英語4技能検定試験に欧米のネイティブスピーカーとの会話が必要な理由

① 受験はもはやペーパーテストだけでは負けてしまう

近年の入試形態は、急速にその傾向を変えつつあります。従来から大学入試ではその配点の半分またはそれ以上が英語による合否でしたがその英語試験の内容が大きく変わりつつあり、ペーパーテストによるものから配点の大きな部分を面接や作文、リスニングのスコアが占めるようになっています。また長文読解も難解な文法を読み解くものより、大量の長文を読み飛ばして記述で論述する形式への変化が見て取れます。

こうした試験には従来型の学校教育や学習塾・予備校の机上での学習では対応が出来なくなりつつあり、英語試験に関しては日頃からの「会話力」と「日本語を介する必要のない英語の感覚」によって決定的な差がつくことになります。こうした「コミュニケーション力」は長期に渡る積み重ねによってのみ向上するもので、残念ながら受験対策で瞬間的に身につけることは出来ないスキルです。表現するなら受験英語とは「短距離走」から「マラソン型」の対策が必要と変わったと言えるでしょう。

<早稲田大学政治経済学部の入試は2021年度より、英語の配点比率が教科全体の62.5%に。独自入試問題は大量の英語長文を読み解く形式>

② 英検・TEAP・IELTSなどの4技能検定には必ず面接とライティングがある

近年の入試形態の特徴としてもうひとつ挙げられるのが、「民間英語能力検定試験」の導入です。英検・TOEFL・TEAP・IELTSなど事前に取得した民間英語検定のスコアが入試にも反映され、スコアが総得点に加点されるものや英語試験の90点あるいは95点としてみなされるパターン、あるいはスコアの提出によって英語試験が免除されるもの等がありますが、いずれにせよこれら民間英語検定のスコアが受験前から決定的な差をつけてしまうことになります。

例えば大学入試なら以前は問題の60%~65%を正答できれば合格ラインだったのが、民間検定が90%換算されることになればその時点ですでに25点から30点の差がついてしまうことになります。そしてこれらの4技能検定には必ず面接とライティングがあり、会話力、リスニング力、作文能力などの「日常的なコミュニケーション力」がスコアに決定的な差をつけます。

③ 試験はすべて、『欧米の英語の音』によって行われる

もう一点見落とされがちなのが、これらの英語試験の音はすべて『欧米の英語の音』であると言う事です。基本的にはアメリカ英語とイギリス英語のみでリスニングが吹き込まれるのが一般的ですが、発音範囲を拡大したTOEICでも英語は「アメリカ英語・イギリス英語・カナダ英語・オーストラリア英語・ニュージーランド英語」の5か国の音によるものです。

試験における英語とは基本的に「欧米の言語」であり、こうした地域にしか存在しない音はフィリピンやフィジー、インド、シンガポールといったアジア圏のノンネイティブスピーカーや日本語を母語としている帰国子女やバイリンガル講師はしっかりとは持っていないものです。確実な英語力に結び付けたいならなおさら、欧米のネイティブスピーカーとの会話訓練を避けて通ることが「目には見えないところで」非常に大きな効果の差をつけて行くことになってしまいます。これは高校までの英検2級程度のような目先のテストの結果では分からない「長期的な貯金量の差」となり、大学生となった頃から少しずつ現れ始めます。

④ 受験が終われば、その先に待っているのは就職も昇進もTOEICによる審査

受験が終わったからもう英語は勉強しなくて良い…そう思っている方はいないでしょうか。英語から逃げれば逃げるほどに陥るのがこの罠ですが、まず大学を卒業して、就職活動で履歴書やエントリーシートと共に提出が必要となったのがTOEICのスコアです。今の大人世代が仕事を探していた頃なら600点あれば「英語も勉強したんだね」となりましたが、TOEICが定着してほぼ全員が取得するようになった現在ではおそらく、プラス評価の対象となるのは740点以上、大手上場企業ならエントリーする学生は当たり前のように800点や900点を持っているでしょう。

そして、TOEICは990点満点のスコアのその半分がリスニング、さらにリーディングも文章が非常に長く常に時間との戦いを要求するシステムになっており、Test of English for International Communicationとの名称が示す通り「コミュニケーション力がなければとれだけ文法が得意でもスコアが上がらない仕組み」になっています。どれだけ一流大学を卒業した人でも会話力がなければ人並みのスコアにも届かないのは、「TOEICとはコミュニケーション力を測定するテスト」だからです。そして企業でも外国人労働者の増加を受けてエンジニア分野でもTOEICのスコアはもはや昇進の条件となり、社会人ならその人生設計そのものに大きく影響を与えるようになりました。理系学部に進学したとしても論文は英語で作成し学会で発表を行う必要もあり、英語を避ければ避けるほど後から壁にぶつかり後悔する結果となります。

⑤ 格差社会が到来し、就職や転職、昇進でのライバルは徹底的な言語教育を受けた外国人スタッフに

そして今後は、社会に出た後にさらに厳しい競争環境に直面します。新型コロナウイルス感染の拡大前から、日本においても正規社員と非正規社員、学歴に留まらないスキルのある勝ち組と机上のテストしかできない負け組の間の格差が開きつつありましたが、アフターコロナの社会ではこうした格差拡大に一層の拍車が掛かることが予想されます。

テレワークや業務のIT化が進むことで逆に、「機械にもできるようなコミュニケーションを必要としない単純労働はそもそも要らない」時代があっという間にやって来ることでしょう。こうした社会では幅広い知識や業務マネジメントスキル、チームの管理能力とコミュニケーション力に欠けるスタッフの業務は「AIかアルバイトか外国人で十分」と考えられることになります。そして現在の日本は労働人口の減少に伴って移民や外国人労働者の流入がかつてない勢いで加速しており、企業側も無意味に人件費の高い日本人正社員よりもこうした新しい労働力を「適材適所」で使用しようと考え始めています。またそもそも、「このIT化の時代に、海外に安く発注できる業務なら国内で行う必要がない」とも考えており、単純労働力がコンピューターや外国人労働力に置き換わることで「外国人も管理できる日本人管理職」と「人件費の安さで外国人には勝てない日本人」の2極化が進行することでしょう。すでにコンピュータエンジニアやプログラミングにおいても、スタッフの大部分が外国人になったようなケースが増えています。

そして日本にやって来る外国人労働者が単純労働だけを担当するとは限りません。日本に移り住んでくる外国人は母国で徹底的にITや経営、金融の実務的なスキルと外国語教育を受けて来たエリートが増加しており、プログラミングのような実務スキルに加えて「母国語・日本語・英語の3か国語」を自在に使いこなすことがすでに当たり前となっています。アジア圏では1流の就職を得るにはTOEIC900点や海外での留学経験を持つことが必須条件となりつつあり、こうした人材を管理することは言語スキルがなければもちろん不可能、むしろ逆に馬鹿にされてしまうばかりか、下手をすれば同僚との競争にも負け外国人が自分の管理者となることも想定されます。こうした環境においてはますます、全ての分野で言語スキルのない人材はただ「格差社会の負け組」となってしまう事でしょう。

SSEAがご提供するサービス

SSEAではこうした社会を見据えて、コミュニケーション力が重視される英語環境に最適な学習法としてネイティブ講師と日本人講師の双方から英語を学ぶ『会話・文法パラレルコース』を設定しております。欧米の本物の英語を話す経歴も一流のネイティブ講師と、バイリンガル講師としてネイティブレベルで会話を使いこなしながらも日本人目線で生徒さまのお悩みやつまずきを理解し受験対策まで指導できる日本人講師の組み合わせは、日本人が本当の英語力を身につけるためには無くてはならない組み合わせです。日本語も英語もネイティブではないアジア人講師やノンネイティブスピーカー、逆に日本人のお気持ちやお悩み、日本の学校や受験環境の理解できない経歴不足の日本人講師は採用を行っておりません。

<従来型の塾と英語塾の英語レベルと環境の格差>

代表講師が「日本人として日本で育ちながら英語を身につけた方法」を、その経験から教育法として実現した学習法がSSEAのオリジナルプログラムです。それは「長い間海外にいたから英語が話せるようになった」「海外の大学やインターナショナルスクールを卒業した」場合には逆に抜け落ちてしまう経験であり、こうした経歴がないからこそ生み出すことが出来た全くオリジナルの、しかし実際にそれが成功した学習法です。

日本のスクールで勉強したい皆さまは、ぜひお試しください。私たちが全力でお手伝いをいたします。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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フィジーの「木彫りおじさん」

海外旅行の楽しみの一つに、現地の人々との会話があります。旅行先で現地の人が親切にしてくれた思い出は、どんな有名な観光地よりも深く記憶に留まるものです。ですが、海外で話しかけてくるすべての人が良い人であるとは限らないのが残念なところで、特に発展途上国を旅行する際は注意が必要です。今日は僕らがフィジーで遭遇した「木彫りおじさん」のことを書きたいと思います。

僕がフィジーを訪れたのは2004年の6月、社会人になって2年目の頃でした。それまでに僕が訪れたことのある場所と言えば、ハワイ、香港、アメリカ、韓国、台湾、ヨーロッパなど、比較的治安の良い国や先進国ばかりで、思えばフィジーは初めての発展途上国だったのですが、ガイドブックには「安全なリゾート国で、人々は穏やかでフレンドリー」とあったのでそれほど心配はしていませんでした。

フィジーを訪れる人の多くは離島のリゾートで海を満喫する方が多いのですが、ビーチで遊ぶだけではつまらない、現地の町や人々の暮らしを見たいと考えた僕は、離島ではなく本島であるビチレブ島のコーラル・コーストのホテルを選び、近くの町や首都であるスバを訪れる計画を立てました。

思い出せば、異変は入国の段階から始まっていました。入国審査を通り税関に進むと、係員が僕らを制止して荷物をチェック、とここまでは普通だったのですが突然「Give me some money.」と言ったのです。何か関税のかかるものを持っていたかな?と思いつつとりあえず僕は「Why?」と理由を尋ねました。彼らは理由を答えずにただ「Some money.」と言っていたのですが、僕が払うそぶりを見せずにいると、諦めたように「行っていいぞ」というようなジェスチャーをしました。税関の職員と言えば国の職員のはずですが、その立場を利用してこのように「money」と言えば、きっと訳が分からないまま払ってしまう人もいるのでしょう。国の職員や警察でも完全には信用できないのが発展途上国なのだと、初めて感じた経験でした。

コーラル・コーストのリゾートホテルに宿泊して、近くの素朴な町や美しいビーチ、フィジーの伝統的なダンスと食事を満喫、と滞在は素晴らしいものでした。フィジーを訪れて2日目、僕はレンタカーを借り、首都のスバを訪れることにしました。スバまではホテルから、一本道を約3時間のドライブです。道を走っていると、現地の人は道端でオレンジを売っています。それも村を抜けるたびに…

