旅行記・英語学習記事

代表講師のブログです。海外での出来事や留学の体験、異文化コミュニケーションや国際関係について書いています。不定期の更新ですが、ぜひお読みください。

留学時代の体験
Santa Barbaraその1。

Bostonその1。

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海外旅行での体験
高速鉄道の「お見合い席」に注意

レンタカーが、パンクした。

モロッコと西サハラ

フィジーの「木彫りおじさん」

海外で怪我をする(台湾編)

必ず3時間遅れるフライト(ネパール編)

ネパールのストライキ

悪質なタクシーを英語で撃退する(カルカッタ編)

インドの食あたりその2(2011年編)

インドの食あたりその1(2008年編)

スピード違反で捕まった(フロリダ編)

バラナシの「自称ガイド」

本場アメリカのステーキ事情

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経済・未来・テクノロジー
人気の高いラーメン屋ほど「お支払いは現金のみ」が合理的であるのはなぜか

「グローバリゼーション」の概念を更新しよう

イノベーションとは何か

“imperfect”であることを、受け入れてみよう

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異文化理解・コミュニケーション
Common Sense(常識)は、もう理由にならない

2つの”equality”:「機会の平等」と「結果の平等」

八方美人は、実は誰にも優しくない

「育てる」ときに大切だと思うこと

“Amazing Grace”と言う歌の意味とその背景

イギリス=イングランドではない

“I can do it.” “I will do it.” は “I have done it.” ではない。

“Better than Nothing”

ハリネズミのジレンマ

You and I are different. ‐ 異文化を理解すること

お台場に「自由の女神」がある理由

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英語学習
「英語を勉強して良かった」1番大切な理由

ハンバーガーを単品で頼むときは (ボストン編)

本気の留学ならアメリカに行くべき10個の理由

変わり行く大学受験と、今後も変わらないこと

アメリカ英語とイギリス英語の違いを考える必要がない理由

アイルランドの歴史と言語事情

留学でやってはいけない13のこと

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ブログ一覧

「育てる」ときに大切だと思うこと

 しばらくぶりのブログ投稿になります。今日は「育てる」と言うトピックについて、書いてみたいと思います。

 日々多くの生徒さまに接しながら感じることなのですが、「その方の力をどうやったら伸ばしてあげられるか」と思い悩むのは、教育に携わる方のみならず、子供をお持ちの全ての親御さまや、企業や組織で社員や後輩の育成に携わる方まで、多くの人々が「難しい」と感じることなのではないかと思います。本日は僕が「人を育てる」ことについて「欠けてはならない」と思うことを2つ挙げてみたいと思います。

最初に結論をシンプルに箇条書きしてしまえば、この2つは英語教育に限らず、必ず必要なことなのではないかと思っています。

A:相手の成功体験を作ることで「自信とやる気の土台を作ってあげる」こと

B:相手に教える行為が「自分のためではなく、相手の利益になっている」こと

 まず「自信とやる気を作ってあげる」ことですが、これは人生の全てにおいて、もっとも大切な基礎であると僕は考えています。英語に関して言えばもちろん「単語」や「文法」、「発音」や「スピーキング力」など、スキルとして指導しなければならないことは限りなくたくさんあるのですが、そのステップに進む以前に、まず学習される方に「モチベーション」が無ければ、どれだけ内容が素晴らしい指導でも時間や費用の無駄になってしまうものかなと考えています。モチベーションとは動機、つまり「何かを頑張るための目的」です。

 「帝王学」という学問がありますが、これは将来に大きな組織のリーダーとなるためにはとにかくまず「揺るがない自信」を醸成することが大切と考え、幼少期にはとにかく褒めることや成功体験を積み上げることで、大人になったときに困難なことがあっても崩れてしまわない強さと自己に対する自信をまず作り上げることを目的としているように思えます。そして帝王学の基礎はまず「幼少期」にありますので、何より子供とは「まず自らの親に認められる」ことに全てがあり、そのステップをクリアすると次は「友だちや先生に認められること」となります。日本にも「三つ子の魂百まで」とのことわざがありますが、人生の70%以上は、実は生まれた直後の家庭での体験に左右されるものかも知れません。

 ですので僕が子育てをされる親御さまにまずお勧めしたいのは、否定による教育を重視しすぎないと言うことです。もちろん、一定の負荷をかけることで耐性を持たせることも必要なのですが、これに偏ってしまうと、スキルは一見は身についているように今は見えても、将来に自信が持てずに自我が崩壊してしまいます。「良く出来たことは手放しで褒めて、悪いことをしたら叱る」、この両方がバランス良く存在して初めて、褒めることと叱ることは相互に効果を発揮できます。

(誤解を招かないように強調しておくと、これまでの否定が中心の教育では上手く行かないから、何があっても叱らず、悪いことをしても無理矢理ただひたすら褒めれば良い、ということも明らかな間違いです。英語では甘やかすことを”spoil”と言いますが、spoilの本来の意味は「ダメにすること」との意味であり、褒めることを良しとする欧米社会においてさえ、甘やかすことは虐待であるとの価値観が存在していることは言語そのものが証明しています。あくまで「正しい価値観を伝え、それが達成されたときだけ褒める」ことが必要です。)

