾の友人が1人気付いて一緒にゆっくり歩いてくれましたが、その激痛具合に軽傷ではないことはすぐに分かり、正直「骨が折れたのかも…」と思うほどでした。怪我の具合が心配でその後は客家料理の夕食も友人との会話もまったく楽しむことが出来ず、落ち込んだ気分のまま台北に帰り着いた僕は、夜も深くなっていたので友人に頼んで薬局へ行ってもらいました。

客家料理。しっかり味わう余裕はありませんでした…

薬局で靴下を脱いでみると、足はかつて見たことが無いほど膨れ上がっており、僕の気分は更に沈みました。ひょうきんな薬局の店主は湿布薬を持って来て、「これは物凄い効くんだ!明日には治っちゃうだろうね!治らなかったら湿布では治らない状態ってこと!」などと陽気にサラッと言ったのを聞き、僕の不安は更に更に深まりました…。翌朝に腫れが引くのを祈って眠りましたが朝起きても足の様子には全く変化がなく、その日は台南に行く計画でしたがさすがの僕も病院に行かないとマズいと判断し、友人に頼んで病院へ連れて行ってもらう事になってしまったのです…

まず病院に行く前に旅行保険の確認をしました。病院によっては保険会社が治療費を立て替えてくれる所もありますが、日本のコールセンターに問い合わせたところ台北には提携している病院がなく、実費で支払いをして日本で請求をすることになりました。(旅行保険を請求する時は病院に行く前にまず一報する事をお勧めします。事後請求だと保険が降りない可能性もあります。)健康保険制度がしっかり整っている日本ではイマイチ実感出来ませんが、医療費は実費で支払うとかなりの高額になります。日本は3割負担ですので少なくともその3倍以上、国によっては更に高額な所もあります。実費負担も不安でしたが足の状態はそれ以上にずっと不安で、大きな総合病院に連れて行ってもらい診察を受けると医師はレントゲンで判断すると言いました。レントゲン撮影を終えて医師が写真を見ている時に、僕の緊張はピークに達しました…折れているのか…大丈夫なのか…

レントゲンを見た医師は僕が日本人だから漢字が分かるだろうと思ったのか、紙を取り出し、そこに「没問骨」と書きました。「没」と「骨」という字を見た僕は血の気が引くのを感じたのですが、友人がすぐに「骨は大丈夫」と教えてくれました。「没」は中国語で「無い」と言う意味なんですね…骨折は免れたものの重度の捻挫とのことで、医師は足首を固定した方が良いと言い、巻き付けたらカチカチに固まるバンドを巻くことになりました。費用も2万円弱で収まり事なきを得ましたが、足を固定してしまったので歩くことが出来ず、友人に車椅子を借りてもらい、その後の旅行は車椅子で押されて周るということに…台湾人の友人はみんな車椅子を押そうとしてくれましたが、僕はあまりの申し訳なさに言葉がありませんでした…台北101では車椅子で訪れたため料金が障害者割引になり、エレベーターも待たずに優先的に乗せてもらうことに(苦笑)かくしてこの台湾旅行の後半はほとんどを車椅子の上で過ごしました。有名な士林夜市の人混みも車椅子で移動しましたので、周りからは大層奇妙なグループに見えたことと思います(苦笑)

坂で有名な九份は、車椅子と松葉杖には厳しい場所…
友人は夜市の人混みもずっと車椅子を押してくれました。左足は靴を履けない状態…

こうして台湾の友人に徹底的にお世話になった旅行は終わりました。空港では出国の際も日本に入国の際も、空港職員に押されて特別レーンでの優先審査でした。イミグレーションに並ばないという経験は、後にも先にもこの時だけです(苦笑)空港に迎えに来てくれた両親は車椅子に乗って出て来た僕を見て大層驚きましたが…(笑)足をキツく固定し過ぎたのか僕の足は帰国の頃には紫色に染まり、翌日すぐに日本の病院で診察を受けました。完治までは3〜4週間を要したと思います。

こうして海外で怪我をして病院へ行き、保険を請求したことで分かった事がいくつかあります。怪我をした際はまず保険会社に一報しなければならないこと、旅行保険で一定以上の金額を請求すると、次の旅行の際は保険に入り難くなることなど…(保険に入る際に「以前に○万円以上の保険金を申請したことは無い」という欄があります。この時はギリギリ基準額以下でしたが…)

もし病院のないような僻地で怪我をしてヘリコプター搬送をされたりすると、何百万という請求が来るそうです。近年は多くのクレジットカードに海外旅行保険が付帯していますが、保障金が十分で無かったり審査が厳しかったりしますので、やはり海外旅行の際は保険に入ることをお勧めします。もちろん、怪我をしない様に慎重に行動することがまず大事だというのが、この旅行の教訓だったのですが…(苦笑)

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お台場に「自由の女神」がある理由

皆さん、「自由の女神」って、世界に一体いくつあるか、ご存知でしょうか?