果たして一日に何個売れるのだろう?と疑問に思いつつ、車は首都のスバに入りました。

南太平洋の島国に立派な町があるものだと思いながら駐車場を探して、信号待ちで停車していた時です。ある男が車に近寄ってきて「次の交差点を右に曲がればパーキングがあるぞ!」と言うのです。どうして駐車場を探していると分かったのだろうと思いながら右に曲がると、確かに駐車場が。車を止めて降りるとそこにさっきの男が現れて、「Lock nicely.」などと言っています。そして「どこへ行きたいんだ?」と言うのでショッピングをすると答えると、「ついて来い」と。 この男は何なのだろう?と少し怪しく思ったのですが、フィジーの人は陽気でフレンドリー、とガイドブックにあったので、とりあえず行ってみることにしました。彼は歩きながら、「自分は元ラグビーの選手で、日本に行ったこともある。僕らの滞在していたホテルで働いていたんだ」、などと言います。今思えば怪しい臭いがプンプンする内容なのですが、現地の人と触れ合いたいと思っていた僕は不覚にも彼の会話に引きずり込まれて行きました。

(男の後姿。残念ながら正面からの写真はありません…)

ショッピングをしている時も彼は通訳などをして、さあ次はどこへ行く?と言うので僕はそろそろ昼食を食べる、と言うと、レストランの近くの広場に僕を連れて行き、「自分はそろそろ行かなければならないが、君と友達になった証に木彫りの人形をプレゼントするよ。僕は国に登録されている木彫り職人だ。君の名前のイニシャルを彫るから教えてくれ」とライセンス(本物かどうかは不明)らしきものを見せながら言います。そしてイニシャルを彫った木彫りを僕に渡して、「Give me some money.」と言うのです。まあ、親切にしてくれたし、チップくらい払うかと思い5ドルほどを渡すと急に顔つきが変わり、「これでは足りない。この木彫りはハンドメイドで高いんだ。イニシャルも彫った。」と迫って来たので、カチンと頭に血が上った僕は「I don’t need this.」と木彫りを突き返し、その場を立ち去りました。その男は元ラグビー選手と嘘をつくぐらい立派な体格の男で、今思えば本当に危ないことをしたと思うのですが、人のいないような場所ではなかったのでそれ以上追っては来ませんでした。果たしてこのような状況で身を守るためにお金を払うべきかどうかは意見の分かれる所だと思いますが、それ以前に最初について行ってしまったのが最大の間違いだったのだと思います。

後でガイドブックを見ると、読者の投稿に「木彫りおじさんに注意」とのコラムが。どうやら彼は日本人を狙ってこんなことを繰り返している有名人だったようです(苦笑)

その後も色々な発展途上国に行きましたが、大体親切に話しかけて来る人はお金目当てであることが多いです。タクシーなんかも、客引きをしている車に乗ったらメーターが細工してあり、法外な料金(と言っても日本人にはたいしたことない額ですが)をボラれたなんてこともありました。いつも途上国に行くと「現地の人と会話したい」と言う欲求と「お金を取られる」という警戒感の間で揺れてしまいます。必要以上に警戒することは旅の楽しみを減らしてしまいますが、途上国では自分の身の安全は自分で守る以外ありません。特に日本人は狙われていて、警察すらグルである可能性もあります。みなさんも海外を旅行するとき、特に途上国では、危険な行動や場所には気をつけて下さい。

追伸  途上国の全ての人が悪い人間である訳ではありません。本当にいい思い出や出会いもあります。それは皆さんの目で、確かめてみて下さい。そんなことも旅の楽しみの一部であると思います。

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留学でやってはいけない13のこと

ここでは僕が留学で経験したことやその後に学んだ情報から、留学する際に知っておいた方が良いこと、やってはいけないことをご紹介したいと思います。中には厳しい内容もあり、このブログをお読みになって留学にネガティブな印象を持たれる方がもしかしたらいらっしゃるかも知れませんが、それはこのブログの意図する所ではありません。留学には個人のスタイルがあるでしょうし、これら全てを最初からきっちり出来る人はおそらくいないと思います。ただ留学という一生の財産に成り得る機会を、1人でも多くの方に成功させて欲しいと思い、そのために知っておいた方が良いことがあるとの趣旨で書かせて頂きます。これから海外へ留学に行かれる方に、少しでもご参考にして頂ければ幸いです。

⓪英語が母国語でない国へ留学する

この内容は正直書くべきかどうか迷いもありましたが、日本の英語教育が間違った方向へと向かってしまう事は日本にとっても英語を学ばれる方にとっても良くない事と思いますので、ハッキリお伝えする事にしました。

正しく英語を学ぶためには、英語が母国語でない国で英語を学ぶことは全くお勧め出来ません。特に初心者、初級者の方が英語が母語でない、日本語も話せない非ネイティブ講師から英会話を学んだ場合、「間違った感覚が定着してしまい矯正出来なくなる」ケースが非常に多く見られます。一定以上の大きさで正しい英語が母国語となっている国は世界に、アメリカ合衆国、カナダ、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドの6か国しかありません。その他の国の講師は英語のネイティブスピーカーではなく、正しくない英語を使用している事が非常に多いです。

これまで僕が様々な方を見て来た結論として、初心者・初級者の方が正しい英語を母国語とする国以外の場所で最初に英語を学んでしまった場合、めちゃくちゃな英語が身についてしまい、感覚として定着してしまったため後から矯正する事も非常に困難です。このような「適当な英語」は、会話の相手がネイティブスピーカーや英語の上級者であればあるほど、文法的に意味を成していないため全く通じません。東南アジアなど英語が母語でない国へ留学することがブームとなっていますが、個人的な意見として、これらの場所で勉強するくらいなら日本国内で勉強する事をお勧め致します。安いものには、必ずデメリットが潜んでいるとお考えください。

① 英語を話さない

「あたりまえじゃん」と思われるかも知れませんが、実際はこれ、中々難しいことなんです。僕も最初はそうだったのですが、留学に行って誰かと話した時になって初めて「相手の言うことが分からない」ことを怖いと感じます。「旅の恥はかき捨て」の旅行とは違い、生活するのに何とかコミュニケーションを成立させることを迫られるからです。英語が通じないと段々外国人に話しかける勇気が無くなって行き、実際には言葉の通じやすい人と過ごす時間の方が多くなります。これは日本人に限った事ではなく、韓国人も台湾人も、スペイン語圏の人もフランス語圏の人もみんな同じです。大体みんな同じ言葉を話す人同士で固まっています(笑)
ですが、そんな時に思い出して下さい。「何のために海外へ留学に来たのか」。それは英語を上達させるためであり、海外でしか学べないことを学ぶためだったはずです。最初は上手く話せないのは仕方のないことです。ですから、英語の話せる日本人と過ごして少しずつ外国人の友達を増やしたり、まずは文化や発音が近いアジアの人と話してみたり、ホストファミリーやルームメイトと話さなければならないことに目をつむったりせず、下手でも良いので外国人と話すことに挑戦しましょう。こちらが心を開いて相手とフレンドリーに接しないかぎり、相手の方から一方的に距離を縮めてくれることはありません。英語が下手でも、「話しかける」「仲良くなろうとする」勇気を持つことが重要です。

② 日本人を避ける


ごくまれにですが、「せっかく海外で生活するのだから、日本語は話さない」と言って日本人と話すことを避ける日本の留学生を見かけることがあります。その心意気は立派だと思いますが、かと言って日本人を意図的に避けることは決して良いことではなく、むしろデメリットの方が大きいと思います。留学生は、当然ですが何でも英語でこなせる訳ではありません。特に最初のうちは、先に留学に来ていた日本人から、知らなかった英語の表現、現地での生活に有意義な情報、国によって様々である外国人の性格や文化・考え方など、多くの情報をもらう事ができます。また留学に来ている人は、多くの人が高額の費用を払ってでも英語や海外でしか学べない知識を勉強に来た向上心の高い方が多く、聞いておいたら為になる知識や経験を沢山持っています。英語の勉強も大事ですが、同時にこうした人達との出会いは本当にかけがえのない財産になります。また、何か困った時に一番頼りになるのは、やはり日本語の通じる日本人です。小さなことにこだわらず、ぜひ日本人を含めた色々な人との出会いを大切にした方が良いと僕は思います。

③ 外国人について回る

日本人に多い残念なパターンがこれです。日本人としては全然悪気はなく純粋に仲良くなりたいだけなのですが、外国人と付き合う際に「自分がない」と思われるとあまり尊敬されません。毎日のように「今日は何するの?」、「一緒に行っても良い?」を繰り返すと、ついて来るだけの奴と思われて煙たがられます。そうではなくて、「~へ行くんだけど、一緒にどう?」とか、「~を食べに行ってみない?」といった具合に、相手が自分と一緒に過ごしたら楽しいと思わせる必要があります。外国人と接する際は相手にただ合わせるのではなく、自分が引っ張っていく方が尊敬され易いと思います。もちろん、一緒について行ったのに英語を全く話さないのが印象として最悪なのは言うまでもありません。

④ 友達が少ない

あまり表面的な友達ばかり増やすのは意味がありませんが、日本人・外国人に限らず、留学ではある程度多くの人と交流する方が良いと思います。苦手な人と無理に付き合う必要はありませんが、多くの人と触れれば触れるほど、英語も上達し様々な知識や経験を手にすることが出来ます。たとえば、英語は母国語の影響を強く受けるため、国によって発音が微妙に違ったり、使う表現が違ったりしますので、多くの人と話すことで多彩な単語や表現を知る事が出来ます。また、留学で学ぶことが出来るのは英語だけではありません。英語は日本でも勉強できますが、外国人の友達を作って話すことや、色々な国の知識や文化を肌で感じ直接学ぶことは、国内や旅行では難しいことです。また、どの友達とその後の長い付き合いを続けて行けるのかすぐには分かりませんので、友達が極端に少ないのはやはりNGです。変な話、留学という限られた期間で学べる英語の量は限られています。しかも授業で学ぶ内容より、外国人の友達を作って英語で話す方がずっと良い練習になり、帰国後も関係が続けば長い目で見ても英語の上達に役に立ちます。留学で最も価値あることは「出会い」があることだと僕は思います。友達を沢山作って、沢山のことを話しましょう。