 また、この「成功や達成を認めてあげることの重要性」は子育てに限らず、全ての「育てること」において共通に必要なことではないかなと思います。人は他者に認められて初めて、至らない点を呑み込むこともできます。これは人間の「自我」の存在を考えればむしろ科学的かつ合理的なことであり、アメリカでは人事のマニュアルにまで記載されている内容だと聞いています。努力を促すためにはただ否定するのではなく、まずは「認めてあげる」という作業が最初に必要です。人に認められているという「自信」があって初めて、人間は自らの欠点を受け入れて改善したり、自らの気持ちに余裕を持ってマナーやルールを守ったりすることが出来るようになるためです。ですので、自信を崩すような言い方や教育は、どのように指導内容が素晴らしいものでも、どれだけ言っていることが正論でも、その前の段階でまったく効力を得ることができません。

 次に「育てることは、自分のためであってはならない」という点です。私たちはみな人間ですので、教えられている側は必ずどこかで「この人は自分のためにそう言ってくれているのか、ただ自分の面子や利益のためなのか」を感じ取っています。

 例えば、将来は「良い大学に行った方が良いに決まっている」ことを相手に伝えるとして、それが「本人の利益を考えてそう言っているのか」、それとも「親としての面子や自己満足のためなのか」、あるいは「塾や先生の実績や利益にしたいだけなのか」によって、同じ内容でもまったく効果が変わってしまいます。人間とは不思議なもので、まったく同じ言葉や文章からでも、その他の要素、例えば日頃の行いや話し方、表情や指導している人のヒストリーなどから、「相手が自分の利益を重視しているのか、それとも単純に相手の利益のために言っているだけなのか」を総合的にかつ本能的に判断するものです。

 ですので、相手に何か改善や努力を促したいのであれば、まず「それが本当に相手にとって利益になるのかどうか」、「そもそも、その相手にとっての利益や幸せとは何なのか」から、まず考え直してみる必要があるのではないでしょうか。価値観や幸せの定義とは世代によって、個人によっても違うものですので、自分の考えや成功体験がその「育てたい」相手にとって、本当に同じような利益であるとは限りません。その世代やその相手の性格など、「育てる相手の視点」から本当の利益とは何かを理解して、その利益を実現するためのサポートを提供してあげることが教育なのかなと、僕は考えています。つまり主役は育てる側であってはならず、あくまで「育てられる人の未来」であるべきです。

 日本人とはその歴史的な背景や民族性から「当初より強固なアイデンティティを備えている」と、世界の様々な人間を観察して来た結果として僕は感じています。それはつまり「否定されても揺るがない強さと自信」であるため、日本では体育会のようなしごき文化で指導を行っても、大半の人はポジティブな面を得ることが出来たのではないかと思います。定義の議論はさておき、日本という国は少なくとも他国に侵略を受けた経験が無く、文化的アイデンティティが強固に守られ続けて来ました。国が出現した時から王族が一度も変更されていない歴史を持っているのは、世界広しと言えども日本は世界で唯一の存在です。これまで「本質的に」「文化的に」否定された経験が薄いからこそ、少しのことでは揺るがないアイデンティティを維持していると言えるでしょう。

(話は脱線しますが、太平洋戦争の後に米国は日本を「支配」せず文化的アイデンティティも否定しなかったことは、直前まで戦っていた敵国だったにも関わらず、(米国の利益にも叶ったとは言え)どこまでも冷静で秀逸な判断だったと思います。)

 この点に関しては良い点と悪い点、メリットとデメリットが存在しています。自信があること自体は基本的にポジティブに作用しますので、逆境に負けずに耐える力、冷静に目標に向かって感情をコントロールする力、余裕があり他者に親切に出来たり異質なものを比較的容易に受け入れる受容性などは、ナショナリズムを離れて客観的に比較した場合でも他国より優れているように感じます。この点はまさに「アイデンティティが強固である」賜物ではないかと思います。

 一方で「育てる」という観点から見た場合に、否定されても揺るがない経験に慣れてしまっていることから、「否定することは普通で、耐えられない方がむしろ悪い」という暗黙の思い込みを常識として文化に内包してしまっています。これまで、国内のほとんどが日本人で、同質的な文化を維持している場合に限ってはそれでも良かったのですが、経済や情報がグローバル化し、国内でもより多様な価値観への対応が迫られるようになった現代社会では、これまでの「育て方」はまったく通用しなくなって来ています

 現代社会はインターネットで常に海外の情報と繋がっており、人は常に「自らと海外の人々」を無意識に比較し競争する環境に置かれていますので、これまでのように否定を中心とした育て方では「成功体験が最終的には得られない」状況となってしまいました。シンプルな例えだと、これまで日本では「プロ野球選手になればほぼ頂点」だったものが、現在では「メジャーリーグの選手はほとんどの人が国内のトップ選手より稼いでいる」と言ったことを、誰もが当たり前のように知るようになったというようなことです。国境のハードルが下がった結果、世界のどの国でも人々の競争相手は「国内ではなく全世界」に変わったと言えます。

