人気の高いラーメン屋ほど「お支払いは現金のみ」が合理的であるのはなぜか

 海外の人と触れ色々なことを比較する中で感じるのは、日本人は「マネーの話に恐ろしく疎い」という点です。その是非はまたいつか触れるとして、今後の子供たちはやはりそのような知識も必須になって来ますし、世界を相手に戦っていくには避けられないスキルでもありますので、本日のブログ記事はあまり英語やコミュニケーションとは関係はないようにも見えますが、日本人として無意識に常識として信じてしまっていること、あるいはそう錯覚させられてしまっていることを「常識の殻を破る一歩」として書いてみたいと思います。この気づきの一部は僕も、海外での経験から日本を見たときに初めて辻褄が合ったものです。

 キャッシュレス全盛にも思われる今のIT化時代、クレジットカードや電子マネー、バーコード決済が使えないなんて合理的でない、単純にそう思ったことは無いでしょうか。僕も20年前に米国でスピード違反で捕まった際に、その罰金の支払いがクレジットカード1枚で済んだことに感動を覚えて「アメリカはやっぱり何でも進んでいる」、そう思ったものです。

 しかしながら最近、様々な知識も増え以前よりもっと多角的な方向からものごとを考えられるようになって、改めて新しい気づきとして逆の方向へ考え直したことがあります。日本でもコロナ禍もありキャッシュレスや非接触の導入が当然との空気も漂う中でも、「人気のあるラーメン屋さんほど、実は現金しか使えない」という事実から学んだことです。

 これは消費者側から見れば単純に「不便だ」「時代遅れ」としか見えないかも知れませんが、そのようなお店ほど本当は価値が高い事には、実はれっきとした合理性があります。「人気が高い事にあぐらを書いている殿様商売だ」と感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、自らビジネスを興してみたからこそ僕がいまハッキリ言えることは、「現金しか使えないラーメン屋ほど、商品の価値が高く訪れるべき店であるのは間違いない」ということです。

 この理由を理解するためにはまず「日本の金融事情」と「ラーメン屋と言うビジネスモデル」の2つを、その構造や競争環境も含めて理解する必要があります。

 まず日本という国の金融事情からひも解いて行くことにしましょう。「日本の金融手数料は高い」という話は、経済やマネーに詳しい方ならどこかで耳にした事があるかも知れません。銀行の振り込み手数料もそうなのですが、まずは消費者にとって身近である「クレジットカード」の仕組みを例にして順に見て行きたいと思います。ここの原則は、QRコード決済や電子マネーでも基本的には同じです。 

 現金を使ってもクレジットカードを使っても「支払額は同じはずだ」、そう思っている方がほとんどかと思いますが、実は仕組みとしてはまったくそうではありません。クレジットカードは消費者は年会費を除いて手数料なしで使用できる決済手段ですが、では誰がその手数料を負担しているかと言えば「クレジットカード加盟店」、つまり支払いを受け付けている店舗や組織になります。つまりクレジットカードは「無料で使用できるものではない」のであり、そこにはしっかりと支払いごとに金融手数料コストが発生しているのです。カード会社も民間企業であり、システムや広告に多額の投資をして従業員には国内平均よりもかなり高額な給与を支払っていますので、その使用にコストが発生するのは、よく考えて見れば当然と言えば当然です。

 この「加盟店が負担する手数料」は個別の契約にもよりますが、一般的に海外では2%程度であるところ、日本では「平均で決済額の3%強」と言われており、零細加盟店なら4%~5%に上ることもあります。決済金額に対するこの一定の割合の決済手数料はカード会社の収入となり、その手数料を差し引いた金額が後から加盟店に払い戻されるのが、近年シェアを拡大しているQR決済を含む、一般的な「キャッシュレス決済」の仕組みです。さらに、この一定の手数料とは別に、決済回数に応じた取扱い手数料が設定されている事もあります。加えて、加盟店にはオンライン決済を行うための機器の導入あるいはリース費用、その機器をオンラインにしておくための通信コストなども必要となって来ますので、キャッシュレス決済を行った場合の加盟店の最終的な負担割合(ここでは、現金決済と比較した際の損失割合)は、最低でも5%から、場合によっては10%近くにもなります。

 例えば、ある飲食店で800円の決済を行うと仮定してみましょう。飲食店の場合、この「800円」という価格には様々なコストが含まれていて、原材料費や調理のための光熱費はもちろん、店舗の家賃や従業員の人件費、事業にまつわる広告費や税金までを総合的に計算して、それで飲食店にも最低限の利益が残るように価格を設定します。もちろんお店にもよるかと思いますが、特にお酒を伴わない外食に関しては、最終利益で売上高の10%を見込めるレストランはそう多くはないでしょう。あのマクドナルドでさえ、ハンバーガーではほとんど利益がなく、収益の大半は実は飲み物とフライドポテトからと言われています。ここでもし800円の飲食の利益率がお店側で10%に設定されていたとして、現金で支払われる場合はお店は80円の利益を得る事となりますが、これがクレジットカードで決済された場合は利益はほぼゼロとなり加盟店としては働き損であるばかりか、キャッシュレス決済はその支払いが後日に入金される仕組みであるため、下手をすれば「ただカード会社に1ヵ月程度、利息なしでお金を貸すためだけに食事を提供した」ことになります。ですので飲食店の多くが食べ物だけではなく「飲み物を勧めて来る」のは、利益率の高い飲み物で収益率を整えるためにやむを得ないことだと考えられますし、欧米ではレストランでは飲み物を最低1杯はオーダーするべきとの文化があるのは、マナーの話を越えて、ビジネスモデルの裏にある利益率が影響をして来たのは間違いないでしょう。それは欧米の消費者からはレストランに対する敬意であると同時に、そうしてもらえなければそもそも外食産業とは「成立できない」のです。

 みなさまもレストランを訪れた際に「ランチではクレジットカードは使えません」と言われたり、「カード利用は3,000円以上からになります」と言われた経験が、1度はあるのではないでしょうか。「同じレストランなのに、なぜ場合によって違うのか」と思われるかも知れませんが、不思議に思った時にはレストラン側の視点から考えてみてください。これは金融手数料の仕組みを考えれば非常に自然な結果であり、少額の決済をカード払いにされてしまった場合、利益率の薄いビジネスはもうその商品を提供する意味そのものが無くなってしまうのです。そして皮肉なことに、利益率が薄いことは消費者に負担を押し付けないという経営努力の裏返しでもあります。

 僕が以前にモロッコを訪れた際には次のような経験がありました。お土産屋さんでカード払いをしようとしたところお店の店員さんの態度が急変して、「カード払いなら値段は5%アップになる」と言うのです。若かりし僕は当時は「そんなバカな」と思ったものですが、今になってよくよく考えてみれば当然のことでもあり、そのお店の定価には本当に、現金払いを前提とした最低限の利益しか入っていなかったのでしょう。その際は結局現金払いとしましたが、実は同様の例は日本にもあります。税金や公共料金の支払いをカードで支払おうとすれば、国税や都税の支払いサイトでは税額に加えて「決済手数料」が上乗せされる仕組みになっています。税金とは必ず決まった額を集めなければいけないことから結果的にこうなるのですが、いずれにしても真実としては金融決済コストとは「無料ではない」のであり、カード払いやキャッシュレス決済で現金と同じ価格を支払っているように消費者の立場では感じても、実はその価格には「手数料のためのコスト」もあらかじめ上乗せされています。そのため逆に考えれば、現金とカード払いで価格が同じ場合は「金融決済の分の余分なコストはあらかじめ価格に入っているのだから、現金払いをした人は純粋に少し無駄な費用を払っている」と考えることもできます。

 日本では「キャッシュレス決済が進まない」と声高に言われていますが、その根本的な原因は「日本人の現金信仰意識」とか「高齢者が多いから」とか、そのような精神論的な話では実は全くなく、この「金融決済手数料が他国に比べて高い」ことが最大の原因です。他国ではカード決済でもコストの上昇幅がトータルで2%程度に抑えられる場合もある一方で、日本ではこのキャッシュレス決済による損失額の割合が最大で10%近くにもなります(決済事業者との契約条件やビジネス環境にもよりますが、決済回数の少ない零細加盟店ほど手数料の利率が高くなると考えるのが妥当です)。これは国内の金融決済システムや銀行にも構造的な問題があり、キャッシュレス決済の決済手数料に留まらず、それが加盟店に入金される際には「銀行間送金手数料」も最終的に必要になるからとも言われます。近年この「銀行間送金手数料」はなんと半世紀ぶりにようやく引き下げられたものの、それでも根本的な問題は同じままであり、日本社会では見えないところで国民全員が金融事業者と銀行を社会インフラとして無意識かつシステム的に支えてしまっており、この高額な決済手数料と銀行間送金手数料が、加盟店のキャッシュレス決済導入を妨げている原因となっています。この環境はビジネスの視点から見ると、キャッシュレス決済を導入することにデメリットが多すぎて「加盟店は合理的なメリットを見いだせない」状況と言えます。

 さて、金融の話が長くなってしまいましたが、ようやくここでラーメン屋の話へ入って行きたいと思います。なぜ人気のラーメン屋ほどキャッシュレス決済を導入しないのかと言えば結論は非常にシンプルで、「ほとんどが零細業者である人気ラーメン店がキャッシュレス決済を導入すれば、競争に簡単に負けるから」です。これは「ラーメン屋というビジネスはコストパフォーマンスを極限まで追求したものである」ことに大きく関連しています。 

 みなさまもだいたいイメージをお持ちだと思いますが、人気のある高級ラーメン屋でもその基本的な価格は1杯1,000円未満に抑えられていることが一般的です。そしてラーメン屋ではこの低価格でラーメンを作るのに、信じられないほどの時間と手間、多くの材料が注ぎこまれていて、ラーメンとはコストパフォーマンスでは他の料理の追随を許さないほどに価値のある食べ物と言えます。多くの材料費がかかる料理で、他のコストを抑えると同時に販売量を確保する必要もあることから、店舗は1人または2人といった超少人数で業務を回していることが多く、食べたらすぐに出て行ってもらうことで回転率を確保する必要もあります。ラーメン屋で「1人1杯は必ず注文を」「小さなお子さまのご入店はお断りします」という貼り紙をご覧になったことがある方がいらっしゃるかも知れませんが、これは極限まで回転率を高めて効率的に販売量を確保する必要がある競争環境を考えると、もちろん良い気持ちにはなりませんが、理解できる部分があるのも確かです。そうした「極限の効率性」を維持しなければ、ラーメン店とはビジネスそのものが「環境的に成立しない」からです。

 さて、みなさまももうお察しかも知れませんが、このような「極限の経営努力」が求められる競争の激しいラーメン業界でキャッシュレス決済を導入しないことは、彼らにとっては「完全に合理的」なのです。国内ではキャッシュレス決済により最大で10%程度のコストが上乗せされてしまうため、単価が1,000円未満のラーメン屋では現在の価格設定では単純に赤字になってしまうか、価格そのものを値上げする必要が出て来てしまいます。ご存じのようにコストパフォーマンスを極限まで高めて競争しているビジネスですので、10%の値上げはそのまま「競合店に負けて店をたたむしかない」ことを意味します。

 そのため、おいしいラーメンで集客したいとの考えで経営をしているラーメン屋であればあるほどキャッシュレス決済にコストをかける合理的な理由はまったくなく、もしそのコスト分の余裕があるなら、むしろもっと質の高い材料を使ってラーメンを作ることで、お店の価値をより高めようとするはずです。これが僕が「お支払いは現金のみであるラーメン屋ほど、美味しいラーメンを作れるはずだ」と考える理由であり、そこには精神論やカルチャーの問題ではないラーメン業界特有の「合理的かつ明確な理由」があり、もちろんラーメン屋さんの個々のポリシーや信念の問題でもなく、経済合理性に照らした「マネーの取り扱い方」に理由が存在しています。「どんな人気店でも10年経てば飽きられる」とまで言われるラーメン業界で、キャッシュレス決済という「無駄なコスト」を店舗がかける理由は、どこにもないのです。僕が自分ならどちらを選ぶかを「消費者の立場」から考えてみても、クレジットカードで払えるけど味はまあまあで900円のラーメンより、現金しか使えなくても同じ900円で「これは美味しい!」と感動できるようなラーメンを提供するお店を必ず選ぶのは間違いありません。

 ただしこの「キャッシュレス決済はビジネスにとってメリットがない」ケースは特定のビジネスモデルに限った話であり、高い取扱い手数料をかけてでもキャッシュレス決済にした方が合理的にメリットがあるビジネスも、たくさん存在します。たとえばECの店舗やオンラインビジネスはそもそも現金を受け取るための実店舗を持ちませんので、専用の支払い場所を設けて人間を置いておくよりはすべてオンライン決済にしてしまった方が、むしろ商品やサービスを安く提供できるでしょう。商品を全て定価で売っていて利益率が高いコンビニなども同様で、利益率がそもそも高いこと、どこも同じ商品を売っていて差別化ができないため支払い利便性も大切であること、膨大な量の現金の入出金や運搬に逆にコストがかかることから、現金の取り扱いを減らす方がより効率的なサービスや商品を提供できるでしょう。単価が高い高級レストランや高級品を販売するお店も同様で、1回で大きな利益を出せることや高額な現金を持ち歩く人は少ないことから、やはりキャッシュレス決済にした方が合理的なメリットが大きくなると考えられます。

 なぜかイメージ優先で消費者にとってどちらが便利かとの視点からだけで語られがちな「現金かキャッシュレス決済か」の問題ですが、僕としてはむしろこのように冷静に「どちらの方がマネーや商品の価値に大きなメリットをもたらすか」という合理的な計算をベースとして総合的に考えてみるべきかなと思います。そのような視点を持つことで、少なくともラーメン屋さんのように「本当に価値のあるもの」をより確実に選ぶことができるようになるでしょう。

 日本人は真面目な民族性であることと、他者の話を受け入れやすい集団的な性格であることから、「何事も完璧でなければならない」「便利にしないことは怠慢だ」「新しいテクノロジーは良いはずだ」「そうするのは時代の流れだ」と精神論的な視点で考えがちですが、他国へ行ってより多角的な例を見てものごとを考えると、「本当に合理的なこととは実はそうではなく、最終的に残るマネーの問題として捉えるべき」ということに気づかされる事があります。僕が海外で気づいたこととは、全てが完璧であることは無駄なコストを生むだけであり、実は損失の方が大きいという点です。ビジネス用語にも「選択と集中」という言葉もありますが、僕としては必要なものとそうでないものを冷静に仕分けて価値付けや優先順位付けを行うと言う「完璧を目指さないことの合理性」により、日本の社会や経済はもっと良くなるのではないかなと思っています。

 まったく種類の異なる話にはなるのですが、かつて「世界一の品質」を誇った日本のソーラーパネルが、なぜ世界のマーケットで敗北する結果となったかを振り返ってみたいと思います。10年以上前とかなり昔の話にはなるのですが、当時日本のソーラーパネルの発電効率は世界一で、他国のメーカーの追随は許さないほど優れていました。

 では、なぜそのような素晴らしい商品がシェアを失ったかと言えば単純で、消費者に合理性を提供できなかったからです。日本のソーラーパネルが最高品質を誇った時代、競合メーカーであった海外メーカーはこう考えました。「80%の発電効率でも、価格が50%なら勝てるだろう」。

 これが完全に合理的にマーケットにヒットして、日本製のソーラーパネルは世界の市場で駆逐されることとなりました。よく考えれば単純な話で、効率80%のパネルを2枚購入すれば価格は同じ、しかし総発電量は160%になるのです。この競争において、高品質だけど価格が高すぎるパネルを買う人はいません。単純に「オーバースペックで高いだけ」になってしまったのです。