⑤ 異性とばかり仲が良い

これについては「異性と仲良くしない方が良い」ということでは決してありません。実際に英語を上達させる最も早い方法は「外国人の恋人を作ること」というのは有名な話で、僕もこれには同意します。ですが、異性と「だけ」付き合うと、残念なことに様々なデメリットが発生します。
僕がボストンに留学した際に、こんなことがありました。僕が入学した日に同じように入学したフランス人の男の子と女の子がいました。女の子はすごくフランス人らしい可愛らしい子で、男の子も中々の好青年でした。やがて2人は恋に落ちて付き合い始めたようで、誰に聞いても常に一緒にいる姿があちこちで目撃され、外国人はおろか他のフランス人も2人の間には割って入れないようでした。ある日、その女の子が突然1人になりました。聞く所によると、男の子は留学期間が終わりフランスに帰国してしまったとのこと。それ以降、その女の子は誰とも仲良くなる様子もなく、常に1人で淋しそうにしていました。おそらく誰も話しかけないほど2人の世界を作ってしまったので、他のフランス人からもはじかれてしまったのでしょう。また、外国人の友達を作るには同じ日に入学した人が一番親しくなりやすいのですが、その努力をしなかったために友達が出来なかったのでしょう。留学生には友達を作る「タイミング」の様なものがあって、これを逃すと中々親しい友達を作るのが難しかったりします。
これは極端な話ですが、これに限らず異性とばかり付き合う人には「あいつは女たらしだ」、「あいつは尻軽だ」という悪いウワサが必ず立ちます。やっぱりこうした振る舞いって、どこの国の人にもイメージが悪かったり、嫉妬されたりするんですね。これってどこの国でも同じなんです(苦笑)。こうしたウワサが立つと、次第に周りの人も避けるようになって行きます。ですから、友達は同性異性とバランス良く付き合って、沢山の友達を作るのが結構大事だったりします。

⑥ アジアを見下す

日本人にはあまりピンと来ないかも知れませんが、アジアの国からの留学生は日本や欧米からの留学生に「見下される」ことに非常に敏感です。特に韓国や台湾は「自分たちは経済的に成功した国だ」という自負心がありますので、見下されたと感じるととても不快だそうです。僕の台湾の友達は「フランス人が大嫌い」だと言いましたが、その理由が「見下す」からだと言っていました。フランス人がみんなそうかどうかはさておき、人の上下は経済的な豊かさや出身国で決まるものではありません。留学先ではむしろ「自分を持っているか」「英語が話せるかどうか」で尊敬されるかそうでないかが決まります。ボストンにはアラブの王子だか大金持ちだかが何人かいましたが、人を見下すことに慣れているせいか誰も相手にしていませんでした。少なくても海外では自分が比較的恵まれた国から来たことは忘れて、1人の人間として尊敬される振る舞いをしましょう。特にアジア人同士は、距離や文化が近いこともありお互い強い関心を持っていますし、一番友達になり易く、一番理解しあえる関係です。留学から帰国してもずっと良い友達でいられるのは、やはり韓国と台湾の友人です。韓国人はだいたい日本に悪い先入観を持っていますが、実際に接すると価値観が変わるそうです。台湾人が親日的なのは言うまでもないでしょう。もちろん欧米人の友達を作るのも良いことですが、まずはアジアに友達を作ってみて下さい。

⑦ 日本のことを知らない

これも留学してから初めて気が付くことです。他の国からの留学生は、自分の国の歴史や、社会制度の仕組みと特徴、国際社会での立ち位置などをしっかりと分かっています。たとえば、日本の所得税や法人税・消費税がどのくらいで、その水準が他の国と比べてどうなのか、知っていますか?僕はこれで大恥をかきました…。日本人なのに、日本のことを説明できない、これは非常に情けないことなのですが、海外に出てみるまで意外に気付かないものです。まして自分の知らない日本のことを外国人に教えられてしまった時は、もう穴を掘りたい気分になります。留学に来る外国人は、総じてその国でも優秀な人が多いと思います。そのような人たちと接するときに恥をかかないように、自分の国にまず興味を持って、しっかり日本について話が出来るようにしましょう。

⑧ 授業をサボる

日本の大学と同じ感覚で授業をサボると大変なことになります。海外の大学や学校では出席率はとても大切な評価基準です。米国では学生ビザを発給された学生は8割以上の出席がビザ要件として義務付けられており、これを満たさなかった場合、最悪の場合は強制送還になります。たとえビザが発給されていない語学研修であっても、毎日学校へ行き外国人と英語で接して英語力を向上しようとする努力をすることはとても大切です。
僕が初めて留学をした時、同じ日に入学した英語の全く出来ない日本人の女の子がいました(僕もお世辞にも上手ではありませんでしたが)。その子はやがて学校に来なくなり、何週間か後に会った時は別人のようにやつれて退廃的な生活を送っていました。その子とルームメイトだったドイツ人の友人に話を聞いたところ、ルームメイトと全くコミュニケーションが取れずトラブルになり、それが次にはホストファミリーとの問題に発展して、とうとうホストの家を追い出されてモーテル暮らしになったとのこと。最初に英語が出来ないのは仕方がないことだと思います。ですが英語を向上させることを放棄してしまうと、待っている状況は悲惨なものです。少なくとも毎日授業には出席して、生活のリズムを守り英語力を少しでも向上させて行きましょう。

⑨ クラスで発言しない

日本の学校の授業とは逆で、海外では積極的に発言する事が求められます。語学学校などでは先生が振った話に誰かが答え、それにまた誰かが意見する、という感じで、先生から指名されて答えたり質問されたりすることの方がむしろ稀なぐらいです。どの国の学生も自分が自分がと先を争って発言しようとしますので、静かにすることに慣れている日本人はどうしても気後れしてしまうのですが、慣れたら負けずにどんどん発言しましょう。ずっと黙っているのでは費用が勿体ないですし、何より楽しくありません。海外での授業は日本のそれよりずっと気楽で自由なものです。だから楽しむが勝ちだと僕は思います。

⑩ 現地のルールを守らない

留学先には様々な国から生徒がやって来ます。文化も母国語も異なる人間同士が唯一守らなければならないのは、英語で話すことであり現地のルールに従うことです。公共の場所や学校・ステイ先での喫煙はもちろん、欧米では(日本もですが)歩きタバコも絶対NGです。飲酒に対する規制も厳しく、年齢を証明するものが無ければお酒は買えませんし、クラブやバー・レストランで注文することも出来ません。こっそり違反するとクラブやバーからつまみ出されることもあります。会ったら必ず挨拶をすることや、必要なことは必ず会話で意思を伝えることもルールです。(日本では「察する」ことは美徳ですが欧米では異なります)。ステイ先には門限がある場合もあります。またホストファミリーの誕生日を祝うことや、クリスマスやサンクスギビングの家族での食事も大切にして下さい。米国などは日本よりだいぶ自由で個人が優先の社会ですが、何でも自由にして良いと言うことでは決してありません。

⑪ 自立した生活ができない


日本人はホームステイに、ホストが色々と世話をしてくれるイメージがあるかも知れませんが、実際の留学の生活はそうではなく、自分のことは自分でするという「自立した生活」が求められます。自分の洗濯はもちろんのこと、食事も自分で作らなければならない場合もありますし、ホストファミリーの掃除や食事の後片付けを手伝う必要もあるでしょう。ホストは留学生を「家族の一員」として受け入れるのであって、「お客さま」では決してないことを知っておいて下さい。最初は戸惑うかも知れませんが、お互いを尊重しつつ自分の生活を自分の力でして行くことは、慣れると案外心地の良いものだったりもします。

⑫ 日本で学歴と認められない大学を卒業する


少し厳しい内容ですが、留学をご検討されている方々のご参考になればと考えて、実際の現実をご紹介させて頂ければと思います。日本の大学に入学せず、海外のよく知られていない大学やコミュニティカレッジを卒業した場合、その学歴は日本の企業では「大卒」として認められず、「高卒扱い」となります。また、米国でこうした大学を卒業して現地で就職しようとしても、契約社員レベルのポジションしか得ることが出来ず、その契約が更新されなかった場合は労働ビザが切れ帰国を余儀なくされ、日本では結局「高卒扱い」の仕事にしか就くことが出来ません。日本でも大卒の学歴として認められるのは、ハーバードやスタンフォード、MITやUCLA、UCバークレーなどのごく一部の一流大学のみで、これらの大学の卒業生は近年は高い評価を受け日本の一流企業も米国枠の採用を増やしていますが、それ以外の大学は残念ながら「日本の受験を避けた」と言う評価となるのが現実です。それであれば日本の大学に入学し、交換留学や語学留学で高いTOEICスコアを取得した方が遥かに高く評価されます。「日本は学歴社会だから、アメリカで!」と考えるのは非常に安易な発想で、実はアメリカも日本に勝るとも劣らない超学歴社会です。日本であろうがアメリカであろうが、その人間が努力した結果がそのまま評価されるのは同じです。受験を避け裏道を抜けて英語力さえつければ高く評価される、と言う事は残念ながら起こり得ません。高校を卒業していきなりこうした米国の一流大学へ入学するのは相当に高いハードルのため、まずコミュニティカレッジに入学し一流大学への編入を目指すルートもありますが、もちろんこのルートも死ぬ気で頑張れる強い意志と努力が必要です。努力無くして結果を得ることは出来ません。海外の大学へ進学するのであれば、それだけの覚悟と努力が必要です。

また、近年よく耳にする「世界大学ランキング」を鵜呑みにするのも実は現実とはかけ離れています。世界大学ランキングはあくまで欧米基準の物差しで、英語で書かれた論文のみを評価対象とし、さらに自然科学分野を圧倒的に重視したアカデミックなランキングであり、それは社会や企業での評価とは必ずしも一致しないものです。ここでこの「世界大学ランキング」と矛盾する、もう一つのランキングをご紹介したいと思います。