 経済においても「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われた1980年代と比較して、世界の競争環境はまったく異なるものとなりました。日本が世界経済の中心だった時代なら、日本のやり方で、日本でトップを取れば、それはそのまま最高の結果だったと言えたのかも知れませんが、今では違います。少子高齢化が進んだ日本の環境では、言い方は悪いですが、今後の若者は「退役世代を支えると言うハンディキャップを背負わされた状況で」グローバル化された世界の強者たちとの競争に挑まなければなりません。残念ながら、国内で勝てれば勝ち組という時代は、30年ほど前にもう終わったのです。果たして、私たちが今後の将来世代にしてあげられることは、なんでしょうか。

 少なくとも今後の現役世代を「育てる」時には、こうした世界の強者と戦っても揺るがないだけの「自信とアイデンティティ」を作り出すことが求められます。また、価値観が多様化して周囲の人間も日本人とは限らなくなった以上、これまでのような否定を中心とした育て方では、大人になった時に周囲とのコミュニケーションに支障を来たし、最悪の場合はパワーハラスメントで組織を追われるといった結果になり兼ねません。私たちが将来世代の幸せを本気で願うのであればなおさら、私たちが育てる世代には「世界基準で勝ち抜くための育て方」が求められています。それはこれまで私たちが達成してきたことの何十倍もの努力と工夫、そして「これまでには無かったレベルでの育て方」が必要となるでしょう。今の日本社会、特に人を育てる親世代や管理職世代には、「価値観の抜本的な転換」が求められています。

  SSEAでは、未来の社会を担う方々を育てるお手伝いが出来ればと考えております。価値観の転換は世代に限らず、社会の全ての方々がそれぞれの役割に従って身に付けなければならないことではないでしょうか。

 ただ、私たちにはそのための希望がしっかりと見えています。これまで日本人が培ってきた「強固なアイデンティティ」と「他者に奉仕する精神」は、人を育てるという作業に関しては無類の強みを発揮できる下地でもあるからです。今後の将来世代が確固たる自信を持って、幸せに生きて行くためのお手伝いを実現出来たなら、それが私たちが存在する意義なのではないかと考えています。私たちは今後も、未来を創るための仕事をしていきます。

We can change the world.

Fly to the world, realize the next one and open your future.

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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「英語を勉強して良かった」1番大切な理由

「英語って、何のために勉強するの?」

皆さんが英語や英会話を学ばれる理由は様々だと思います。「旅行をもっと楽しみたい」「留学やホームステイに行きたい」「受験のシステムが変わる」「仕事で英語が必要だ」「就職や転職で有利になる」「外国人と話してみたい」「外国人の友達や恋人が欲しい」「もうすぐ東京オリンピック!」「シェアハウスに入居したら周りがみんな外国人」…その目的、動機は人によって千差万別でしょう。きっかけや目的が何であれ、英語を身に付ける事はその方々にとっては必ず何らかのプラスになるはずです。僕に至っては、大学時代に父に「学生のうちに留学くらいしておけ」と言われたのがきっかけです(笑)もちろんそれ以前からTOEICくらいは受けないと…と思って単語を覚える程度はしていましたが、本格的に背中を押してくれたのはその父の一言だったのは間違いありません。詳しくは留学時代の体験 「Santa Barbaraその1。」のブログからお読み頂ければ幸いですが、何しろ僕はそのようなきっかけでロクロク会話の経験もないまま留学へ出発し、現地で打ちのめされ自分の情けなさを痛感し、そこから必死に英語の勉強を始めることとなりました。

きっかけはこのような情けないものですが、とにもかくにもその後英語を身につけた事で、次の留学では海外に多数の友人ができ、その後9.11直後の超氷河期の就職活動を勝ち抜き、海外旅行へ行っても不自由なく行きたい所へ行き、やりたい事をやり、食べたい物を食べ、相手を怒らせるまで値切り(笑)、時には英語でケンカをする事も出来ます。今ではネイティブと英語で議論してもそう簡単には負けません。そして何より、いまこうして英語を教えると言う仕事を立ち上げる事も出来ました。まさにあの時の父のひと言が、僕にとってはかけがえのない一生ものの財産となりました。恥ずかしくて口では伝えられませんが、僕はその時の父のアドバイスに、本当に深く深く感謝をしています。日本語しか話せなければコミュニケーションが取れるのはせいぜい1億人と少しですが、英語と言う「世界の共通語」でコミュニケーションが取れる人の数は、少なく見積もっても世界の半分、約35億人に上るでしょう。つまり僕の世界は父のおかげで35倍の広さになったのです。世界を自由自在に旅をして、35億の人々と会話ができ、様々な知識や経験を得て無限の魅力と出会うことが出来る。こんなに素晴らしい事は無いと思います。