 このように、完璧を目指さないことによって合理性が高まるケースはいくらでもあります。例えば、僕が米国ロスアンゼルスを訪れた当時、市内を走るメトロにはなんと「改札がありませんでした」。

これは「信用乗車方式」と呼ばれるもので、海外の地下鉄や鉄道には結構あるパターンなのですが、全てをチェックしなくても乗客は一定の割合でチケットを買うだろうとの「信用」をベースに、買わずに乗車する乗客分の損失は最初から諦めることと引き換えに、自動改札機や係員、システム構築を省略することでコストを大幅にカットする方式です。「そんなことをしたら誰も払わないだろう」と感じるかも知れませんが、そこはちゃんと対策も施してあり、「稀に」出口に警察官が立っていて、チケットを持っていない乗客は高額な罰金を課される仕組みになっています。米国ではスピード違反の取り締まりも「一番速く走る車を捕まえる」のではなく、たまたま前にいた車が「少しでも速度超過したら捕まえる」ような感じになっていて、完璧な結果を実現するよりも人間の心理を利用して全体を「ある程度」抑制する方式によって、最終結果を合理化・効率化して社会の損失を減らしているのだなあと感じました。ロサンゼルスのメトロの出口で僕がその取り締まり警察官に遭遇した時、僕がちゃんと切符を買って持っており捕まることはなくホッとしたのは、必要ありませんが強調しておこうと思います(笑)(最初から1日券を買ったので、運もあったとは思いますが…)

 また、近年ではアフリカへの中国企業の進出が目覚ましいと言われていますが、中国製の商品の品質は良くなって来ているとはいえ、一部を除きまだまだみなさまが持っているイメージ通りであるのもまた真実かと思います。これは技術が追いついていないことや社会の怠慢といった要素もゼロではないのでしょうが、実は「低品質で良いのだ」とビジネスとして意図的に割り切っている部分があるのではないかと僕は考えています。

 先日、アフリカでまだ開通もしていない中国製の橋が崩落したとのニュースがあり驚いたのですが、アフリカの人々はそれでも「ああ、中国製だからね。壊れたらまた作れば良いのさ」と笑いながら言っているのです。おそらく先進国の価値観では理解が難しいかも知れませんが、まだ発展途上であるアフリカではそれこそが合理的なのであり、アフリカには「100年壊れない橋」はまだ必要なく、むしろ10年も持たない橋であっても初期投資を抑えてとにかく建設することで、今後の発展の基礎を少しでも早く整える方が総合的には合理的なのです。中国のビジネスは、発展途上国の顧客にとって必要なことを先進国のビジネスよりもちゃんと理解していると言えるのかも知れません。いずれにしても、相手のニーズを理解しないまま自らの価値観を持ち込んでも、ビジネスとして成功しないことは様々な結果が証明しているかなと思います。

 さて、最終的にラーメンの話からだいぶ遠ざかってしまいましたが、本ブログの最終的な趣旨は「常識に捉われると、合理性は見えなくなることがある」という点です。私たちには無意識のうちに「正しいと信じてしまっていること」がありますので、その価値観を一度裏切らせることで、私たちは価値観をリセットし続けて行く必要があるのかなと思います。過去の成功体験は忘れて、そもそも生まれながらにして「人間そのものが不完全な存在であること」も変数として計算に加味し、自らの価値観や経験は完璧では無かったことを認める勇気を持って、相手の立場から物事を考えて見たときに、より正確な何かが再び見つかるものなのかも知れません。いつまでも子供のような冒険心や探究心を持っていることも、実は有効かも知れませんね(笑)

 正しさの基準そのものを考え直すことで、あなたの周りの世界や人生は、少し良い方向へ変えられるかも知れません。そうした価値観の基準そのものを変えてみるために、ぜひ一度、世界へ出かけてみませんか。

モロッコと西サハラ

2005年の2月、僕は貯まりに貯まった有休を使ってモロッコを約1週間かけて周りました。初めてのアフリカ、そして初めてのイスラム教の国の旅でしたので、期待と不安の入り混じった旅行でしたが、これまで見たことのない文化圏への旅行は非常に刺激的で貴重な経験だったと思います。今日はその旅の中で初めて知ることになった、「西サハラ問題」についてご紹介したいと思います。

<英語ガイド兼ドライバーのハリディと、砂漠の要塞アイトベンハッドゥ。ハリディは腰が悪いらしく、長い運転がいつも辛そうでした>

モロッコでは専用の英語ガイド兼ドライバーと共に、マラケシュ、アイトベンハッドゥ、ワルザザート、トドラ渓谷、エルフードと周り、メルズーガの丘からサハラ砂漠を眺め、最後にフェズ を訪れ、カサブランカからトランジットで経由したパリに一泊して帰国しました。モロッコは旧フランス圏なので公用語はフランス語で、英語はあまり通じません。また古都であるマラケシュやフェズの旧市街(メディナ)はまさに迷宮で、現地ガイドなしでは迷って出れなくなってしまいますので、英語のできるガイドは本当に頼りになりました。

<トドラ渓谷と水を飲むラクダ。モロッコ南部は大部分が砂漠地帯で、オアシスは本当に貴重です>

旅の中盤、ワルザザートからトドラ渓谷へ向かう途中の小さな町を過ぎた丘の上で、ハリディ(英語ガイド兼ドライバー)が、「ここは眺めが良いから、写真を撮ったら良い」と言って車を止めました。丘の上から写真を撮っていた僕は、反対側の丘の斜面に書かれた大きなアラビア文字があることに気がつきました。「あれは何て書いてあるの?」とハリディに尋ねると、彼は「西サハラは我々の領土だ」と書いてあるのだと教えてくれました。その時に「西サハラ」と言う地名を初めて聞いたのですが、何だか政治的に微妙な問題である臭いがしたので、僕はそれ以上尋ねることはしませんでした。後でモロッコのガイドブックを見てみると、確かにモロッコの隣に「西サハラ」と載っていましたが、そこは国ではなく、かと言ってモロッコ領でもない、空白地帯のような扱いとなっていました。

<立ち寄った小さな町の丘に書かれたアラビア文字。「西サハラは我々の領土だ」と書かれています>

西サハラとはモロッコの西側に位置する地域で、人口は約27万人(2004年)、住民の大多数はサハラウィー人、アラブ人やベルベル人で遊牧民も数多く生活しています。1969年まではスペイン領の一部でしたが現在の帰属は未確定で、亡命政権であるサハラ・アラブ民主共和国とモロッコ王国が領有を主張しており、国連の「非自治地域リスト」に1960年代以来掲載されています。1975年にスペインが領有権を放棄すると、1976年にモーリタニアとモロッコが分割統治を開始しましたが、一方で西サハラの独立を目指すポリサリオ戦線が武力闘争を開始し、1976年にアルジェリアで亡命政権「サハラ・アラブ民主共和国」を樹立しています。1979年にモーリタニアはポリサリオ戦線と和平協定を締結し西サハラ領有権を放棄しましたが、同年モーリタニアが放棄した領域をモロッコ軍がすぐに占領し、現在に至るまで独立をめぐる問題が続いています。モロッコによる領有権の主張は大多数の国から認められておらず、アフリカ・中南米・南アジア諸国を中心に約80か国がサハラ・アラブ民主共和国を国家として承認していますが、欧米や日本などの先進諸国はモロッコとの関係上からサハラ・アラブ民主共和国を国家として承認しておらず、国連にも加盟できていません。モロッコは国王の相次ぐ西サハラ訪問やインフラ整備などにより西サハラの実効支配を既成事実化し、サハラ・アラブ民主共和国の独立を妨害しています。サハラ・アラブ民主共和国は1982年にアフリカ統一機構(現在のアフリカ連合)に加盟しており、一方でモロッコがアフリカで唯一アフリカ連合に加盟していないのは、サハラ・アラブ民主共和国の加盟に反発して脱退したためです。そのためサハラ・アラブ民主共和国はアフリカ連合のみの加盟、モロッコは国連のみの加盟となっています。

<アフリカ・西サハラ・モロッコの地図>

モロッコ旅行も終盤に差し掛かり、パーキングエリアでコーヒー休憩を取っていた時に、ハリディが僕の持っていた「地球の歩き方」の地図を見せてくれと言いました。彼は西サハラがモロッコと分離されている地図を見て、「この地図は間違っている。西サハラはモロッコの領土だ。この地図が分離して載せていると言うことは、日本政府が西サハラをモロッコ領だと認めていない証拠だ。」と言いました。僕らは西サハラに関する知識はほとんどありませんでしたし、政治的に微妙な話題なので、「自分たちはその事は良く知らないんだ。西サハラについて教えてくれ」と言うと、彼はフランス語訛りの聞き取り辛い英語で西サハラについて語り始めたのです。長い話でしたし、聞き取れない部分もかなりありましたが、「モロッコは西サハラを自分たちの領土として道路などのインフラを整備したし、学校を作ってモロッコの税金で教育を行っているのに、国際社会が西サハラをモロッコ領と認めないのはおかしい」といった内容で、穏やかな語り口ながらもその言葉はとても強く、興奮を押し殺しているかのような様子で話していました。日本では当時は愛国心やナショナリズムを示すことは悪いことだと言う空気があった時代でしたので、彼が強く主張する様子は僕らにとってはとても新鮮な体験だったことを思い出します。

日本にも多くの領土問題がありますし、海外の人々とこうした内容の話をする機会がまたあるかも知れませんが、領土問題にはそれぞれの立場と言い分があり、全てを客観的に理解することは難しい事だと思います。そうした際に、問題に対する十分な知識なく話をすることはとても危険な事なのでしょう。日本にいるとどうしても目が内向きになりがちですが、世界に存在する様々な問題に興味を持つことは大切であると感じた経験でした。無知であることは時にその国の人々を傷つけることにもなります。そうならないためにも、日本のこと、世界のこと、これからもしっかり理解して行きたいと思います。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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「英語を勉強して良かった」1番大切な理由

「英語って、何のために勉強するの?」

皆さんが英語や英会話を学ばれる理由は様々だと思います。「旅行をもっと楽しみたい」「留学やホームステイに行きたい」「受験のシステムが変わる」「仕事で英語が必要だ」「就職や転職で有利になる」「外国人と話してみたい」「外国人の友達や恋人が欲しい」「もうすぐ東京オリンピック!」「シェアハウスに入居したら周りがみんな外国人」…その目的、動機は人によって千差万別でしょう。きっかけや目的が何であれ、英語を身に付ける事はその方々にとっては必ず何らかのプラスになるはずです。僕に至っては、大学時代に父に「学生のうちに留学くらいしておけ」と言われたのがきっかけです(笑)もちろんそれ以前からTOEICくらいは受けないと…と思って単語を覚える程度はしていましたが、本格的に背中を押してくれたのはその父の一言だったのは間違いありません。詳しくは留学時代の体験 「Santa Barbaraその1。」のブログからお読み頂ければ幸いですが、何しろ僕はそのようなきっかけでロクロク会話の経験もないまま留学へ出発し、現地で打ちのめされ自分の情けなさを痛感し、そこから必死に英語の勉強を始めることとなりました。

きっかけはこのような情けないものですが、とにもかくにもその後英語を身につけた事で、次の留学では海外に多数の友人ができ、その後9.11直後の超氷河期の就職活動を勝ち抜き、海外旅行へ行っても不自由なく行きたい所へ行き、やりたい事をやり、食べたい物を食べ、相手を怒らせるまで値切り(笑)、時には英語でケンカをする事も出来ます。今ではネイティブと英語で議論してもそう簡単には負けません。そして何より、いまこうして英語を教えると言う仕事を立ち上げる事も出来ました。まさにあの時の父のひと言が、僕にとってはかけがえのない一生ものの財産となりました。恥ずかしくて口では伝えられませんが、僕はその時の父のアドバイスに、本当に深く深く感謝をしています。日本語しか話せなければコミュニケーションが取れるのはせいぜい1億人と少しですが、英語と言う「世界の共通語」でコミュニケーションが取れる人の数は、少なく見積もっても世界の半分、約35億人に上るでしょう。つまり僕の世界は父のおかげで35倍の広さになったのです。世界を自由自在に旅をして、35億の人々と会話ができ、様々な知識や経験を得て無限の魅力と出会うことが出来る。こんなに素晴らしい事は無いと思います。

しかし、僕が「英語を身に付けて良かった」と思う1番大切な理由は、実は上記したような事ではありません。僕にとっては世界を知ることで、「日本のことを初めて正しく知ることができた」と言うことが、もっとも大切な事だったといま思えることです。

実は僕は若い頃は、いつか日本を出て行きたいと思っていました。こんな経済が低迷し、刺激的な事が少なく、政治家や官僚は悪事ばかりを働き、過労死するほど働かなければならない国に住むのは不幸だと勘違いをしていました。ただ僕がこのように思っていた事は実はそれほど稀なケースではなく、実際に日本の若者は他国の若者と比べて自分たちを幸せだと感じていない、と言う調査データが出ています。つまり日本人、特に若者は日本に生まれた事を「幸せでない」と思ってしまっているのが現状なのです。それは実は大きな勘違いなのですが、残念ながらそれが勘違いだと気付くチャンスや方法が日本の若者にはないのかも知れません。それは日本の教育政策の失敗と、マスメディアがネガティブな内容ばかりを批判的に報道する偏向的な姿勢、そして何より、若者が内向的にならざるを得ない英語教育のレベルの低さに大きく起因しています。

僕は英語が話せるようになってから、色々な国の友人と話をしたり、中々行く事が出来ないような場所にも行けるようになり、個人的に旅行が好きだった事もあり世界各地の様々な場所へ行き、様々な現状や問題を自らの目で見て感じる事が出来ました。そしてその中で、初めて気付くことが出来たのです。「自分は何て恵まれた国に生まれ育ったのだろう」と言うことに。

<これだけの大都市にも関わらず、東京の空は青い。アジアからの観光客は、まず空の色が違う事に驚くそうです。アジアやヨーロッパの大都市の空が青い事は、近年ほとんど無くなりました>

世の中面白いもので、日本に生まれて日本しか見た事がなかった時は、実は日本のことは何も分かっていなかったのです。世界に飛び出して他国と日本を比べた時に初めて、日本は世界の中でもズバ抜けて幸せな国だと気付きました。治安が良く女性が夜に繁華街や住宅街を1人で歩いても何も問題がなく、町は清潔で人々は勤勉で礼儀正しく親切、カフェでバッグを席に残してトイレに行っても盗む人もおらず、電車にスマホを忘れてもかなりの確率で戻って来ます。サービスのクオリティは世界のトップと言えるほど優れており、仕事を探そうと思えば労働者の数より求人の数の方が多い、賃金の水準もバブル期のように世界トップでは無いにしろ、先進国に相応しい十分に裕福な生活を送ることができ、ほとんどの国民が海外旅行を楽しめ、日本のパスポートを見せればビザも免除され疑われることもほとんどありません。世界のトップを争う技術や医療環境も存在し、選挙権も表現の自由も当たり前のように与えられている。自然に恵まれ美しい景色と文化的な財産を持ち、水資源に困るどころか水道の水をそのまま飲むことまで出来る。首都である東京都市圏は人口ベースでも経済ベースでも世界最大の都市で、世界中の料理を楽しめ、世界中のエンターテイメントや芸術がやって来て、手に入らないものの方が珍しく、ありとあらゆる種類の娯楽を楽しむことができ、把握仕切れないほどの新スポットが次々と生まれ、ニューヨークと世界一を争う事が出来るくらい刺激と新しさに満ちあふれています。高品質で新鮮な食材があふれていて、美味しいものがいくらでもあり、和食は世界的にも最も価値のある料理の1つとして世界遺産にもなりました。高級な食べ物でなくてもクオリティが高く、安くて美味しいものが沢山あります(安くても美味しい、と言うのは他国では非常に稀なことです)。アニメや漫画と言ったサブカルチャーは世界中の若者を魅了して日本好きの外国人がどんどん増えていて、逆に海外へ行けば日本人だと言うだけで親切にされたり礼儀正しく扱われる。これだけ恵まれている国は世界のどこにもありません。日本より進んでいる国はおそらく、アメリカぐらいのものでしょう。そのアメリカですら、全ての面で日本より優れている訳ではありません。

