「英語を勉強して良かった」1番大切な理由

「英語って、何のために勉強するの?」

皆さんが英語や英会話を学ばれる理由は様々だと思います。「旅行をもっと楽しみたい」「留学やホームステイに行きたい」「受験のシステムが変わる」「仕事で英語が必要だ」「就職や転職で有利になる」「外国人と話してみたい」「外国人の友達や恋人が欲しい」「もうすぐ東京オリンピック!」「シェアハウスに入居したら周りがみんな外国人」…その目的、動機は人によって千差万別でしょう。きっかけや目的が何であれ、英語を身に付ける事はその方々にとっては必ず何らかのプラスになるはずです。僕に至っては、大学時代に父に「学生のうちに留学くらいしておけ」と言われたのがきっかけです(笑)もちろんそれ以前からTOEICくらいは受けないと…と思って単語を覚える程度はしていましたが、本格的に背中を押してくれたのはその父の一言だったのは間違いありません。詳しくは留学時代の体験 「Santa Barbaraその1。」のブログからお読み頂ければ幸いですが、何しろ僕はそのようなきっかけでロクロク会話の経験もないまま留学へ出発し、現地で打ちのめされ自分の情けなさを痛感し、そこから必死に英語の勉強を始めることとなりました。

きっかけはこのような情けないものですが、とにもかくにもその後英語を身につけた事で、次の留学では海外に多数の友人ができ、その後9.11直後の超氷河期の就職活動を勝ち抜き、海外旅行へ行っても不自由なく行きたい所へ行き、やりたい事をやり、食べたい物を食べ、相手を怒らせるまで値切り(笑)、時には英語でケンカをする事も出来ます。今ではネイティブと英語で議論してもそう簡単には負けません。そして何より、いまこうして英語を教えると言う仕事を立ち上げる事も出来ました。まさにあの時の父のひと言が、僕にとってはかけがえのない一生ものの財産となりました。恥ずかしくて口では伝えられませんが、僕はその時の父のアドバイスに、本当に深く深く感謝をしています。日本語しか話せなければコミュニケーションが取れるのはせいぜい1億人と少しですが、英語と言う「世界の共通語」でコミュニケーションが取れる人の数は、少なく見積もっても世界の半分、約35億人に上るでしょう。つまり僕の世界は父のおかげで35倍の広さになったのです。世界を自由自在に旅をして、35億の人々と会話ができ、様々な知識や経験を得て無限の魅力と出会うことが出来る。こんなに素晴らしい事は無いと思います。

しかし、僕が「英語を身に付けて良かった」と思う1番大切な理由は、実は上記したような事ではありません。僕にとっては世界を知ることで、「日本のことを初めて正しく知ることができた」と言うことが、もっとも大切な事だったといま思えることです。

実は僕は若い頃は、いつか日本を出て行きたいと思っていました。こんな経済が低迷し、刺激的な事が少なく、政治家や官僚は悪事ばかりを働き、過労死するほど働かなければならない国に住むのは不幸だと勘違いをしていました。ただ僕がこのように思っていた事は実はそれほど稀なケースではなく、実際に日本の若者は他国の若者と比べて自分たちを幸せだと感じていない、と言う調査データが出ています。つまり日本人、特に若者は日本に生まれた事を「幸せでない」と思ってしまっているのが現状なのです。それは実は大きな勘違いなのですが、残念ながらそれが勘違いだと気付くチャンスや方法が日本の若者にはないのかも知れません。それは日本の教育政策の失敗と、マスメディアがネガティブな内容ばかりを批判的に報道する偏向的な姿勢、そして何より、若者が内向的にならざるを得ない英語教育のレベルの低さに大きく起因しています。

僕は英語が話せるようになってから、色々な国の友人と話をしたり、中々行く事が出来ないような場所にも行けるようになり、個人的に旅行が好きだった事もあり世界各地の様々な場所へ行き、様々な現状や問題を自らの目で見て感じる事が出来ました。そしてその中で、初めて気付くことが出来たのです。「自分は何て恵まれた国に生まれ育ったのだろう」と言うことに。

<これだけの大都市にも関わらず、東京の空は青い。アジアからの観光客は、まず空の色が違う事に驚くそうです。アジアやヨーロッパの大都市の空が青い事は、近年ほとんど無くなりました>

