“Amazing Grace”と言う歌の意味とその背景

おそらく皆さまも一度はどこかで耳にしたことがあるであろう曲、”Amazing Grace”(アメイジング・グレイス)ですが、この曲は実はキリスト教の賛美歌であると言うことをご存知でしょうか。恥ずかしながら僕もつい先日までは知りませんでした(苦笑)本日はこの曲が持つその意味と、この曲が生まれた背景から僕が考えたことを書いてみたいと思います。

    <AMAZING GRACE (Hayley Westenra)>

“Amazing Grace”は「素晴らしいグレースさん」と言う意味ではもちろんありません。ここで使われている”Grace”とは「神の恵み」「恩寵」の意味であり、日本語に訳すと「すばらしき神の恩寵」となります。神の恵みに感謝することを歌うこの曲は、イギリスの牧師であるJohn Newtonによって1772年に作詞されました。彼がこの曲を作詞するに至った背景には、彼が牧師となる前に行なっていた過去の行いと、それに対する後悔の念が大きく関係しています。

<John Newtonの肖像画>

John Newtonは実は、当初は船乗りとして黒人奴隷貿易によって富を築いていた商人でした。当時の奴隷に対する扱いは想像を絶する家畜以下のものであり、多くの奴隷は輸送中の非衛生的な環境の中でその命を落としたと言われています。彼はそのような罪深いビジネスに従事して富を得ていましたが、1748年のある日、彼の船が嵐により浸水し、沈没の危機に瀕しました。彼はクリスチャンとして育ったものの、救いを求めて本当に心の底から神に祈りを捧げたのは、この時が初めてのことでした。
船は運良く沈没を免れ彼は生き延びることとなりますが、この日を境に彼の考え方は大きく転換し、「奴隷貿易を行なっていたような罪深い自分にも、神は赦しを与えた」ことに対して深く感謝をするようになります。その後もしばらくは奴隷貿易に従事し続けたものの飲酒やギャンブルなどを控えるようになり、1755年にはついに船を降りることを決断し、その後勉学と多額の献金を行い、彼のその経験を伝える事ができるよう牧師へと転身したのです。

こうした後悔の気持ちと、それを赦した神への感謝を述べるために作詞されたのが、今では広く知られることとなった”Amazing Grace”です。”amazing”(驚くべき)の単語が使用されたことからも、彼にとって神の赦しは驚くべきほど深いものだったのでしょう。当初彼が作詞したオリジナルの歌詞には次のように綴られています。

<Amazing Grace(オリジナルの歌詞)>

Amazing grace! how sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost but now am found
Was blind, but now I see.

‘Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my shield and portion be,
As long as life endures.

Yes,when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the vail,
A life of joy and peace.

The earth shall soon dissolve like snow
The sun forebear to shine;
But,God who called me here below,
Will be forever mine.

<アメイジング・グレイス(日本語訳)>

驚くべき恵み なんと甘美な響きだろう
私のように悲惨な者を救って下さった
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える

神の恵みが私の心に恐れることを教え、
そして、これらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に

多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私はすでに辿り着いた
この恵みが、ここまで私を無事に導いてくださった
だから、恵みが私を家に導くだろう

神は私に良い事を約束して下さった
彼の言葉は私の希望の保障である
彼は私の盾と分け前になって下さる
私の命が続く限り

そう、この体と心が滅び、
私の死ぬべき命が終わる時、
私は、来世で得るものがある
それは、喜びと平和の命である

地上はまもなく雪のように白くなり、
太陽は光を失うだろう
しかし、私を御許に召して下さった神は、
永遠に私のものになる

このように、”Amazing Grace”とは、過去の自らの過ちを悔い改め、それを許してくれた神に感謝の祈りを捧げた賛美歌なのです。そして人が過ちを犯したならそれを悔い改め、自らを律して正しく生きて行くべき事を、彼はその賛美歌の歌詞へと込めました。

話が全くそれますが、僕は誰かに「人は何のために生きているのか」と聞かれた時は、こう答える事にしています。

「人は、幸せになるために生きている。人生を楽しむために生きている。」

なぜなら、幸せではない人生、楽しくない人生はウソだと思うからです。人も生き物である以上、その欲望から完全に逃れることは出来ません。食欲、性欲、睡眠欲と言った動物が本能として備えている欲に加えて、「美味しいものを食べたい」「旅行に行きたい」「物を手に入れたい」「他人とコミュニケーションが取りたい」「人に理解されたい」「もっと多くのことを知りたい」と言った、知恵や知識があるからこそ生まれる、人間ならではの欲もあります。僕は一応(というか日本人の大部分は)仏教徒になるかと思いますが、仏陀のように欲を完全に捨てることは、おそらく僕には無理だと思います。

