Santa Barbaraその17。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

 ロサンゼルスからサンタバーバラへの帰り道で国際免許証不所持のままパトカーにスピード違反で捕まった僕は、気力を振り絞ってやっとの思いでサンタバーバラへと帰着しました。(追記:カリフォルニア州でも州法上、日本人は日本の免許証だけで運転することが許可されているようですが、このような事態に備えて、あるいは州をまたいで運転することに備えてやはり翻訳文の所持は推奨されます)

 雨が降りしきるなかメンバー全員をそれぞれのステイ先に送り届けたものの、「もう声も出ない」という気分でした。今なら全く気にならないと思いますが、当時はまだ英会話もロクにままならない青二才で、どうやってベンチュラの裁判所に出頭して、何をすれば良いのか…。頭には不安しかありませんでしたが、何しろ疲れ切っていたので、眠れなかったという記憶はありません(苦笑)

<スピード違反で捕まったスポーツタイプの車>

 翌朝はレンタカーを返却しなければならなかったため車で登校しましたが、毎朝アグネスと登校することが日課になっていたため、2人でその車にて学校へ向かいました。アグネスに「昨日パトカーに捕まってさ…」などと話した記憶はあるのですが、今思えばスピード狂だったアグネスが捕まったと言う話は聞かなかったので、僕はよほど運が悪かったのでしょう(笑)

 確かにアメリカでは、日本のように早く走っている車が捕まるのではなく、パトカーがフリーウェイに入って、前にいる車が例え5マイルでも制限速度を超えていれば、その車が捕まります。地下鉄の無賃乗車もそうですが(例えばロサンゼルスの地下鉄は改札がない「信用乗車方式」ですが、出口に警官がいることがあり切符を持っていないと高額な罰金となります)、取り締まりに高額の罰金と見せしめ的な心理を利用するあたりは、欧米のやり方は全てをキッチリやろうとする日本とは考え方が異なるかも知れません。こうした社会システムの違いを知ることも、海外における貴重な経験となるものです。

 アグネスと学校にたどり着いた僕は、学校の受付スタッフに泣き付きました。”Can you help me?” “I was caught by a patrol car yesterday…”などと英語で説明する必要があったのはある意味で良い勉強であったのかも知れませんが、スピード違反のチケットをスタッフに見せると、”Oh, you were driving too fast.”と笑われたことを覚えています。

 わずか1か月の滞在でこれだけコミュニケーションが取れるようになったのはある意味では留学が大成功だったと言えるのかも知れませんが、その時はそんな事を思う余裕はなく、ただ必死でした(泣)「ベンチュラの裁判所に来いって言われたんだけど、今週末には日本に帰国しないといけない」と相談したところ、”Meet principal.”(校長に相談して)と言われたので、僕は以前に噛み付いた校長に対して、今度は泣き付く事となり…(笑)

<スピード違反の舞台となったVenturaの位置>

 校長室を訪れ事情を説明すると、校長はベンチュラの裁判所へ電話で確認したあと、「裁判所に行かずにチケットを処理する方法は2つ、check(小切手)を郵送するか、クレジットカードで支払うかね、ただしカードで払う場合は値段が上がるわね」と僕に伝えました。「チェック…トラベラーズチェックで払えるの?」と聞くと、「違うわよ、銀行のチェックよ」と言われてしまい…(当たり前ですが。笑)「どちらで払うか、明日教えてね」と言われてその日は保留となりましたが、何しろ早く安全にこの問題を処理したい僕の選択はクレジットカード一択でした。2001年当時でもアメリカでは既にスピード違反の罰金までカードで払う事が出来る社会でしたので、旧態依然とトラベラーズチェックを持ち歩いていた当時の日本と比べると、少なくとも15年は進んでいたと言えるでしょう。兎にも角にも翌日に校長室を訪れた僕は校長にカード番号を託して、何とか裁判所への出頭を逃れることができたのです。

<良いことも悪いこともてんこ盛りであったEF Santa Barbara>

 駐車違反スピード違反、しかも国際免許証不携帯と、初めての、しかもわずか1か月の短期留学でこれだけやらかす留学生も珍しいかとは思いますが、良い思い出も悪い経験も含めて、今の成長した自分があります。その意味ではかなり無鉄砲ではありましたが、1ヶ月間のサバイバルは日本では体験することが難しい良き修行であり、その後の更なる挑戦を可能にしてくれたかけがえのない日々であったと思います。今後の日本と世界を担う若者にはぜひ学生のうちに海外へ飛び出して、幅広い見識と逞しさを身につけて欲しい、そして日本という私たちの母国を深く理解し考える機会を持って欲しいと願うばかりです。短期であれ長期であれ、そうした日常では経験出来ない特別な機会を与えてくれるのが留学なのだと、みなさまにお伝え出来れば幸いです。

 永らく書き連ねて来たサンタバーバラでの経験も、間もなく最終章を迎えます。結びは次回のブログにて書いて行きたいと思います。

To be continued.

Santa Barbaraその18。へ続く