世の中面白いもので、日本に生まれて日本しか見た事がなかった時は、実は日本のことは何も分かっていなかったのです。世界に飛び出して他国と日本を比べた時に初めて、日本は世界の中でもズバ抜けて幸せな国だと気付きました。治安が良く女性が夜に繁華街や住宅街を1人で歩いても何も問題がなく、町は清潔で人々は勤勉で礼儀正しく親切、カフェでバッグを席に残してトイレに行っても盗む人もおらず、電車にスマホを忘れてもかなりの確率で戻って来ます。サービスのクオリティは世界のトップと言えるほど優れており、仕事を探そうと思えば労働者の数より求人の数の方が多い、賃金の水準もバブル期のように世界トップでは無いにしろ、先進国に相応しい十分に裕福な生活を送ることができ、ほとんどの国民が海外旅行を楽しめ、日本のパスポートを見せればビザも免除され疑われることもほとんどありません。世界のトップを争う技術や医療環境も存在し、選挙権も表現の自由も当たり前のように与えられている。自然に恵まれ美しい景色と文化的な財産を持ち、水資源に困るどころか水道の水をそのまま飲むことまで出来る。首都である東京都市圏は人口ベースでも経済ベースでも世界最大の都市で、世界中の料理を楽しめ、世界中のエンターテイメントや芸術がやって来て、手に入らないものの方が珍しく、ありとあらゆる種類の娯楽を楽しむことができ、把握仕切れないほどの新スポットが次々と生まれ、ニューヨークと世界一を争う事が出来るくらい刺激と新しさに満ちあふれています。高品質で新鮮な食材があふれていて、美味しいものがいくらでもあり、和食は世界的にも最も価値のある料理の1つとして世界遺産にもなりました。高級な食べ物でなくてもクオリティが高く、安くて美味しいものが沢山あります(安くても美味しい、と言うのは他国では非常に稀なことです)。アニメや漫画と言ったサブカルチャーは世界中の若者を魅了して日本好きの外国人がどんどん増えていて、逆に海外へ行けば日本人だと言うだけで親切にされたり礼儀正しく扱われる。これだけ恵まれている国は世界のどこにもありません。日本より進んでいる国はおそらく、アメリカぐらいのものでしょう。そのアメリカですら、全ての面で日本より優れている訳ではありません。

<イタリア・ナポリのメインストリート。経済状況が悪化しゴミの回収がままならないそうです>

先進国が集まるヨーロッパでさえ失業率が10%を超える国が続出し、10人に1人は仕事がありません。多くの国は砂漠化と水資源の確保に苦しみ、水道水を安心して飲めるなどと言う国はほとんどなく、移民の受け入れに問題があった国では差別や貧困が蔓延し治安も悪化しています。パリやロンドンでテロが頻発しているのは皆さまもおそらくニュースでご覧になった事があるかと思います。発展途上国では水不足に水質汚染と大気汚染が深刻化しており、他のどの先進国を見ても発展途上国を見ても、日本のように何一つ不自由がない国は1つもありません。

日本人は自らが築いて来た文化、歴史、経済や自然環境にもっと誇りを持っても良いと、僕は思います。これだけ素晴らしい国は見つける事が不可能だ、と言っても決して過言ではないと思います。逆に日本を知る外国人の方が、日本の事をよく分かっていたりします(苦笑)ただ、それは残念ながら、日本にいたら分からないこと、世界へ出てみて初めて気付くことです。その意味で、僕は英語を身に付ける事ができて本当に良かったと思い、もっと日本の良さを世界に発信したい、そして日本の皆さまにも、私たちの住む国のことをより良く知って頂けたら、と思います。そして私たちは恵まれているからこそ、もっと世界に貢献する事も忘れてはならないと感じます。

そのためにも、僕は今後も日本の英語教育を変えると言う目標に挑戦し続けたいと思います。そして日本の未来を創って行く若者に、ぜひ世界に飛び出して見識と経験を広げ、今後の日本をより良くして行って欲しいと願うばかりです。皆さまが世界を知り日本を知る、そのお手伝いが少しでも出来たら幸いです。

Learning the world means learning your own country. Find and love the country where you have grown up. Contribute to and improve your home country and the world.