しかし一方で、人間にはその欲を抑えたり他人を思いやると言う「理性」や「倫理観」、「社会性」も同時に備わっています。これは人間がその進化の過程で知恵と同時に培って来た、生命体では人間のみが持つ能力です。人間にはその知恵ゆえの欲望がある一方で、それを制したり反省する知恵もあるのが私たち「人間」と言う生き物と言えます。

宗教もこうした歴史の過程で、人が自らを律したり、生きるべき道を示したり、時に自らの過ちを認め悔い改めるために生まれて来た概念と言えます。僕は特定の宗教を深く信仰するタイプではありませんが、宗教の考え方やその背景にある事実を知ることは「人がどのように生きるべきか」「社会はどうあるべきか」と言う事を考えるきっかけを与えてくれるものです。

<世界にある様々な宗教は人々を導くためのもの>

“Amazing Grace”を聴いたりその歌詞や誕生の背景を知ることで、「人は時には過ちを犯すことが必ずある。そうした際には、その過ちを認め悔い改め、その先にある人生に生かしていくべきだ。」と言うことを、僕はまた1つ知ることができました。皆さまもこの心に染み渡るメロディーを耳にした際は、人には人間のみがもつ「欲」と「理性」が両方とも存在し、それをどのようにバランスを取るべきなのか、そして「人はみな幸せになるために生きている」が、そのためには「過ちは悔い改め正しく生きて行く必要がある」と言うことを、思い出してみて下さい。

We must make mistakes sometimes, as long as we are human being. But we should not give up improving ourselves and realizing our happiness.

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必ず3時間遅れるフライト(ネパール編)

2011年の12月、僕はインドとネパールを訪れたのですが、今日は何とも呑気なネパールのフライト事情について書きたいと思います。

インドから陸路でネパールへ入国した僕らは、仏陀生誕の地であるルンビニから、首都であるカトマンズへ飛行機で向かう計画でした。バスもあるのですが、優に6時間はかかるしお腹を壊しているかも知れないし…ということで飛行機を選択し調べたところ、ルンビニからカトマンズへのフライトは(2011年時点では)イエティ航空があるのみでした。インターネットの口コミには、「必ず朝一番のフライトを予約しておくこと、遅延します」とあり、何故だろうと思いつつ僕らは朝8時のフライトを予約することにしました。

ルンビニの記念公園を散策してホテルに戻った僕らは、翌朝7時に空港に行きたいから送迎して欲しいとホテルで相談したところ、ホテルのスタッフは何故か「そんな時間に行っても飛行機は飛ばないよ」と言います…。そうは言っても「8時のフライトなんだから7時に」と思うのは日本人だからでしょうか…。とにかく頼み込んで朝6時にホテルを出発してもらえることになり、とりあえずホッとしたのですが…

翌朝7時に空港に到着すると、フライト1時間前なのにも関わらず空港には誰もいません。カウンターの奥にいたスタッフにチェックインを頼むと、「This flight is delayed.」と…原因は空港に到着した際に分かったのですが、毎朝、深い霧に空港が包まれて離着陸する事が出来ないのです。だからホテルのスタッフは朝行っても無駄だと言ったのだと分かりましたが、それでも予定時間が8時なら7時に行かないといけないと思うのは、日本人だけなのでしょうか…

<霧で覆われた空港>

毎朝飛べないなら8時のフライトを設定するなよ…」と思いながらどのくらい遅れるのか尋ねると、「お天気に聞いてくれ」などと言います…1時間待ち…2時間経った頃に霧が晴れて来たため、そろそろかなと思いきや、「今から飛行機がカトマンズから来るから」と言われ…結局3時間遅れのフライトになってしまいました。朝一番のフライトを予約しておけば、昼にようやく出発出来る、だから必ず朝のフライトを予約しておかなければならない…昼のフライトだと夜になる…インターネットの口コミはこう言う事だったのかと、妙に納得しました…

カトマンズに3時間遅れで到着した僕らは荷物受け取り所のショボさに驚愕したのですが、話はこれで終わりませんでした。僕らの荷物を運んで来た車が何故か受け取り所で荷物を降ろさず通り過ぎたのです。「どこへ持って行くんだ」と追いかけると、なんとツアーバスの横で直接バスに荷物を積み込もうとしています。確かに他の乗客は全員タイ人のツアーだったのですが…危うく荷物と永久に別れるところだったのは想像に難くなく…