しかし、僕が「英語を身に付けて良かった」と思う1番大切な理由は、実は上記したような事ではありません。僕にとっては世界を知ることで、「日本のことを初めて正しく知ることができた」と言うことが、もっとも大切な事だったといま思えることです。

実は僕は若い頃は、いつか日本を出て行きたいと思っていました。こんな経済が低迷し、刺激的な事が少なく、政治家や官僚は悪事ばかりを働き、過労死するほど働かなければならない国に住むのは不幸だと勘違いをしていました。ただ僕がこのように思っていた事は実はそれほど稀なケースではなく、実際に日本の若者は他国の若者と比べて自分たちを幸せだと感じていない、と言う調査データが出ています。つまり日本人、特に若者は日本に生まれた事を「幸せでない」と思ってしまっているのが現状なのです。それは実は大きな勘違いなのですが、残念ながらそれが勘違いだと気付くチャンスや方法が日本の若者にはないのかも知れません。それは日本の教育政策の失敗と、マスメディアがネガティブな内容ばかりを批判的に報道する偏向的な姿勢、そして何より、若者が内向的にならざるを得ない英語教育のレベルの低さに大きく起因しています。

僕は英語が話せるようになってから、色々な国の友人と話をしたり、中々行く事が出来ないような場所にも行けるようになり、個人的に旅行が好きだった事もあり世界各地の様々な場所へ行き、様々な現状や問題を自らの目で見て感じる事が出来ました。そしてその中で、初めて気付くことが出来たのです。「自分は何て恵まれた国に生まれ育ったのだろう」と言うことに。

<これだけの大都市にも関わらず、東京の空は青い。アジアからの観光客は、まず空の色が違う事に驚くそうです。アジアやヨーロッパの大都市の空が青い事は、近年ほとんど無くなりました>

世の中面白いもので、日本に生まれて日本しか見た事がなかった時は、実は日本のことは何も分かっていなかったのです。世界に飛び出して他国と日本を比べた時に初めて、日本は世界の中でもズバ抜けて幸せな国だと気付きました。治安が良く女性が夜に繁華街や住宅街を1人で歩いても何も問題がなく、町は清潔で人々は勤勉で礼儀正しく親切、カフェでバッグを席に残してトイレに行っても盗む人もおらず、電車にスマホを忘れてもかなりの確率で戻って来ます。サービスのクオリティは世界のトップと言えるほど優れており、仕事を探そうと思えば労働者の数より求人の数の方が多い、賃金の水準もバブル期のように世界トップでは無いにしろ、先進国に相応しい十分に裕福な生活を送ることができ、ほとんどの国民が海外旅行を楽しめ、日本のパスポートを見せればビザも免除され疑われることもほとんどありません。世界のトップを争う技術や医療環境も存在し、選挙権も表現の自由も当たり前のように与えられている。自然に恵まれ美しい景色と文化的な財産を持ち、水資源に困るどころか水道の水をそのまま飲むことまで出来る。首都である東京都市圏は人口ベースでも経済ベースでも世界最大の都市で、世界中の料理を楽しめ、世界中のエンターテイメントや芸術がやって来て、手に入らないものの方が珍しく、ありとあらゆる種類の娯楽を楽しむことができ、把握仕切れないほどの新スポットが次々と生まれ、ニューヨークと世界一を争う事が出来るくらい刺激と新しさに満ちあふれています。高品質で新鮮な食材があふれていて、美味しいものがいくらでもあり、和食は世界的にも最も価値のある料理の1つとして世界遺産にもなりました。高級な食べ物でなくてもクオリティが高く、安くて美味しいものが沢山あります(安くても美味しい、と言うのは他国では非常に稀なことです)。アニメや漫画と言ったサブカルチャーは世界中の若者を魅了して日本好きの外国人がどんどん増えていて、逆に海外へ行けば日本人だと言うだけで親切にされたり礼儀正しく扱われる。これだけ恵まれている国は世界のどこにもありません。日本より進んでいる国はおそらく、アメリカぐらいのものでしょう。そのアメリカですら、全ての面で日本より優れている訳ではありません。

<イタリア・ナポリのメインストリート。経済状況が悪化しゴミの回収がままならないそうです>

先進国が集まるヨーロッパでさえ失業率が10%を超える国が続出し、10人に1人は仕事がありません。多くの国は砂漠化と水資源の確保に苦しみ、水道水を安心して飲めるなどと言う国はほとんどなく、移民の受け入れに問題があった国では差別や貧困が蔓延し治安も悪化しています。パリやロンドンでテロが頻発しているのは皆さまもおそらくニュースでご覧になった事があるかと思います。発展途上国では水不足に水質汚染と大気汚染が深刻化しており、他のどの先進国を見ても発展途上国を見ても、日本のように何一つ不自由がない国は1つもありません。