“Find the world. Find Japan again!”

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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Santa Barbaraその12。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

Santa BarbaraからSan Diegoに日が暮れてから到着し、歩き回るのも不安を覚えケーキで夕飯を済ませた僕らは、翌日は国境を越えてアメリカに隣接するメキシコの町・Tijuana(ティファナ)を目指しました。メキシコへは国境を車で越えてそのまま入ることも出来るのですが、ほとんどのレンタカー会社はメキシコへのレンタカーでの入国を許可していない(カナダはレンタカーでも入れるそうです。この辺りが治安や安全性の差なのでしょうか…)ため、僕らは国境の近くまで車で向かい、駐車場に車を停めて、徒歩でメキシコへと入国する事にしました。サンディエゴから南下するフリーウェイに入ったのは良かったのですが…どこがアメリカ国内の最後の出口か分からず走っていたため、うっかり最後の出口を通り過ぎてしまい…あろう事か、国境の検問所が目の前に見えて来てしまいました(汗) 「ヤバい!車で国境まで来ちゃったぞ、どうする!?」と車内は一時、軽くパニックに陥りました。何しろレンタカーでのメキシコ入国は禁止な上(おそらく入る事は出来るでしょうが、保険などは一切効かず何かあれば大変な事になるでしょう)、僕は国際免許証も持っていない状態です…(だって、カリフォルニアのレンタカー会社は日本の免許証だけで車を貸してくれたから…笑)

<フリーウェイの検問所。車で通過できる>

どうしようかとソロソロと国境の検問所に近づいていた時…左端に”Return to U.S.A.”の文字が!幸運なことに、Uターンレーンが設けられていました!今考えると、そりゃそうですよね…間違えて国境まで来て戻れないんじゃ、検問所だって困るでしょう(苦笑)かくしてUターンして最寄りの出口でフリーウェイを降りた僕らは国境近くの駐車場に車を停め、徒歩で国境を目指しました。

<鉄格子の回転扉をくぐればそこはもうメキシコ>

アメリカからのティファナ(メキシコ)入国は非常に簡単で、ただ鉄格子の回転扉をくぐればそこはもうメキシコです。特にパスポートを見られることも、荷物検査も税関も何もありません。ティファナに長期滞在する場合や、ティファナ以遠のメキシコへと進む場合はイミグレーションオフィスを訪れて入国手続きが必要なようですが、ティファナに短期滞在するのみであれば、何の申請も必要ありませんでした。アメリカ側からメキシコに不法入国する人はきっといないのでしょう…海で囲まれた日本に育った僕にとっては、歩いて国境を渡るというのはこれが初めての経験でした。アメリカに来る前からずっとティファナに行ってみたいと思っていた僕は1人ワクワクしていたのですが…国境を越えて町の雰囲気がメキシコになるにつれ、他の5人の女の子の顔が徐々に引きつって行くのが分かりました…カリフォルニアから徒歩数分でも、そこはまさにメキシコ。そしてティファナは、アメリカから気軽に訪れることができる観光地である一方で、メキシコからアメリカへ不法入国する不法移民が集まり、麻薬を運ぶブローカーが暗躍する最前線の基地でもあります。ガイドブックにも「メインストリートであるレボルシオン通りから決して外れないように」とありました…

<ティファナは観光地と犯罪の前線基地という2つの顔を持つ町>

レボルシオン通りは賑やかで、僕らは地元のスーパーを覗いてみたり、メキシコの名産物である銀細工のショッピングなどを楽しみ、他の5人の緊張も少しずつ和らいで来たようでした。そこでちょうどランチタイムとなったのですが、そこで僕らは初めて気づいたのです。「果たして、ここで何かを食べる事は安全なのかどうか」という問題に…

<賑やかなレボルシオン通りにはお土産屋さんやレストランが並ぶ>

特にドイツ人のアンドレアは慎重で、「私はメキシコでは絶対何も口にしない」と言いました。他のメンバーも抵抗があったようなので、僕らはアメリカにもあるファストフードのチェーン店で、コーラなど安全そうな飲み物だけを飲むことにしました。今でこそメキシコ観光はポピュラーになり衛生状態も改善されて来ましたが、当時のメキシコはまだ食べ物を口にするのも危険だ、というイメージでした。しかし後ほど「その選択は正しかった」という事がサンタバーバラに帰着後に判明する事になります…