<荷物受け取り所へ荷物を運ぶ>

俺たちの荷物を返せ」と交渉してようやく自分の荷物を取り戻した僕らはホテルの送迎タクシーを探したのですが、3時間遅れでは流石に待っていないだろうと思いきや、なんとちゃんと待っていました。それとも遅れるのを見越して来たのでしょうか(汗)ネパールではこれが普通なのでしょうか…常識と時間の感覚が違い過ぎると思わされました…。

途上国では時として自分の常識を超えた事が起きますが、それも旅の楽しみと言えるのかも知れません。このブログをお読みになる方にはぜひ、旅のトラブルも楽しんで頂きたいと思います(苦笑)ところで、この単語は必ず覚えておきましょう

delayed「遅れている」

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ネパールのストライキ

このブログは2011年の12月にインドからネパールを旅した際の体験です。ぜひ「インドの食あたりその2(2011年編)」から続けてお読みください。

前日にインドでホテルの弁当に食あたりし、なんとか国境近くのホテルにたどり着いた僕は友人に薬を飲ませて、なんとか翌日には移動出来る程度に回復しました。この日はスノウリから約20km離れた、仏陀生誕の地であるルンビニを訪れ、翌日の飛行機でカトマンズへ行く予定でした。

朝、まだ青白い顔をしていた友人はバナナ1本しか食べることが出来ず体調が心配だったのですが、この日にルンビニへ行かないともう訪れる機会はないだろうと思い、「まあ、20kmならタクシーで1時間もあれば着くだろう」などと楽観視していました。ホテルをチェックアウトしてフロントでタクシーを呼んでくれと言うと、「今日はタクシーはないよ」と言います。「え?じゃあバスか何か?」と尋ねると、「バスもない」と。「え、何か交通手段は?」と聞いたら、「今日はストライキだから、国中何もないよ」という驚愕の返答が…

翌日の飛行機でカトマンズへ行ってしまうからどうしてもこの日にルンビニへ行きたかったので、ホテルのスタッフに何か方法がないか尋ねると、「リキシャーなら捕まるかも」と言います。「リキシャーか…快適じゃないけどしょうがない…」と思いましたが、とにかく捕まえてくれと頼むと、何とやって来たのはバイクのオートリキシャーではなく、自転車のサイクルリキシャーだったのです、しかも細くて歳をとった運転手の…

<サイクルリキシャーの運転手>

これで20km移動するの…?マジか…?」と思いましたが、他に手段はないとホテルのスタッフが言うので、どのくらいかかるか聞いた所、「まあ、1時間半くらいじゃない?」などと適当な事を言います…(20kmと言えば、東京からだと横浜の手前まで行ってしまう距離です、それを自転車とは…)しかし他に手段はなく、かくして大人2人と荷物3つを載せたサイクルリキシャーの旅が始まった訳です…

<荷物を載せるとこの状態>

何しろ重いので、リキシャーは中々進みません。運転手も「どうしてよりによってこの人を捕まえたんだ…」と思うほど頼りなく、上り坂になると最早こぐことも出来ません。本当に1時間半で着くのかと思っていたら、1時間半後に何やら10kmという標識が…そうです、ようやく半分です…。結局ルンビニまで3時間冬の風が吹きつけるサイクルリキシャーの上で過ごすことに…唯一の救いだったのは、体調不良の友人はずっと眠っていたことでしょうか…

<道端には貴重な光景も>

何とかルンビニのホテルにたどり着くとすぐに記念公園を見に行こうとしたのですが、リキシャーの運転手が「もう疲れたから行くのはイヤだ」と言い始めました。実は最初に料金を交渉した際は、ルンビニまで行って、記念公園の中を周って30ドル(値段は定かではない)と決めたのです。記念公園を周るリキシャーの値段は一律いくらと決まっているので、「じゃあもういいから、記念公園の分10ドルは払わないよ」と言うと、運転手はそれじゃ少なすぎるとゴネ始めます…ホテルのスタッフに通訳してもらい散々揉めましたが、結局25ドルほど払ってあげる事になりました。まあ3時間大人2人荷物3つを運んで、また3時間かけて帰る訳ですから…ホテルのスタッフも「リキシャーでスノウリから来たの!?」と驚く始末。でもおそらく、彼は1日で1週間分の稼ぎを得たのではないかと思います…