【世界の大学就職力ランキング2018(QS)】

① スタンフォード大学(アメリカ)
② カリフォルニア大学ロサンゼルス校(アメリカ)
③ ハーバード大学(アメリカ)
④ シドニー大学(オーストラリア)
⑤ マサチューセッツ工科大学(アメリカ)
⑥ ケンブリッジ大学(イギリス)
⑦ メルボルン大学(オーストラリア)
⑧ オクスフォード大学(イギリス)
⑨ カリフォルニア大学バークレー校(アメリカ)
⑩ 清華大学(中国)
⑪ ニューヨーク大学(アメリカ)
⑫ コロンビア大学(アメリカ)
⑬ プリンストン大学(アメリカ)
⑭ 東京大学(日本)
⑮ 北京大学(中国)
⑮ トロント大学(カナダ)
⑯ スイス連邦工科大学(スイス)
⑰ ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(イギリス)
⑱ コーネル大学(アメリカ)
⑲ エール大学(アメリカ)
⑳ 香港大学(香港)
㉑ シカゴ大学(アメリカ)
㉒ ペンシルバニア大学(アメリカ)
㉔ ウォータールー大学(カナダ)
㉕ ミシガン大学(アメリカ)
㉖ 早稲田大学(日本)
㉗ 復旦大学(中国)
㉘ エコール・ポリテクニーク(フランス)
㉙ インペリアル・カレッジ・ロンドン(イギリス)
㉚ カールスルーエ工科大学(ドイツ)
㉚ シンガポール国立大学(シンガポール)
(中略、以下日米の大学のみ記載)
㉜ ノースウェスタン大学
㉞ デューク大学
㊸ ブラウン大学
㊼ パデュー大学
㊸ ジョージア工科大学
㊺ 慶應義塾大学(日本)
(以下、主要大学のみ記載)
ボストン大学(51位)
京都大学(53位)
東京工業大学(57位)
南カリフォルニア大学(59位)
ジョンズ・ホプキンズ大学(64位)
ワシントン大学(64位)
カリフォルニア工科大学(73位)
大阪大学(76位)
アリゾナ州立大学(81位)
ペンシルバニア州立大学(87位)
名古屋大学(90位)

このランキングは各大学の卒業生を、政治やビジネスのリーダーから、ジャーナリスト、科学者、文学やアートの分野に至るまで、①「雇用者の評判」、②「卒業生の成功指標」、③「雇用者とのパートナーシップ」、④「雇用者と学生の関係」、⑤「卒業生の就職率」の5つの要素を基に、世界の大学がどれだけ社会の中で評価されているかを指標化したもので、皆さまがお持ちのイメージと近い「現実的なランキング」と言えるでしょう。世界大学ランキングでは全く低評価を受けている日本からも、上位50位以内に東京大学・早稲田大学・慶應義塾大学がしっかりとランクインしています。ボストン大学やカリフォルニア工科大学もアメリカでは「一流大学」と呼ばれる優秀な大学ですが、世界基準で見ても日本の一流大学の後塵を拝し、それが日本基準になればその評価はさらに低いものになることは容易に想像できます。州立大学レベルの学位は就職活動では「その他の大学」のカテゴリーに分類されてしまうでしょう。日本で正当に「一流の学歴」と評価されるには、少なくとも東京大学より上位にランキングされているアメリカの8大学(スタンフォード、UCLA、ハーバード、MIT、UCバークレー、ニューヨーク、コロンビア、プリンストン)での「実用的な学位」(経済学、経営学、法律、自然科学分野など)が必要となって来ます。それが「日本における現実の評価」と言えます。

さらに、就職をした後の評価はさらにシビアです。日本社会には強固な「学閥」が明確に存在します。

【上場企業の全役員の出身大学2018(役員四季報)】

① 慶應義塾大学 2,134人
② 東京大学   1,844人
③ 早稲田大学  1,837人
④ 京都大学    923人
⑤ 中央大学    888人
⑥ 一橋大学    590人
⑦ 明治大学    584人
⑧ 日本大学    554人
⑨ 大阪大学    461人
⑩ 同志社大学   405人
(中略)
ハーバード大学   73人
スタンフォード大学 31人
ペンシルベニア大学 26人
コロンビア大学   22人

将来的に状況が少しは変わるとは思いますが、それを見越したとしても、世界の頂点を極めるハーバードやスタンフォードでさえ日本社会での影響力とは極めて小さいものです。「そもそも出身者の母数が異なる」「米国の超一流大学を出たら日本の企業になんか興味がないだろう」と言う意見がありますが、学閥が存在する以上は「絶対数」=「影響力」であり、日本の上場企業が海外大卒をトップに据えたと言うケースは未だ聞いたこともありません。米国で現地の一流企業のポジションをゲットしたとしても、そこで現地の「一流のネイティブ」との競争を勝ち抜くことは完全に不可能ですし、役員はおろか管理職になることすら叶わないのが現実でしょう。そうなると残る道は国内の外資系企業と言うことになりますが、国内の外資系企業はあくまで「日本支店」です。支店長は当然ですが本国から来た人間、そしてその支店が日本を撤退することも日常茶飯事です。どれだけ高報酬でも「支店」におけるポジションを転々とすることになりますし、日本の企業のように長期間勤務したら待遇やポジションが上がるというものでもありません。私たちが日本人である以上は結局、日本人が成功できるのは日本の企業だと言うことです。多民族が暮らす米国でさえ、アジア人が大企業のCEOを勤めることはほとんどありません。それは日本の企業が外国人に重要なポジションを与えない事と、全く同じことです。差別だと感じるかもしれませんが、現実は現実、当然と言えば当然です。学歴主義・民族主義と言うのは日本独自の習慣では決してなく、どの国でも同じです。ハーバードやスタンフォードなどの米国の超一流大学で学びたいのであれば、日本の学歴を取得した上で大学院留学をする方が、長期的な視点で見た場合は良いかも知れません。

「留学したい」「海外で学びたい」という気持ちは非常に誇るべきものですが、やり方を間違えると、それはマイナス評価になってしまうケースがあります。留学に行くことは「勉強であり挑戦」であって、決して「遊びや余暇」であってはならないのです。海外に勉強に行かれる方に、上記のような日本の社会の環境や、国内での留学に対する社会的評価も知っておいて頂ければ幸いです。

SSEAでは以上のような要素も考慮しながら、生徒様のご希望や将来の進路、就職を希望する業界なども踏まえた上で、その生徒様お1人がどのような進路を歩んだら最も良い方法で留学を成功させることが出来るかをご提案させて頂きます。考えてみて下さい。あなたは今、人事部に配属され就職活動生の集団面接を行っています。

Aさん:「高校卒業後、アメリカの語学学校に通ってTOEFLのスコアを上げ、コミュニティカレッジに入学してアメリカ文学史を勉強しました!アメリカに3年以上いたんです!TOEIC700点です!」

Bさん:「日本の国立大学で法律を専攻しました。特に企業における特許申請や知的財産に関する分野が専門です。夏休みに1か月、アメリカで短期の語学研修をした事があります。TOEICのスコアは800点です。」

Cさん:「大学生の時にイマイチやりたい事がなくて、卒業してオーストラリアに1年ワーキングホリデーに行きました!TOEICは560点でも、現地のカフェで毎日バイトしてたので直感的にコミュニケーションが取れるんです!」

Dさん:「私は帰国子女で英語が話せたので、その英語力でアメリカの州立大学に入って英語の言語学を専攻したので、私の英語は完璧なんです!日本では知られていないですけど、私の大学は世界大学ランキングで日本のほとんどの大学より上なんですよ!」

あなたが面接官なら、どの学生を次の面接に呼びたいと思いますか?

長くなりましたが、以上の情報がお読みになった方に少しでもご参考になれば幸いです。僕が初めての留学で滞在したアメリカ西海岸のサンタ・バーバラは、今でも僕には特別な場所であり、第2の故郷だと思っています。それは身についた英語や、忘れられない様々な出会いと経験に留まらず、それまで何となく受験をして、何となく大学に通っていた僕に「世界でやって行ける人間になりたい」と思わせ、それまで受け身だった意識を、目標を持った前向きなものに変えてくれた経験だったからです。人生のすごし方が、この町での経験で明らかに変わった、それほど大きな影響を受けました。サンタ・バーバラから帰国した僕はその後、狂ったかのように英語の勉強に没頭し、それが就職活動の成功や、英語力と言う一生ものの財産へと繋がりました。1人でも多くの方に、そんな特別な経験ときっかけを与えてくれる機会が留学なのだと知って頂ければと思います。一生の財産になり得る留学の機会が素晴らしいものになるように、このブログが少しでもお役に立てれば幸いです。

サンタ・バーバラでの留学時代の体験もブログにしています。ぜひ Santa Barbaraその1。からお読みください。また、当スクールの生徒様には、代表講師の経験を元にした留学のアドバイスや語学学校のご紹介なども行なっております。詳細につきましては、「留学サポート」ページをご覧ください。

当スクールのカリキュラムは、代表講師が留学とその後の英語学習で経験した学習法に基づいて構成されております。学習カリキュラムにつきましてはぜひ、「SSEAの学習法」のページやをご覧ください。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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必ず3時間遅れるフライト(ネパール編)

2011年の12月、僕はインドとネパールを訪れたのですが、今日は何とも呑気なネパールのフライト事情について書きたいと思います。

インドから陸路でネパールへ入国した僕らは、仏陀生誕の地であるルンビニから、首都であるカトマンズへ飛行機で向かう計画でした。バスもあるのですが、優に6時間はかかるしお腹を壊しているかも知れないし…ということで飛行機を選択し調べたところ、ルンビニからカトマンズへのフライトは(2011年時点では)イエティ航空があるのみでした。インターネットの口コミには、「必ず朝一番のフライトを予約しておくこと、遅延します」とあり、何故だろうと思いつつ僕らは朝8時のフライトを予約することにしました。

ルンビニの記念公園を散策してホテルに戻った僕らは、翌朝7時に空港に行きたいから送迎して欲しいとホテルで相談したところ、ホテルのスタッフは何故か「そんな時間に行っても飛行機は飛ばないよ」と言います…。そうは言っても「8時のフライトなんだから7時に」と思うのは日本人だからでしょうか…。とにかく頼み込んで朝6時にホテルを出発してもらえることになり、とりあえずホッとしたのですが…

翌朝7時に空港に到着すると、フライト1時間前なのにも関わらず空港には誰もいません。カウンターの奥にいたスタッフにチェックインを頼むと、「This flight is delayed.」と…原因は空港に到着した際に分かったのですが、毎朝、深い霧に空港が包まれて離着陸する事が出来ないのです。だからホテルのスタッフは朝行っても無駄だと言ったのだと分かりましたが、それでも予定時間が8時なら7時に行かないといけないと思うのは、日本人だけなのでしょうか…

<霧で覆われた空港>

毎朝飛べないなら8時のフライトを設定するなよ…」と思いながらどのくらい遅れるのか尋ねると、「お天気に聞いてくれ」などと言います…1時間待ち…2時間経った頃に霧が晴れて来たため、そろそろかなと思いきや、「今から飛行機がカトマンズから来るから」と言われ…結局3時間遅れのフライトになってしまいました。朝一番のフライトを予約しておけば、昼にようやく出発出来る、だから必ず朝のフライトを予約しておかなければならない…昼のフライトだと夜になる…インターネットの口コミはこう言う事だったのかと、妙に納得しました…

カトマンズに3時間遅れで到着した僕らは荷物受け取り所のショボさに驚愕したのですが、話はこれで終わりませんでした。僕らの荷物を運んで来た車が何故か受け取り所で荷物を降ろさず通り過ぎたのです。「どこへ持って行くんだ」と追いかけると、なんとツアーバスの横で直接バスに荷物を積み込もうとしています。確かに他の乗客は全員タイ人のツアーだったのですが…危うく荷物と永久に別れるところだったのは想像に難くなく…