日本人は自らが築いて来た文化、歴史、経済や自然環境にもっと誇りを持っても良いと、僕は思います。これだけ素晴らしい国は見つける事が不可能だ、と言っても決して過言ではないと思います。逆に日本を知る外国人の方が、日本の事をよく分かっていたりします(苦笑)ただ、それは残念ながら、日本にいたら分からないこと、世界へ出てみて初めて気付くことです。その意味で、僕は英語を身に付ける事ができて本当に良かったと思い、もっと日本の良さを世界に発信したい、そして日本の皆さまにも、私たちの住む国のことをより良く知って頂けたら、と思います。そして私たちは恵まれているからこそ、もっと世界に貢献する事も忘れてはならないと感じます。

そのためにも、僕は今後も日本の英語教育を変えると言う目標に挑戦し続けたいと思います。そして日本の未来を創って行く若者に、ぜひ世界に飛び出して見識と経験を広げ、今後の日本をより良くして行って欲しいと願うばかりです。皆さまが世界を知り日本を知る、そのお手伝いが少しでも出来たら幸いです。

Learning the world means learning your own country. Find and love the country where you have grown up. Contribute to and improve your home country and the world.

“Find the world. Find Japan again!”

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Santa Barbaraその12。

ここでは2001年の春に僕が初めての留学で滞在したカリフォルニアの小さな町、サンタバーバラでの体験について書いています。初めてこのブログをお読みになる方はぜひ、Santa Barbaraその1。からお読みください。

Santa BarbaraからSan Diegoに日が暮れてから到着し、歩き回るのも不安を覚えケーキで夕飯を済ませた僕らは、翌日は国境を越えてアメリカに隣接するメキシコの町・Tijuana(ティファナ)を目指しました。メキシコへは国境を車で越えてそのまま入ることも出来るのですが、ほとんどのレンタカー会社はメキシコへのレンタカーでの入国を許可していない(カナダはレンタカーでも入れるそうです。この辺りが治安や安全性の差なのでしょうか…)ため、僕らは国境の近くまで車で向かい、駐車場に車を停めて、徒歩でメキシコへと入国する事にしました。サンディエゴから南下するフリーウェイに入ったのは良かったのですが…どこがアメリカ国内の最後の出口か分からず走っていたため、うっかり最後の出口を通り過ぎてしまい…あろう事か、国境の検問所が目の前に見えて来てしまいました(汗) 「ヤバい!車で国境まで来ちゃったぞ、どうする!?」と車内は一時、軽くパニックに陥りました。何しろレンタカーでのメキシコ入国は禁止な上(おそらく入る事は出来るでしょうが、保険などは一切効かず何かあれば大変な事になるでしょう)、僕は国際免許証も持っていない状態です…(だって、カリフォルニアのレンタカー会社は日本の免許証だけで車を貸してくれたから…笑)

<フリーウェイの検問所。車で通過できる>

どうしようかとソロソロと国境の検問所に近づいていた時…左端に”Return to U.S.A.”の文字が!幸運なことに、Uターンレーンが設けられていました!今考えると、そりゃそうですよね…間違えて国境まで来て戻れないんじゃ、検問所だって困るでしょう(苦笑)かくしてUターンして最寄りの出口でフリーウェイを降りた僕らは国境近くの駐車場に車を停め、徒歩で国境を目指しました。

<鉄格子の回転扉をくぐればそこはもうメキシコ>

アメリカからのティファナ(メキシコ)入国は非常に簡単で、ただ鉄格子の回転扉をくぐればそこはもうメキシコです。特にパスポートを見られることも、荷物検査も税関も何もありません。ティファナに長期滞在する場合や、ティファナ以遠のメキシコへと進む場合はイミグレーションオフィスを訪れて入国手続きが必要なようですが、ティファナに短期滞在するのみであれば、何の申請も必要ありませんでした。アメリカ側からメキシコに不法入国する人はきっといないのでしょう…海で囲まれた日本に育った僕にとっては、歩いて国境を渡るというのはこれが初めての経験でした。アメリカに来る前からずっとティファナに行ってみたいと思っていた僕は1人ワクワクしていたのですが…国境を越えて町の雰囲気がメキシコになるにつれ、他の5人の女の子の顔が徐々に引きつって行くのが分かりました…カリフォルニアから徒歩数分でも、そこはまさにメキシコ。そしてティファナは、アメリカから気軽に訪れることができる観光地である一方で、メキシコからアメリカへ不法入国する不法移民が集まり、麻薬を運ぶブローカーが暗躍する最前線の基地でもあります。ガイドブックにも「メインストリートであるレボルシオン通りから決して外れないように」とありました…

<ティファナは観光地と犯罪の前線基地という2つの顔を持つ町>

レボルシオン通りは賑やかで、僕らは地元のスーパーを覗いてみたり、メキシコの名産物である銀細工のショッピングなどを楽しみ、他の5人の緊張も少しずつ和らいで来たようでした。そこでちょうどランチタイムとなったのですが、そこで僕らは初めて気づいたのです。「果たして、ここで何かを食べる事は安全なのかどうか」という問題に…

