ここでは僕が初めての留学で滞在したアメリカ西海岸の小さな町、サンタ・バーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方は、Santa Barbaraその1。からお読み下さい。
滞在2日目、ダウンタウンに2往復し疲れ果てて昼寝をした僕は夕飯の時間に目を覚ましました。「まさか今日もホットドッグじゃないだろうな…」と思いつつ廊下へ出ると、ちょうどアグネスと、初めて見るアジア系の女の子と遭遇しました。彼女の名前はユンと言い、韓国の女子大の最高峰である梨花女子大学(Ewha/イファ女子大学)の学生で、アグネスのルームメイトでした。歳はたしか23歳で、僕より2つ年上だったと思います。(脱線しますが、梨花女子大学は日本で言うと、お茶の水女子大の優秀さと、フェリス女学院や聖心女子大、白百合女子大のようなお嬢様大学のブランドイメージを併せ持つ、最強の女子大だそうです。ユンはその事を誇りに思っているようで、授業のスピーチでも話していました)
「この家にはいったい何人留学生がいるんだ…」(実際には彼女が最後で、居候のボルツと僕を含めて5人)と思っているとアグネスがユンに、「日本から来た新しいやつだよ」と紹介してくれました。ユンは僕に挨拶をすると、僕がどこの大学に行っているのか尋ねて来たので、僕が早稲田大学だと答えると、アグネスに向かって“Wow, he is one of the smartest students in Japan!”(彼は日本の最も優秀な学生の1人よ!)と言いました。アグネスは「だから何?」みたいな反応をしていましたが(笑)僕が下手くそな英語で、”You know well about Japan.”と言うと、彼女は「もちろんよ、トウダイ、ワセダ、ケイオウでしょ?」「私の日本人の友達はワセダを卒業して、東京三菱銀行で働いているわよ」と話してくれました。この時僕は初めて、「(当時はですが)日本人はアジアの国のことはほとんど知らないのに、向こうは日本のことを良く知っている」ということに気が付きました。ユンは優しい穏やかな性格の子で、そのあと僕とアグネスの夕食を作ってくれました。(おそらく初めての留学ではなかったのだと思いますが)ユンは英語も上手で、母親が働きに出ていて家で一人で過ごしていた小さな娘のミシェルと、“Michell, do you want to play with me!?”と言ってよく遊んであげていて、僕はただただ「すごいなあ…、それに比べて自分は…」と感心するばかりだったことを覚えています。
<右から、アグネス・クリストフ・ユン・ボルツ、2列目は、左がホストマザーのボーイフレンドのスティーブ・ホストマザーのカレン、最前列が小さな娘のミシェルと若かりし頃の僕です。他にもう1人小学生の息子もいました。アメリカってもう家の中がカオス状態ですよね(笑)>
夕飯を終えて部屋に戻ると、ルームメイトのクリストフは携帯で何やら話しながら爆笑していました。クリストフは長期の留学生だったので現地の携帯電話を持っていて、「ずっとアメリカにいたら、あんな風に電話でペラペラ喋れるようになるのだろうか…」と僕はいつも思いました。彼が電話を終えたあと少し語学学校の話になり、僕が「どうやって学校に行くの?」と聞くと、彼は自分の車を持っているからそれで行くんだと言いました。彼は確か26歳くらいで、その歳になっても欧米では長期留学や勉強が続けられることを、僕は驚いて日本とはずいぶん事情が違って羨ましいと感じたのを覚えています。明日からやっと学校だな、なんかもう1週間は経ったみたいな気分だ…早めに寝ようかなと思っていると、アグネスが部屋を訪ねて来て僕のことを呼びます。なんと、今からボーリングに行くから一緒に来いと言います(笑)「今から!?明日は学校の初日だし、もう夜の9時すぎじゃん!」と思ったのですが情けない僕はやはり断ることが出来ず、かくしてボルツと3人でまたまた夜の町に繰り出すことになったのです(苦笑)ちなみに、ユンは週末の旅行で疲れたからと言ってちゃんと断ったとか。そりゃそうですよね(苦笑)
<ルームメイトのクリストフはベルギー人。いつも家のパソコンを占領し、当時流行ったアメリカのコメディドラマ「フレンズ」を見ては爆笑していました>
まあ、夜とは言えボーリングなら平和なもんだろうと思っていたのですが、アメリカのボーリング場は日本のそれとは似ていて非なるものでした。ボーリング場の中にお酒を飲めるバーがあって、みんなお酒を飲んでいます。最初はただ平和にボーリングをしていましたが(やはり、2人とももの凄く下手でしたが。笑)、突然ボーリング場が暗くなり、大音量でミュージックが流れ始め、みんなお酒を飲んで踊りながらボーリングをしています…実際は暗いのでもうボーリングどころではなく、ほぼ日本でいうところのクラブのような状態です。「アメリカに着いてまだ学校にも行っていないのに、早くもとんでもない夜遊びと不良生活に巻き込まれてしまった…(汗)」。アグネスの外見のインパクトも手伝って内心「なんだかヤバい…いいのか、これで?」と戸惑いの方が正直大きかったのですが、英語も出来ないしアグネスの車で来ているのでもちろん帰ることもできず、ただただ流されて行く自分がそこにいるだけでした(苦笑)。途中でボルツが「バーに行って一緒に飲もう」と言って僕をバーに連れて行きました。アグネスを放置してるけど、いいのか?と思いながらバーで30分以上過ごしたでしょうか…、当時僕は21歳の誕生日の前でカリフォルニアではまだ飲酒が出来ず、オレンジジュースでボルツの話をただただ聞いていた(喋れないし、聞き取れないし、さらにクラブ状態なので音も聞こえないので、正確に表現すると「ただうなずいていた」)のですが、ボルツは酔っているのでもう何が何だか分からない状態に(苦笑)タイミングをみてボルツに「そろそろ戻った方が良くない?」と言って何とか連れ戻し(これだけでも当時の僕には大仕事です…)、またしばらくボーリング?をして、家に帰り着いたのはもう深夜1時半を過ぎた頃でした…「どうしてユンとクリストフが断ったのか」分かった気がしました…繰り返しますが、前日に米国に着いてまだ学校にも行っていません(笑)。部屋に戻る直前にアグネスは“Do you want to go to school with me?”と言ってくれました。もちろん僕が断れるわけもなく(苦笑)
<アグネスと2ショット。毎朝一緒に学校へ行き僕はずっと彼女の「舎弟」状態でした(笑)>
すべては僕が英語を話すことも、自分の意思を伝えることも出来なかったのが原因ですが、不良生活に引き込まれたと思うと同時に、どこかそれまで感じていた絶望的な孤独感を忘れている自分がいました。とにもかくにも、日本とはいろんな意味で(笑)全く異なる生活と仲間に囲まれて、その夜に少し留学生活に期待と前向きな気持ちを持ち始めることが出来たのは、今思うとすべてアグネスに救われたからだと思います。続きは、またの機会にご紹介したいと思います。
To be continued.
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