<メンバーがタコスを食べたお店>

その後も散策や買い物を楽しんだ僕らは、遅くなる前にアメリカへ戻ることにしたのですが、帰り道の途中でタコス屋を見つけた何人かのメンバーが、「やっぱりタコスくらい食べておきたい」と言ったので、彼女たちはお店でタコスを食べたのですが、強い意志を持つアンドレアと、唯一のドライバーで万が一にも体調を崩せないと考えた僕は、2人で外で待つことにしました。その後再び合流しアメリカへ再入国しようと検問所にたどり着くと…出る時は何のチェックもなかったのに、アメリカ入国には厳しい審査を待つ人の長蛇の列が出来ているのです…現在でもトランプ大統領はメキシコとの国境に壁を作る、と主張していますが、正にアメリカとメキシコの間に存在する経済格差や不法移民、麻薬の密輸などの問題をまざまざと実感させる現実でした。メキシコとアメリカの間には小さな川があるのですが、その橋を渡る際にマユミが「みんなあの川を命がけで越えるんだろうね」と言ったことを覚えています。国が陸路で繋がっている、というのは世界では一般的ですが、日本人の僕らにとってはある意味、初めて「国境」という現実を見た瞬間だったのではないかと思います。

<国境を不法移民は命がけで越えて行きます。アメリカ入国は厳しい入国審査>

何とかアメリカへ再入国した僕らは、駐車場の脇にあったアウトレットモールでのショッピングを楽しみましたが、僕は体調をキープしなければならなかったため、ベンチで休憩する事にしました。その後車にてサンディエゴの町へと戻った僕らは、夕飯にバーベキューを楽しみ、夜の遊園地やショッピングを楽しみ、サンディエゴ旅行の2日目を終えたのですが、ホテルへ帰ると駐車場が満車となっていたので、フロントのスタッフにどうしたら良いかと尋ねたところ、夜の間はホテル前の路上に駐車しても大丈夫だと言うので、車を路上に停めて就寝したのですが、これが日本に帰国後にちょっとした騒動に発展することになります。続きは次のブログにてご紹介したいと思います。

<夕飯はアメリカンなバーベキュー>

To be continued.

Santa Barbaraその13。へ続く

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高速鉄道の「お見合い席」に注意

2009年の9月、僕らは夏季休暇を利用してポルトガルを約10日間ほどかけて周りました。なぜポルトガルを選んだかという理由がまた単純なのですが、当時マスターカードのCMで、「○○○、何ユーロ。△△△、何ユーロ。□□□の思い出、Priceless。お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで。」というものがあったのを覚えている方はいらっしゃいますでしょうか。そのCMの舞台にポルトガルが使用されていて、何となく行ってみたくなったという、何とも単純と言うか影響されやすいと言うか、そんな動機でした(笑)思い返すと、モロッコに行った時の理由も同じCMだったような…(笑)

とにもかくにも、このような単純な動機から始まったポルトガル周遊旅行で、リスボン・オビドス・ナザレ・アルコバサ・エヴォラ・ポルト・シントラなどをバスと鉄道で移動しながら周りました。ヨーロッパは公共交通機関が発達している代わりに、古くからの町は道が狭く駐車場も少ないので、レンタカーより鉄道での旅が良いですね、風情もありますし。いつかはレンタカーも使ってみたいと思っています。

ポルトガルは「バカリャウ」と呼ばれる、タラを塩で漬けた食材が有名ですが、何とも塩辛く僕の口には若干合いませんでした…。旅の中盤から食傷気味になって、とうとうステーキしか注文しなくなった記憶が(苦笑)1番美味しいと思ったのはイワシの塩焼きでした…、ポルトガルの食事はしつこくないので、比較的食べやすいとは感じましたが。

<バカリャウのグリルとバカリャウのグラタン>

<後半はステーキばかり注文…イワシの塩焼きは日本で馴染みのある味(笑)>

ポルトガルは世界遺産こそ多くは無いかも知れませんが、オレンジの屋根と白の壁で統一された町並みは美しく、古い小さなお城や修道院を改装した「ポサーダ」と呼ばれるホテルに宿泊したり、独特な小さな教会や修道院を巡ったり、ポートワイン(一次発酵の途中でブランデーを加えて発酵を止めるためとても甘く、好みは分かれるそうです)で有名なポルトのワイナリーを訪れたり、オビドスやシントラなど小さくて美しい町や村も魅力的で、中々に充実した旅になりました。