「あれ、そういえばお台場にもあったような」と気付かれる方もいらっしゃるかも知れません。実のところ、偽物やレプリカは世界中に無数にあり、数えることは困難を極めます。実は日本にも、青森県のおいらせ町や北海道の函館などにもレプリカが存在します。ここでご紹介させて頂きたいのは、「公式な」自由の女神像は、世界にいくつあるかと言う点です。

<ラスベガスのホテルにあるレプリカは低クオリティ…>

世界で最も有名な自由の女神像は、世界遺産にも登録されており、ニューヨークのシンボルとなっている有名なものであるのは間違いないでしょう。もしかしたら、アメリカ人でも本物の自由の女神はニューヨークにしかないと信じている人がいるかも知れません。自由の女神は英語では”Statue of Liberty”と呼ばれています。”statue”は「像」を意味する単語で、”liberty”は「束縛からの解放と自由」を表す単語です。つまり直訳すると「自由の像」なんですね、女性の像なので日本語では「自由の女神」と呼ばれていますが、英語ではあくまでも”Statue of Liberty”です。

<ニューヨークの自由の女神像は合衆国のシンボル>

このニューヨークの自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立100年を記念して、独立運動を支援したフランス人たちの募金によってパリにて建造され、完成の後に1886年にアメリカ合衆国へプレゼントされたものです。アメリカ合衆国の象徴のイメージが強い自由の女神像ですが、その生まれ故郷は実はフランスなんですね。

実は、世界にはもう一つ、「公式な」自由の女神像と考えられているものがあります。それは女神像の生まれ故郷である、フランス・パリのセーヌ川のグルネル橋のたもとに設置されているものです。大きさは高さ11.5メートルとニューヨークのものより小さいこの「パリの自由の女神像」は、フランス革命100周年を記念して、パリに住むアメリカ人たちによってニューヨークの女神像に対するお返しとして、1889年にパリへと寄贈されたものです。つまりアメリカ人とフランス人は、お互いに自由の女神像をプレゼントし合ったんですね。ですので、「公式な」自由の女神像と考えられるものは世界に2つ、と言うのが正解と言えるでしょう。その他のものは全てレプリカという事になります。

<パリの自由の女神像はセーヌ川の中州にある>

「あれ、じゃあお台場にある自由の女神は、やっぱりただの偽物なのかあ」と思った方、ちょっとお待ち下さい。確かに完全な「公式な」ものとは言えませんが、逆に完全な「偽物」とも言えない代物なのがお台場の女神像です。

まず、なぜお台場に自由の女神像が設置されたのか、その経緯をたどってみることにしましょう。お台場に初めて自由の女神像が設置されたのは遡ること1998年、日本におけるフランス年事業の一環として、本物の「パリの自由の女神像」が約1年ほど設置されたのが始まりです。本物の自由の女神像をパリから輸送して設置し、除幕式には当時の首相であった橋本龍太郎とフランスのシラク大統領も出席して、盛大に点火が行われました。日本は地震国であるため本物の自由の女神像に何かあってはならないと、設置する台座は耐震構造で入念に設計され慎重に設置されたそうです。つまりお台場には「本物の自由の女神像」が1年間、ちゃんと存在していたのです。

ところが…残念なことにこの女神像はパリの大切なものですので、やはり1年後には帰国し、元の場所に戻されてしまいました。しかしこの事業が好評を博したため、「お台場にも自由の女神像が欲しい!」と言う機運が高まり、その後フランス政府からレプリカの制作が認められたため、フランスのクーベルタン鋳造所にて複製されたブロンズ製のレプリカが、2000年に改めてお台場に設置されました。このフランス政府公認のレプリカは実際にパリの本物の自由の女神像から型を取って鋳造されたため、パリにあるものと全く同じ形の、パリ生まれでフランス政府公認の「東京の自由の女神像」なのです!もちろんアメリカとフランスがそうしたように「寄贈されたもの」ではないため公式な像にはカウントされませんが、フランス政府が公認した「準公式の」自由の女神像と言えるものです。これは日本人にも、フランス人にもほとんど知られていない事実で、お台場の自由の女神は決して「偽物」ではないのです。「世界で3番目の自由の女神像」と言っても過言ではないでしょう。

<東京の自由の女神像はフランス政府公認>

僕が10年ほど前に米国西海岸へ留学した際に、ホームステイした家のルームメイトがたまたまフランス人の青年でした。彼の名はセバスチャンと言い、週末に一緒に旅をしたりと割と親しく付き合ったのですが、ある日、自由の女神の話になり「そういえば、東京にも自由の女神があるんだよ」と彼に伝えたところ、彼は笑いながら「バカなことを言わないでくれ、自由の女神は世界に2つだけだ(笑)」と言ったのです。その時、僕はお台場になぜ自由の女神像があるのか、その経緯を知らなかったため、「いや、本当にあるんだって!」としか言えなかったのですが、一方で「ただのレプリカなのかな」とも思い、セバスチャンも全く信用していない様子だったのですが…。帰国してある日、お台場を訪れた際にこの自由の女神像がフランス政府公認のものであることを知り、「ちくしょう、あの野郎!フランス政府公認じゃないか!(笑)」と、今では非常に悔しく思います(苦笑)何しろこのように、日本人にもフランス人にもその経緯と正統性がほとんど知られていないのが、お台場にある「世界で3番目の自由の女神像」です。日本政府はもっと積極的に働きかけて、フランス政府と共に「自由の女神は世界に3つ、ニューヨーク・パリ・東京にある」と宣言したら良いのでは、と思います(笑)

<パリ出身のセバスチャンも東京の女神像の事は知らず>

このように、お台場にある自由の女神像は意外にもれっきとしたものです。皆さんもフランス人やアメリカ人と出会った際は、しっかりとその正統性を教えてあげてください(笑)「フランス政府公認の自由の女神」ですから!

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