<イタリア・ナポリのメインストリート。経済状況が悪化しゴミの回収がままならないそうです>

先進国が集まるヨーロッパでさえ失業率が10%を超える国が続出し、10人に1人は仕事がありません。多くの国は砂漠化と水資源の確保に苦しみ、水道水を安心して飲めるなどと言う国はほとんどなく、移民の受け入れに問題があった国では差別や貧困が蔓延し治安も悪化しています。パリやロンドンでテロが頻発しているのは皆さまもおそらくニュースでご覧になった事があるかと思います。発展途上国では水不足に水質汚染と大気汚染が深刻化しており、他のどの先進国を見ても発展途上国を見ても、日本のように何一つ不自由がない国は1つもありません。

日本人は自らが築いて来た文化、歴史、経済や自然環境にもっと誇りを持っても良いと、僕は思います。これだけ素晴らしい国は見つける事が不可能だ、と言っても決して過言ではないと思います。逆に日本を知る外国人の方が、日本の事をよく分かっていたりします(苦笑)ただ、それは残念ながら、日本にいたら分からないこと、世界へ出てみて初めて気付くことです。その意味で、僕は英語を身に付ける事ができて本当に良かったと思い、もっと日本の良さを世界に発信したい、そして日本の皆さまにも、私たちの住む国のことをより良く知って頂けたら、と思います。そして私たちは恵まれているからこそ、もっと世界に貢献する事も忘れてはならないと感じます。

そのためにも、僕は今後も日本の英語教育を変えると言う目標に挑戦し続けたいと思います。そして日本の未来を創って行く若者に、ぜひ世界に飛び出して見識と経験を広げ、今後の日本をより良くして行って欲しいと願うばかりです。皆さまが世界を知り日本を知る、そのお手伝いが少しでも出来たら幸いです。

Learning the world means learning your own country. Find and love the country where you have grown up. Contribute to and improve your home country and the world.

“Find the world. Find Japan again!”

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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高速鉄道の「お見合い席」に注意

2009年の9月、僕らは夏季休暇を利用してポルトガルを約10日間ほどかけて周りました。なぜポルトガルを選んだかという理由がまた単純なのですが、当時マスターカードのCMで、「○○○、何ユーロ。△△△、何ユーロ。□□□の思い出、Priceless。お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで。」というものがあったのを覚えている方はいらっしゃいますでしょうか。そのCMの舞台にポルトガルが使用されていて、何となく行ってみたくなったという、何とも単純と言うか影響されやすいと言うか、そんな動機でした(笑)思い返すと、モロッコに行った時の理由も同じCMだったような…(笑)

とにもかくにも、このような単純な動機から始まったポルトガル周遊旅行で、リスボン・オビドス・ナザレ・アルコバサ・エヴォラ・ポルト・シントラなどをバスと鉄道で移動しながら周りました。ヨーロッパは公共交通機関が発達している代わりに、古くからの町は道が狭く駐車場も少ないので、レンタカーより鉄道での旅が良いですね、風情もありますし。いつかはレンタカーも使ってみたいと思っています。

ポルトガルは「バカリャウ」と呼ばれる、タラを塩で漬けた食材が有名ですが、何とも塩辛く僕の口には若干合いませんでした…。旅の中盤から食傷気味になって、とうとうステーキしか注文しなくなった記憶が(苦笑)1番美味しいと思ったのはイワシの塩焼きでした…、ポルトガルの食事はしつこくないので、比較的食べやすいとは感じましたが。

<バカリャウのグリルとバカリャウのグラタン>

<後半はステーキばかり注文…イワシの塩焼きは日本で馴染みのある味(笑)>

ポルトガルは世界遺産こそ多くは無いかも知れませんが、オレンジの屋根と白の壁で統一された町並みは美しく、古い小さなお城や修道院を改装した「ポサーダ」と呼ばれるホテルに宿泊したり、独特な小さな教会や修道院を巡ったり、ポートワイン(一次発酵の途中でブランデーを加えて発酵を止めるためとても甘く、好みは分かれるそうです)で有名なポルトのワイナリーを訪れたり、オビドスやシントラなど小さくて美しい町や村も魅力的で、中々に充実した旅になりました。

旅行も後半に入り、僕らはエヴォラからバスでリスボンへ戻り、そこからポルトガル第2の都市であるポルトへ向かいました。ポルトへはポルトガルの高速鉄道「アルファ・ペンドゥラール」(略称AP。最高速度は220キロくらい)を利用して、約3時間の旅です。

<世界遺産ジェロニモス修道院とリスボンの町並み>

<オビドスの小さな町と、シントラのペーニャ宮殿。シントラの文化的景観は世界文化遺産に登録されている>

<ドウロ川を挟んで見るポルトの町並みと、ポートワインの試飲が出来るワイナリー>

リスボンに到着し、僕らはAPの切符を購入しようとしたのですが、お昼過ぎに着いたにも関わらず空席は夕方の便まで無いと言うのです…本数が少ないからでしょうか…。帰りのAPはネットで予約しておいたのですが、行きはエヴォラから戻る時間が読めなかった事もあり予約していなかったのが災いしてしまいました。まあ、当日中に着けば良かったのでしょうがないと思い、スーパーでショッピングなどをして時間を潰したのですが、この待ちに待ったAPの3時間が、この旅行では最悪と言える時間だったかも知れません…

ヨーロッパの高速鉄道の座席は、日本の新幹線のように全て進行方向を向いてはいないことが多く、たいていの場合車両の後ろ半分が前向きで、前半分は後ろ向きで、中央の席は向かい合う「お見合い席」になっていて、座席は固定なので向きを変えることができません。日本の新幹線みたいに可動式の座席にすれば良いのにとは思うのですが、ヨーロッパの高速鉄道は途中で進行方向が変わったりするので(大きな駅が行き止まり方式なので、前向きに入って行って出て行くときは反対に進むしかない)、可動式にすると混乱を招くといった事情があるのかも知れません。ですが、時速200キロ、300キロで走る高速鉄道に後ろ向きで座るのって、結構キツいですよね。僕は昔、新幹線でボックス席にして後ろ向きに座ったら乗り物酔いした記憶があります(苦笑)やっぱり日本の新幹線は、少なくとも実用性においては世界最高水準と言えると思います。

かくして待ちに待ってAPに乗り込むと、取れていた座席は後ろ向きの、しかも「お見合い席」だったのです…。知らない人と向き合って3時間過ごすだけでも悲惨と言えますが、APのお見合い席は足元が狭く、さらに欧州人は身体が大きいので、足が思いっきりこちらに伸びて来ていて、お互いの足が重なって座るしかないので全く足を動かすことが出来ません…。長時間待っていて疲れているのに、リラックスするどころか身体は全く動かせず、在来線を高速化したせいなのか乗り心地も悪く揺れるので、後ろ向きの座席で酔って気分が悪くなり、この状態で3時間を過ごした僕らはポルトに到着した時はもうボロボロで食欲もない状態に…。やぱりスケジュールをしっかり決めて事前に予約をしておくべきだったと、後悔の嵐だったことは言うまでもありません…。

<ポルトガルの高速鉄道Alfa Pendular>

帰りは通常の前向きの座席だったのでそこそこ快適でしたが、なにしろ「お見合い席」は最悪だと思いました。フランスのTGVやドイツのICEが同じ状況かどうかは分かりませんが(ICEには乗った事がありますがお見合い席や後ろ向きではなかったので…)、何しろ後ろ向きに座るだけでもかなり不快ですので、高速鉄道の座席は早めに予約しておくことをお勧めします…。

海外旅行に行くと、日本で当たり前のように利用しているサービスがいかにきめ細かく出来ているのか実感される方も多いと思います。僕らが住んでいる国がどれだけ恵まれている場所なのかを知るという意味でも、海外へ出て様々な経験をすることは本当に貴重だと思います。ですがみなさんが高速鉄道にお乗りになる際は、「お見合い席」だけはやはり避けたほうが良いと思います(苦笑)

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海外でのスマホ通信料を節約する方法

今では世界のどこへ行っても日本の携帯電話が繋がるようになり、非常に便利になりました。しかしスマートフォンを海外で使用すると非常に料金が高いのが悩みの種ですよね。今日は使用頻度に合わせて、スマートフォンの海外での通信料を節約する方法をご紹介したいと思います。

<① 日本と全く同じよう不自由なく使いたい>

これは大手通信キャリアの海外ローミング定額サービスを使うのが最も簡単です。現在各大手キャリアでは24時間あたり980円を支払えば日本のデータ通信枠を利用してインターネットに接続できる「世界データ定額」のサービスが提供されており、使用可能な国では自動的にはデータ通信を開始しない便利なサービスもあります。通信品質も大手キャリアのローミングサービスなので、安定度は抜群です。この方法は最も楽ですが、短期の旅行ならとにかく1週間や10日ともなるとかなりの高額になるのは避けられません。また一部の機種や国がサービス対象外の場合もあり、従量課金制(使った分を払う)でうっかり頻繁に使用するととんでもない料金になる可能性があるので注意が必要です。

<② 電話だけ通じれば良い、メールはホテルで確認>

スマートフォンにはデータ通信のみをoffにする機能があり、これを設定すれば音声通話のみを使用することが出来ます。旅行中は緊急の連絡さえ出来れば十分と言う人にはこの設定がお勧めです。設定方法は機種によって若干異なりますが、だいたい「モバイルデータ通信」の設定項目があり、これをoffにすると音声通話とWi-Fiを除く一切の通信(メール、LINE、インターネットやアプリの通信)が遮断されますので、データ通信料の請求を回避出来ます。海外で1度でも通信してしまえば通信料がかかってしまうので、日本を離れる前に設定しておくと良いでしょう。また最近はホテルや空港、一部のレストランに無料あるいは有料のWi-Fiサービスがありますので、ホテルにいる時のみWi-Fiをonにすれば、ホテルでは無料で(Wi-Fiが無料であれば)メールやLINEをチェックしたり、ネットで必要な情報を調べたり出来ます。ここで誤って「モバイルデータ通信」をonにしないよう気をつけてください。
ただホテルのWi-Fiサービスは(国にもよりますが)電波状況が悪く通信速度にイライラしたり全く使い物にならなかったりするのが難点です。(米国のホテルのWi-Fiはひどいものでした…)

設定→モバイルデータ通信→モバイルデータ通信をoffに設定

<③ 24時間使えなくても良いが、必要な時には通信したい>

常にメールやネットを使える必要はないけど、たまに写真を送ったりメールのチェックや必要な情報を調べたいという方には、Wi-Fiルーターのレンタルサービスがおすすめです。この場合はモバイルデータ通信をoffにした上で、Wi-Fiのみでルーター経由で通信することになります。ルーターが3G対応かLTE対応なのか、またルーターのバッテリー持続時間によって料金にバラつきがありますが、大抵のサービスは通信キャリアの定額サービスより安く設定されていますし、通信品質もしっかりしているのでホテルのWi-Fiより役に立ったりもします。先のアメリカ旅行ではホテルのWi-Fiが使い物にならなかったのでルーターが大活躍し、メールやLINEの他にも、飛行機のオンラインチェックインや、日本のニュースと天気予報のチェック、Googleマップの使用などに非常に役に立ちました。ただ欠点としては、余分な機器を持ち歩かなければならない事と、バッテリーの持続時間が短く、連続使用可能な時間は4時間から長いものでも10時間強ですので、一日中使える訳ではなくあくまで必要な時だけ接続する感じになります。ホテルでは充電器に差しておけば夜はずっと使用出来ます。料金は国によりますが、大体1日500円から容量無制限なら2,000円といった感じ。2人以上なら1台のWi-Fiをシェアすることで、グループのトータルでの通信費はだいぶ節約可能です。

このようなWi-Fiルーターをレンタル出来ます。モバイルデータ通信をoffにした上で、ルーターにWi-Fiで接続

<④ とにかくお金は払わないが、メールだけはチェックする>

お金を一切払わない方法もあります。スマートフォンの「機内モード」をonにしてしまえばWi-Fi以外の通信は一切遮断されますので、通信料も電話代もかかりません。通信はホテルや空港の無料Wi-Fiサービスを利用すれば、朝と夜の2回くらいはメールなどをチェックできますし、調べごとなども出来ます。また通信を必要としないアプリ(音楽・ビデオやカメラ、アラームと世界時計、電卓、為替計算アプリ、情報内蔵型の辞書、メモ帳など)は使う事が出来ますので、通信を除いたスマートフォンの機能を最大限活用出来るでしょう。ただ通信はホテルのWi-Fiの品質次第ということになります。

機内モードをonにすれば、一切の通話・通信が遮断される。ホテルの無料Wi-Fiを使えば通信料はかからない。

<⑤ 現地のSIMカードを購入する>

SIMフリーのスマートフォンを持っているかレンタルすれば、現地のSIMカード国際SIMカードを購入して現地の通信キャリアの料金で通話・通信出来るので料金は大分安く抑えられます。最近の新機種は数千円の手数料をキャリアに支払えば、SIMロックが解除できる機種が増えています。オンラインで手続きすれば、購入後数か月で無料でSIMフリーに出来るケースも一般的になって来ました。また近年の最新機種は物理カードを差し替える必要のない「eSIM」機能を内蔵しており、旅行前の購入や日本のSIMと現地SIMとのデュアルスタンバイも便利になって来ました。デュアルスタンバイを利用することで、電話は日本の番号で着信を受けながらデータ通信だけ現地のキャリアに接続すると言う使い方が可能で、SIMカードやeSIMのプラン次第では旅行あたり1,000円以下(容量制限アリ)に抑える事が可能です。

デメリットとしては物理SIMカードを差し替えると現地の電話番号が割り当てられることになりますので、デュアルSIM機能を持たない携帯は日本の番号の着信を受けられないことになります。またSIMの選択次第では通信が出来ても不安定だったり、通信速度が著しく低速な場合もあります。最悪のケースでは、お持ちのスマートフォンがSIMカードが接続するキャリアの周波数に未対応のケースもありますので、十分に理解をしてから購入することも必要です。ビジネスで渡航して頻繁に通話や通信をする方や二週間以上の長期滞在をされる方、海外渡航慣れをしている方にはこの方法はベストですが、短期の旅行であったりテクノロジーに不慣れな方にはデメリットが多い知れません。旅行中にSIMカードを購入したり設定をする手間も、時間がもったい無いかも知れませんね。

以上様々なパターンをご紹介しましたが、みなさまが渡航先でどれだけ携帯電話を使いたいかによってその選択は変わってくるでしょう。街を歩き回るのや出張に地図が必要ならローミングや海外SIMが便利でしょうし、グループや家族の旅行なら人数が増えるほどにWi-Fiルーターは節約を可能にします。リゾートホテルでゆっくり過ごすのであれば、きっとホテルのWi-Fiで十分なことでしょう。ツアーに参加するのであれば緊急の電話以外は必要無いかも知れませんし、添乗員がWi-Fiルーター接続を提供してくれる場合もあります。せっかくの旅行を携帯に邪魔されたくない方も多いのではないかと思います。

皆さんの旅行のスタイルに合わせて、是非研究してみてください!