旅行も後半に入り、僕らはエヴォラからバスでリスボンへ戻り、そこからポルトガル第2の都市であるポルトへ向かいました。ポルトへはポルトガルの高速鉄道「アルファ・ペンドゥラール」(略称AP。最高速度は220キロくらい)を利用して、約3時間の旅です。

<世界遺産ジェロニモス修道院とリスボンの町並み>

<オビドスの小さな町と、シントラのペーニャ宮殿。シントラの文化的景観は世界文化遺産に登録されている>

<ドウロ川を挟んで見るポルトの町並みと、ポートワインの試飲が出来るワイナリー>

リスボンに到着し、僕らはAPの切符を購入しようとしたのですが、お昼過ぎに着いたにも関わらず空席は夕方の便まで無いと言うのです…本数が少ないからでしょうか…。帰りのAPはネットで予約しておいたのですが、行きはエヴォラから戻る時間が読めなかった事もあり予約していなかったのが災いしてしまいました。まあ、当日中に着けば良かったのでしょうがないと思い、スーパーでショッピングなどをして時間を潰したのですが、この待ちに待ったAPの3時間が、この旅行では最悪と言える時間だったかも知れません…

ヨーロッパの高速鉄道の座席は、日本の新幹線のように全て進行方向を向いてはいないことが多く、たいていの場合車両の後ろ半分が前向きで、前半分は後ろ向きで、中央の席は向かい合う「お見合い席」になっていて、座席は固定なので向きを変えることができません。日本の新幹線みたいに可動式の座席にすれば良いのにとは思うのですが、ヨーロッパの高速鉄道は途中で進行方向が変わったりするので(大きな駅が行き止まり方式なので、前向きに入って行って出て行くときは反対に進むしかない)、可動式にすると混乱を招くといった事情があるのかも知れません。ですが、時速200キロ、300キロで走る高速鉄道に後ろ向きで座るのって、結構キツいですよね。僕は昔、新幹線でボックス席にして後ろ向きに座ったら乗り物酔いした記憶があります(苦笑)やっぱり日本の新幹線は、少なくとも実用性においては世界最高水準と言えると思います。

かくして待ちに待ってAPに乗り込むと、取れていた座席は後ろ向きの、しかも「お見合い席」だったのです…。知らない人と向き合って3時間過ごすだけでも悲惨と言えますが、APのお見合い席は足元が狭く、さらに欧州人は身体が大きいので、足が思いっきりこちらに伸びて来ていて、お互いの足が重なって座るしかないので全く足を動かすことが出来ません…。長時間待っていて疲れているのに、リラックスするどころか身体は全く動かせず、在来線を高速化したせいなのか乗り心地も悪く揺れるので、後ろ向きの座席で酔って気分が悪くなり、この状態で3時間を過ごした僕らはポルトに到着した時はもうボロボロで食欲もない状態に…。やぱりスケジュールをしっかり決めて事前に予約をしておくべきだったと、後悔の嵐だったことは言うまでもありません…。

<ポルトガルの高速鉄道Alfa Pendular>

帰りは通常の前向きの座席だったのでそこそこ快適でしたが、なにしろ「お見合い席」は最悪だと思いました。フランスのTGVやドイツのICEが同じ状況かどうかは分かりませんが(ICEには乗った事がありますがお見合い席や後ろ向きではなかったので…)、何しろ後ろ向きに座るだけでもかなり不快ですので、高速鉄道の座席は早めに予約しておくことをお勧めします…。

海外旅行に行くと、日本で当たり前のように利用しているサービスがいかにきめ細かく出来ているのか実感される方も多いと思います。僕らが住んでいる国がどれだけ恵まれている場所なのかを知るという意味でも、海外へ出て様々な経験をすることは本当に貴重だと思います。ですがみなさんが高速鉄道にお乗りになる際は、「お見合い席」だけはやはり避けたほうが良いと思います(苦笑)

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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