<荷物受け取り所へ荷物を運ぶ>

俺たちの荷物を返せ」と交渉してようやく自分の荷物を取り戻した僕らはホテルの送迎タクシーを探したのですが、3時間遅れでは流石に待っていないだろうと思いきや、なんとちゃんと待っていました。それとも遅れるのを見越して来たのでしょうか(汗)ネパールではこれが普通なのでしょうか…常識と時間の感覚が違い過ぎると思わされました…。

途上国では時として自分の常識を超えた事が起きますが、それも旅の楽しみと言えるのかも知れません。このブログをお読みになる方にはぜひ、旅のトラブルも楽しんで頂きたいと思います(苦笑)ところで、この単語は必ず覚えておきましょう

delayed「遅れている」

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ネパールのストライキ

このブログは2011年の12月にインドからネパールを旅した際の体験です。ぜひ「インドの食あたりその2(2011年編)」から続けてお読みください。

前日にインドでホテルの弁当に食あたりし、なんとか国境近くのホテルにたどり着いた僕は友人に薬を飲ませて、なんとか翌日には移動出来る程度に回復しました。この日はスノウリから約20km離れた、仏陀生誕の地であるルンビニを訪れ、翌日の飛行機でカトマンズへ行く予定でした。

朝、まだ青白い顔をしていた友人はバナナ1本しか食べることが出来ず体調が心配だったのですが、この日にルンビニへ行かないともう訪れる機会はないだろうと思い、「まあ、20kmならタクシーで1時間もあれば着くだろう」などと楽観視していました。ホテルをチェックアウトしてフロントでタクシーを呼んでくれと言うと、「今日はタクシーはないよ」と言います。「え?じゃあバスか何か?」と尋ねると、「バスもない」と。「え、何か交通手段は?」と聞いたら、「今日はストライキだから、国中何もないよ」という驚愕の返答が…

翌日の飛行機でカトマンズへ行ってしまうからどうしてもこの日にルンビニへ行きたかったので、ホテルのスタッフに何か方法がないか尋ねると、「リキシャーなら捕まるかも」と言います。「リキシャーか…快適じゃないけどしょうがない…」と思いましたが、とにかく捕まえてくれと頼むと、何とやって来たのはバイクのオートリキシャーではなく、自転車のサイクルリキシャーだったのです、しかも細くて歳をとった運転手の…

<サイクルリキシャーの運転手>

これで20km移動するの…?マジか…?」と思いましたが、他に手段はないとホテルのスタッフが言うので、どのくらいかかるか聞いた所、「まあ、1時間半くらいじゃない?」などと適当な事を言います…(20kmと言えば、東京からだと横浜の手前まで行ってしまう距離です、それを自転車とは…)しかし他に手段はなく、かくして大人2人と荷物3つを載せたサイクルリキシャーの旅が始まった訳です…

<荷物を載せるとこの状態>

何しろ重いので、リキシャーは中々進みません。運転手も「どうしてよりによってこの人を捕まえたんだ…」と思うほど頼りなく、上り坂になると最早こぐことも出来ません。本当に1時間半で着くのかと思っていたら、1時間半後に何やら10kmという標識が…そうです、ようやく半分です…。結局ルンビニまで3時間冬の風が吹きつけるサイクルリキシャーの上で過ごすことに…唯一の救いだったのは、体調不良の友人はずっと眠っていたことでしょうか…

<道端には貴重な光景も>

何とかルンビニのホテルにたどり着くとすぐに記念公園を見に行こうとしたのですが、リキシャーの運転手が「もう疲れたから行くのはイヤだ」と言い始めました。実は最初に料金を交渉した際は、ルンビニまで行って、記念公園の中を周って30ドル(値段は定かではない)と決めたのです。記念公園を周るリキシャーの値段は一律いくらと決まっているので、「じゃあもういいから、記念公園の分10ドルは払わないよ」と言うと、運転手はそれじゃ少なすぎるとゴネ始めます…ホテルのスタッフに通訳してもらい散々揉めましたが、結局25ドルほど払ってあげる事になりました。まあ3時間大人2人荷物3つを運んで、また3時間かけて帰る訳ですから…ホテルのスタッフも「リキシャーでスノウリから来たの!?」と驚く始末。でもおそらく、彼は1日で1週間分の稼ぎを得たのではないかと思います…

<ルンビニ記念公園>

途上国でのトラブルは何が起こるか想像もつきませんが、そんな時に重要なのは交渉力です。英語が上手ければ良いと言うよりは、臆せず何でもハッキリ主張することが重要かも知れません。途上国の個人旅行はトラブル続きですが、ぜひチャレンジしてみて下さい。

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Santa Barbaraその9。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

道に迷うわチャンさんとコミュニケーションは取れないわで散々苦労してサンフランシスコにたどり着いた僕らでしたが、部屋割りは当然男性2人と女性4人ということになり…僕は部屋でチャンさんと2人きりの時間を過ごすことになりました。疲れていたので、二言三言会話しただけで寝てしまいましたが…。女性陣は女性陣で、誰がヒデコさんと同じベッドで寝るかで揉めたそうでした。

翌朝、ユニオンスクエアでRと待ち合わせた僕らはまずチャイナタウンに向かいました。Rは相変わらず日本語で女の子としか会話しません。一方のチャンさんはと言うと、ヒデコさんに話しかけるのですが、ヒデコさんは嫌がって話そうとしません…歳が近いのだから上手くコミュニケーションを取ってくれれば良かったのですが…結局僕がチャンさんの担当になって行きました。

チャイナタウンで飲茶ランチをして、ケーブルカーでフィッシャーマンズワーフへ向かう頃には雨が降りはじめ、デコボコ団には暗い空気が漂い始めました。それぞれが違う方へ歩こうとするので、僕はチャンさんの相手をしながら、そっちじゃない、あっちだ、などと徐々にガイド的な役割をしなければならず…フィッシャーマンズワーフではチャンさんが突然、高価なカメラを品定めし始め他のメンバーが文句を言い始めたので、僕はチャンさんにこんな所でカメラを買わないでくれと説得するハメに。お店の人を少し怒らせてしまったもののなんとかピア39まで辿り着いた所で、今度はRが無神経にも僕に向かって、「なんだ、サンフランシスコってこんなもん?つまんねー」と吐き捨てます…

<雨のサンフランシスコ>

俺はお前のガイドじゃねーよ」と1人チャンさんの相手をしながら苦労していた僕は怒りが限界に達して、ビア39で一時解散することにしました。Rはナツコに「マイシスター!一緒に行こうぜ!」と去って行き、チャンさんとヒデコさんはそれぞれ1人でどこかへ行ってしまいました。僕は残った2人としばしの休息タイムを過ごし、数時間後に集合してダウンタウンに戻って夕食を食べたのですが、Rが前日に行ったというレストランのマズさと言ったらありませんでした…

Rは翌日は友達と会うから別行動となり、ユニオンスクエアで別れてモーテルへ戻り、サンフランシスコの初日が終わりかけた頃、ナギサが少しずつ僕を助けてくれるようになって来たのが唯一の救いでした。モーテルに戻るとチャンさんが部屋でみんなで一緒に飲もうと提案して来ました。しかしみんな疲れていたのか、誰も応じようとしません…しょうがない、また僕が付き合うか…と諦めかけた時、ナギサが私も付き合うよと言ってくれたため、3人でしばし韓国の話などをして過ごしました。

<グランドハイアットのラウンジからの眺望>

翌朝ナギサが「女の子たちはショッピングしたいって言ってるよ」と耳打ちしてくれたので、ダウンタウンで解散することにしたのですが、その頃にはチャンさんも味方は僕1人と悟ったのか一緒に行こうと言って来たため、彼と2人でショッピングしたあと、グランドハイアットホテルの展望ラウンジで(チャンさんのみ)お酒を飲みながら時間を過ごしました。

<ゴールデンゲートブリッジにてチャンさんと>

午後は車でゴールデンゲートブリッジを訪れましたが、その頃にはチャンさんも自分が運転するとは言わなくなっていました。その後対岸の小さな町サウサリートを散策して夕食を食べ、ツインピークスから夜景を楽しんだ僕らはRと合流して、夜中の運転でサンタバーバラへ戻ったのですが、途中Rが運転していた時にまたアクシデントが…

休憩しようとしたのかフリーウェイを降りたのですが、周囲には何も無く諦めた時…、Rが「フリーウェイの入口が見つからない」と騒ぎ始めました。「何やってんだコイツ…」と思いましたが精魂尽き果てていた僕は放っておいたのですが、追い詰められたRはとんでもない行動に出たのです。

「出口から(逆走して)入るしかねーべ」と言うのです…

みんな「うそー!?」という反応していましたし僕も本気かコイツと思いましたが、ハンドルを握るRは「しょうがねーべ」と言って…

本当に出口を逆走し始めたのです…

対向車が来たらもちろん正面衝突、警察に見つかれば捕まる暴挙でしたが、運良くフリーウェイに戻り、Uターンして本線に戻れはしましたが…「コイツとは2度と行動は共にしない」と僕は心に誓いました…

こうしてトラブルだらけのサンフランシスコ旅行は幕を閉じましたが、朝にサンタバーバラに到着して全員を家に送り届けた僕はもう1日ベッドから起き上がることが出来ませんでした。今でこそ良い思い出ですが、後にも先にもこれだけ悲惨な旅行は記憶にありません…ただ車を運転出来るとみんなに思われた僕は調子に乗って、翌週はサンディエゴ、翌々週はロサンゼルスへと車を走らせることになります、そこにまたトラブルがあるとは思わずに…

続きはまた次のブログにて

To be continued.