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ハンバーガーを単品で頼むときは (ボストン編)

海外でファストフードのレストランなどで注文をする際には大体のお決まりフレーズがあり、例え英単語や文法がしっかり分かっていたとしても、こう言った「型通りのフレーズ」を使わないとなかなか通じないことがたまにあります。特に移民国家であるアメリカでは、アルバイトスタッフは貧困層で英語のネイティブスピーカーでないことも多いため、慣れない表現を使うと相手も理解出来ないことがよくあります。

例えば日本では「持ち帰りたい」は「テイクアウト」ですが、これはかなりの和製英語で、使用しても通じない可能性が高い表現です。だいたいアメリカのファストフードのお店では店員に”For here or to go?”=「ここで食べるのか、持ち帰りですか?」と聞かれるのが一般的です。またお会計では”Cash or charge?”=「現金ですか、カード払いですか?」も頻出の決まり文句です。”to go”が持ち帰り、”charge”はカード払いと知っておかないと、ファストフードとは言え四苦八苦する可能性もあります。また「フライドポテト」は”french fries”、「バリューセット」は”value meal”と、日本で使われている表現とはだいぶ違うものもあります。本日は僕が若かりし頃に大失敗した「ハンバーガーを単品で」頼むためのフレーズを、エピソードと共にご紹介したいと思います。

僕がボストンに短期留学をしていた2001年の8月(9.11のテロの直前でした)のある日、夜に語学学校に帰る前に小腹がすいた僕は、マクドナルドでハンバーガーを単品で買って、路面電車の中で食べながら帰ることにしました。僕はお肉が大好きなので、大きなお肉の入った「クォーターパウンダー」と言う大きなハンバーガーを注文したのですが、「単品で頼む」と言うことをそれまでした事がありませんでした。当時の僕はTOEICのスコアも800点を越えており、日常会話はほぼ問題ないレベルで、セットのことを”meal”と呼ぶことも知っていたのですが、「単品で」と言うのは何と言うか、考えたこともありませんでした。中途半端に英語力があったため、「セットじゃなくて」と言えば通じるだろうと考えたのが最大の失敗でした。

<バリューミールがセットの意味と知ってはいたものの>

店員に向かって、”One Quarter Pounder please, not meal.”=「クォーターパウンダー1つ、セットじゃなくて」と言ったのですが、それを聞いた店員がけげんな表情をして、”Not meal?”と聞き返して来るのです。僕は単品で欲しかったのでもう一度、”Not meal.”と繰り返したところ、後ろのスタッフと相談を始めてしまいました…。ですが相談を受けた調理担当スタッフが手でOKサインを出したので、「やれやれ、理解したようだな」と思ったのですが…。

クォーターパウンダーの代金を支払いハンバーガーをテイクアウトした僕は路面電車に乗り込み、楽しみにハンバーガーの箱を開けたのですが、そこには衝撃的なものが入っていたのです…クォーターパウンダーの「お肉の入っていない」ハンバーガーが…(汗)

Quarter Pounderは肉好きのためのメニューのはず…>

ハンバーガーのバンズの間には、何と野菜だけが挟まっていたのです…(汗)そう、”Not meal.”が彼には”Not meat.”に聞こえてしまったようで…。「クォーターパウンダーを注文して”Not meat.”なわけねーだろ!(汗)」と思いましたが、僕の発音がイマイチだったのと、慣れない言い方をされたため店員側もピンと来なかったのでしょう…。もしかしたら英語のネイティブではなかったのかもしれませんが、それにしてもクォーターパウンダーを「肉なしで」と注文するやつがどこにいるんだ?とおかしいやら呆れるやら…(苦笑)ただ、ここは相手の聞き慣れない言い方をした僕も未熟だったのは認めざるを得ません。その「肉なしクォーターパウンダー」はまあとりあえず食べましたが、しっかりクォーターパウンダーの代金を払って肉なしハンバーガーを注文するわけないだろう…と今でも思います…一生忘れられない「肉なしハンバーガー事件」の笑い話になってしまいました(笑)

<単品メニューには”SANDWICHES”と記載されている>

ハンバーガーを単品で注文する際は”Just Sandwich.” = 「サンドイッチだけ」と言うのが一般的です。「ハンバーガーなのになぜサンドイッチ?」と思われるかも知れませんが、アメリカではハンバーガーはサンドイッチの一種、という扱いです。実際、マクドナルドのメニューの看板には”Hamburgers”ではなく”Sandwiches”と記載しています。この「ハンバーガー」=「サンドイッチ」であることを知らないと、またまた店員と会話が噛み合わなくなります。例えば、”One hamburger, please.”と注文すると店員は必ず”Just sandwich?”=「サンドイッチだけ?」と聞き返して来ます。この時にサンドイッチがハンバーガーを指している事が分からないと、おそらく “No, hamburger!” と返してしまい、店員も会話がつかめなくなってしまうでしょう。たかがファストフード、されどファストフード…お決まりの現地で一般的なフレーズを知っておくのも、意外に大事だったりします。そうしないと、僕のように「肉なしハンバーガー」が出てきてしまうかも知れません(苦笑)

覚えておきましょう。「ハンバーガーを単品で」は、

“Just sandwich.”

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フィジーの「木彫りおじさん」

海外旅行の楽しみの一つに、現地の人々との会話があります。旅行先で現地の人が親切にしてくれた思い出は、どんな有名な観光地よりも深く記憶に留まるものです。ですが、海外で話しかけてくるすべての人が良い人であるとは限らないのが残念なところで、特に発展途上国を旅行する際は注意が必要です。今日は僕らがフィジーで遭遇した「木彫りおじさん」のことを書きたいと思います。

僕がフィジーを訪れたのは2004年の6月、社会人になって2年目の頃でした。それまでに僕が訪れたことのある場所と言えば、ハワイ、香港、アメリカ、韓国、台湾、ヨーロッパなど、比較的治安の良い国や先進国ばかりで、思えばフィジーは初めての発展途上国だったのですが、ガイドブックには「安全なリゾート国で、人々は穏やかでフレンドリー」とあったのでそれほど心配はしていませんでした。

フィジーを訪れる人の多くは離島のリゾートで海を満喫する方が多いのですが、ビーチで遊ぶだけではつまらない、現地の町や人々の暮らしを見たいと考えた僕は、離島ではなく本島であるビチレブ島のコーラル・コーストのホテルを選び、近くの町や首都であるスバを訪れる計画を立てました。

思い出せば、異変は入国の段階から始まっていました。入国審査を通り税関に進むと、係員が僕らを制止して荷物をチェック、とここまでは普通だったのですが突然「Give me some money.」と言ったのです。何か関税のかかるものを持っていたかな?と思いつつとりあえず僕は「Why?」と理由を尋ねました。彼らは理由を答えずにただ「Some money.」と言っていたのですが、僕が払うそぶりを見せずにいると、諦めたように「行っていいぞ」というようなジェスチャーをしました。税関の職員と言えば国の職員のはずですが、その立場を利用してこのように「money」と言えば、きっと訳が分からないまま払ってしまう人もいるのでしょう。国の職員や警察でも完全には信用できないのが発展途上国なのだと、初めて感じた経験でした。

コーラル・コーストのリゾートホテルに宿泊して、近くの素朴な町や美しいビーチ、フィジーの伝統的なダンスと食事を満喫、と滞在は素晴らしいものでした。フィジーを訪れて2日目、僕はレンタカーを借り、首都のスバを訪れることにしました。スバまではホテルから、一本道を約3時間のドライブです。道を走っていると、現地の人は道端でオレンジを売っています。それも村を抜けるたびに…

果たして一日に何個売れるのだろう?と疑問に思いつつ、車は首都のスバに入りました。

南太平洋の島国に立派な町があるものだと思いながら駐車場を探して、信号待ちで停車していた時です。ある男が車に近寄ってきて「次の交差点を右に曲がればパーキングがあるぞ!」と言うのです。どうして駐車場を探していると分かったのだろうと思いながら右に曲がると、確かに駐車場が。車を止めて降りるとそこにさっきの男が現れて、「Lock nicely.」などと言っています。そして「どこへ行きたいんだ?」と言うのでショッピングをすると答えると、「ついて来い」と。 この男は何なのだろう?と少し怪しく思ったのですが、フィジーの人は陽気でフレンドリー、とガイドブックにあったので、とりあえず行ってみることにしました。彼は歩きながら、「自分は元ラグビーの選手で、日本に行ったこともある。僕らの滞在していたホテルで働いていたんだ」、などと言います。今思えば怪しい臭いがプンプンする内容なのですが、現地の人と触れ合いたいと思っていた僕は不覚にも彼の会話に引きずり込まれて行きました。

(男の後姿。残念ながら正面からの写真はありません…)

ショッピングをしている時も彼は通訳などをして、さあ次はどこへ行く?と言うので僕はそろそろ昼食を食べる、と言うと、レストランの近くの広場に僕を連れて行き、「自分はそろそろ行かなければならないが、君と友達になった証に木彫りの人形をプレゼントするよ。僕は国に登録されている木彫り職人だ。君の名前のイニシャルを彫るから教えてくれ」とライセンス(本物かどうかは不明)らしきものを見せながら言います。そしてイニシャルを彫った木彫りを僕に渡して、「Give me some money.」と言うのです。まあ、親切にしてくれたし、チップくらい払うかと思い5ドルほどを渡すと急に顔つきが変わり、「これでは足りない。この木彫りはハンドメイドで高いんだ。イニシャルも彫った。」と迫って来たので、カチンと頭に血が上った僕は「I don’t need this.」と木彫りを突き返し、その場を立ち去りました。その男は元ラグビー選手と嘘をつくぐらい立派な体格の男で、今思えば本当に危ないことをしたと思うのですが、人のいないような場所ではなかったのでそれ以上追っては来ませんでした。果たしてこのような状況で身を守るためにお金を払うべきかどうかは意見の分かれる所だと思いますが、それ以前に最初について行ってしまったのが最大の間違いだったのだと思います。

後でガイドブックを見ると、読者の投稿に「木彫りおじさんに注意」とのコラムが。どうやら彼は日本人を狙ってこんなことを繰り返している有名人だったようです(苦笑)

その後も色々な発展途上国に行きましたが、大体親切に話しかけて来る人はお金目当てであることが多いです。タクシーなんかも、客引きをしている車に乗ったらメーターが細工してあり、法外な料金(と言っても日本人にはたいしたことない額ですが)をボラれたなんてこともありました。いつも途上国に行くと「現地の人と会話したい」と言う欲求と「お金を取られる」という警戒感の間で揺れてしまいます。必要以上に警戒することは旅の楽しみを減らしてしまいますが、途上国では自分の身の安全は自分で守る以外ありません。特に日本人は狙われていて、警察すらグルである可能性もあります。みなさんも海外を旅行するとき、特に途上国では、危険な行動や場所には気をつけて下さい。

追伸  途上国の全ての人が悪い人間である訳ではありません。本当にいい思い出や出会いもあります。それは皆さんの目で、確かめてみて下さい。そんなことも旅の楽しみの一部であると思います。

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世界を旅して思うこと

今日は1人の日本人として、世界を旅して感じた事や日本に対して思う事を書いてみたいと思います。この記事は、新しく思う事が増えたり、考え方が変わった時は随時更新をして行きたいと思っています。今の時点で世界の全てのことを理解したつもりはなく、まだまだ見たり聞いたり、学ばなければいけない事がたくさんあると思います。

1番始めに述べたいことは、「日本人に生まれた事は幸せだった」と言うことです。他のブログ記事でも触れましたが、日本と言う国の生活環境、そして戦後日本人が築いて来た日本人の価値と評価は、概ね世界のほとんどの国で高く評価されています。どこの国へ行っても「日本から来た」と言って嫌な想いをした事や失礼な扱いを受けた事は、今まで記憶にありません。

それはこの国の人々が積み上げて来た技術や経済力、文化的あるいは自然環境の遺産に加えて、謙虚、勤勉、礼儀正しいと言った日本人の本質が世界の人々に伝わって来た結果であると、しみじみと思います。海外旅行でも、初期の頃は現地の文化や慣習に対する理解が及ばなかった時期もあったかとは思いますが、日本人としてのマナーを守り、現地の文化や慣習を尊重し、礼儀正しく振舞い続けて来た積み重ねがあったからこそ、今の日本人の高い評判へと繋がったのかと思います。他国で入国審査を受ける際も、日本のパスポートを出せばまず疑われる事はありませんし、列に並んでいたら「お前は日本人か?」と聞かれ、そうだと答えたら現地国籍のレーンに案内されそのまま優先的に通された事も1度ではありません。フランスに住む友人に聞く限りでは、同じアジア人でも「日本人」は全く異なるイメージを持たれているそうです。現地に住む台湾の友人と過ごしていた時に、こんな事がありました。メトロの階段を上がるのに2人でベビーカーを担いでいた際に、後ろにいたフランス人から「見ろ、中国人がバカやってるぜ」と侮辱されていたらしいのです。僕はフランス語が分からないので気づきませんでしたが、ここでアジア人の見分けもつかないはずなのに、軽蔑の言葉が「日本人がバカやってる」とならなかった事は、ある意味一つの証拠だったのかと思います。

<子供を大切にする先進国フランスでもバリアフリーは日本よりはるかに遅れている>

先のブラジルワールドカップでも、観戦後にゴミを拾って帰る日本人サポーターの姿が非常に高く評価され、その後の国際大会で真似をする国が続出しました。また、先日のテニスのU.S.オープンで優勝した日本人の血を引く大阪なおみ選手が、表彰式で現地の人々からブーイングを受ける中で行った「気遣いの込められたスピーチ」は、止むことのなかったブーイングを一瞬で拍手へと変えてしまいました。大阪なおみ選手がどの程度日本の文化や習慣に触れて育ったのかは僕には分かりませんが、少なくとも彼女の振る舞いは日本人の評価をまた一つ高めた事は間違いありません。

そして今、日本に憧れ日本を訪れる外国人がものすごい勢いで増加しています。特に若い世代の人たちは、小さな頃から日本製の電化製品や車、アニメ・ゲームや漫画などのサブカルチャーに触れて育って来ているため、欧米人でも有色人種として偏見の目を持つ人はかなり減っているように思います。日本人だけが特別扱いなのかも知れませんが、欧米の国々へ行っても自分が日本人だと言えばみんな嬉しそうな顔をして、親切にしてくれます。確かに日本は欧米以外からG7に参加するアジア唯一の先進国ですが、こうした経済の成熟度以上に力を発揮しているのは、日本人1人ひとりがこれまで積み重ねて築き上げた、日本の世界に対する貢献と日本人に対する評価であるのは間違いないと思います。また、フランスやカナダ、アメリカに行けば多くのアジア・アフリカからの移民を見かけますが、日本人の移民を見かけることはあまり多くありません。アジアではチャンスさえあれば海外で就職をして国を脱出しようとする国民が増えていますが、逆に日本では留学へ行く若者が減っていると言う、全く逆の現象が起きています。留学に行く若者が少ないこと自体は憂うべきことですが、逆に言えば日本の経済と社会がそれだけ安定しており、居心地がよく海外へ脱出する必要がないことの裏返しでもあります。日本から人が出て行かないばかりか近年では外国人の移民や労働者がどんどん流入し始めており、日本は人気の移民先国家として既に世界の第4位となっています。英語圏やフランス語圏でない国にこれだけの移民が来ると言う事は、それだけ日本が魅力的な国なのだと言う確たる証拠でもあります。