<賑やかなレボルシオン通りにはお土産屋さんやレストランが並ぶ>

特にドイツ人のアンドレアは慎重で、「私はメキシコでは絶対何も口にしない」と言いました。他のメンバーも抵抗があったようなので、僕らはアメリカにもあるファストフードのチェーン店で、コーラなど安全そうな飲み物だけを飲むことにしました。今でこそメキシコ観光はポピュラーになり衛生状態も改善されて来ましたが、当時のメキシコはまだ食べ物を口にするのも危険だ、というイメージでした。しかし後ほど「その選択は正しかった」という事がサンタバーバラに帰着後に判明する事になります…

<メンバーがタコスを食べたお店>

その後も散策や買い物を楽しんだ僕らは、遅くなる前にアメリカへ戻ることにしたのですが、帰り道の途中でタコス屋を見つけた何人かのメンバーが、「やっぱりタコスくらい食べておきたい」と言ったので、彼女たちはお店でタコスを食べたのですが、強い意志を持つアンドレアと、唯一のドライバーで万が一にも体調を崩せないと考えた僕は、2人で外で待つことにしました。その後再び合流しアメリカへ再入国しようと検問所にたどり着くと…出る時は何のチェックもなかったのに、アメリカ入国には厳しい審査を待つ人の長蛇の列が出来ているのです…現在でもトランプ大統領はメキシコとの国境に壁を作る、と主張していますが、正にアメリカとメキシコの間に存在する経済格差や不法移民、麻薬の密輸などの問題をまざまざと実感させる現実でした。メキシコとアメリカの間には小さな川があるのですが、その橋を渡る際にマユミが「みんなあの川を命がけで越えるんだろうね」と言ったことを覚えています。国が陸路で繋がっている、というのは世界では一般的ですが、日本人の僕らにとってはある意味、初めて「国境」という現実を見た瞬間だったのではないかと思います。

<国境を不法移民は命がけで越えて行きます。アメリカ入国は厳しい入国審査>

何とかアメリカへ再入国した僕らは、駐車場の脇にあったアウトレットモールでのショッピングを楽しみましたが、僕は体調をキープしなければならなかったため、ベンチで休憩する事にしました。その後車にてサンディエゴの町へと戻った僕らは、夕飯にバーベキューを楽しみ、夜の遊園地やショッピングを楽しみ、サンディエゴ旅行の2日目を終えたのですが、ホテルへ帰ると駐車場が満車となっていたので、フロントのスタッフにどうしたら良いかと尋ねたところ、夜の間はホテル前の路上に駐車しても大丈夫だと言うので、車を路上に停めて就寝したのですが、これが日本に帰国後にちょっとした騒動に発展することになります。続きは次のブログにてご紹介したいと思います。

<夕飯はアメリカンなバーベキュー>

To be continued.

Santa Barbaraその13。へ続く

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高速鉄道の「お見合い席」に注意

2009年の9月、僕らは夏季休暇を利用してポルトガルを約10日間ほどかけて周りました。なぜポルトガルを選んだかという理由がまた単純なのですが、当時マスターカードのCMで、「○○○、何ユーロ。△△△、何ユーロ。□□□の思い出、Priceless。お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで。」というものがあったのを覚えている方はいらっしゃいますでしょうか。そのCMの舞台にポルトガルが使用されていて、何となく行ってみたくなったという、何とも単純と言うか影響されやすいと言うか、そんな動機でした(笑)思い返すと、モロッコに行った時の理由も同じCMだったような…(笑)

とにもかくにも、このような単純な動機から始まったポルトガル周遊旅行で、リスボン・オビドス・ナザレ・アルコバサ・エヴォラ・ポルト・シントラなどをバスと鉄道で移動しながら周りました。ヨーロッパは公共交通機関が発達している代わりに、古くからの町は道が狭く駐車場も少ないので、レンタカーより鉄道での旅が良いですね、風情もありますし。いつかはレンタカーも使ってみたいと思っています。

ポルトガルは「バカリャウ」と呼ばれる、タラを塩で漬けた食材が有名ですが、何とも塩辛く僕の口には若干合いませんでした…。旅の中盤から食傷気味になって、とうとうステーキしか注文しなくなった記憶が(苦笑)1番美味しいと思ったのはイワシの塩焼きでした…、ポルトガルの食事はしつこくないので、比較的食べやすいとは感じましたが。

<バカリャウのグリルとバカリャウのグラタン>

<後半はステーキばかり注文…イワシの塩焼きは日本で馴染みのある味(笑)>

ポルトガルは世界遺産こそ多くは無いかも知れませんが、オレンジの屋根と白の壁で統一された町並みは美しく、古い小さなお城や修道院を改装した「ポサーダ」と呼ばれるホテルに宿泊したり、独特な小さな教会や修道院を巡ったり、ポートワイン(一次発酵の途中でブランデーを加えて発酵を止めるためとても甘く、好みは分かれるそうです)で有名なポルトのワイナリーを訪れたり、オビドスやシントラなど小さくて美しい町や村も魅力的で、中々に充実した旅になりました。

旅行も後半に入り、僕らはエヴォラからバスでリスボンへ戻り、そこからポルトガル第2の都市であるポルトへ向かいました。ポルトへはポルトガルの高速鉄道「アルファ・ペンドゥラール」(略称AP。最高速度は220キロくらい)を利用して、約3時間の旅です。