Santa Barbaraその10。へ続く

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インドの食あたりその2(2011年編)

2011年の12月、僕らはインドとネパールを周ることにしました。僕は3年前のインド旅行でひどい食あたりに遭い命からがら帰国した経験からインドを訪れるのは正直イヤだったのですが、友人がどうしても行きたいと言うので渋々承諾しました。

詳細は「インドの食あたり(2008年編)」をご覧頂きたいのですが、インドで食べ物にあたるとその悲惨具合は日本とはレベルが違います。下痢と嘔吐を繰り返し身体中の水分が抜けて、高熱でもあるかのようにフラフラして歩くのもままならない程です。もちろん日本で市販している下痢止めや整腸剤は全く効きません。かと言って現地の薬を飲むのも怖いなと思った僕は、ネットでアフリカなどに渡航する方などが予防注射を射ったりする「トラベルクリニック」というものを見つけました。そこで強い下痢止めと抗生物質が手に入るということで、あらかじめ薬を用意することにしました。

トラベルクリニックを訪れ下痢止めセットを10日分ほど購入してお会計に進むと、なんと1万円だと言います。「そんなに高いの!?」と思ったところ、薬の事前処方は症状がないため健康保険の適用外とのこと。お財布は空になってしまいましたが、後々この薬に救われることになります。

こうしてインドに再び足を踏み入れた僕らは、コルカタ〜バラナシ〜サールナート〜クシナガラとヒンドゥー教と仏教の聖地をめぐり、ゴラクプルからスノウリを経由して陸路でネパールに入国する計画を立てました。気をつけたことは、ホテルのミネラルウオーター以外は飲まない、ガイドブックに記載のないレストランで食事しない、町中や駅で売っているものは食べないなど、衛生面を徹底した上で移動もトイレのある飛行機と鉄道のみとしました。

旅はトラブル続き(他のインド関連ブログ参照)でしたが、なんとか予定通りに仏陀が亡くなった地であるクシナガラに到着しました。クシナガラは小さな村で、外国人が快適に宿泊出来るホテルは一軒しかありません。翌日ゴラクプル経由で鉄道でナウタンワまで行きネパールへ抜ける予定だった僕らは、このホテルでランチボックスを作ってくれないか頼みました。メニューはチキン、マフィン、オレンジ、そして何故かおにぎりでしたが、「これで無事にインドを抜けられる」とホッとしました。この弁当が再びの悲劇を導くとは疑いもせず…

<ホテルで注文した弁当>

鉄道の中でお弁当を食べ、ナウタンワからリキシャーでスノウリに入り無事にネパールに陸路で入国した僕は正直作戦勝ちを確信していたのですが、ネパールのイミグレーションで入国手続きをしていると友人が気持ち悪いと言い出しました。僕は何とも無かったのでとにかく急いでホテルへ向かおうとタクシーを探していたら、後ろにいたはずの友人が見当たりません。遥か後方に彼を発見した僕は戻ってどうしたのか尋ねると、なんと路上で吐いてしまったと言います。ホテルの部屋にたどり着くと、今まで一度もお腹を壊したことのなかった彼がトイレから出て来ません。嘔吐と下痢の症状はまさに3年前に僕が経験した「インドの食あたり」でした…しかしまさかホテルの弁当で当たろうとは…やはりインドはインドということでしょうか…

<インドのイミグレーション>

しかしこんな時のために用意した高価な薬です。飲ませておとなしく休んでいたら、友人は丸一日ベッドから立ち上がることが出来なかったものの翌日にはなんとか移動出来る程度に回復しました。まさに薬に救われた訳ですが、一体弁当の何が悪かったのかは謎のままです。彼が食べて僕が食べなかったのはマフィンだと言うのですが、果たしてマフィンでも当たるのがインドなのか、はたまた僕には3年前に抗体が出来ていたのか…いずれにせよインドの食あたりの洗礼からは逃がれられないのだと痛感しました…

<国境近くのホテル>

余談ですが、トラベルクリニックの薬は高いので、薬を用意する時はかかりつけの医院で出してもらう方が安く済むかもしれません。ただインドの食あたりは菌によるものなので、抗生物質がないと効きません。お医者さんには、「インドでも通用する」1番強い薬をリクエストしましょう(苦笑)

「ネパールのストライキ」に続く

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Santa Barbaraその8。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

初めての留学も1週間が経ち、金曜の午前中のクラスを終えた僕らは、レンタカーでサンフランシスコへ向かうことになりました。メンバーは、僕、ナツコ、ナギサ、ミチコ、ヒデコさん、チャンさんとRの、大所帯かつデコボコな7人でした。このデコボコ日本人6人と韓国の大学の先生と言う組み合わせがまた最悪で、ミチコが出発前に、「チャンさんが日本語では話さないで欲しいと言っている」とみんなに言うのです。確かに1人だけ韓国人で孤立してしまうのは分かりますし、留学に来ているのだから英語で話すべきなのは分かりましたが、何しろ僕らは英語初心者なうえに日本人同士なので、英語で全てのコミュニケーションを取ることにムリがあります…特にRは全く英語を使おうとせず(正確には能力もありませんでしたが)、お構いなしに日本語で恋バナに花を咲かせ始め、チャンさんが段々不機嫌になって行くのを感じた僕はどうしようもなくただ黙っているしかなかったのですが…

<チャンさんは韓国の大学の英語教師>

運転はまずチャンさんが担当し、疲れたら僕とRが変わることになりました。しかしサンタバーバラの町中から早くもアクシデントが始まります。チャンさんは韓国では同じ右側通行なのだから運転は大丈夫だろうと思っていたのですが、右折の赤信号に止まったまま動こうとしません…(アメリカは信号が赤でも安全なら右折して良いと言う)交通法規の違いを知らずに、後ろの車からクラクションを鳴らされてしまっているのですが、彼は赤なので何が悪いのかと混乱するばかり…さあ、この交通法規の違いを英語で説明するのが大変です。僕はつたない英語で何とかチャンさんに理解させたのですが、他の日本人は一切英語を話そうとせず、僕はこのグループの組み合わせに無理があったと猛烈に後悔しましたが今更どうしようもなく、1人でチャンさんと奮闘する羽目に…後ろで呑気に日本語で恋バナをしているRには特に頭に来ましたが、もちろんアクシデントは1回で済むはずはありません

サンタバーバラからサンフランシスコへはほとんど一本道なので最初は3人で交替するだけで良かったのですが、サンフランシスコに近づくにつれて、「誰が道を知っているんだ?」という疑問が湧いて来ました。僕は地図を持っていましたが、チャンさんは地図も見ずに走り続けたかと思いきや、サンフランシスコの手前で突然フリーウェイを下りてしまい…そして…そう、道に迷ってしまいました…あたりがちょうど暗くなる頃に…

とりあえずガソリンスタンドに車を止めて会議を始めたのですが、チャンさんと話すのは僕1人…Rは無責任に僕に向かって、「おい、頼むよ、あいつ(チャンさん)全然話を聞かないんだよ」などと言って来ます…
「それはお前が英語で話さないからだろ」と僕は心の中で思いましたが、僕はもうこいつらと話しても無駄だと思い、ガソリンスタンドのスタッフに「ここはサンフランシスコか?」と聞いたところ、「ここはサンノゼだよ」と…どうやらチャンさんは違う町でフリーウェイを下りてしまったようでした…

<サンノゼとサンフランシスコの位置関係>

全てを英語で話すのに疲れた僕は、チャンさんに地図を持たせ自分で運転することにしました。刻々とモーテルのチェックイン締め切りが迫る中、メンバー全員が異国の地での迷子に沈黙していたのは逆に救いだったのかも知れません…何とかフリーウェイに戻り、地図を見ながら1時間ほど走ったでしょうか、僕らは締め切りの直前にモーテルにたどり着きました。サンタバーバラから8時間はかかったかも知れません…

<宿泊した町はずれのモーテル>

Rは別のホテルを予約していたためモーテルで別れましたが、翌日ユニオンスクエアで待ち合わせになってしまいました。彼と別れたあと車で周りを走り、何とか見つけたお店で夕飯に食べたタイ料理が何とも美味しかったというかホッとしたというか…しかし翌日からも僕はチャンさんとRとヒデコさんとの間で振り回されることになります。続きはまた次回のブログにて…

To be continued.

Santa Barbaraその9。へ続く

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スピード違反で捕まった(フロリダ編)

2013年の年末から14年の年始にかけて、アメリカのテキサス州・ルイジアナ州・フロリダ州をレンタカーで周りました。13日間の旅行は良いことも悪いことも盛り沢山でしたが、色々な意味で最も記憶に残ったのは、フロリダで「スピード違反の取締り」に引っ掛かった事です。

(フロリダ南部の地図 マイアミからキーウエストまで約4~5時間のドライブ)

12月31日、旅行も終盤に差し掛かった大晦日の朝、僕らはアメリカ最南端の島、キーウエストを早朝に出発し、マイアミビーチを目指しました。キーウエストとフロリダ半島の間は片道1車線のUS-1号線があるだけなので、混まないうちに抜けてしまおうとしたのが間違いだったのかも知れません。早朝なので車は少なく、時速45マイル(72km)で順調に走っていました。二時間半ほど走りもうすぐフロリダ半島に入る所で、ガソリンスタンドでトイレ休憩を取りました。この休憩が運命の分かれ道だとは知らず…

(フロリダ半島からキーウエストまで続くUS-1号線。海の上と連なる島々を抜けて行きます)

休憩を終え、マイアミまでもう少し、「さあ急ごう」と僕はスピードを45マイルまで上げて行きました。その時、前後には全く車がいませんでした。時速45マイルにスピードが達した時、急にルームミラーに赤と青の光が映りました。どこかで見たことのある光…「そう!パトカーだ!」と気づいた時は既に手遅れです。ガソリンスタンドの近くで隠れていたスピード違反の取締りに引っ掛かってしまいました…

実は、アメリカでスピード違反で捕まるのは2度目でした。さかのぼる事10年以上前、初めて留学した時にカリフォルニアで捕まった事があります。(その時のことはまた改めて書こうと思います。)それ以降、アメリカの取締りが厳しい事は知っており気をつけてはいたのですが、ふと気が緩んでしまいました。

(取締りのパトカー。赤と青の光の点滅が後ろに見えたら素直に諦めましょう)

「ああ、しまった!」とは思いましたが、以前に捕まった経験があったこと、前回の罰金はクレジットカードで払えたことから、その時はそれ以上深い心配はありませんでした。車を止めると警官がパトカーから降りて来ます。窓を開けると彼は「Hello, how are you?」とまるでお店の店員のように気さくに話しかけて来ました。スピード超過の旨を伝えられ、日本の免許証とレンタカー会社発行の免許証の翻訳文(州によりますが、アメリカでは国際免許証の代わりにこのような翻訳文を使う事ができ便利です。あくまで有効なのは、日本の免許証原本とされています)を渡すと彼はパトカーに戻り違反チケットを作成して戻って来ました。スピード違反の手続きは一応、違反した地区の裁判所への出頭となるのですが、旅行者などは行ける訳もないのでその時間が無いと伝え、罰金の額を尋ねたところ、なぜか「分からないから1月2日以降に電話してくれ」と言います。聞いたところによると31日と1日は祝日のためオフィスが閉まっていると… 「オフィスは休みなのに取り締まりはしっかりやるのかよ…3日の飛行機で日本に帰るんだが…」と手続きがすぐに出来ないことに不満を覚えましたが、「まあカード番号を電話で知らせれば済むだろう」と、その時は深く考えずにその場を離れました。