このように世界を旅すればするほど、逆に日本の凄さを実感する僕が唯一「まだ及ばない」と感じた国があります。それは他のブログ記事でも度々話題に取り上げている、アメリカ合衆国です。

もちろん、アメリカが政治・経済・技術開発・軍事など多くの点で最先端にあり、世界の頂点に立つ国であることを疑う人はおそらくほとんどいないでしょう。しかし、僕が「日本はまだ及ばない」と感じた出来事は、実は本当にちょっとした事でした。2013年にアメリカ南部、テキサス・ルイジアナ・フロリダ州を訪れた時のことです。僕らはニューオーリンズからフロリダへ、世界初のLCCであるサウスウエスト航空のフライトを利用しました。フロリダの空港に到着し、飛行機から降りようとした時です。前の列にいた乗客がまだ準備に時間がかかりそうだったため、先に降りようした僕を1人の男性が制止しました。”Excuse me.”と…

その時初めて、僕は自分がマナー違反をしかけた事に気がつきました。アメリカでは例えLCCでも、乗客は前の列の人たちが降りるまで、決して前に進みません。正直なところ、これは僕には忘れられない衝撃的な出来事でした。「日本より進んでいる国がある」と言うことを、小さな事から嫌と言うほど痛感しました。そして、自分たちはまだまだ学ばなければならない事がたくさんあると思い知りました。「日本よりも遥かに前を走っている国が1つある。アメリカ合衆国と言う名の国だ」、少なくともこれは確かなことです。

<アメリカではLCCでも障害者や子供連れ家族の優先搭乗は徹底されている>

他の国へ行けば、「やはり日本の治安やサービス、人々のマナーと勤勉さは凄い」と思う一方で、アメリカへ行ったりそのニュースやイノベーションを聞くたびに「やはりアメリカは凄い、まだまだ及ばない」とも思います。日本は、非常に恵まれている国でしょう。おそらく世界で2番目に進んでいる国と言えるかも知れません。しかし一方で、「まだ2番」です。日本人にはまだまだしなければならない事がたくさんあります。まず今後国内でも進むであろう国際化・多様化する社会に適応することが緊急に必要で、そのためには海外の文化や「異なる考え方」を受け入れる下地を作らなければなりません。世界の共通語である英語を会話として使えるようになる事も大切でしょう。そして海外の現状や問題、あるいは見習うべきことを1人でも多くの若者が経験し、日本と言う国をさらに発展させて行く必要があります。

また同時に、「日本は世界への貢献がまだ足りない」とも思います。確かに技術面や経済面、文化的な影響を通じてこれまで多くの貢献をして来たとは思います。しかし、世界にはまだまだ多くの問題があります。「日本が幸せな国ならそれで良い」と考えてはいけないのだと思います。もっと積極的に、世界の平和や貧困の解消を目指して中心的な役割を果たして行かなければなりません。それは決して軍事力を拡大して戦争に加わるべきだと言う意味ではなく、環境・エネルギー技術の開発や発展途上国の産業の育成、あるいは国際社会でのリーダーシップや新しい枠組みの創設など、日本らしいやり方や新しい発想で世界をリードして行けるようにならなければならないと感じます。総合面で日本よりも進んでいる国は、アメリカしかありません。(全ての面ではないことは強調しておきます。)日本が国際社会で行うべき責務はもっと重いはずです。もっと日本の知恵と良さを世界に発信し、アメリカからは学ぶべきことを学び、世界に貢献出来る国となって欲しい、そう願うばかりです。

そのためにも、今後も多くの国々を訪れ見識を広げ、その経験を多くの日本の皆さまに英語と共にお伝えできたら幸いです。そして、世界に貢献するための最大の武器は、やはり英語なのだと思います。1人でも多くの方に、ぜひ英語と共に世界へ飛び出して多くのことを学び日本へ持ち帰って、その知識と経験をこの国と世界へ貢献する事に役立て欲しいと願い、僕自身もそのお手伝いが出来るよう、また自分自身も世界に貢献出来る人間になれるよう、今後も出来る限りのことに取り組んで行きたいと考えています。今後の若者には日本人としての誇りを忘れず、世界を学び日本を知り、そしてその知識と経験で日本と世界へ貢献して行って欲しいと思います。

We can change the world with English.

Find the world, find Japan again.

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海外で怪我をする(台湾編)

2007年の9月、僕は台湾の友人に誘われて約10日間の台湾周遊旅行に行くことにしました。昔ボストンに留学した際に台湾人の友達が出来たのですが、その友人が大学院を卒業したあと、2006年に来日して日本の語学学校で日本語を1年間勉強した際に、その子を通じて台湾人の友人が沢山出来ました。日本語を勉強していた友人ばかりなので日本語で会話出来ますし、何でも通訳してくれるので困ることは何もありません。みんな優しく親切な友人ばかりで、ぜひ自分の家にと言って泊めてくれますし、家族の方々にもとても暖かく迎えて頂きました。台湾の人たちは親日的な人が多く町の人もみんなフレンドリーですし、この国に友人が出来たことはすごく幸せなことで、本当に良い出会いに恵まれたと思います。

この旅行では台北を中心に、九份、基隆、烏来、淡水、三峡、鶯歌、そして台湾中部の人気の観光地である日月譚(リーユエタン)を巡りました。移動は友人たちが運転してくれたので、本当に快適な旅です(台湾は日本とは逆の右側通行なのに加えてオートバイが非常に多く、慣れない日本人が運転するのは困難です)。旅行も半分が過ぎた日月譚からの帰り道に、僕らは客家(ハッカ)の人たちが住む内湾(ネイワン)という小さな町に立ち寄りました。客家と言うのは漢民族の中でも中原発祥の中華文化を守ってきた正統な民族で、そのルーツを辿ると古代中国の中原や中国東北部の王族の末裔であることが多く、多くの家に古代からの族譜があり祖先信仰が強く風習を頑なに守ってきたため、移住先では住民から“よそ者”とされ「客家」と呼ばれることになった人々で、今でも独特の言語と文化を受け継いでいて、内湾はそうした人たちが集まっている町だそうです。町は日本のガイドブックに載っているような有名な観光地ではないものの台湾では人気の場所のようで、メインストリートは沢山の人で賑わっていて、お土産屋さんやレストランも沢山あり、台湾の友人が連れて行ってくれなければ訪れる事は出来なかったであろう貴重な所でした。しかしこの小さな町で、旅慣れた僕にとっても初めての経験となる事件が起こります…

内湾のメインストリート

町には名所の一つとして立派な吊り橋があり、メインストリートを散策したあとその橋を渡って夕飯にしようということになりました。「せっかくだから、橋の上で皆で記念写真を撮ろう」と思っていたのですが…橋をみんなで渡り始めたその時、何を思ったのか、1人が急に走り始めたのです。実は彼女は極度の高所恐怖症で、怖いので下を見ないで走り抜けてしまおうとしたらしいのですが…

「おいちょっと待て皆で写真を…」と思っていた僕は慌てて追いかけようとしたのですが、当時27歳だった僕は久しく走ると言う行動をしておらず、情けない事に足がもつれて転倒してしまったのです…もう若い時のように体が思い通りについて来る年齢ではなかったようで…(さすがに20代後半でこれは情けないですが、皆さんも気をつけて下さい。体はいつか言うことを聞かなくなる時が来ます…)転倒した時は痛いと言うよりまず恥ずかしいと言う感情が先に来ました。なんてカッコ悪いんだろうと思いましたが、立ち上がった時に恥ずかしいでは済まなかった事に気付きました。転倒の仕方が悪かったようで足を捻っていて、立ち上がった瞬間に激痛が走りました。僕が転倒したので驚いて戻って来たので写真は撮れたものの、歩くのもままならないほど酷く捻ってしまい、激痛を押し殺して夕飯に向かいましたが皆について行くことが出来ず1人どんどん遅れてしまいます。台湾の友人が1人気付いて一緒にゆっくり歩いてくれましたが、その激痛具合に軽傷ではないことはすぐに分かり、正直「骨が折れたのかも…」と思うほどでした。怪我の具合が心配でその後は客家料理の夕食も友人との会話もまったく楽しむことが出来ず、落ち込んだ気分のまま台北に帰り着いた僕は、夜も深くなっていたので友人に頼んで薬局へ行ってもらいました。

客家料理。しっかり味わう余裕はありませんでした…

薬局で靴下を脱いでみると、足はかつて見たことが無いほど膨れ上がっており、僕の気分は更に沈みました。ひょうきんな薬局の店主は湿布薬を持って来て、「これは物凄い効くんだ!明日には治っちゃうだろうね!治らなかったら湿布では治らない状態ってこと!」などと陽気にサラッと言ったのを聞き、僕の不安は更に更に深まりました…。翌朝に腫れが引くのを祈って眠りましたが朝起きても足の様子には全く変化がなく、その日は台南に行く計画でしたがさすがの僕も病院に行かないとマズいと判断し、友人に頼んで病院へ連れて行ってもらう事になってしまったのです…

まず病院に行く前に旅行保険の確認をしました。病院によっては保険会社が治療費を立て替えてくれる所もありますが、日本のコールセンターに問い合わせたところ台北には提携している病院がなく、実費で支払いをして日本で請求をすることになりました。(旅行保険を請求する時は病院に行く前にまず一報する事をお勧めします。事後請求だと保険が降りない可能性もあります。)健康保険制度がしっかり整っている日本ではイマイチ実感出来ませんが、医療費は実費で支払うとかなりの高額になります。日本は3割負担ですので少なくともその3倍以上、国によっては更に高額な所もあります。実費負担も不安でしたが足の状態はそれ以上にずっと不安で、大きな総合病院に連れて行ってもらい診察を受けると医師はレントゲンで判断すると言いました。レントゲン撮影を終えて医師が写真を見ている時に、僕の緊張はピークに達しました…折れているのか…大丈夫なのか…

レントゲンを見た医師は僕が日本人だから漢字が分かるだろうと思ったのか、紙を取り出し、そこに「没問骨」と書きました。「没」と「骨」という字を見た僕は血の気が引くのを感じたのですが、友人がすぐに「骨は大丈夫」と教えてくれました。「没」は中国語で「無い」と言う意味なんですね…骨折は免れたものの重度の捻挫とのことで、医師は足首を固定した方が良いと言い、巻き付けたらカチカチに固まるバンドを巻くことになりました。費用も2万円弱で収まり事なきを得ましたが、足を固定してしまったので歩くことが出来ず、友人に車椅子を借りてもらい、その後の旅行は車椅子で押されて周るということに…台湾人の友人はみんな車椅子を押そうとしてくれましたが、僕はあまりの申し訳なさに言葉がありませんでした…台北101では車椅子で訪れたため料金が障害者割引になり、エレベーターも待たずに優先的に乗せてもらうことに(苦笑)かくしてこの台湾旅行の後半はほとんどを車椅子の上で過ごしました。有名な士林夜市の人混みも車椅子で移動しましたので、周りからは大層奇妙なグループに見えたことと思います(苦笑)

坂で有名な九份は、車椅子と松葉杖には厳しい場所…
友人は夜市の人混みもずっと車椅子を押してくれました。左足は靴を履けない状態…

こうして台湾の友人に徹底的にお世話になった旅行は終わりました。空港では出国の際も日本に入国の際も、空港職員に押されて特別レーンでの優先審査でした。イミグレーションに並ばないという経験は、後にも先にもこの時だけです(苦笑)空港に迎えに来てくれた両親は車椅子に乗って出て来た僕を見て大層驚きましたが…(笑)足をキツく固定し過ぎたのか僕の足は帰国の頃には紫色に染まり、翌日すぐに日本の病院で診察を受けました。完治までは3〜4週間を要したと思います。

こうして海外で怪我をして病院へ行き、保険を請求したことで分かった事がいくつかあります。怪我をした際はまず保険会社に一報しなければならないこと、旅行保険で一定以上の金額を請求すると、次の旅行の際は保険に入り難くなることなど…(保険に入る際に「以前に○万円以上の保険金を申請したことは無い」という欄があります。この時はギリギリ基準額以下でしたが…)

もし病院のないような僻地で怪我をしてヘリコプター搬送をされたりすると、何百万という請求が来るそうです。近年は多くのクレジットカードに海外旅行保険が付帯していますが、保障金が十分で無かったり審査が厳しかったりしますので、やはり海外旅行の際は保険に入ることをお勧めします。もちろん、怪我をしない様に慎重に行動することがまず大事だというのが、この旅行の教訓だったのですが…(苦笑)

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お台場に「自由の女神」がある理由

皆さん、「自由の女神」って、世界に一体いくつあるか、ご存知でしょうか?

「あれ、そういえばお台場にもあったような」と気付かれる方もいらっしゃるかも知れません。実のところ、偽物やレプリカは世界中に無数にあり、数えることは困難を極めます。実は日本にも、青森県のおいらせ町や北海道の函館などにもレプリカが存在します。ここでご紹介させて頂きたいのは、「公式な」自由の女神像は、世界にいくつあるかと言う点です。

<ラスベガスのホテルにあるレプリカは低クオリティ…>

世界で最も有名な自由の女神像は、世界遺産にも登録されており、ニューヨークのシンボルとなっている有名なものであるのは間違いないでしょう。もしかしたら、アメリカ人でも本物の自由の女神はニューヨークにしかないと信じている人がいるかも知れません。自由の女神は英語では”Statue of Liberty”と呼ばれています。”statue”は「像」を意味する単語で、”liberty”は「束縛からの解放と自由」を表す単語です。つまり直訳すると「自由の像」なんですね、女性の像なので日本語では「自由の女神」と呼ばれていますが、英語ではあくまでも”Statue of Liberty”です。

<ニューヨークの自由の女神像は合衆国のシンボル>

このニューヨークの自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立100年を記念して、独立運動を支援したフランス人たちの募金によってパリにて建造され、完成の後に1886年にアメリカ合衆国へプレゼントされたものです。アメリカ合衆国の象徴のイメージが強い自由の女神像ですが、その生まれ故郷は実はフランスなんですね。

実は、世界にはもう一つ、「公式な」自由の女神像と考えられているものがあります。それは女神像の生まれ故郷である、フランス・パリのセーヌ川のグルネル橋のたもとに設置されているものです。大きさは高さ11.5メートルとニューヨークのものより小さいこの「パリの自由の女神像」は、フランス革命100周年を記念して、パリに住むアメリカ人たちによってニューヨークの女神像に対するお返しとして、1889年にパリへと寄贈されたものです。つまりアメリカ人とフランス人は、お互いに自由の女神像をプレゼントし合ったんですね。ですので、「公式な」自由の女神像と考えられるものは世界に2つ、と言うのが正解と言えるでしょう。その他のものは全てレプリカという事になります。

<パリの自由の女神像はセーヌ川の中州にある>

「あれ、じゃあお台場にある自由の女神は、やっぱりただの偽物なのかあ」と思った方、ちょっとお待ち下さい。確かに完全な「公式な」ものとは言えませんが、逆に完全な「偽物」とも言えない代物なのがお台場の女神像です。