<ルンビニ記念公園>

途上国でのトラブルは何が起こるか想像もつきませんが、そんな時に重要なのは交渉力です。英語が上手ければ良いと言うよりは、臆せず何でもハッキリ主張することが重要かも知れません。途上国の個人旅行はトラブル続きですが、ぜひチャレンジしてみて下さい。

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インドの食あたりその2(2011年編)

2011年の12月、僕らはインドとネパールを周ることにしました。僕は3年前のインド旅行でひどい食あたりに遭い命からがら帰国した経験からインドを訪れるのは正直イヤだったのですが、友人がどうしても行きたいと言うので渋々承諾しました。

詳細は「インドの食あたり(2008年編)」をご覧頂きたいのですが、インドで食べ物にあたるとその悲惨具合は日本とはレベルが違います。下痢と嘔吐を繰り返し身体中の水分が抜けて、高熱でもあるかのようにフラフラして歩くのもままならない程です。もちろん日本で市販している下痢止めや整腸剤は全く効きません。かと言って現地の薬を飲むのも怖いなと思った僕は、ネットでアフリカなどに渡航する方などが予防注射を射ったりする「トラベルクリニック」というものを見つけました。そこで強い下痢止めと抗生物質が手に入るということで、あらかじめ薬を用意することにしました。

トラベルクリニックを訪れ下痢止めセットを10日分ほど購入してお会計に進むと、なんと1万円だと言います。「そんなに高いの!?」と思ったところ、薬の事前処方は症状がないため健康保険の適用外とのこと。お財布は空になってしまいましたが、後々この薬に救われることになります。

こうしてインドに再び足を踏み入れた僕らは、コルカタ〜バラナシ〜サールナート〜クシナガラとヒンドゥー教と仏教の聖地をめぐり、ゴラクプルからスノウリを経由して陸路でネパールに入国する計画を立てました。気をつけたことは、ホテルのミネラルウオーター以外は飲まない、ガイドブックに記載のないレストランで食事しない、町中や駅で売っているものは食べないなど、衛生面を徹底した上で移動もトイレのある飛行機と鉄道のみとしました。

旅はトラブル続き(他のインド関連ブログ参照)でしたが、なんとか予定通りに仏陀が亡くなった地であるクシナガラに到着しました。クシナガラは小さな村で、外国人が快適に宿泊出来るホテルは一軒しかありません。翌日ゴラクプル経由で鉄道でナウタンワまで行きネパールへ抜ける予定だった僕らは、このホテルでランチボックスを作ってくれないか頼みました。メニューはチキン、マフィン、オレンジ、そして何故かおにぎりでしたが、「これで無事にインドを抜けられる」とホッとしました。この弁当が再びの悲劇を導くとは疑いもせず…

<ホテルで注文した弁当>

鉄道の中でお弁当を食べ、ナウタンワからリキシャーでスノウリに入り無事にネパールに陸路で入国した僕は正直作戦勝ちを確信していたのですが、ネパールのイミグレーションで入国手続きをしていると友人が気持ち悪いと言い出しました。僕は何とも無かったのでとにかく急いでホテルへ向かおうとタクシーを探していたら、後ろにいたはずの友人が見当たりません。遥か後方に彼を発見した僕は戻ってどうしたのか尋ねると、なんと路上で吐いてしまったと言います。ホテルの部屋にたどり着くと、今まで一度もお腹を壊したことのなかった彼がトイレから出て来ません。嘔吐と下痢の症状はまさに3年前に僕が経験した「インドの食あたり」でした…しかしまさかホテルの弁当で当たろうとは…やはりインドはインドということでしょうか…

<インドのイミグレーション>

しかしこんな時のために用意した高価な薬です。飲ませておとなしく休んでいたら、友人は丸一日ベッドから立ち上がることが出来なかったものの翌日にはなんとか移動出来る程度に回復しました。まさに薬に救われた訳ですが、一体弁当の何が悪かったのかは謎のままです。彼が食べて僕が食べなかったのはマフィンだと言うのですが、果たしてマフィンでも当たるのがインドなのか、はたまた僕には3年前に抗体が出来ていたのか…いずれにせよインドの食あたりの洗礼からは逃がれられないのだと痛感しました…

<国境近くのホテル>

余談ですが、トラベルクリニックの薬は高いので、薬を用意する時はかかりつけの医院で出してもらう方が安く済むかもしれません。ただインドの食あたりは菌によるものなので、抗生物質がないと効きません。お医者さんには、「インドでも通用する」1番強い薬をリクエストしましょう(苦笑)

「ネパールのストライキ」に続く

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