マイアミに到着し、ホテルのコンシェルジュにチケットの処理方法を尋ねると、コンシェルジュはチケットを読んで「ここの地区のチケットはどうやらカード払いが出来ないようだ。1番簡単な方法はマネーオーダーを購入して送ることだ」と言います。10年以上前でもカードが使えたのに、なんてド田舎の警察署だ…と呆れましたが、その「マネーオーダーって何だ?」という所から始めなければなりませんでした…聞いたところ、マネーオーダーは公共のスーパーやドラッグストアで手続きをする小切手のようなもので、それを購入して郵送しなければならないと言います。ですが罰金の額が分からなければマネーオーダーを購入することも出来ず、結局2日までは出来ることは何もないと…

日本に帰る前日に、朝オフィスが開くのを待って電話をし、マネーオーダーを購入出来る場所を探して手続きをして、さらにそれを郵送する…最低でも2時間はかかるだろう… 罰金を払うことより、旅行の限られた貴重な時間を奪われ、そのせいで行かれるはずの場所が減るだろう、その事が何より頭に来ました。もちろん自業自得なのは頭では分かっていましたが、不満をぶつける場所もなく、街は新年のカウントダウンで盛り上がっていましたが、天気が悪かったのも拍車をかけその日1日は暗い気分を抜くことができませんでした…

2日の朝、コンシェルジュで罰金の額を確認してもらい、マネーオーダーを探しに出掛けたのですが、何しろマイアミビーチは観光地なので、大きなスーパーというものが中々ありません。ドラッグストアで断られ、銀行で断られ、30分ほど歩いてようやくマネーオーダーを扱うスーパーを発見しました。急いでホテルに戻り、コンシェルジュに世話になりつつ書類を記入し、ポストへの投函はホテルに頼み、ようやくチケットの処理を終えることが出来ました。やはり2時間ほどロスしたのに加え、罰金280ドルにタクシー代にコンシェルジュのチップと散々でしたが、実はこの不運が思わぬ出来事に繋がったのです。

(苦労して探したマネーオーダーとお世話になったマイアミビーチのホテル)

コンシェルジュでチケットの処理をしていた時に、1人の他の若いホテルスタッフが話しかけて来ました。「ああ、スピード違反のチケットだね、運が悪かったね…。ホリデーシーズンは取締りが多いんだ、僕の兄弟は1年に何度も捕まってるよ」「どこから来たの?」などと話してくれ、僕らが日本から来たと言うと、彼は「実は僕は日本の文化に興味があって日本語を学んでるんた。いつか日本にも行ってみたいよ」と話してくれました。感じの良い好青年だったので、僕は自分のメールアドレスを渡して「日本に来る時は連絡を下さい、東京を案内しますよ」と伝えると、彼も自分のアドレスを教えてくれました。彼は僕らの荷物を車まで運んでくれ、一緒に写真を撮り、お互い「See you again!」と約束をして別れました。

彼とは今でもメッセージのやり取りをしますが、「初めて日本人の友達が出来たから、とても嬉しいよ!」と言ってくれます。スピード違反については散々でしたが、そのおかげで新しい友人が出来たのだから、結果的には良かったのだと今は思っています。次に彼に会った時はきっと、田舎町のパトカーに感謝出来ることでしょう(笑)

<アメリカで運転する際は>

※ 駐車違反スピード違反に気を付けましょう。どちらも取締りは厳しく、駐車違反は違反すればほぼ確実に取られます(頻繁に巡回している)。スピード違反は特に早く走行している車を捕まえるのではなく、5マイルでもオーバーしていればパトカーが最初に見つけた車が捕まります(見せしめの要素が大きい)。前後の車が速く走っているときは、列の一番前や後ろを走らないようにしましょう。また田舎の町中など制限速度が下がっている区間、ホリデーシーズン、周りの車が妙にゆっくり走っている時は要注意です。また必ず「日本の免許証」と「国際免許証または公的な翻訳文」を所持して下さい。レンタカー会社によっては日本の免許証の提示だけでレンタカーが借りられる場合がありますが、万が一の事故や違反時に英文の免許がないと大変なことになります。また英語ができないフリをして見逃してもらったという経験談を見た事がありますが、これは警官によっては警察署へ連行されるリスクがある事を覚悟しましょう。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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インドの食あたりその1(2008年編)

2008年の11月、僕は両親と共に初めてインドという国に足を踏み入れました。インドと言えば、暑くて、食べ物は全部カレーで、カーストと呼ばれる生まれながらの身分制度が今でもあり、人口が中国を追い越しそうなくらい多くて、空気や衛生状態が悪い…そんな前知識は持っていましたが、そんな秘境に行ってみたいとずっと思っていました。そこが想像以上に恐ろしい場所なのだとは思いもせずに…

インドと言えばバックパッカーの聖地。そして初めて訪れた人が必ず経験するのが「食あたりによる下痢」です。ガイドブックには「お腹は必ず壊すので諦めて下痢とうまく付き合いましょう」、などと無責任な事が書いてあります(苦笑)僕らはバックパッカーではありませんが、父は旅行会社で嫌と言うほどツアーの添乗をしていたので、家族旅行は当然のように個人旅行です。そのため「自分の身は自分で守る」しかありません。何しろインドでは、水道水を飲むのはもちろん、町中に売っているミネラルウォーターすら信用できません。入れ物だけ再利用して川の水を入れて売っているなんて話があるくらいで、スーパーでも水を買うときはフタが開かれた形跡が無いかどうか確認する必要があります。両親は「水は日本から持っていくものしか飲まない、歯磨きも日本の水で」と言ってトランクに水のボトルを詰め込んでいました。「さすがにそこまでしなくても…」なんて僕は思ったのですが、インド旅行はどれだけ対策を練ってもやりすぎることは無いのだと、後ほど嫌と言うほど思い知らされることになります…

<水は日本から持参か、ホテルのものをずっと持ち歩く>

旅行は香港乗り継ぎでムンバイへ入り、そこからフランシスコ・ザビエルの遺体が安置されたことがあるゴアへ、ムンバイ経由で飛行機を乗り継ぎデリーを観光して、デリーからタージ・マハルのあるアーグラーへ日帰りし、ムンバイ・香港経由で日本へ帰るというコースでした。香港・バンコクを経由したキャセイパシフィック航空でムンバイへ到着したのは夜。空港を出た瞬間、僕は今までに感じたことのない空気を感じました。「この国はヤバい」という空気を…

<冷房付き?のプリペイドタクシー。 トランクも閉まらないままひもで縛って発車…>

空港でプリペイドタクシーのチケットを購入した時、タクシーには冷房がついているとの事でしたが、実際の車を見て固まってしまいました。「この車、本当に走るのか?」、そういうレベルです。荷物も多い方では無かったのですが、なんとトランクに入りません。すると運転手はトランクのカバーが閉まらないので、ロープで縛り始めるじゃないですか…こんな状態で30キロはあろうかと言うムンバイの中心街まで行けるのか、本当に不安を感じました。走り出すと町は暗く、人が何もせずに道のわきでブラブラしていて、町並みはかつて見た事がないくらい古くて貧しく、本当にタイムスリップしたんじゃないか、そんな気分になりました。近代的なホテルに無事にチェックインした時は本当にホッとしたものです。

<ムンバイのタージホテルとスラム街で魚を売る人々。タージホテルでは帰国後テロで爆発がありました…>

<デリーの町中は牛だらけ。オートリキシャーには信じられない数の人が相乗りしていました…>

翌日からの旅は思いのほか順調でした。食べ物はカレーばかりながら安くて美味しく、ガイドブックに載っている店なら大丈夫だろうと、僕は好物のマンゴーラッシーなどを平気で飲んだりしていました。両親は「そんなの飲んで大丈夫か…」みたいな雰囲気でしたが、全くお腹を壊すこともなく、ムンバイ・ゴア・デリー・アーグラーと観光して、旅行も残り2泊を残すのみとなりました。その日本に帰国する前々日の夜、少しカレーに飽きた僕は、夕飯は中華を食べようと提案しました。ニューデリーのコンノート・プレイスと言う、ちょっとお洒落で高めのレストランが集まる場所で、僕らはインドではおそらく立派すぎるであろう中華料理レストランで夕飯をとりました。食べたものは、炒飯、麻婆豆腐、肉や野菜を炒めたものや餃子など、火の通っているものばかりでまさか食あたりするなどとは夢にも思わないものばかりだったのですが…

<この中華料理が原因なのかどうかは今も不明>

その日の夜中、僕はお腹が痛くなりトイレで目が覚めました。やはり下痢だったので、ああ、とうとう当たっちゃったか、最初はその程度の感覚でした。しかししばらくすると気分が悪くなり、吐いてしまいました。その後下痢と嘔吐を繰り返し眠ることが出来ず、朝には外に出るのも厳しい状態に…。両親は大丈夫な様子だったので、僕はチェックアウトまで1人でホテルで休むことにしました。胃腸薬、下痢止めなど飲みましたが全く効かず、体調は悪くなる一方です。両親が戻り昼食を食べに出たのですが、何しろ吐き気で食べることが出来ず、飲み物を飲んだらすぐにお腹を下してしまいます。昼食後お土産を買いに町へ出ましたが、頭は高熱でもあるかのように熱く足はフラフラして歩くのもままならず、貧血のように血の気が引いて気が遠くなり、お腹も痛くトイレも我慢できないので、僕は両親に頼んで残りの時間をホテルのカフェで休むことにしたのですが、水分を摂っても摂っても下してしまい、身体は脱水症状で全身から水分が抜け、力は入らず頭はクラクラしてもうろうとし、高熱でうなされているような、宙に浮いているような、まるで全身が自分の体ではないような感覚です。「これ、もしかして死ぬんじゃないか…、明日日本に無事に帰れるだろうか…」そんなことを本気で考えました。その夜LCCでムンバイに戻ったのですが、冷房の効きすぎた空港で飛行機が3時間も遅れ、ただでさえ瀕死だった僕はもう「生きるのか、死ぬのか」、そんな状態でした。新聞紙を体に巻いて寒さをしのぎ、やっとの思いで乗り込んだLCCには毛布もなく、父がジャケットを貸してくれましたが、「命からがら逃げ帰る」、まさにこの言葉がピッタリで、飛行機から降りる際は階段から落ちてしまい、周りから「Are you okay!!??」と叫ばれる始末…。翌日ムンバイの空港でキャセイパシフィックの飛行機を見た時、そして飛行機から香港の街が見えた時、文明の有難さをこんなに実感したことはありませんでした…インドから「救出された」のだと…