まず、なぜお台場に自由の女神像が設置されたのか、その経緯をたどってみることにしましょう。お台場に初めて自由の女神像が設置されたのは遡ること1998年、日本におけるフランス年事業の一環として、本物の「パリの自由の女神像」が約1年ほど設置されたのが始まりです。本物の自由の女神像をパリから輸送して設置し、除幕式には当時の首相であった橋本龍太郎とフランスのシラク大統領も出席して、盛大に点火が行われました。日本は地震国であるため本物の自由の女神像に何かあってはならないと、設置する台座は耐震構造で入念に設計され慎重に設置されたそうです。つまりお台場には「本物の自由の女神像」が1年間、ちゃんと存在していたのです。

ところが…残念なことにこの女神像はパリの大切なものですので、やはり1年後には帰国し、元の場所に戻されてしまいました。しかしこの事業が好評を博したため、「お台場にも自由の女神像が欲しい!」と言う機運が高まり、その後フランス政府からレプリカの制作が認められたため、フランスのクーベルタン鋳造所にて複製されたブロンズ製のレプリカが、2000年に改めてお台場に設置されました。このフランス政府公認のレプリカは実際にパリの本物の自由の女神像から型を取って鋳造されたため、パリにあるものと全く同じ形の、パリ生まれでフランス政府公認の「東京の自由の女神像」なのです!もちろんアメリカとフランスがそうしたように「寄贈されたもの」ではないため公式な像にはカウントされませんが、フランス政府が公認した「準公式の」自由の女神像と言えるものです。これは日本人にも、フランス人にもほとんど知られていない事実で、お台場の自由の女神は決して「偽物」ではないのです。「世界で3番目の自由の女神像」と言っても過言ではないでしょう。

<東京の自由の女神像はフランス政府公認>

僕が10年ほど前に米国西海岸へ留学した際に、ホームステイした家のルームメイトがたまたまフランス人の青年でした。彼の名はセバスチャンと言い、週末に一緒に旅をしたりと割と親しく付き合ったのですが、ある日、自由の女神の話になり「そういえば、東京にも自由の女神があるんだよ」と彼に伝えたところ、彼は笑いながら「バカなことを言わないでくれ、自由の女神は世界に2つだけだ(笑)」と言ったのです。その時、僕はお台場になぜ自由の女神像があるのか、その経緯を知らなかったため、「いや、本当にあるんだって!」としか言えなかったのですが、一方で「ただのレプリカなのかな」とも思い、セバスチャンも全く信用していない様子だったのですが…。帰国してある日、お台場を訪れた際にこの自由の女神像がフランス政府公認のものであることを知り、「ちくしょう、あの野郎!フランス政府公認じゃないか!(笑)」と、今では非常に悔しく思います(苦笑)何しろこのように、日本人にもフランス人にもその経緯と正統性がほとんど知られていないのが、お台場にある「世界で3番目の自由の女神像」です。日本政府はもっと積極的に働きかけて、フランス政府と共に「自由の女神は世界に3つ、ニューヨーク・パリ・東京にある」と宣言したら良いのでは、と思います(笑)

<パリ出身のセバスチャンも東京の女神像の事は知らず>

このように、お台場にある自由の女神像は意外にもれっきとしたものです。皆さんもフランス人やアメリカ人と出会った際は、しっかりとその正統性を教えてあげてください(笑)「フランス政府公認の自由の女神」ですから!

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必ず3時間遅れるフライト(ネパール編)

2011年の12月、僕はインドとネパールを訪れたのですが、今日は何とも呑気なネパールのフライト事情について書きたいと思います。

インドから陸路でネパールへ入国した僕らは、仏陀生誕の地であるルンビニから、首都であるカトマンズへ飛行機で向かう計画でした。バスもあるのですが、優に6時間はかかるしお腹を壊しているかも知れないし…ということで飛行機を選択し調べたところ、ルンビニからカトマンズへのフライトは(2011年時点では)イエティ航空があるのみでした。インターネットの口コミには、「必ず朝一番のフライトを予約しておくこと、遅延します」とあり、何故だろうと思いつつ僕らは朝8時のフライトを予約することにしました。

ルンビニの記念公園を散策してホテルに戻った僕らは、翌朝7時に空港に行きたいから送迎して欲しいとホテルで相談したところ、ホテルのスタッフは何故か「そんな時間に行っても飛行機は飛ばないよ」と言います…。そうは言っても「8時のフライトなんだから7時に」と思うのは日本人だからでしょうか…。とにかく頼み込んで朝6時にホテルを出発してもらえることになり、とりあえずホッとしたのですが…

翌朝7時に空港に到着すると、フライト1時間前なのにも関わらず空港には誰もいません。カウンターの奥にいたスタッフにチェックインを頼むと、「This flight is delayed.」と…原因は空港に到着した際に分かったのですが、毎朝、深い霧に空港が包まれて離着陸する事が出来ないのです。だからホテルのスタッフは朝行っても無駄だと言ったのだと分かりましたが、それでも予定時間が8時なら7時に行かないといけないと思うのは、日本人だけなのでしょうか…

<霧で覆われた空港>

毎朝飛べないなら8時のフライトを設定するなよ…」と思いながらどのくらい遅れるのか尋ねると、「お天気に聞いてくれ」などと言います…1時間待ち…2時間経った頃に霧が晴れて来たため、そろそろかなと思いきや、「今から飛行機がカトマンズから来るから」と言われ…結局3時間遅れのフライトになってしまいました。朝一番のフライトを予約しておけば、昼にようやく出発出来る、だから必ず朝のフライトを予約しておかなければならない…昼のフライトだと夜になる…インターネットの口コミはこう言う事だったのかと、妙に納得しました…

カトマンズに3時間遅れで到着した僕らは荷物受け取り所のショボさに驚愕したのですが、話はこれで終わりませんでした。僕らの荷物を運んで来た車が何故か受け取り所で荷物を降ろさず通り過ぎたのです。「どこへ持って行くんだ」と追いかけると、なんとツアーバスの横で直接バスに荷物を積み込もうとしています。確かに他の乗客は全員タイ人のツアーだったのですが…危うく荷物と永久に別れるところだったのは想像に難くなく…

<荷物受け取り所へ荷物を運ぶ>

俺たちの荷物を返せ」と交渉してようやく自分の荷物を取り戻した僕らはホテルの送迎タクシーを探したのですが、3時間遅れでは流石に待っていないだろうと思いきや、なんとちゃんと待っていました。それとも遅れるのを見越して来たのでしょうか(汗)ネパールではこれが普通なのでしょうか…常識と時間の感覚が違い過ぎると思わされました…。

途上国では時として自分の常識を超えた事が起きますが、それも旅の楽しみと言えるのかも知れません。このブログをお読みになる方にはぜひ、旅のトラブルも楽しんで頂きたいと思います(苦笑)ところで、この単語は必ず覚えておきましょう

delayed「遅れている」

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ネパールのストライキ

このブログは2011年の12月にインドからネパールを旅した際の体験です。ぜひ「インドの食あたりその2(2011年編)」から続けてお読みください。

前日にインドでホテルの弁当に食あたりし、なんとか国境近くのホテルにたどり着いた僕は友人に薬を飲ませて、なんとか翌日には移動出来る程度に回復しました。この日はスノウリから約20km離れた、仏陀生誕の地であるルンビニを訪れ、翌日の飛行機でカトマンズへ行く予定でした。

朝、まだ青白い顔をしていた友人はバナナ1本しか食べることが出来ず体調が心配だったのですが、この日にルンビニへ行かないともう訪れる機会はないだろうと思い、「まあ、20kmならタクシーで1時間もあれば着くだろう」などと楽観視していました。ホテルをチェックアウトしてフロントでタクシーを呼んでくれと言うと、「今日はタクシーはないよ」と言います。「え?じゃあバスか何か?」と尋ねると、「バスもない」と。「え、何か交通手段は?」と聞いたら、「今日はストライキだから、国中何もないよ」という驚愕の返答が…

翌日の飛行機でカトマンズへ行ってしまうからどうしてもこの日にルンビニへ行きたかったので、ホテルのスタッフに何か方法がないか尋ねると、「リキシャーなら捕まるかも」と言います。「リキシャーか…快適じゃないけどしょうがない…」と思いましたが、とにかく捕まえてくれと頼むと、何とやって来たのはバイクのオートリキシャーではなく、自転車のサイクルリキシャーだったのです、しかも細くて歳をとった運転手の…

<サイクルリキシャーの運転手>

これで20km移動するの…?マジか…?」と思いましたが、他に手段はないとホテルのスタッフが言うので、どのくらいかかるか聞いた所、「まあ、1時間半くらいじゃない?」などと適当な事を言います…(20kmと言えば、東京からだと横浜の手前まで行ってしまう距離です、それを自転車とは…)しかし他に手段はなく、かくして大人2人と荷物3つを載せたサイクルリキシャーの旅が始まった訳です…

<荷物を載せるとこの状態>

何しろ重いので、リキシャーは中々進みません。運転手も「どうしてよりによってこの人を捕まえたんだ…」と思うほど頼りなく、上り坂になると最早こぐことも出来ません。本当に1時間半で着くのかと思っていたら、1時間半後に何やら10kmという標識が…そうです、ようやく半分です…。結局ルンビニまで3時間冬の風が吹きつけるサイクルリキシャーの上で過ごすことに…唯一の救いだったのは、体調不良の友人はずっと眠っていたことでしょうか…

<道端には貴重な光景も>

何とかルンビニのホテルにたどり着くとすぐに記念公園を見に行こうとしたのですが、リキシャーの運転手が「もう疲れたから行くのはイヤだ」と言い始めました。実は最初に料金を交渉した際は、ルンビニまで行って、記念公園の中を周って30ドル(値段は定かではない)と決めたのです。記念公園を周るリキシャーの値段は一律いくらと決まっているので、「じゃあもういいから、記念公園の分10ドルは払わないよ」と言うと、運転手はそれじゃ少なすぎるとゴネ始めます…ホテルのスタッフに通訳してもらい散々揉めましたが、結局25ドルほど払ってあげる事になりました。まあ3時間大人2人荷物3つを運んで、また3時間かけて帰る訳ですから…ホテルのスタッフも「リキシャーでスノウリから来たの!?」と驚く始末。でもおそらく、彼は1日で1週間分の稼ぎを得たのではないかと思います…

<ルンビニ記念公園>

途上国でのトラブルは何が起こるか想像もつきませんが、そんな時に重要なのは交渉力です。英語が上手ければ良いと言うよりは、臆せず何でもハッキリ主張することが重要かも知れません。途上国の個人旅行はトラブル続きですが、ぜひチャレンジしてみて下さい。

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悪質なタクシーを英語で撃退する(カルカッタ編)

2011年の年末年始にインドからネパールを回ったのですが、何しろインドの旅はトラブルの連続で挙げて行くとキリがないほどで、その中でもインドのタクシー運転手はかなり悪質な者もいて、スムーズに済んだ時の方が少ないほどでした。今日はインドのタクシー事情と、運転手と揉めた際に使用した英語表現をご紹介いたします。

バンコクからLCCでコルカタ(カルカッタ)に到着した僕らは、空港からホテルまでタクシーを利用しました。インドの空港では多くの町で空港で市内までの料金を前払いするプリペイドタクシーが利用出来ます。邪推になりますが、前払い方式にしておかないと、到着の際に法外な値段を要求するタクシー運転手が続出するのではないかと思います…ですのでプリペイドなら取り敢えず値段に関しては安心して利用出来ます。

<ムンバイ空港のタクシー乗り場で待ち構えるインド人たちと、ゴア空港のプリペイドタクシーのカウンター>

ホテルまでの料金を前払いしてタクシー乗り場に向かうと、黄色に塗られた古いタクシーが行列していました。ムンバイ(ボンベイ)もそうだったのですが、インドのタクシーは本当に走れるのか不安になるほど古い、博物館にでもありそうな化石のようなタクシーばかりです。ムンバイの空港では外に出たらチップ目当てに強引に荷物を奪って運ぼうとする輩に囲まれて振り払うのが大変だったため、友人には荷物は絶対に手放さない様に言って身構えて外に出たのですが、カルカッタではその様な輩が少なく少し拍子抜けするほどでした。何しろインドのタクシーは悪質で有名で 、デリーでタクシーに乗る際にうっかり「初めてデリーに来た」と言うと、そのまま旅行会社に連れて行かれて市内ツアーを押し売りされ離してくれないそうです…もちろんタクシーの運転手は客を斡旋して手数料を稼ぐのが目的ですので、頼んでもいないのに強引に連れて行かれるとか…

<カルカッタのタクシー。展示用でなく現役で走っています…>

荷物を積んでタクシーに乗り込み運転手にホテルの名前が記載されたレシートを渡すと、運転手はホテルがどこなのか分からない様子で、どこかに道を聞きに行ってしまいました…しばらくして戻ってきてようやく出発したのですが、1分ほど走ってはまた車を止めて場所を聞きに行ってしまいます…どうしてタクシーの運転手なのに道が分からないのかとお思いになるかと思いますが、インドのタクシー運転手は道を知らない運転手ばかりで、タクシーに乗るとかなりの確率でこの様な行動に遭遇します…この運転手は結局場所が分からなかったのか市内に到着してからも2度ほど道を聞きに出て行ってしまい、散々迷った末に何とかホテルに到着しました…これがプリペイドではなくメータータクシーだったらと考えると恐ろしい限りです。

<道を聞きに行って空になった運転席。オートリキシャーは安いが長距離は走ってくれない>

市内では主に料金の安いオートリキシャーで移動したのですが、あるお寺から有名なモスクに移動しようとした際にリキシャーには遠すぎるからと何度も断られてしまい、仕方なくタクシーに乗ることにしました。流しのタクシーに乗る時は大体乗る際に料金を交渉して乗ることになるのですが、外国人には当然の様に高い値段をふっかけて来ますので交渉も一苦労です…ただメーターを回されたらどうなるか分かりませんので、割高に感じても料金を交渉して乗る方が良いかと思います。

目的地はガイドブックにも載っている有名なモスクだったのですが、相変わらずのように運転手は場所を知りませんでした…地図を見せて走り始めたものの正確には場所を把握していなかったようで、道に迷いあちこち回ったり道を聞きに行ったりして、ようやくたどり着いたのは良かったのですが、交渉して決めた料金を払って降りようとすると運転手は「たくさん走ったからもっとよこせ」と言い始めたのです…そんな後から要求されたお金は払えませんし、そもそも道に迷ったのは運転手のせいで払う義理は全くありません。「迷ったのはあなたのミスでしょ?」と言いましたが運転手はしつこく追加料金を要求して譲らず次第に口論になり、とうとう僕は怒りが限界に達して「It’s your fault, IT’S YOUR FAULT !! OK!!??」(それはお前の責任だろ!! 分かったか !?)と怒鳴りつけて最初に決めたお金を叩きつけて強引にタクシーを降りました。余分な料金は払わずに降りたものの、しばらく怒りで気分が悪かったのは言うまでも無いかと思います…

インドには良い人もいるのでしょうが、観光客と関わる人間は総じてしたたかだったり悪質だったりすることが多く、次から次へとトラブルに遭遇しますので本当に疲れます。ですが時には喧嘩してでもハッキリ主張しなければ言いなりにボラれてしまいますので、この様なキツい言葉も覚えておくと良いと思います…それも怒鳴るくらいキツく言ってやりましょう…口に出して練習してみてください、

「It’s your fault !!」(それはお前の責任だ!!)