<世界遺産ジェロニモス修道院とリスボンの町並み>

<オビドスの小さな町と、シントラのペーニャ宮殿。シントラの文化的景観は世界文化遺産に登録されている>

<ドウロ川を挟んで見るポルトの町並みと、ポートワインの試飲が出来るワイナリー>

リスボンに到着し、僕らはAPの切符を購入しようとしたのですが、お昼過ぎに着いたにも関わらず空席は夕方の便まで無いと言うのです…本数が少ないからでしょうか…。帰りのAPはネットで予約しておいたのですが、行きはエヴォラから戻る時間が読めなかった事もあり予約していなかったのが災いしてしまいました。まあ、当日中に着けば良かったのでしょうがないと思い、スーパーでショッピングなどをして時間を潰したのですが、この待ちに待ったAPの3時間が、この旅行では最悪と言える時間だったかも知れません…

ヨーロッパの高速鉄道の座席は、日本の新幹線のように全て進行方向を向いてはいないことが多く、たいていの場合車両の後ろ半分が前向きで、前半分は後ろ向きで、中央の席は向かい合う「お見合い席」になっていて、座席は固定なので向きを変えることができません。日本の新幹線みたいに可動式の座席にすれば良いのにとは思うのですが、ヨーロッパの高速鉄道は途中で進行方向が変わったりするので(大きな駅が行き止まり方式なので、前向きに入って行って出て行くときは反対に進むしかない)、可動式にすると混乱を招くといった事情があるのかも知れません。ですが、時速200キロ、300キロで走る高速鉄道に後ろ向きで座るのって、結構キツいですよね。僕は昔、新幹線でボックス席にして後ろ向きに座ったら乗り物酔いした記憶があります(苦笑)やっぱり日本の新幹線は、少なくとも実用性においては世界最高水準と言えると思います。

かくして待ちに待ってAPに乗り込むと、取れていた座席は後ろ向きの、しかも「お見合い席」だったのです…。知らない人と向き合って3時間過ごすだけでも悲惨と言えますが、APのお見合い席は足元が狭く、さらに欧州人は身体が大きいので、足が思いっきりこちらに伸びて来ていて、お互いの足が重なって座るしかないので全く足を動かすことが出来ません…。長時間待っていて疲れているのに、リラックスするどころか身体は全く動かせず、在来線を高速化したせいなのか乗り心地も悪く揺れるので、後ろ向きの座席で酔って気分が悪くなり、この状態で3時間を過ごした僕らはポルトに到着した時はもうボロボロで食欲もない状態に…。やぱりスケジュールをしっかり決めて事前に予約をしておくべきだったと、後悔の嵐だったことは言うまでもありません…。

<ポルトガルの高速鉄道Alfa Pendular>

帰りは通常の前向きの座席だったのでそこそこ快適でしたが、なにしろ「お見合い席」は最悪だと思いました。フランスのTGVやドイツのICEが同じ状況かどうかは分かりませんが(ICEには乗った事がありますがお見合い席や後ろ向きではなかったので…)、何しろ後ろ向きに座るだけでもかなり不快ですので、高速鉄道の座席は早めに予約しておくことをお勧めします…。

海外旅行に行くと、日本で当たり前のように利用しているサービスがいかにきめ細かく出来ているのか実感される方も多いと思います。僕らが住んでいる国がどれだけ恵まれている場所なのかを知るという意味でも、海外へ出て様々な経験をすることは本当に貴重だと思います。ですがみなさんが高速鉄道にお乗りになる際は、「お見合い席」だけはやはり避けたほうが良いと思います(苦笑)

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“Amazing Grace”と言う歌の意味とその背景

おそらく皆さまも一度はどこかで耳にしたことがあるであろう曲、”Amazing Grace”(アメイジング・グレイス)ですが、この曲は実はキリスト教の賛美歌であると言うことをご存知でしょうか。恥ずかしながら僕もつい先日までは知りませんでした(苦笑)本日はこの曲が持つその意味と、この曲が生まれた背景から僕が考えたことを書いてみたいと思います。

    <AMAZING GRACE (Hayley Westenra)>

“Amazing Grace”は「素晴らしいグレースさん」と言う意味ではもちろんありません。ここで使われている”Grace”とは「神の恵み」「恩寵」の意味であり、日本語に訳すと「すばらしき神の恩寵」となります。神の恵みに感謝することを歌うこの曲は、イギリスの牧師であるJohn Newtonによって1772年に作詞されました。彼がこの曲を作詞するに至った背景には、彼が牧師となる前に行なっていた過去の行いと、それに対する後悔の念が大きく関係しています。