<この飛行機を見た時は涙が出そうになりました…香港の街が見えた時は「ああ、これで助かる」と…>

ちなみに、母親は帰国の前夜、父親は帰国の翌日にやはりお腹を壊しました。僕は症状が最も酷く、日本に帰国してからも下痢が約2週間続きました。トラウマでそれまで大好きだったインドカレーもかなりの期間食べることが出来ませんでした。「もう二度と、インドには行かない…」少なくとも2年くらいはそう決意していたと思います(苦笑)インドで食べ物に当たると「お腹を壊した」程度の症状では済みません。もしツアーに参加するのであっても、医者が処方するような強い下痢止めと抗生物質を持って行くことをお勧めします。(その後、2回目のインドの旅では薬に救われることになります。2度目の食あたりについては「インドの食あたりその2(2011年編)」もぜひお読みください。)

インドは、非常に魅力的な国です。美味しい食べ物、混沌としてエネルギッシュな雰囲気、タージ・マハルなどの美しい建築物や価値ある遺跡…そして何より、人が必死に生活していることを肌で感じることが出来る貴重な場所です。インドが普通の文明国になってしまう前に見ておくべきだと、僕は思います。ですが、くれぐれも念入りに準備をして渡航して下さい。万が一にも犬に噛まれたら「命に係わる」、そのような国ですので…

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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レンタカーが、パンクした。

2006年の10月から11月にかけて、僕は会社を退職して少し休暇を取り、2001年に初めての留学で滞在したアメリカ西海岸の小さな町サンタバーバラに、6週間ほど滞在することにしました。今日はその滞在中に休日旅行でサンフランシスコを訪れた際のトラブルについて書きたいと思います。

滞在はホームステイで、僕のルームメイトはセバスチャンというフランス人だったのですが、そのセバスチャンにThanks Givingの翌日からの休日を利用してサンフランシスコへ仲間と行くから、一緒に行かないかと誘われました。僕はセバスチャンと非常に親しかったのでもちろんOKしたのですが、何と全員合わせると10人以上のグループになると言います。そんな大勢で一緒に行動出来るかな…とは思いましたが、なるようにしかならないだろう、と成り行きに任せることにしました(苦笑)

Thanks Givingの翌日、ダウンタウンのバスディーポに集まったのは、フランス人、ベルギー人、ドイツ人、トルコ人、韓国人、日本人、そして誰の知り合いなのか地元のアメリカ人を含む多国籍軍でした。アメリカ人の車1台に乗り切れる訳もなく残り2台をレンタカーする予定だったらしいのですが、何と予約をしておらずレンタカー会社には車が1台もありません…本当にたどり着けるかな(苦笑)と思いましたが、3時間ほど待ってようやく返却された車2台を借りることが出来ました。1台をトルコ人2人、もう1台を僕とセバスチャンが運転することになりました。僕らの車は韓国のKIAというブランドの小さな車だったのですが、3台で高速に入るとアメリカ人とトルコ人の運転の荒さが尋常ではなく、僕らの小さな車はエンジンの大きさからとても付いて行けず、いきなりはぐれてしまいました。かくして僕とフランス人2人、韓国人の女の子の4人での旅が始まったのです。

<レンタカーのKIAと多国籍軍>

サンフランシスコでは他の車と合流したり、はぐれたりしながら観光しましたが、基本的には僕とセバスチャン、フランソワ(フランス)、ジェニファー(韓国)の4人(と時折ベルギー人のステファニー)での行動になりました。観光は充実していて色々な思い出が出来ましたが、最後サンタバーバラへ帰る日は残念ながら雨に降られてしまいました。そしてこの雨のハイウェイでの帰路にてかつて経験した事もないトラブルが起こります。

<左からジェニファー、ステファニー、セバスチャン、フランソワ。多国籍軍は最後までまとまりませんでした>

サンフランシスコで他の車たちと別れ、サンタバーバラへ帰る高速道路を僕は運転していたのですが、ちょうど半分くらい来たあたり(SF-SB間は車だと約6~7時間)で、車が突然ガタガタと揺れ始めました。その揺れはかなり激しくハンドルも右に左に取られる感じがしたので、僕は経験が無いながらも薄々「タイヤがパンクした(got a flat tire)」のだと気付きました。高速を降りて車を止めると、見事に右前のタイヤがペチャンコに…付近は真っ暗で助けを求めようにもガソリンスタンドひとつ見当たりません。途方に暮れた僕らは相談した結果、スペアタイヤに交換しようと言う結論になったのです…

セバスチャンがタイヤの交換の経験があったので、スペアタイヤをトランクから出してジャッキアップまでは出来たのですが、タイヤのナットが固くどうしても外す事が出来ません。灯りもなくデジカメの液晶の明かりで照らしながら雨の中格闘しましたが、どうにもならず途方に暮れていると、ジェニファーが通りかかった1台の車に助けを求めました。親切なアメリカ人のおじさんは僕らがタイヤが交換できずにいることを知ると手伝ってくれ、僕に運転席でブレーキを踏む(Step on the brake!)ようにと言いました。そうして格闘すること15分、なんとかおじさんの助けでタイヤを交換することができ、親切なおじさんはお礼を言う間も無く行ってしまいました。かくして僕らは交換したタイヤでそろそろと走りながら、サンタバーバラへ帰り着くことが出来たのです。

翌日レンタカーを返却する際に、頭に血が上りやすい僕はカウンターで散々クレームを付けました。寒くて暗い雨の高速でタイヤを交換したんだと言うと、彼らは交換したタイヤを見て申し訳ないと言ったあと、レンタカー代は半額にすると言いましたが、次からパンクした際はロードサービスに電話したら良いと言うのです。しかしナビも付いていなかった当時、550キロはあろうかと言うSF-SB間(東京~神戸間に匹敵する距離です…)のどこにいるか分からないと言ったら、果たして彼らは何時間以内に来てくれたのでしょうか…親切に手伝ってくれたアメリカ人のおじさんにお礼を出来なかったのが悔やまれます…それ以前に、パンクするようなレンタカーを扱わないで欲しいと思います、Enterprise Rent-A-Car…(アメリカでは割と大手で1番安いのですが、もう使う気になれません…)

皆さんもパンクした際にロードサービスに電話をする際に必要なこの単語、ぜひ覚えてください。

We got a flat tire! 「タイヤがパンクした!」

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Santa Barbaraその1。

 このブログ記事の一番最初に載っている写真は、アメリカ西海岸にあるサンタ・バーバラという小さな町のメインストリートです。スペイン風のコロニアルな建物が並び、ヤシの並木がとても美しいこの町は、僕が初めての留学で滞在した、とても思い出深い大切な場所です。今日はその時の事を書きたいと思います。

<Santa Barbaraのメインストリート。ロサンゼルスから北へ150kmほどの場所にあります>

 僕が初めて留学したのは2001年の2月、大学2年生の時でした。今では短期の語学留学なんて、中学生・高校生から経験する時代ですが、当時の僕にとっては本当に大冒険でした。1人で海外へ出たのも初めてでしたし、英語も全く話せませんでした。留学生はだいたい、留学先の空港に降り立つと留学先の学校のスタッフが迎えに来ていて滞在先まで連れて行ってくれる(有料で結構高い)のですが、旅行会社に勤める僕の父は、「住所が分かっているんだから、そんなサービスに頼らず自分の力で行け」、と命令し、父の会社を通じて申し込んだため拒否権もなかった僕は滞在先の住所だけを頼りに、一人でホームステイ先の家を目指しました。

 同じくらいの年齢の日本人の若者をサンタ・バーバラの小さな空港で見て「この人も留学生じゃないかな」と思っていたら、(おそらくホストファミリーだったであろう)迎えの人に連れられて行ったのですぐに孤立した僕はその小さな空港からタクシーに乗り、ステイ先の家に向かう車内で「はじめまして、僕の名前は赤澤信太郎です」と英語で何と挨拶するか、頭の中で繰り返し練習しました。そしてたどり着いたのが、この家です。

<ホームステイで滞在した家>

 車を降りると、ホストマザー(当時30何歳くらいだったでしょうか)が出てきたので、僕は緊張しながら「ハウドゥ・・・」(How do you do. と言いたかった。日本の学校で教えられていたこの一言は、堅苦しすぎて実はあまり使われない表現だと、後から知った…)と言いかけた瞬間、「Oh, △☆○&%×$!!」(分からなかった)と先制攻撃を受けてしまい、僕は完全に出鼻をくじかれました。相手の言っていることが分からないことは恐怖なのだと、初めて知った瞬間でした。ホストマザーは家の中を説明してくれましたが、何を言っているのか全く分かりません

 ルームメイトも出てきて挨拶したのですが、彼の出身国の単語の発音がまた難易度が高く、「I’m from Belgium.」と…。僕はパニック状態で、「ベルジャン?ベルジャンてどこの国?アフリカにそんな国あったっけ?(汗)」、と混乱しているのを見たルームメイトは、「ああ、コイツ全く英語出来ないんだな」、と悟ったようでした。とにかくその時のことで僕が覚えているのは(理解できたことは)、ホストマザーが言った「ここはあなたの家よ、自由にしてね!私はボーイフレンドとデートがあるから忙しいの!」ということだけでした…

 日本人はホームステイと聞くと、ホストファミリーが親切で、町を案内してくれて、食事をみんなで食べて…という感じで想像しがちですが、アメリカの現実は違いました。しばらくすると家からは誰もいなくなり、放置されて何をしていいのやら分からない僕は時差ボケもあり、とりあえず寝るしかありませんでした。起きると夕食の時間帯にも関わらず、家には誰もいません。キッチンへ行くと、何やらパンとソーセージが置いてあります。

もしかして、これでホットドッグを作って夕飯を食べろってこと!?

と僕は初日からいきなり強烈すぎるカルチャーショックを受け、早くも現実から逃避したくなったのですが、このホットドッグを食べた後に、更なる追い打ちが…。それが日系ブラジル人である、アグネスとの出会いです。

<同じ家に滞在したハウスメイトたち>

 一番右側の子がアグネスです。たくましい体型に金髪にガングロ(顔黒は当時の言い方)にジャージ…写真では肉の骨を持っていますが、その時は牛乳に浸したシリアルを食べながら廊下を歩いていました…。その時の恐怖も忘れられません。当時の日本の渋谷でも、ここまで強烈な子はいなかったんじゃないでしょうか…。その後、僕は彼女に色々と助けられる事になるのですが、何しろ最初はただ「怖い」の一言で、本当にとんでもない家に来てしまったと思いました。その続きの話は、またの機会にご紹介したいと思います。

 こんなカルチャーショックも、今では最高の思い出です。みなさまも英語を勉強して、色々な体験をしに海外へ出かけてみませんか?

to be continued.
Santa Barbaraその2。へ続く。

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