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インドの食あたりその2(2011年編)

2011年の12月、僕らはインドとネパールを周ることにしました。僕は3年前のインド旅行でひどい食あたりに遭い命からがら帰国した経験からインドを訪れるのは正直イヤだったのですが、友人がどうしても行きたいと言うので渋々承諾しました。

詳細は「インドの食あたり(2008年編)」をご覧頂きたいのですが、インドで食べ物にあたるとその悲惨具合は日本とはレベルが違います。下痢と嘔吐を繰り返し身体中の水分が抜けて、高熱でもあるかのようにフラフラして歩くのもままならない程です。もちろん日本で市販している下痢止めや整腸剤は全く効きません。かと言って現地の薬を飲むのも怖いなと思った僕は、ネットでアフリカなどに渡航する方などが予防注射を射ったりする「トラベルクリニック」というものを見つけました。そこで強い下痢止めと抗生物質が手に入るということで、あらかじめ薬を用意することにしました。

トラベルクリニックを訪れ下痢止めセットを10日分ほど購入してお会計に進むと、なんと1万円だと言います。「そんなに高いの!?」と思ったところ、薬の事前処方は症状がないため健康保険の適用外とのこと。お財布は空になってしまいましたが、後々この薬に救われることになります。

こうしてインドに再び足を踏み入れた僕らは、コルカタ〜バラナシ〜サールナート〜クシナガラとヒンドゥー教と仏教の聖地をめぐり、ゴラクプルからスノウリを経由して陸路でネパールに入国する計画を立てました。気をつけたことは、ホテルのミネラルウオーター以外は飲まない、ガイドブックに記載のないレストランで食事しない、町中や駅で売っているものは食べないなど、衛生面を徹底した上で移動もトイレのある飛行機と鉄道のみとしました。

旅はトラブル続き(他のインド関連ブログ参照)でしたが、なんとか予定通りに仏陀が亡くなった地であるクシナガラに到着しました。クシナガラは小さな村で、外国人が快適に宿泊出来るホテルは一軒しかありません。翌日ゴラクプル経由で鉄道でナウタンワまで行きネパールへ抜ける予定だった僕らは、このホテルでランチボックスを作ってくれないか頼みました。メニューはチキン、マフィン、オレンジ、そして何故かおにぎりでしたが、「これで無事にインドを抜けられる」とホッとしました。この弁当が再びの悲劇を導くとは疑いもせず…

<ホテルで注文した弁当>

鉄道の中でお弁当を食べ、ナウタンワからリキシャーでスノウリに入り無事にネパールに陸路で入国した僕は正直作戦勝ちを確信していたのですが、ネパールのイミグレーションで入国手続きをしていると友人が気持ち悪いと言い出しました。僕は何とも無かったのでとにかく急いでホテルへ向かおうとタクシーを探していたら、後ろにいたはずの友人が見当たりません。遥か後方に彼を発見した僕は戻ってどうしたのか尋ねると、なんと路上で吐いてしまったと言います。ホテルの部屋にたどり着くと、今まで一度もお腹を壊したことのなかった彼がトイレから出て来ません。嘔吐と下痢の症状はまさに3年前に僕が経験した「インドの食あたり」でした…しかしまさかホテルの弁当で当たろうとは…やはりインドはインドということでしょうか…

<インドのイミグレーション>

しかしこんな時のために用意した高価な薬です。飲ませておとなしく休んでいたら、友人は丸一日ベッドから立ち上がることが出来なかったものの翌日にはなんとか移動出来る程度に回復しました。まさに薬に救われた訳ですが、一体弁当の何が悪かったのかは謎のままです。彼が食べて僕が食べなかったのはマフィンだと言うのですが、果たしてマフィンでも当たるのがインドなのか、はたまた僕には3年前に抗体が出来ていたのか…いずれにせよインドの食あたりの洗礼からは逃がれられないのだと痛感しました…

<国境近くのホテル>

余談ですが、トラベルクリニックの薬は高いので、薬を用意する時はかかりつけの医院で出してもらう方が安く済むかもしれません。ただインドの食あたりは菌によるものなので、抗生物質がないと効きません。お医者さんには、「インドでも通用する」1番強い薬をリクエストしましょう(苦笑)

「ネパールのストライキ」に続く

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スピード違反で捕まった(フロリダ編)

2013年の年末から14年の年始にかけて、アメリカのテキサス州・ルイジアナ州・フロリダ州をレンタカーで周りました。13日間の旅行は良いことも悪いことも盛り沢山でしたが、色々な意味で最も記憶に残ったのは、フロリダで「スピード違反の取締り」に引っ掛かった事です。

(フロリダ南部の地図 マイアミからキーウエストまで約4~5時間のドライブ)

12月31日、旅行も終盤に差し掛かった大晦日の朝、僕らはアメリカ最南端の島、キーウエストを早朝に出発し、マイアミビーチを目指しました。キーウエストとフロリダ半島の間は片道1車線のUS-1号線があるだけなので、混まないうちに抜けてしまおうとしたのが間違いだったのかも知れません。早朝なので車は少なく、時速45マイル(72km)で順調に走っていました。二時間半ほど走りもうすぐフロリダ半島に入る所で、ガソリンスタンドでトイレ休憩を取りました。この休憩が運命の分かれ道だとは知らず…

(フロリダ半島からキーウエストまで続くUS-1号線。海の上と連なる島々を抜けて行きます)

休憩を終え、マイアミまでもう少し、「さあ急ごう」と僕はスピードを45マイルまで上げて行きました。その時、前後には全く車がいませんでした。時速45マイルにスピードが達した時、急にルームミラーに赤と青の光が映りました。どこかで見たことのある光…「そう!パトカーだ!」と気づいた時は既に手遅れです。ガソリンスタンドの近くで隠れていたスピード違反の取締りに引っ掛かってしまいました…

実は、アメリカでスピード違反で捕まるのは2度目でした。さかのぼる事10年以上前、初めて留学した時にカリフォルニアで捕まった事があります。(その時のことはまた改めて書こうと思います。)それ以降、アメリカの取締りが厳しい事は知っており気をつけてはいたのですが、ふと気が緩んでしまいました。

(取締りのパトカー。赤と青の光の点滅が後ろに見えたら素直に諦めましょう)

「ああ、しまった!」とは思いましたが、以前に捕まった経験があったこと、前回の罰金はクレジットカードで払えたことから、その時はそれ以上深い心配はありませんでした。車を止めると警官がパトカーから降りて来ます。窓を開けると彼は「Hello, how are you?」とまるでお店の店員のように気さくに話しかけて来ました。スピード超過の旨を伝えられ、日本の免許証とレンタカー会社発行の免許証の翻訳文(州によりますが、アメリカでは国際免許証の代わりにこのような翻訳文を使う事ができ便利です。あくまで有効なのは、日本の免許証原本とされています)を渡すと彼はパトカーに戻り違反チケットを作成して戻って来ました。スピード違反の手続きは一応、違反した地区の裁判所への出頭となるのですが、旅行者などは行ける訳もないのでその時間が無いと伝え、罰金の額を尋ねたところ、なぜか「分からないから1月2日以降に電話してくれ」と言います。聞いたところによると31日と1日は祝日のためオフィスが閉まっていると… 「オフィスは休みなのに取り締まりはしっかりやるのかよ…3日の飛行機で日本に帰るんだが…」と手続きがすぐに出来ないことに不満を覚えましたが、「まあカード番号を電話で知らせれば済むだろう」と、その時は深く考えずにその場を離れました。

マイアミに到着し、ホテルのコンシェルジュにチケットの処理方法を尋ねると、コンシェルジュはチケットを読んで「ここの地区のチケットはどうやらカード払いが出来ないようだ。1番簡単な方法はマネーオーダーを購入して送ることだ」と言います。10年以上前でもカードが使えたのに、なんてド田舎の警察署だ…と呆れましたが、その「マネーオーダーって何だ?」という所から始めなければなりませんでした…聞いたところ、マネーオーダーは公共のスーパーやドラッグストアで手続きをする小切手のようなもので、それを購入して郵送しなければならないと言います。ですが罰金の額が分からなければマネーオーダーを購入することも出来ず、結局2日までは出来ることは何もないと…

日本に帰る前日に、朝オフィスが開くのを待って電話をし、マネーオーダーを購入出来る場所を探して手続きをして、さらにそれを郵送する…最低でも2時間はかかるだろう… 罰金を払うことより、旅行の限られた貴重な時間を奪われ、そのせいで行かれるはずの場所が減るだろう、その事が何より頭に来ました。もちろん自業自得なのは頭では分かっていましたが、不満をぶつける場所もなく、街は新年のカウントダウンで盛り上がっていましたが、天気が悪かったのも拍車をかけその日1日は暗い気分を抜くことができませんでした…

2日の朝、コンシェルジュで罰金の額を確認してもらい、マネーオーダーを探しに出掛けたのですが、何しろマイアミビーチは観光地なので、大きなスーパーというものが中々ありません。ドラッグストアで断られ、銀行で断られ、30分ほど歩いてようやくマネーオーダーを扱うスーパーを発見しました。急いでホテルに戻り、コンシェルジュに世話になりつつ書類を記入し、ポストへの投函はホテルに頼み、ようやくチケットの処理を終えることが出来ました。やはり2時間ほどロスしたのに加え、罰金280ドルにタクシー代にコンシェルジュのチップと散々でしたが、実はこの不運が思わぬ出来事に繋がったのです。

(苦労して探したマネーオーダーとお世話になったマイアミビーチのホテル)

コンシェルジュでチケットの処理をしていた時に、1人の他の若いホテルスタッフが話しかけて来ました。「ああ、スピード違反のチケットだね、運が悪かったね…。ホリデーシーズンは取締りが多いんだ、僕の兄弟は1年に何度も捕まってるよ」「どこから来たの?」などと話してくれ、僕らが日本から来たと言うと、彼は「実は僕は日本の文化に興味があって日本語を学んでるんた。いつか日本にも行ってみたいよ」と話してくれました。感じの良い好青年だったので、僕は自分のメールアドレスを渡して「日本に来る時は連絡を下さい、東京を案内しますよ」と伝えると、彼も自分のアドレスを教えてくれました。彼は僕らの荷物を車まで運んでくれ、一緒に写真を撮り、お互い「See you again!」と約束をして別れました。

彼とは今でもメッセージのやり取りをしますが、「初めて日本人の友達が出来たから、とても嬉しいよ!」と言ってくれます。スピード違反については散々でしたが、そのおかげで新しい友人が出来たのだから、結果的には良かったのだと今は思っています。次に彼に会った時はきっと、田舎町のパトカーに感謝出来ることでしょう(笑)

<アメリカで運転する際は>

※ 駐車違反スピード違反に気を付けましょう。どちらも取締りは厳しく、駐車違反は違反すればほぼ確実に取られます(頻繁に巡回している)。スピード違反は特に早く走行している車を捕まえるのではなく、5マイルでもオーバーしていればパトカーが最初に見つけた車が捕まります(見せしめの要素が大きい)。前後の車が速く走っているときは、列の一番前や後ろを走らないようにしましょう。また田舎の町中など制限速度が下がっている区間、ホリデーシーズン、周りの車が妙にゆっくり走っている時は要注意です。また必ず「日本の免許証」と「国際免許証または公的な翻訳文」を所持して下さい。レンタカー会社によっては日本の免許証の提示だけでレンタカーが借りられる場合がありますが、万が一の事故や違反時に英文の免許がないと大変なことになります。また英語ができないフリをして見逃してもらったという経験談を見た事がありますが、これは警官によっては警察署へ連行されるリスクがある事を覚悟しましょう。

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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インドの食あたりその1(2008年編)

2008年の11月、僕は両親と共に初めてインドという国に足を踏み入れました。インドと言えば、暑くて、食べ物は全部カレーで、カーストと呼ばれる生まれながらの身分制度が今でもあり、人口が中国を追い越しそうなくらい多くて、空気や衛生状態が悪い…そんな前知識は持っていましたが、そんな秘境に行ってみたいとずっと思っていました。そこが想像以上に恐ろしい場所なのだとは思いもせずに…

インドと言えばバックパッカーの聖地。そして初めて訪れた人が必ず経験するのが「食あたりによる下痢」です。ガイドブックには「お腹は必ず壊すので諦めて下痢とうまく付き合いましょう」、などと無責任な事が書いてあります(苦笑)僕らはバックパッカーではありませんが、父は旅行会社で嫌と言うほどツアーの添乗をしていたので、家族旅行は当然のように個人旅行です。そのため「自分の身は自分で守る」しかありません。何しろインドでは、水道水を飲むのはもちろん、町中に売っているミネラルウォーターすら信用できません。入れ物だけ再利用して川の水を入れて売っているなんて話があるくらいで、スーパーでも水を買うときはフタが開かれた形跡が無いかどうか確認する必要があります。両親は「水は日本から持っていくものしか飲まない、歯磨きも日本の水で」と言ってトランクに水のボトルを詰め込んでいました。「さすがにそこまでしなくても…」なんて僕は思ったのですが、インド旅行はどれだけ対策を練ってもやりすぎることは無いのだと、後ほど嫌と言うほど思い知らされることになります…

<水は日本から持参か、ホテルのものをずっと持ち歩く>

旅行は香港乗り継ぎでムンバイへ入り、そこからフランシスコ・ザビエルの遺体が安置されたことがあるゴアへ、ムンバイ経由で飛行機を乗り継ぎデリーを観光して、デリーからタージ・マハルのあるアーグラーへ日帰りし、ムンバイ・香港経由で日本へ帰るというコースでした。香港・バンコクを経由したキャセイパシフィック航空でムンバイへ到着したのは夜。空港を出た瞬間、僕は今までに感じたことのない空気を感じました。「この国はヤバい」という空気を…

<冷房付き?のプリペイドタクシー。 トランクも閉まらないままひもで縛って発車…>

空港でプリペイドタクシーのチケットを購入した時、タクシーには冷房がついているとの事でしたが、実際の車を見て固まってしまいました。「この車、本当に走るのか?」、そういうレベルです。荷物も多い方では無かったのですが、なんとトランクに入りません。すると運転手はトランクのカバーが閉まらないので、ロープで縛り始めるじゃないですか…こんな状態で30キロはあろうかと言うムンバイの中心街まで行けるのか、本当に不安を感じました。走り出すと町は暗く、人が何もせずに道のわきでブラブラしていて、町並みはかつて見た事がないくらい古くて貧しく、本当にタイムスリップしたんじゃないか、そんな気分になりました。近代的なホテルに無事にチェックインした時は本当にホッとしたものです。

<ムンバイのタージホテルとスラム街で魚を売る人々。タージホテルでは帰国後テロで爆発がありました…>

<デリーの町中は牛だらけ。オートリキシャーには信じられない数の人が相乗りしていました…>

翌日からの旅は思いのほか順調でした。食べ物はカレーばかりながら安くて美味しく、ガイドブックに載っている店なら大丈夫だろうと、僕は好物のマンゴーラッシーなどを平気で飲んだりしていました。両親は「そんなの飲んで大丈夫か…」みたいな雰囲気でしたが、全くお腹を壊すこともなく、ムンバイ・ゴア・デリー・アーグラーと観光して、旅行も残り2泊を残すのみとなりました。その日本に帰国する前々日の夜、少しカレーに飽きた僕は、夕飯は中華を食べようと提案しました。ニューデリーのコンノート・プレイスと言う、ちょっとお洒落で高めのレストランが集まる場所で、僕らはインドではおそらく立派すぎるであろう中華料理レストランで夕飯をとりました。食べたものは、炒飯、麻婆豆腐、肉や野菜を炒めたものや餃子など、火の通っているものばかりでまさか食あたりするなどとは夢にも思わないものばかりだったのですが…