<John Newtonの肖像画>

John Newtonは実は、当初は船乗りとして黒人奴隷貿易によって富を築いていた商人でした。当時の奴隷に対する扱いは想像を絶する家畜以下のものであり、多くの奴隷は輸送中の非衛生的な環境の中でその命を落としたと言われています。彼はそのような罪深いビジネスに従事して富を得ていましたが、1748年のある日、彼の船が嵐により浸水し、沈没の危機に瀕しました。彼はクリスチャンとして育ったものの、救いを求めて本当に心の底から神に祈りを捧げたのは、この時が初めてのことでした。
船は運良く沈没を免れ彼は生き延びることとなりますが、この日を境に彼の考え方は大きく転換し、「奴隷貿易を行なっていたような罪深い自分にも、神は赦しを与えた」ことに対して深く感謝をするようになります。その後もしばらくは奴隷貿易に従事し続けたものの飲酒やギャンブルなどを控えるようになり、1755年にはついに船を降りることを決断し、その後勉学と多額の献金を行い、彼のその経験を伝える事ができるよう牧師へと転身したのです。

こうした後悔の気持ちと、それを赦した神への感謝を述べるために作詞されたのが、今では広く知られることとなった”Amazing Grace”です。”amazing”(驚くべき)の単語が使用されたことからも、彼にとって神の赦しは驚くべきほど深いものだったのでしょう。当初彼が作詞したオリジナルの歌詞には次のように綴られています。

<Amazing Grace(オリジナルの歌詞)>

Amazing grace! how sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost but now am found
Was blind, but now I see.

‘Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my shield and portion be,
As long as life endures.

Yes,when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the vail,
A life of joy and peace.

The earth shall soon dissolve like snow
The sun forebear to shine;
But,God who called me here below,
Will be forever mine.

<アメイジング・グレイス(日本語訳)>

驚くべき恵み なんと甘美な響きだろう
私のように悲惨な者を救って下さった
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える

神の恵みが私の心に恐れることを教え、
そして、これらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に

多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私はすでに辿り着いた
この恵みが、ここまで私を無事に導いてくださった
だから、恵みが私を家に導くだろう

神は私に良い事を約束して下さった
彼の言葉は私の希望の保障である
彼は私の盾と分け前になって下さる
私の命が続く限り

そう、この体と心が滅び、
私の死ぬべき命が終わる時、
私は、来世で得るものがある
それは、喜びと平和の命である

地上はまもなく雪のように白くなり、
太陽は光を失うだろう
しかし、私を御許に召して下さった神は、
永遠に私のものになる

このように、”Amazing Grace”とは、過去の自らの過ちを悔い改め、それを許してくれた神に感謝の祈りを捧げた賛美歌なのです。そして人が過ちを犯したならそれを悔い改め、自らを律して正しく生きて行くべき事を、彼はその賛美歌の歌詞へと込めました。

話が全くそれますが、僕は誰かに「人は何のために生きているのか」と聞かれた時は、こう答える事にしています。

「人は、幸せになるために生きている。人生を楽しむために生きている。」

なぜなら、幸せではない人生、楽しくない人生はウソだと思うからです。人も生き物である以上、その欲望から完全に逃れることは出来ません。食欲、性欲、睡眠欲と言った動物が本能として備えている欲に加えて、「美味しいものを食べたい」「旅行に行きたい」「物を手に入れたい」「他人とコミュニケーションが取りたい」「人に理解されたい」「もっと多くのことを知りたい」と言った、知恵や知識があるからこそ生まれる、人間ならではの欲もあります。僕は一応(というか日本人の大部分は)仏教徒になるかと思いますが、仏陀のように欲を完全に捨てることは、おそらく僕には無理だと思います。

しかし一方で、人間にはその欲を抑えたり他人を思いやると言う「理性」や「倫理観」、「社会性」も同時に備わっています。これは人間がその進化の過程で知恵と同時に培って来た、生命体では人間のみが持つ能力です。人間にはその知恵ゆえの欲望がある一方で、それを制したり反省する知恵もあるのが私たち「人間」と言う生き物と言えます。

宗教もこうした歴史の過程で、人が自らを律したり、生きるべき道を示したり、時に自らの過ちを認め悔い改めるために生まれて来た概念と言えます。僕は特定の宗教を深く信仰するタイプではありませんが、宗教の考え方やその背景にある事実を知ることは「人がどのように生きるべきか」「社会はどうあるべきか」と言う事を考えるきっかけを与えてくれるものです。

<世界にある様々な宗教は人々を導くためのもの>

“Amazing Grace”を聴いたりその歌詞や誕生の背景を知ることで、「人は時には過ちを犯すことが必ずある。そうした際には、その過ちを認め悔い改め、その先にある人生に生かしていくべきだ。」と言うことを、僕はまた1つ知ることができました。皆さまもこの心に染み渡るメロディーを耳にした際は、人には人間のみがもつ「欲」と「理性」が両方とも存在し、それをどのようにバランスを取るべきなのか、そして「人はみな幸せになるために生きている」が、そのためには「過ちは悔い改め正しく生きて行く必要がある」と言うことを、思い出してみて下さい。

We must make mistakes sometimes, as long as we are human being. But we should not give up improving ourselves and realizing our happiness.

※ 英会話SSEAが『みんなの英語ひろば』の取材を受け、特集記事が掲載されました。ぜひご覧ください!

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