<この中華料理が原因なのかどうかは今も不明>

その日の夜中、僕はお腹が痛くなりトイレで目が覚めました。やはり下痢だったので、ああ、とうとう当たっちゃったか、最初はその程度の感覚でした。しかししばらくすると気分が悪くなり、吐いてしまいました。その後下痢と嘔吐を繰り返し眠ることが出来ず、朝には外に出るのも厳しい状態に…。両親は大丈夫な様子だったので、僕はチェックアウトまで1人でホテルで休むことにしました。胃腸薬、下痢止めなど飲みましたが全く効かず、体調は悪くなる一方です。両親が戻り昼食を食べに出たのですが、何しろ吐き気で食べることが出来ず、飲み物を飲んだらすぐにお腹を下してしまいます。昼食後お土産を買いに町へ出ましたが、頭は高熱でもあるかのように熱く足はフラフラして歩くのもままならず、貧血のように血の気が引いて気が遠くなり、お腹も痛くトイレも我慢できないので、僕は両親に頼んで残りの時間をホテルのカフェで休むことにしたのですが、水分を摂っても摂っても下してしまい、身体は脱水症状で全身から水分が抜け、力は入らず頭はクラクラしてもうろうとし、高熱でうなされているような、宙に浮いているような、まるで全身が自分の体ではないような感覚です。「これ、もしかして死ぬんじゃないか…、明日日本に無事に帰れるだろうか…」そんなことを本気で考えました。その夜LCCでムンバイに戻ったのですが、冷房の効きすぎた空港で飛行機が3時間も遅れ、ただでさえ瀕死だった僕はもう「生きるのか、死ぬのか」、そんな状態でした。新聞紙を体に巻いて寒さをしのぎ、やっとの思いで乗り込んだLCCには毛布もなく、父がジャケットを貸してくれましたが、「命からがら逃げ帰る」、まさにこの言葉がピッタリで、飛行機から降りる際は階段から落ちてしまい、周りから「Are you okay!!??」と叫ばれる始末…。翌日ムンバイの空港でキャセイパシフィックの飛行機を見た時、そして飛行機から香港の街が見えた時、文明の有難さをこんなに実感したことはありませんでした…インドから「救出された」のだと…

<この飛行機を見た時は涙が出そうになりました…香港の街が見えた時は「ああ、これで助かる」と…>

ちなみに、母親は帰国の前夜、父親は帰国の翌日にやはりお腹を壊しました。僕は症状が最も酷く、日本に帰国してからも下痢が約2週間続きました。トラウマでそれまで大好きだったインドカレーもかなりの期間食べることが出来ませんでした。「もう二度と、インドには行かない…」少なくとも2年くらいはそう決意していたと思います(苦笑)インドで食べ物に当たると「お腹を壊した」程度の症状では済みません。もしツアーに参加するのであっても、医者が処方するような強い下痢止めと抗生物質を持って行くことをお勧めします。(その後、2回目のインドの旅では薬に救われることになります。2度目の食あたりについては「インドの食あたりその2(2011年編)」もぜひお読みください。)

インドは、非常に魅力的な国です。美味しい食べ物、混沌としてエネルギッシュな雰囲気、タージ・マハルなどの美しい建築物や価値ある遺跡…そして何より、人が必死に生活していることを肌で感じることが出来る貴重な場所です。インドが普通の文明国になってしまう前に見ておくべきだと、僕は思います。ですが、くれぐれも念入りに準備をして渡航して下さい。万が一にも犬に噛まれたら「命に係わる」、そのような国ですので…

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バラナシの「自称ガイド」

2011年の年末年始にかけて、両親の還暦を記念して家族でタイ、カンボジアを訪れたのですが、その旅行と合わせてインドとネパールを旅しました。トータルで19日間に及ぶ壮大な旅になりましたが、今回はインドのバラナシで遭遇した「自称ガイド」のことを書きたいと思います。

インドを訪れたのは人生で2回目でした。初めて訪れた時は食べ物にあたりひどい目にあい、命からがら帰国してもう二度と行くまいと思ったのですが、数年経つとトラウマも薄れていたのでしょうか、またこの恐ろしい国に足を踏み入れてしまいました。今回はバンコクからカルカッタへ入り、飛行機でガンジス川の沐浴で有名なヒンズー教の聖地バラナシへ移動、仏教の聖地であるサールナートとクシナガルを訪れ、そのまま北上し陸路でネパールへ抜ける計画を立てました。移動は飛行機と鉄道で、バスは絶対に使わないようにしました。(体力の節約とお腹を壊した際のトイレを考慮して)

バラナシの空港からホテルまでプリペイドタクシーを利用すると早速車内で彼らの「営業」に悩まされました。「サールナートへ行くんだろう、タクシーで往復するのにとても安い値段で行ってやるぞ、どうだ?」と持ちかけて来ます。絶対にボラれるのは分かっていたので「No,thank you.」と言ってもしつこく営業して来るので、「I want to see the view of the outside, please be quiet.」と突っぱねましたが、インド人はそんな事では諦めるはずもなく、結局ホテルに着くまでずっとこの営業を聞かされ続けました。

バラナシの洗礼にうんざりしつつも何とか逃げ切り、ホテルにチェックインした後、早速ガンジス川を見に行くことにして、ホテルの前でオートリキシャーに乗り込むと、突然1人の男がリキシャーに乗り込んで来ました。

<オートリキシャーと「自称ガイド」の男>

走り出すと「ガンジス川へ行くんだろう?俺に任せておけ」みたいな事を言います。同じリキシャーに乗っているので逃げることも出来ず、諦めているとリキシャーは当初指定した場所とは違う所へ到着しました。どうやらこの「自称ガイド」が運転手を丸め込んだようで、リキシャーを降りると「こっちだ、ついて来い」と…

もう今いる場所がどこかすら分からないので行くしかありません。しばらく歩くと、ガンジス川へ出たのですが、「ここからボートに乗れ、川の上からプジャ(ヒンドゥー教のお祈りの儀式)が見られるぞ」と言います。しょうがないのでボートの値段を聞いてみると、貸切の割に値段は高くなかった(他のこの手のボートは人を満杯に詰め込んでいました)ので、ボッタクリではないのかな…と思いつつボートで約1時間のクルーズ(と言うよりは、漂流?)とプジャの見物をしたのですが、冬のガンジス川は思いの他寒く(まさかインドが寒いとは想定外で)、凍えながらもボートは出発した場所へ戻りました。ボートの漕ぎ手にも「ボート代はボートの所有者が全部持って行ってしまうんだ、だから俺にチップをくれ」などとせがまれました…。岸に着くとさっきの自称ガイドが待っていたので、「これから夕飯を食べに行くから、ラディソンホテルへ行ってくれ、それで君はいくら欲しいんだ?」と聞くと、「Nothing. Because I can get the next chance. You are going to Sarnath(サールナート) tomorrow?」と言います。明日も付きまとうのかよ…と思いましたが、リキシャーもボートもひどくボッタくる事はしなかったので、次の日も彼に任せることにしました。

<ボートとバラナシの風景>

翌日は朝6:00に彼と運転手がホテルに迎えに来て、再びガンジス川クルーズ(漂流?)へ向かいました。それは沢山の人が早朝にガンジス川で沐浴をするので、それを見るためです。2時間の見物を終えてホテルに戻り、朝食を食べてリキシャーでサールナートへ向かいました。サールナートは仏教の四大聖地のひとつで、仏陀が初めて説法をしたとされる地です。サールナートへ向かう車内で、彼に「So, how much is your guide?」と聞くと「As you like.」などと自分はボッタくりガイドではないことを強調します。

サールナートの遺跡を見物し、周辺の寺院をいくつか訪れたあと、リキシャーに乗り込むと、彼は「これから少しショッピングに連れて行くから」と…

狙いはこれか!」と思いましたが、インドで車などをチャーターするとお土産屋に連れて行かれるのは定番なので、とりあえず行ってみました。しばらくするとリキシャーはシルクの織り工房件販売所に着きました。元々インドでシルクのスカーフをお土産に買うつもりだったので、工房で散々本物かどうか店員と揉めて(どうやらちゃんとした品物でしたが)、およそ1万円分のスカーフを購入しました。

<サールナートとシルク工房>

リキシャーでバラナシへ戻る際に、もうさすがに自由に行動したかったので、「ガンジス川へ行ってくれ、そこでガイドは終わりにしていいから」と伝えると、彼はもう十分に目的は果たしたのか、素直にガンジス川の入り口へ僕らを連れて行きました。リキシャーのチャーター代を払うと彼は小声で「And guide….」とちゃっかりガイド代を要求して来ます。「やっぱり欲しいんじゃん」と思いつつ2000円ほどを渡すと彼は嬉しそうにして、「You are very nice person! When you walk around the river, watch your bag. Some people try to steal it.」などと親切なアドバイスまでくれる始末でした。そんなに満足なのだから、さぞお土産屋からのキャッシュバックがあるのだろうと僕は興味がわき、「I will never get angry, so please let me know honestly. How much can you get from that silk shop?」と突っ込んで聞いてみると、彼は満足気に「2%!」と。1万円のうちの2%が彼の取り分ということは…200円?200円のためにこんなことしてるのかと衝撃を受け、そりゃあ2000円のガイド代をもらえれば最高だろうなと納得しました…インドの金銭感覚を知る良い勉強になりました…

強引な自称ガイドの押し売りでしたが、ボッタクることもなくトータルでそんな悪いサービスでは無かったかなと思い、次の日駅に向かうのにタクシーを手配できるか訪ねると、「大丈夫だ、必ず迎えに行く」と。翌朝は朝の列車だったので、早朝に待ち合わせしたのですが、10分前…約束の時間…10分が過ぎ…タクシーが来る気配はありません。「ああ、やられた!!」と思いましたが列車に乗り遅れる訳にはいかず、別のタクシーを探しましたが早朝なので全く走っていません。困っていると、近くに止まっていた観光バスのガイドの人が「どうしたんだ?」と声をかけてくれたので、駅に行かなければならないんだけどタクシーが捕まらないと言うと、彼は1台のオートリキシャーを捕まえてくれました。大きな荷物が3つあるのでちょっと…と思いましたが、なんとか荷物を積むことができ、リキシャーで30分ほど走り、何とか駅にたどり着き事なきを得ました。バラナシには駅が複数あるのでちゃんと目的地が伝わっているのか不安でしたが、観光バスのガイドはどうやらちゃんと運転手に伝えてくれたようです。

かくしてバラナシではインド人の強引さ、たくましさ、しつこさ、あざとさ、無責任、親切など様々な側面を経験しましたが、観光地であるためか総じて歩くだけでも災難が飛んでくるような町です。ガンジス川の周りではボートや両替の勧誘がしつこく、無視すれば「このゴミ!来るな!」などと罵声を浴びせられ、話しかけて来る奴は勝手にガイドを始めお金を要求する…もう周囲のインド人全てが敵に見えます。バラナシを個人旅行で訪れる際は、鉄の意志を持って、断固拒否の態度を示して歩きましょう。「手強い」インド人たちがあなたを狙っていますので(苦笑)

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本場アメリカのステーキ事情

ステーキと言えば、やっぱりアメリカが本場ですよね!ですが近年、アメリカのステーキ事情に大きな変化の兆しが…そんなアメリカのステーキ事情についてご紹介したいと思います。まず、アメリカでのステーキの種類を見てみましょう。

<RIB EYE(リブアイ・ステーキ)>
日本で言うとリブステーキです。脂がのっていて肉質は少し固めですが、肉好きが最も愛するステーキです。

<NEW YORK STRIP(ニューヨークストリップ)、KANSAS CITY STEAK(カンザスシティ・ステーキ)>
日本では(お店によっては現地でも)サーロインステーキと呼ばれます。脂はRIB EYEより少なくフィレよりは多い、肉質はRIB EYEより柔らかいもののフィレよりは固め、といった感じ。ちょうどほどほどなお肉なので人気があります。

<Filet Mignon(フィレミニョン)、Tenderloin(テンダーロイン)>
フィレステーキです。脂は少なくてあっさりしていますが非常にやわらかく、牛一頭から取れる量が少ないためお値段も高めです。

<Porterhouse(ポーターハウス)、T-bone steak(ティーボーン)>
T字型の骨の左右にフィレとサーロインが付いている、一度で二種類のお肉が楽しめる大きなステーキです。

<Tomahawk(トマホーク)>
テキサスなどのステーキハウスにある、非常に巨大なRIB EYEステーキで、その大きさは38オンス(1077グラム)や50オンス(1417グラム)など、まさにアメリカンサイズ!

<Prime Rib(プライムリブ)>
これは焼いたステーキとは調理方法がやや異なり、リブの肉をかたまりのままじっくり焼き上げ、食べる際に切り分けて盛り付ける温かいローストビーフのことです。

さて、このステーキの本場で、ある異変が起きていることをご存知でしょうか。なんと今アメリカでは、和牛が大ブームになっているのです。有名なステーキハウスのメニューを見て頂くと分かるのですが、評価の高いステーキハウスは軒並み和牛を売りにしています。和牛の名称もバラエティに富んでおり、WAGYUだったりAKAUSHIとか、KOBE BEEFと記載している所もあります。

余談になりますが、「神戸牛」というのは兵庫県で生産された「但馬牛(たじまうし)」からとれる肉が一定以上の基準を満たした場合にのみ用いることが出来る高級な牛肉のブランド名であり、日本三大和牛の1つとして非常に希少なものであるためほとんど海外には流通しておらず、アメリカに神戸牛が氾濫しているはずはないのですが…(苦笑)アメリカでは日本で飼育されたものでなくても、種牛が和牛であればWAGYUと呼ばれているようで、アメリカ産に加えてオーストラリア産の「WAGYU」まであります(笑)僕が先の年末年始にフロリダのステーキハウスで食事をした際に、ウエイターが特別な牛肉があると言って誇らしげに2つのお肉を持って来て見せてくれました。1つは宮崎牛のフィレで、もう一つはオーストラリア産のWAGYUのリブアイだと言っていました。もちろんアメリカに行ってまでわざわざ和牛を食べるのは本末転倒ですので、僕らはアメリカ産アンガス牛のステーキを注文しましたが…それにしても彼らが宮崎牛だと言っていたフィレは目玉が飛び出るほどの値段でした…

一昔前までは和牛は柔らかすぎて脂っこくてこれは本物のステーキじゃないとアメリカ人は言っていたような記憶もありますが…時代は変わるものですね…いずれにしても日本の畜産農家の努力と研究の賜物である和牛が世界で評価されていることは、日本人として喜ばしい限りです。神戸牛は2009年に、米メディアが選んだ「世界で最も高価な9種類の食べ物」にキャビア、フォアグラ、白トリュフらと共に選出されたと言うから驚きですね。品質を追求する日本人の底力は食材の分野でも発揮されつつあるようです。

ですが、本場のアメリカらしいステーキを食べたいと思っている方は、レストランに行く前にどこのお肉を扱っているのかチェックすることをお勧めします(苦笑)

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<ホームの端にいたら乗ることが出来ないナポリの地下鉄>

タイチャンネル

<クラビのモスクから流れるイスラムのお経>

<クラビ4島ツアーで訪れたボダ島の裏にある秘境ビーチ>

<クラビ4島ツアーでのシュノーケリング水中動画>

インド・ネパールチャンネル

<早朝のガンジス川で沐浴をする人々>

<ガンジス川のほとりで毎晩行われる祈りの儀式「プジャ」>

<仏教の聖地サールナートにて五体投地で巡礼する女性>

<仏陀入滅の地クシナガラにて祈りを捧げる人々>

<仏陀生誕の地ルンビニ(ネパール)にて祈りを捧げる人々>

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